咆哮再び

 私達は洞穴から踵を返した。

 目無しが小夜となり、還った今、洞鳴村には用は無い。

 村人の殺人の罪は警察に任せた。

 村人の殆どが関与している事から、裁かれるのは一部になるだろうが、洞鳴村は最早終わった。

 明日にでも、マスコミが大量に押し寄せ、洞鳴村の過去の悪行を掘り返すだろう。

 残された村人達は、世論に打ちのめされ、どこにも行く事すら許されずに、ここで村共々朽ちて行く事になるだろう。

 真っ当に生きていた一握りの村人達の立場を考えたら居たたまれないが、事件は時間と共に風化していく。

 時が洞鳴村の傷を癒やすまで、暫し辛抱して貰うしかない。

「ん~っ、楽勝だったなぁ~」

 北嶋君が伸びをする。

 彼にとっては何の事も無かろうが、目無しを葬ったのでは無く救ったと言う事…

 無論、北嶋君のような芸当は出来る訳が無いが、目無しを葬る事しか考えていなかった私には、衝撃だった。

「北嶋君、君は本当に凄い男だな」

 素直に言うのも癪だったので、私は北嶋君に聞こえないように、ボソッと言った。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 目無し…小夜は還った。

 北嶋さんの力によって。

 最後のお説教が凄く面倒臭かったけど、彼女は被害者。あれで良かった。私の家族も納得してくれるだろう。

 私は北嶋さんの隣にトテテと移動した。

「北嶋さん、ありがとう…」

 ありがとうには、いっぱい色んな意味があった。

 言葉が上手く出て来なかったから、たった一言になっちゃったけど…

「礼ならデート一回でどう…ぐあっ!」

 北嶋さんの背中を神崎さんが蹴った。

「所構わず口説いてんじゃないわよっ!」

 桐生さんが北嶋さんに駆け寄る。

「北嶋さん大丈夫?尚美、なんで可哀相な事をするの!?北嶋さんは小夜さんを救って疲れてるのよ!!」

 北嶋さんの背中をさする桐生さん。

「桐生、お前だけだ…俺をちゃんと労ってくれるのは…」

 北嶋さんが桐生さんの手をそっと両手で包み込んだ。

「毎度毎度…どさくさに紛れてセクハラしようと…!!」

 神崎さんが言葉を止めた。

 桐生さんも後ろを振り向く。

 私と師も後ろを振り返った。

 洞穴から邪気が発生してきたのだ!!

「目無しは還った筈…!!」

 洞穴から禍々しい負のオーラを感じる。それはまるで目無しのオーラのように。

 いや…違う…

「邪気は目無しを凌駕している…?」

 そう、邪気は小夜さん…目無しを凌駕していた!!

「手足も全て還った筈だ!!何故洞穴から!?」

 その時洞穴から風の鳴く音が聞こえた。


――ゴァアアアアァアァア!!


「男?男が鳴いているの!?」

 目無しの鳴き声よりも野太い鳴き声…そして獣のように彷徨う影。

「何何?何が起こった?」

 北嶋さんだけは鳴き声も邪気も全く感じていない。ただ、みんなが見ているから、釣られて洞穴を見ていた。

 洞穴の暗闇から右手が現れた。

「やはり目無しだ!!」

 師が刀を抜くと同時に、私達も洞穴の右手に集中した。

 右手から右肩、右肩から右半身、やがて顔が現れる。

「実吉!!」

 現れたのは顔半分削ぎ落とされた、洞鳴村の助役の洞口 実吉だった!!

「目無しじゃない!手足でも無い…新しい目無し?」

 消香符の効果がまだ持続していた私達は、緊張はしていたが、少し余裕があった。

 しかし、新しい目無しは私達に向かって躊躇無く向かってくる。


――ゴァアアアアァアァアアァアァァア!!!


「うお!!」

 右腕を師に伸ばしてくる!咄嗟に刀で払う師!

「う!?」

 師のこめかみに、スッと傷がついた。

「何の迷いも無く目を狙っている?」

 改めて新しい目無しを見る私達。

「顔半分削ぎ落とされているけど、片目はあるわ!!」

 そうだ!新しい目無しは片目がある!!

「見えている訳か!!」

「みんな!!『片目』を描くまで時間を稼いで!!」

 神崎さんがスケッチブックを取り、洞口 実吉…片目の絵を描く。

「はあぁああ!!」

 桐生さんが印を組むと、片目の足元に暗い穴が開く。そこから無数の腕が出て、片目を捕らえた。


――ゴァアアァアァア!!


 腕に掴まれ、自由を奪われた片目が激しく暴れた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「北嶋さん!ちょっと待ってて!」

 私は急いで片目を描き上げる。

 生乃の『誘いの手』に自由を奪われながらも、激しく抵抗する片目…

 石橋さんと宝条さんが、懸命に斬り付けている。

 しかし、片目は恐ろしい咆哮を挙げながらも、全く怯む事は無かった。

「く…何て凶暴な…!」

「なまじ見えるから、目無しみたいに攻撃をなかなか喰らわない…!!」

 三人は私を見る。絵が描き上がるのを待っているようだ。

「出来た!これよ!」

 描き上げて声を上げた瞬間、三人が安堵の表情を浮かべた。

 三人掛かりでも、片目を抑えるのは難しい。

 目無しの目が見えて、攻撃が手探りでは無くなり、起動性も抜群に跳ね上がったのが片目…

 何より、小夜さんは被害者で目無しになったのだが、あいつは人殺し。自分さえ良ければいいと言う奴だ。凶暴性も格段に跳ね上がっている。

「ん?こいつ、俺がさっきぶちのめしたハゲのオヤジじゃないか?」

 北嶋さんがじっと絵を見ながら言った。

「そうね、何があったのかは解らないけど、目無しみたいな化け物になってしまったようね…」

 北嶋さんは私から皇刀草薙を受け取った。

「ナビしろ」

 ゾッとした。

 北嶋さんが笑っている…

 遠慮無くいたぶれるみたいな表情を浮かべて…

「神崎?」

「え、ああ…解った…みんな、下がって頂戴…」

 敵をぶち壊す時の北嶋さんは本当に怖い。慈悲なんて欠片も見せない。

 私の号令に、一斉に退く三人。

 都合よく、片目が北嶋さんに向かって手を伸ばし、向かって来た。

「北嶋さん!右腕が伸びて来ているわ!」

「ぬん!」

 私の指示と同時に、草薙を片目の右腕に斬り付ける。


 ボトッ


――ゴアアアアァアァア!!


 片目の右腕が落ちて膝をつき、苦しむ片目。

 落ちた右腕が、黒い霧を発生しながら消滅していった。

「さ、流石は草薙…悪霊の右腕を滅したか…」

 石橋さんが感心している。

「真正面に膝をついて苦しんでるわ!!」

 今がチャンスだ!!右腕だけじゃなく、存在を滅さなければならない!!

「真正面に膝をついている…か…」

 北嶋さんは片目の口辺りを突き刺した。


――ゴッ!ゴハッ!ゴハッ!


「口を貫いている!?」

 片目は残りの片目を剥き出し、激しく苦しみ、草薙から逃れようと身を捩る。

 黒い霧が口から発生してくる。

「まだ殺すなよ!!」

 北嶋さんが言葉を発した瞬間、黒い霧が止まった。

「な、何でそのまま滅しないんですか!?」

 宝条さんが私達の疑問を代弁し、北嶋さんに訊ねる。

「さっきは与えたが…こいつからは奪うのさ」

 そう言って片目から草薙を抜く。


――ゴハァァア!ゴハッ!ゴッ!ゴッ!


 片目は地べたに倒れ込んだ。咆哮すら上げられない程、口にダメージを受けていた。

「耳の位置は?」

「え?えっと…30センチ奥…ちょい左…」

 私の指示通り、草薙を移動させる。

「そこ!突けば耳よ!」

「うら!!」

 草薙を耳に突き刺す。地面に這いつくばっている片目が言葉も出せず、のた打ち回った。

「口に耳…次は目か」

「奪うとは…もしかして…片目の器官を奪うと言う意味か!!」

 北嶋さんはフンと鼻を鳴らす。

「さっきのは喋れない、聞こえない、見えないと言う苦しみから化け物になったらしいな。こいつは喋れるし、聞こえるし、見える。それなのに化け物に成り下がった。さっきのヤツの苦しみを少しは味わって貰う」

 慈悲を全く見せず、冷たい眼差しを片目がのたうち回っている場所に向ける。

 石橋さんと宝条さんは無言になった。

 それは可哀想とは言えない雰囲気…

 北嶋さんは片目を決して許さないだろう。

「もう聞こえないだろうが散々苦しんでから消えろ。神崎、目の位置だ」

「そこから右30センチ…そこよ」

「残りの目玉で見る最後の光景だ」

 ゆっくりと草薙を目に近付ける。

 片目が固まって、それを見ている。

 ゆっくり…ゆっくりと…


――ゴッ!!ゴッ!!ゴッ!!ゴフッ!!


 片目には、徐々に草薙の切っ先が近付いている恐怖があるだろうが、恐怖で固まって動く事が出来ないようだ。蛇に睨まれた蛙の如く……


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 目無しに殺された私だが、どんな因果かは解らないが、手足になる事も無く、新しい目無しとして蘇った。

 それはそれでいい。人間はいずれ死ぬ。

 永遠の命が手に入ったと思えば、まぁ、死んでいるのだが、特に嘆く必要もない。

 私が目無しを殺し、私が新しい恐怖の対象として恐れ、崇められるのなら。

 自信はあった。奴は目が見えないが、私は片目が見える。見える私に分があっただろう。

 しかし生前、私を殴り、蹴りつけた男によって目無しは滅んだ。

 見てはいないが、目無しの存在が消えたのは確認出来た。

 石橋達の話を聞くと、ヤツが倒した事が安易に想像出来たのだ。

 生前、私を殴り付けたあの男に、借りを返さなければならない。

 私は新しい住処と決めた洞穴から、あの男を引き千切るために出て行ったのだ。

 私の脅威は石橋達に伝わったようだが、あの男は私に気が付かなかった。

 特に関係は無い。気が付かずとも、私に殺されるのだから。

 私の視界の先に石橋がいた。

 ちょうど良い。先ずはこいつを私の従者としよう。

 私は石橋に腕を伸ばした。石橋の目に触れるか触れないかの刹那、石橋が刀で私の腕を弾いた。

 流石は一流の霊能力と言った所か。私の初戦に相応しいと言える。

 石橋の仲間の女の術が、私の身体を掴んだ。

 気が付くと私の足元には暗い穴が開いていた。

 私を掴んでいる無数の腕は、その暗い穴に引き摺り込もうとしているようだ。

 成程、凄い力だ。あの暗い穴は冥穴か?

 腕の伸びている底に、無数の亡者が泣き喚いている。

 しかし私の力の方が上回っている。

 暴れていれば、いずれ腕は外れるだろう。

 そして暴れた。不思議と疲労は全く無い。

 対して女の方が、この僅かな時間で疲労しているように感じる。

 女の助太刀に石橋と宝条の娘が私に斬り付けて来る。

 刃が私の身体に当たるも、痛みはあまり感じない。

 石橋や宝条の娘の必死の形相を見ていると愉快になる。

 私が奴等を殺そうと、少し本気になろうとした矢先、いきなり奴等が退いた。

 冥穴から伸びている腕も消えている。

 私に恐れを成したのか?いずれにしても関係は無い。

 石橋達を皆殺しにし、私の村にノコノコと侵入してきた警察全て、四股を引き裂いて目玉をくり抜く。

 私は洞鳴村の新しい救世主なのだから。

 しかし石橋達が退いたと思ったら、私を生前、殴る蹴ると言う暴挙を起こした男が私に近付いてくるじゃないか。

 今一番殺したい男だ。好機とばかりに、男に腕を伸ばした。

 私は笑っていた。

 目玉をくり抜かれてのた打ち回っている男の姿を想像して。

 しかし男も笑っていたのが見えた。

 ゾク

 背筋が寒くなった。

 何故そうなったのか解らない。解らないが、私は一瞬、止まってしまった。

 私の右腕から感覚が無くなった。一体何が起きたのだろうか?

 私は暫く気が付かなかった。

 残った目を地面に泳がせると私の伸ばしていた右腕が地面に落ちていたではないか!

 私はありったけの声を挙げて咆哮し、堪らず膝を付いた。

 私の右腕が黒い霧を発生しながら消滅して行った。

 凄まじい痛みが右腕に感じる。

 目無しとなった私が、これ程の痛みを感じるとは思っても見なかった。

 現に、石橋達に斬り付けられても、これ程の痛みは感じなかった。

 私は男を見上げた。

 殺すな

 男は確かにそう言っていた。

 誰に言ったのかは解らないが、私を殺す気になれば、いつでも殺せる。私はそう捉えた。

 続いて男は微かに口元を歪ませ、私の口に刀を突き刺して来た。

 刀は私の舌を切り裂き、喉を傷つける。

 舌と喉が焼け付くように痛み、私はのた打ち回った。

 私は咆哮すら挙げられずに、ただ咳き込むだけになった。

 焼けるような痛みに苦しみ、のた打ち回る私に、男が刀を耳に近付けて来た。

 男は私から奪うと言っていた。さっきは与えたが、こいつからは奪う、と。

 この男は私から全ての感覚を奪うつもりなのか?

 男に訊ねたかったが、舌を切り裂かれた私には、それは叶わなかった。

 いや、この男は確か私が見えなかった筈…存在すらも解らなかった筈なのだ。

 私がいくら声を荒げても、この男には届かない。叶う叶わない以前の問題だった。

 石橋達が周りで何かザワザワとしていた。

 耳に冷たい刃物の感覚が入った。

 この瞬間、私の周りの音が全て途絶えた。

 石橋達の声も自分の咳き込む音さえも…

 舌と喉に感じている焼けるような痛みが、耳にまでやって来ただけだった。

 痛みで地べたを転がり込む私は、あの男を睨んだ。

 この男が私の全てを奪っていく憎き男…

 怨みを眼孔に込めて、あの男を睨んだ。

 その時切り裂いた刀の切っ先が、私の残った眼球に向けて止まっているのが見えた。

 逃げなければと自分に激しく命令を出していた。

 しかし何故か身体が動かない。

 頭では動け動けと命令を出しているのだが、身体が全く反応しない。

 硬直している。

 この男に怯えて身体が動かないのだ。

 恐怖など、生前に何度も感じている。

 幼い頃、目無しに目玉を奪われた友達の弟を見た時も、餌が欲しいと夜な夜な彷徨って玄関扉を引っ掛く目無しの音も、怖くて怖くて震えてばかりいたが、身体が 硬直する事なんて無かった。

 この男は今までの全てを凌駕して、私を怯えさせている。

 私が相手に出来る男では無かった。

 私が向かって行ける相手では無かった。

 初めて会った時に感じた恐怖…

 この男に殴られ、蹴られていた時に感じた恐怖は本物だったのだ。

 こんな事になるのなら、あの男が私に『宝条を暴行した人間全て出せ』と 言われた時に、素直に呼んでくるべきだったのだ。

 懇願しながらあの男を見る私だが、私が最後に見た映像は、刀の切っ先が私の眼球に刺さる瞬間だった…!!


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「目を貫いた…!!」

 草薙の切っ先が片目の残った目を貫いた。

 片目が残された左腕を貫かれた目に押し当て、地べたを転げ回っている。

「これで、口、耳、目は奪ったか?」

「え?う、うん…右腕もだけどね…」

 神崎さんが片目に憐れみの眼差しを向けて言った。

 いや、神崎さんだけではない。桐生さんも、師の石橋も、おそらく私も…

 そして、誰一人として北嶋さんに目は向けなかった。

 怖いのだ。単純に。

 目無しに対しては、全ての障害を治したと言うのに、片目からは奪う。

 目無しはある意味可哀想な存在だ。

 沢山の人を殺したとしても、それは無理からぬ事情があった。

 だが、片目は違う。

 目無しには無かった完全な悪意。

 それが片目からは感じ取れた。

 北嶋さんはそれが気に入らないみたいで、片目をとことん追い詰めた。その気になれば、片目など瞬殺出来るのに。

 片目をいたぶる様が私達を怖がらせている要因なのだ。

――ゴァッ!ゴッ!ゴッ!コハッ!

 片目はのた打ち回りながらも、北嶋さんに残った左腕を伸ばして来た。

 決死の抵抗なのだろう。せめて一撃と。

 左腕が北嶋さんの喉に触れるも、左腕は当然のように北嶋さんの身体をすり抜けた。

「北嶋さん!左腕が北嶋さんの喉をすり抜けたわ!」

「何?この期に及んで反撃か?ムカつくハゲだなぁ」

 北嶋さんは草薙を斜に構え、一気に上へと振り切る。

 ボドッ

 片目の残った左腕が地面に落ちた。

――ゴアアッ!カハッ!ガッ!

 後ろに仰け反り、倒れる片目。

「神崎」

 北嶋さんは神崎さんを呼んだ。位置が知りたいのだろう。

「真正面!三歩前!」

 北嶋さんは三歩前に踏み出し、片目の顎を蹴り上げた。

 片目の身体が宙に浮き、そのまま地面に叩き付けられる。

「ここら辺か?」

 北嶋さんは片目の顔を踏み抜く。

――ガアァツ!ガカハッ!

 口から血を噴き、耳は千切れ、目は空洞化した片目…

 その表情は読み取る事が難しいが、北嶋さんを恐れ、懇願している事だろう。

 北嶋さんは徐に私達の方を振り向いた。

「で?誰がやりたい?オッサンか宝条か?」

「や、やりたいって…?」

 聞き返す私。

「ハゲのとどめだ。ハゲが憎いでも、ハゲが可哀想でもいいさ。誰かがやらなきゃならないだろ?」

 何故彼はいきなりこんな事を言うのだろうか?

「き、君は草薙を持っているのだよ?何故君がやらない?」

 私の疑問は師も感じたようだ。

「俺はハッキリ言うが、ハゲをこのまま放置して永遠に彷徨わせたい。ハゲは最早誰にも危害は加えられない。成仏もせず、地獄にも行けず、ただこの世で嘆き、悲しめばいいさと思っている。だが、それはいけない事なんだろ?」

 北嶋さんは、全く慈悲を見せない言葉を平然と私達に言った。本当に敵には容赦しない性格のようだ。

「とどめを放棄するのは、このままの方が片目にとって一番の苦しみだから、ですか…」

 北嶋さんは面白く無さそうに溜め息をつく。

 片目を踏み付けている脚の力を多少緩め、再び踏み付けた。

――ゴバワァ!!!

 片目が血まみれ、泥まみれになりながら、苦しんでいる。

「俺個人はな。しかし、全て任せろと婆さんとも約束した手前がある。こんな糞でもケジメは付けなきゃならないんでな」

 そのケジメが片目を葬る事…

「しかし…」

 師が躊躇っている。

 目無しや洞鳴村の呪いを断ち切ったのは、間違い無く北嶋さんだ。

 ここで片目を私達が葬るのは、何か美味しい所取りのような気がして戴けない。

 そう思うのは、片目を憐れと思う気持ちが強まったからだ。

「二人で躊躇し合っているなら仕方ない。宝条、このハゲの首を刎ねろ」

 北嶋さんは私にとどめを刺すよう、指名した。

「わ、解りました…」

 私は自分の刀を抜き、片目にゆっくりと近付いた。

 北嶋さんは言った。憎いでも、可哀想でもいいさ、と。

 北嶋さんにボロボロにされた片目を、正直憎いとは思わなかった。

 可哀想という気持ちが若干ある。

 しかし、とどめを刺すのは義務感…

 亡者を在るべき所に送るのが、私達の仕事なのだから…

 片目の傍に、立ち止まる。これだけ接近しても何もできない。全く怖さを感じない。

「もう聞こえないとは思うけど…洞鳴村の呪いを作った先祖に代わり、全ての厄を終わらせる」

 首に切っ先を向ける。

 北嶋さんに潰された片目から血が滴り落ちていた。

 さながら涙のように…

 私は刀、片目の首に振り下ろした。

 ボタッ

 片目の首が胴体から離れた。

 私は感情無く、それを見ている。

 首と胴体の離れた片目は、やがて黒い霧を発生させて消えて行った…


「…終わりました」

 刀を鞘に収め、北嶋さんに一礼する。

「そうか。良かったな」

 北嶋さんが私の肩をポンと叩いた。

 ハッとなった。

 北嶋さんは良かったな、と言った。初めから片目を私に滅させようとしていたのだ。

 家族の無念、先祖の罪、その全てを終わらせる事が私の悲願…

 とどめを刺さず、現世に縛り付けたいと言うのも本音だろうが、その為にわざわざ私を指名したのだ。

「はぃ…ぎたじまさん……ありがとうございました………!!」

 いつの間にか泣いていた。涙で顔が大変な事になっていた。

「…凄い顔だな…」

 涙と鼻水を洪水のように流している私を見て、北嶋さんが一歩後退りをする。

「じがだないでず…泣いているんですがらあぁぁ~…わぁぁぁ~!!」

 北嶋さんの胸に飛び込み、涙と鼻水をシャツに大量に付けた。

「うわー…クリーニング代は請求するからな…」

 この時、私は家族と離れてから、初めて本気で泣いた…


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 師匠の水谷が目を瞑りながら大声で笑っている。

 洞鳴村での出来事を『視て』いるのだろう。

 北嶋さんが戦っている時は、いつも愉快そうに『視て』いるのだ。

「ズルイですよ師匠~…師匠ばかり見て笑っていないで、私にも何が起きているのか教えて下さいよ~」

 私は少しふてくされながら、師匠に説明を求めた。

「いやはや。流石は小僧!訳解らんわ!目無しにツボ押しして聴覚と言語障害を治しおった!」

 ん?目無しにツボ押し?

 私の頭には、沢山のハテナマークが回っている。

「解らんじゃろ?そりゃそうじゃ。ワシも初めて見たわ。霊に指圧して障害を治す事なんぞ」

 師匠が顔を真っ赤にして笑い、畳をパシパシ叩いている。

「へ?霊に指圧?しかも治った?」

 相変わらず私は良く解っていない。

 解っていないが、北嶋さんがまた常軌を脱した行為を行い、成功した事には間違いないだろう。

「して目玉の代用はピンポン玉じゃと!それで見えてしまった目無しもたまげたがな!いや、身代わり地蔵とかあるからある程度は納得はできるがの!」

 ピンポン玉?益々解らなくなって来たが、と、とにかく目無しの視力が復活したようだ。

「そ、それで北嶋さんは無事目無しを倒したんですか?」

 私の問い掛けに師匠はニカッと笑う。

「倒した…違うなぁ…救ったんじゃな。一発の拳も使わずに」

 師匠は目無しが成仏するまでの様を、私に身振り手振りで説明した。

 まるで冒険小説を読んだ後に、興奮しながら人に説明するように。

「北嶋さんは相変わらず訳が解らないですね…目無しの障害を治し、成仏するのを説教する為に引っ張り、留めるなんて」

 彼の凄さは重々承知だったが、まさか霊の生前の障害を治して文字通り『闇』から解放するなんて…しかも、成仏する霊を正座させて説教するとは…

 口をポカンと開けたまま、固まっていた。

「それにじゃ、片目…新しい目無しになった村人じゃな。それを葬る様がまた痛快でなぁ!」

 師匠は一転、厳しい表情になり、私に説明をした。

「成程、片目からは奪って現世に放置、ですか…確かに片目には辛い罰ですね」

 餌を貰えず、雄叫びも挙げられず、ただ居るだけ。

 自殺者が現世に留まり、何度も何度も自殺するように、死んでも死にきれないような、辛い状態だ。片目は動く事も出来ないそうだから憑りつく事も出来ないだろうけど。

 ただ、その場所は結果的に負のオーラが蔓延する事になる。この世に生きる人間には好ましく無い状態ではある。

「それは本音じゃろうが、実はじゃな…」

 師匠の続く言葉に納得がいった。

「北嶋さんらしいと言えばらしいですね。宝条さんの悲願の為、宝条さんの業を断ち切る為ですね。」

 思えば尚美も生乃も、同じ状況だった。

 北嶋さんは確かに地獄送りには出来ないが、尚美や生乃の悲願達成の手助けをした。勿論、私の場合もそうだ。

 彼が意識しているのかは不明だが、業は自らの手で断ち切らねば意味が無い。

 結果的に私達は彼に助けられたのは紛れもない事実だ。

 だから私達は彼に…

「何じゃ?小僧は諦めたんじゃなかったのか?」

 私の顔が一気に火照ってくる。

「尚美と生乃が相手じゃ、私は本気出せませんよ~」

 冗談混じりで返答をしたが、勿論師匠には通用しない。

「まぁええ。いずれ小僧の前に立つ覚悟が出来るやもしれん。その時ワシはニヤニヤしながら静観を決め込むつもりじゃから、覚えておくようにの」

 師匠は愉快そうに笑った。

 私の顔の火照りは、なかなか消えなかった。

「それにじゃ、敵がまた増えたのじゃからな」

「敵?増えたって?」

 今だに火照った顔を上げて師匠に尋ねる。

「早雲の弟子じゃ。あれもお前さん達と同じく、他に男を知らんからな。小僧に惹かれるのは至極当然じゃな」

 宝条さんもか。

 いよいよ私の出る幕は無いのかも…

 火照った顔が急速に冷める。

 師匠はひとつ溜め息をついた。

「梓、お前さんは誰よりも綺麗な顔立ちをしとる。身体もはちきれんばかりに輝いておる。が、お前さんと他の娘との差はの、その意気地の無い所じゃな」

 そう、私は意気地無し…

 街に降りれば私を見て、振り向く男は沢山いる。

 恋人とのデート中の男も、家族と買い物しているお父さんも、私に振り向く。

 私は言い寄られるのは慣れているが、自分から向かって行く術を知らない。

 そして私は失恋するのが怖いのだ。

 周りには、いつも自信たっぷりで振る舞っているが、実際の私は自信なんて全く無い。

「いずれそれからはお前さんの領域じゃ。ワシは助言も出来ん。ワシもその手の経験は多い方では無いからの」

 師匠はそう言いながら、優しく微笑んだ。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 ゾクッ

 宝条に抱き付かれている俺の背筋に寒気が走る!オッサンと桐生、そして神崎の殺気だ!!

 華奢で細い宝条だが、抱き付かれるのは気持ちが良い。

 別のシチュエーションならば、間違い無く押し倒しているだろう。

 そんな俺の心を読んだが如く、オッサンが目をつり上げて俺を睨み付け、桐生が半泣きしながら俺をジト~ッと見ている。

 圧巻なのが神崎だ。

 肩に手を回せば殺す!!

 まさに怒気を孕んだ殺気を俺に向けて発している最中なのだ!!

「ほ、宝条、そろそろ離れてくれたらありがたいのだが」

 懐はほんのりと暖かいのに、背中は冷水を浴びせられたように寒い!!

 この温度差では風邪を引いてしまう!!

「わがりましだぁぁ~!!わあああ~!!」

 解ったとか言いながら一向に離れようとしない宝条。

 ヤバい!俺の命もさることながら、色々ヤバい状況になってきた!

 俺は健全な男な訳だ。

 女に抱き付かれ、懐がほんのりと暖かい状態では…


 膨らんでしまう!!


 何が膨らむかは想像に任せよう。

 とにかく色々ヤバい状況だと言う事だ。

「…北嶋さん、そろそろ帰りましょ?師匠も首を長くして待っているわ」

 神崎がニコッと微笑みながら、俺の肩をポンと叩く。

 しかし目は全く笑ってはいない。普通にこええんだけど。

「そ、そうだな。後は警察に任せよう」

 オッサンは宝条の両肩を優しく掴み、俺から宝条を引き剥が…まずい!!

「ま、待て!引き剥がすな!」

 俺は慌てて止めた。今引き剥がされたら俺の股間の膨らみがバレてしまうからだ。

 それだけは何としても阻止しなければならない。

「北嶋さん…」

 桐生がものすごぉぉぉく泣きそうな顔をして俺を見た。

「違う!そうじゃない!違うんだ!」

「何が違うんですかぁ~…ヒックヒック…」

 上目で俺を真っ赤になった目で見る宝条。

「違う!それも違う!早まるな!」

 いっそ全てを晒け出せればどんなに楽になれるか…

 しかし、流石に女に抱き付かれたから股間が膨らんだとはとても言えない。俺はハードボイルドなのだから。

「北嶋さん、今更格好つけなくていいのよ」

 神崎だけは俺の異変に気が付いたようだ。

「しかしだな、俺の沽券に関わる…」

 ここまで言うと、神崎がプッと軽く吹き出す。

 まるで、沽券じゃなくて股間でしょ?と言っているように!!

「?何をしたいのか解らんが、とにかく可憐から離れて貰おう!」

 オッサンの言葉の語尾に怒気が含まれている。

「違う!オッサン落ち着け!」

 とは言ってみたものの、落ち着くのは俺の方だった。

 うおおお!落ち着け俺の股間の膨らみ!!

 雨乞いにも似た必死の叫び!!

「違うって何ですか…?」

 抱き付いている腕に力が入る。

 華奢ながらも2つの膨らみが俺に伝わる。めっさ小せえが胸は胸だと言う事だった。落ち着けないよな。

 つか離れないと落ち着かないんじゃねーか?

 俺は一か八か、宝条を引き剥がす事にした。

 宝条の両肩にそっと手を添える。

「え?」

 宝条がたじろいだ。この一瞬の隙を見逃せない。

 俺は両腕を伸ばして引き剥がした。と、同時に!!

「離れろって言ってんのよ!!」

 神崎のグーが俺の顔面に突き刺さった!


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「きゃああああ!!」

「北嶋さんんっ!!」

 宝条さんがその場で絶叫し、生乃が北嶋さんに駆け寄った。

「や、やり過ぎじゃないかね?北嶋君が白眼を剥いて気絶してしまったぞ?」

 北嶋さんは私のパンチによって鼻血を噴射し、気絶してしまった。

「いいんです。北嶋さんも多分これを望んだでしょうから」

 違う違うを連呼していた北嶋さん。

 恐らく、宝条さんに抱き付かれて不覚(?)にも反応してしまったのだろう。

 あの場を綺麗に逃れようとしたいなら、これがベストだ。

「少し酷いんじゃないですか!!」

「そうよ尚美!いちいち殴らなくてもいいじゃない!!」

 宝条さんと生乃が私に非難の眼差しを向ける。正直言って辛いものがある。

 北嶋さん、これは貸しにしとくからね…

 私は北嶋さんのシャツを掴み、引き摺った。

「ま、待ちなさい。それは彼があまりにも不憫だ」

 石橋さんが北嶋さんを担ぎ、車へと歩いた。

「申し訳ありません。お願い致します」

 石橋さんに頭を下げながら思う。

 私はこの三人にどれだけ極悪非道と思われたのだろう…

 帰ったら北嶋さんにもう一発ぶち込まないと気が済みそうにない。


 洞鳴村から師匠宅に向かって走っている最中、北嶋さんが目を覚ました。

「うう…ああ~…痛かった…」

「あの場合はあれがベストじゃない?」

 北嶋さんは助手席の背もたれを倒して頭に腕を組んだ。

「流石は神崎。俺の異常をよく見切った」

 偉そうにふんぞり返って言っている。

「おかげで私は生乃達にどんなに酷い奴とか思われたのよ。北嶋さん面倒臭いわ」

「まぁ、そう言うな。愛する男を立てるのも…ごっ!」

 右パンチを顎に当てる。

「愛してないわよ!!」

 北嶋さんは顎をさすり、悶絶しそうだった。

「今から高速に乗るけど…コンビニに寄る?」

 戦いの後は喉が乾くだろう。一応、優しさでの配慮だ。

「ああ。頼む」

 じゃあ、とコンビニに立ち寄り、北嶋さんにお茶をお願いして、車で待っている事にした。


「遅いなぁ…何しているのかしら?」

 コンビニ入店より既に20分は経過している。

 師匠の家に戻るだけだから特には急がないけど。

 …何か胸騒ぎを覚える………


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 プルルルル、と私の携帯が鳴った。

「尚美だわ。どうしたのかしら?」

 洞鳴村での戦いは既に連絡済みだ。後はただ、ここに戻るだけ。連絡なんて必要ない筈だけど…

「なんじゃろうな?取り敢えず出てみぃ」

 師匠に促されて電話に出る。

「もしもし?尚美、どうした…

『………!!………~~~!!』

 尚美が慌てて私に説明する。

 その内容は驚愕だった!!

「それホント!?懲りてないの!?あああ~!本当に困った人ねぇ!!折り返しかけるから、少し待って!!」

 焦り気味に電話を切った私は、師匠の方を向いた。

「師匠…あの…とても言い難い事ですが…」

 師匠もただならぬ状況と思い、真剣な顔つきをする。

「言ってみぃ!!」

 師匠が少し大きな声を出す。

 言わなきゃならない。とても、とても言い難いが…

「………北嶋さんが………コンビニに草薙を持って行って…銃刀法違反の現行犯でまた捕まりました………」


 師匠は暫く沈黙した後……

「またかぇ!!!」

 と、大きな声を出し、ひっくり返った…



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