産まれた日
「これが、私が目玉を失った…って、君は聞いているのかね!?」
結構重要な事を話した筈だが、彼は可憐をボケーっと見ていた。
「あ、ああ…も、勿論」
彼はすっかり冷めてしまったお茶をゴクゴクと飲み干す。
「これはデジャヴかね?先程と同じ展開になりそうだが…可憐ばかり見ていたような気がしたがね?」
この時私は、流石に返事も全く同じ事になるとは、思いもしなかった。
「いやぁ…可愛いなぁとか思ってさぁ~」
「君の頭の中には!!それしか無いのかねっ!!」
もう私は彼に全力で突っ込む事を躊躇しなかった。よって身体ごと飛び込んで突っ込んだ。
「まぁまぁ、そんなに怒鳴るでない。小僧、今の話はどう思った?」
水谷さんが彼に感想を聞き出す。しかし、彼は聞いていない筈だ。
私は再び全力で突っ込む準備をしていた。
「い、いえ、そんな…」
可憐が時間差で先程と同じ返答をしてくるとは、全く思いもよらなかった。
驚いて、私は可憐の顔を見る。
可憐は赤くなりながら俯いて身を捩っていた。
「か、可憐…」
脱力感を覚えつつ、私は可憐の顔を覗き込んだ。
すると、プイッと可憐が顔を背けたではないか!!
「年頃じゃからな。そんな事より先程の質問の答えじゃ。小僧、どう思った?」
そ、そんな事??年頃って???
何の事か良く解らない状態で、可憐と彼の顔を交互にキョロキョロと見ていた。
「よく解らんが、ぶち倒すだけだ婆さん。それとも他に何がある?」
彼が意外と真面目(?)に答えたのに驚嘆した。
「村人はどうじゃ?目無しを倒す為に村に入ったらば、村人に囲まれるやもしれんぞ?」
確かに、彼の能力で目無しを倒せたとしても、その前に村人に殺される可能性がある…
洞鳴村の人間は、皆狂っている…
「そんなもん。面倒だからみんなぶち倒すさ」
彼は何を今更と言う表情で、あっけらかんと答えた。
「小さな村とは言え、かなりの人間を相手にする事になるんだぞ!!」
怒りを通り越して呆れた。彼には何も期待しない方がいい。
私はそう思ったのだが…
「馬鹿言うでない。人間相手なら殺人になるじゃろうが」
水谷さんは彼が全部の村人を彼が倒せると思っているのか、彼を窘めたではないか!!
「刑務所は勘弁だが…正当防衛なら適用にならないかな?」
彼も彼で全部ぶっ倒すスタンスは変えていない様子。
「兎に角じゃ。小僧には人殺しはして欲しくは無いのじゃ。解るな?」
水谷さんは真剣な眼差しで、彼を見据えていた。
「あ、あの北嶋さん…ほ、本気で村人全員倒すつもりなんですか?普通に戦える大人だけでも千人以上は居ますけど…」
可憐が心配そうに話を戻した。
どうせハッタリだろうと私は思うのだが。
「小僧がやれると言えばやれる。が、ワシは小僧に万が一でも人殺しはして貰いたくは無いのじゃ。お主の師がお主を大事に想っておるのと同じようにな」
「…そうですね。馬鹿な事を聞いて申し訳ありません」
可憐が深々と頭を下げる。
私は感涙で前が見えない状態となった。
私の想いを汲んでくれていた水谷さんに…そしてそれを理解していた可憐に…
「まぁ、向かって来たら半殺しくらいはするがな。黙ってやられる程お人好しじゃないのは婆さんも承知だろう?」
彼は水谷さんの気持ちを全く理解出来ていない!!水谷さんはただ心配なだけなのだ!!
私は彼を指差して叱咤した。
「君は相当な自信があるようだが、万が一にでも犯罪者にしたくない水谷さんの気持ちを汲もうとは思わないのかねっ!!」
私の叫び声が客間に響く。
水谷さんも目を瞑って、ただ黙っていた。
可憐はハラハラしながら、私と彼の顔を往復して見ている。
「オッサン、俺は問題無い。殺すなと言えば殺さない。安心して泥船に乗ったつもりでいろ」
彼が得意そうに胸を張る!!
「泥船は沈むだろう!確か先程も言っていたな!?殺さず村人を制する事が出来るのかね!?ならば私は何も言う事は無いがねっ!!」
興奮して唾が飛ぶ。彼はその唾を軽やかに避ける。
「ハードボイルドは無敵なのさ」
私は彼との問答で、一つの諺を思い出し、肩をガックリと落とした。
暖簾に腕押し。問答も面倒になる程の手応えの無さだ。
「まぁ、それについては考えがある。その前に、小僧に話しておかねばならぬ事がある」
水谷さんがゆっくりと口を開いた。
「話したい事?愛の告白なら間に合っているぞ!!」
彼は水谷さんから若干離れた。
「君は…黙って話を聞きたまえ…」
これだけ疲労が溜まる男は初めて見た…依頼で悪霊を斬る時よりも疲労が蓄積されるとは…
「なんじゃ、拍子抜けじゃなぁ」
水谷さんもいちいち乗っかる必要は無い!!と、心の中で激しく突っ込む。
「まぁ、そんなカリカリするでない。ほんの洒落じゃ」
水谷さんは私の心の突っ込みを『視た』らしい。愉快そうにケラケラ笑っていた。
「と、まぁ、冗談はさて置き、じゃ、お前さん達にも聞いて貰わねばならん。目無しの誕生の話じゃからな」
水谷さんの瞳が真剣な眼差しとなった。
私と可憐は姿勢を正し、話を聞く。
彼はプカプカとタバコを吹かしていたが、取り敢えず無視をしようと思った。
時は明治初期。
洞鳴村には未だ文明開化の波は訪れてはいなかった。
洞鳴村は貧しい集落であった。村人は常に飢えていた。
それもその筈である。
元々洞鳴村は人間が住んでいた場所ではなかった。
詳しくは解らないが、病や飢饉により、住処を追われた人々が寄り添って、辺境に集落を作ったのだ。
どこからか流れて来た罪人が、洞穴に身を潜めていたのを、追われた人々が発見した。
追われた人々は、その罪人を長とし、ここに集落を作ったのだ。
何故罪人を長としたのか。
この罪人は、何故か解らないが、大層な博識だったのだ。
罪人は自分の知識を使い、追われた人々に畑の作り方や、川にて漁の仕方、家の作り方を教えた。
そして罪人と追われた人々が、この地に根付いてから十数年…
ようやく集落の形となった時に、時代が変わった。
しかし、未だに豊かにはなれずにいた。
罪人は「これからだ。これからこれから」と、追われた人々を常に励まして来た。
罪人は博識であったが、長の器もちゃんと持っていたのだ。
貧しくとも、何とかやっていけるようになった頃、どこからか、役人が洞鳴村にやって来た。
追われた人々は、外部からの人間を嫌う。
それはそうだ。住処を追われたから、ここに根付いた訳だ。そんな我等が、なぜ外部の人間と分かり合えるのか?
役人とは言え外部の人間。
外部の人間は敵だ。
しかし、見ぬふりも出来ない。
役人はかなりの人数の護衛、言わば傭兵を率いてやって来たのだ。
役人は追われた人々を一人ずつ、舐めるように見て回った。
好意的な視線では無かったのは、すぐに解った。
それでも追われた人々は、嫌とは言わずに、ただ見られる事を我慢した。
「こいつでも無いな。しかし、ここの連中は汚いし見窄らしいなぁ」
嫌悪感を出しながらも、追われた人々を一人ずつ見て回る。
まるで誰かを捜しているように。
「こいつでも無い。ここには居らんのか…」
役人が諦めて帰ろうとした。
追われた人々は、胸をなで下ろし、安堵した。
「ん、あれは?」
帰ろうとした役人の目に止まったのは、住居と成りうる程の洞穴。
家まで建てている連中だ。まさか穴蔵には誰も住むまい。
そう思ったが、一応確認をするべく、洞穴に入って行った。
暗い…しかし結構奥行きがある穴だ。
暫く歩くとほんのりと明かりが見えて来た。
「これは…」
洞穴は立派に住居となっていた。
布団、食器、家具…誰かが生活している痕跡を確認した役人は、驚喜した。
「ここにいるのか!」
傭兵達に号令を掛け、追われた人々に洞穴に住んでいる人物を聞き出した。
追われた人々はなかなか口を割らなかったが、傭兵達に暴力を受けた事により、遂には口を割った。
「やはり奴か!!」
役人は洞穴の住人を集落中捜し、遂には山に隠れていた罪人を発見したのだ。
追われた人々が見守る中、罪人は傭兵の手により、役人の前に引き摺り出された。
「こんな辺鄙な所に良く隠れていたなぁ…宝条」
罪人は宝条と言った。
暴利を貪る商人の金を盗み出し、貧しい人々にその金を配っていた義賊の頭だった。
「ふん、いよいよか」
追われている罪人の宝条は、常に死を覚悟していた。今まで捕まらなかった事の方が奇跡に近かったのだ。
役人は宝条を、追われた人々の小屋へ連行した。
身体中縄で縛り付け、拷問した。
元より裁判などする気は無かった役人は、この集落で宝条が死ぬのさえ確認出来れば良かった。
しかし、ただ殺すのもつまらんと言う事で、いたぶって殺す事にしたのだ。
商人から流れて来る筈の金を、貧困に喘いでいる輩に配ったのも勿論気に入らない訳だ。
金の代わりに楽しませて貰おう。
役人は、何日も何日もかけて責め殺そうと目論んでいた。
責め苦を与えられてから三日。
追われた人々は、小屋から聞こえて来る宝条の悲鳴に、ただ心を痛めていた。
ところで、追われた人々の中にも、普通に読み書き出来る者も当然居た。
宝条は読み書き出来る者を集め、それ等を親方とし、作物の育て方や、家の建て方を教えていた。
そしてもう一つ…
人を呪い殺す方法も教えていた。
読み書き出来る者が四人、深夜洞穴に集まり、明かりも灯さず相談をしていた。
相談と言っても互いに顔を突き出すのみ。いや、全員項垂れているから、ただ此処に居るだけの状況だった。
「宝条様は、このままでは、死んでしまうぞ…」
「しかし、我々にはあの兵隊に対抗出来る手段が無い」
「何を言っている?武器ならあるじゃないか?」
「武器と言ってもだな…アレを使うと、俺達は人じゃなくなるぞ?行き先は畜生道だ」
武器…
それは呪い。
使用するのは生きた人間。
宝条を救う為とは言え、同じ境遇の者の命を奪う事など…
それから四人は再び押し黙った。結局、何も思い付かぬまま、朝を迎えた。
小屋からは、相変わらずの呻き声。
追われた人々は、傭兵達の世話に駆り出され、畑に行く事すら出来ない状況。
少しでも嫌な顔をするとよう容赦なく殴り付けられた。
「貴様等は生きていても仕方の無い存在よ。せめて、私がこの糞みたいな集落に居る間は、人並みに役に立て!!」
身勝手な弁で殴られた。中には骨折した者もいた。
役人は追われた人々も容赦なく殴り付けた。
一生懸命に育てた農作物も、川で取った魚も、楽しみに残しておいた酒も全て役人が奪って行った。
「宝条が死ぬまでは居てやろう。貴様等も私に早く出て行って貰いたくば、宝条が死ぬ事を祈るがいいわ」
今まで知恵を授け、共に村を起こした宝条を死ぬように祈れ。
追われた人々は、悔し涙を流すくらいしかできなかった。
そしてその夜、読み書き出来る四人は、再び洞穴へ集まった。
「もう限界だ。死ぬのはあいつ等だ!!」
佐吉の言葉に全員同意する。このままではいつか死者が出るかもしれない。その前に殺そうと言うのだ。
そしてこの夜の話合いは呪いの為に、誰を犠牲にするか。
最早四人には迷いは無かった。畜生道に堕ちようが構わない。役人に対しての怒りの方が大きかったのだ。
「いざ決行となると、心が痛むな…」
六郎がしかめっ面を拵える。
「ここまで来て、それは無かろう」
そうは言ったが、伍作も心を痛めていた。
呪いに使うのは、生きた人間…自分達と同じ、追われた人間だからだ。
「宝条様を助ける為だ。皆文句は言わないさ」
「それに、宝条様が死んだ後、我々も危ういかもしれん」
仁太の心配が皆の気持ちだった。
役人は追われた人々を、人として扱っていない。気に入らなければ、殴る。それも愉快そうに。
「貴様等は生きていても仕方無い」
全く無抵抗の人間を、自分の気分次第で殴る。役人が連れて来た傭兵も然りだ。
こちらはもっと質が悪かった。
略奪する物が無いこの集落だが、ただ一つを除いて、それはある。
「あいつ等は…俺の女房を犯した」
仁太の顔が憎悪に染まる。
傭兵達は、女を犯して歩いたのだ。
性欲を満たす為だけに、人の女房だろうが、初潮がまだ来ていない娘だろうが、関係無しに。
役人は、そんな傭兵達にも何も咎めようとせず、寧ろ笑いながら見ていたのだ。
集落の外れの小屋に辿り着いた四人。そこには
「小夜ならば誰も文句は言わないだろう」
小夜は耳も聞こえない、喋る事すら出来ない障害を持って生まれた。
追われた人々も、小夜を足手まといに扱っていた。
小夜は母と共に、この集落に辿り着いたのだが、母は既に病を患い、去年他界した。
身よりが無くなった小夜を何かと気にかけて世話をしていたのも宝条だった。
その宝条が捕まっている今、小夜を気にかける者は一人も居なかった。
傭兵達も当然小夜を犯したのだが、小夜は既に生娘では無い。
ここに来る以前に住んでいた所でも、同じように犯されていた。
小夜はそれなりに身なりを整えれば美しかったのだが、髪を櫛で通す事すらしなかった。
母が男の野生から遠ざける為に、わざとそうしていたのだ。
「天涯孤独。しかも、世話になっている宝条様を助ける為だ。小夜も納得するだろう」
無理やり自分を納得させる為に口から出た方便。小夜を選んだ伍作の良心をギリギリ保った方便。勿論他の者も同じ気持ちだった。仕方がない。村の為だ。宝条の為。
四人は小夜の小屋へ、忍び込んだ。
耳が聞こえず、喋る事も出来ない小夜だが、その分他の気配には敏感だったので、四人が侵入してきた気配にすぐ気が付き、目が覚めた。
四人の尋常ではない様子に、すっかり怯える小夜。
「悪く思うな…村を…宝条様を助ける為だ…」
四人は小夜を簀巻きにし、洞穴へ運んだ。
洞穴には祭壇が作られ、祭壇の前には、蝋燭の明かりが灯っている。
「ぅうう…うぅぅぅう…」
喋れないとは言え、呻き声は出せる。
小夜は猿轡を咬ませられ、なるべく声を、いや、呻き声を漏らさないように施されていた。
「聞こえないから解らんと思うが、お前も見ただろう?宝条様を捕らえた役人と、連れてきた兵隊達を…あいつ等が敵だ」
六郎は小夜に何度も何度も何度も役人と傭兵達が敵だと言っていた。
しかし、小夜は聞こえない。
「憎め…憎め憎め憎め憎め憎め…敵を憎め・敵憎め…憎め憎め憎め憎め憎め…敵を憎め…」
佐吉は繰り返して憎めと言っていた。
そして一つの小刀を懐から取り出した。
「憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め!!」
小夜の瞳に小刀が飛び込んで来た。
「うぅぅぅうあああああうぅあああああ!!!」
猿轡を咬ませられなからも小夜の絶叫は洞穴に木霊した。
「憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め…!!」
「憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め…!!」
「憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め…!!」
「憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め…!!」
自分達の罪の意識から逃れる為か、はたまた本当に役人達を憎んでいる為か、あるいはそのどっちでもあるのか。
四人は小夜の絶叫を無視して、何度も何度も憎めと繰り返す。
小夜の左目から大量に血が溢れ出で来る。
痛みで意識が遠くなる小夜に、佐吉は小夜の身体に木の棒を当てた。いや、殴った。
「まだ寝るな!!まだだ!!」
「うわぁあ!!」
「責め苦を与えながら…目玉をくり抜く…か…」
六郎も小夜の腹に蹴りを入れる。
「役人と兵隊達を憎め!!お前をこんな目に遭わせているのはあいつ等だ!!」
仁太も小夜の頬を、薪で叩いた。
「わぁあ!!」
派手に身体が飛ぶも、簀巻きにされた身体に縄が食い込むばかりだった。
四人は小夜を何度も何度も殴打し、小夜が気を失うと、水をかけて目を覚ました。
「憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め…!!」
「憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め…!!」
「憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め…!!」
「憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め憎め…!!」
散々痛め付け、小夜に命の灯火が消え掛かる寸前、残った片目に小刀を捻り込んだ。
ブチィ
「あああぁぁぁあぁぁあぁぁああぁああ!!!!!」
コロン
目玉が小夜の座り込んでいる膝元に虚しく転がった。
微かに意識はあった。
耳が聞こえない小夜は、視力に頼る事が多かったのだが、今はそれも叶わない。
そんな時、色んな匂いが入り混じった布が身体に掛けられた。
恐らく、遺体に布団のように掛けたのだろう。せめてもの償いのつもりなのか。
微かに意識のある小夜は、その匂いを全て覚えた。
目、私の目…もう何も見えない…感じなくなって来た…
小夜の脳裏に最後に見た四人の顔が浮かんだ。
自身の命を奪った四人だが、不思議と恨みは無い。
所詮自分はこうやって朽ちて行く運命なのだ。
耳が聞こえぬ、喋れぬ自分に、どこか諦めがあったのだ。
最後に自分を気にかけて良くしてくれた宝条様に、一目でも会いたかった。
宝条様のお顔を一目見たかった。
しかし自分には、既に目が無い。
目が無い…
目が…
ここで小夜の意識は現世から無くなった。
「よし…死んだか」
左吉は役人や傭兵達から拝借した髪の抜け毛や、衣類の一部を編み込んだ布を小夜に被せた。
「仕上げだ…」
くり抜いた小夜の目玉を懐に隠し、四人は小夜の周りに蝋燭を並べて、何やら呪文のような言葉を詠んだ。
四人は額に汗を掻きながら、延々と詠んで行った。
蝋燭が小さくなり。やがて明かりが消える。
当たりは暗くなった。
「目玉を取りに戻れ…小夜…」
目玉を桐で作った箱に入れ、四人は洞穴から出て行った。
そして役人の小屋にひっそりと箱を置いた。
「これで奴等は…」
後は小夜が迷い出るのを待つのみ。
「しかし…小夜が迷い出なかったら?」
宝条から教えて貰った呪いだが、自分達は何か間違いを犯しているような気がした。
何か致命的な間違いを。
六郎が神妙な顔つきになっていると、左吉は何の表情を浮かべずに言い放った。
「小夜で失敗したなら、他の誰かで再びやればいいだろう?」
「そ、そうだな…誰かを犠牲にしなければ、宝条様は救い出せん…」
伍作は全て宝条の所為にしていた。
そうでもしなければ人殺しの自責の念に絡み取られてしまうからだ。
「そろそろ飽きたな。まだ宝条はくたばらんか」
小屋にていたぶられ続けられている宝条は、まだ瞳の光が消えていなかった。
もう七日間、飲まず食わずで痛め付けられているにも関わらず。
「それでも時間の問題か。見る度に衰弱しとるわ」
この分なら保って二、三日だろう。今日の所はこれくらいにしとこうか。
傭兵を二人置き、特別にあしらった小屋へと戻り、眠りに付いた。
傭兵達も、適当な小屋へ入って行った。
小屋は追われた人々の家である。
追われた人々は役人達に家を奪われ、雨風をしのぐ程度に拵えた、新しい小屋へと移動させられていた。
佐吉、六郎、仁太、伍作も例に漏れず、適当に作った小屋に移動させられている。
「今に見てやがれ」
佐吉はこれから起こる惨劇に、ただ心を弾ませていた。
糞ったれの役人、それに殉じる兵士達。そいつらの命が、もうすぐ終わると思えば、今、こんな小屋に押し込まれた所で痛くも痒くも無い。
………ウワァ…
「風が吹いて来たか?隙間風だらけだからなぁ」
佐吉は何気無しに外に出た。
当たりは暗闇…夜とは言え、月明かりすら無い、真っ暗闇だった。
「随分と薄気味悪い夜だな…」
ブルッ
身体が震えた。
「冷えるのか?」
左吉は小屋へ戻ろうと踵を返した。
……ウワァアアアアアアア…
風が鳴いている。
おかしい…自分の後ろから聞こえて来るような…
佐吉は思い切って振り返ってみた。
「…なんだあれは?」
暗闇にボヤァっと浮き上がる人…?右腕を伸ばして自分に向かって来ている?
「誰だ?女…か?」
佐吉は目を擦って良く見ようとした。しかし、目の前の視界が妨げられる。
「これは手のひら…か?がっ!!!」
佐吉の記憶はそこで途切れた。
カリカリカリカリ…カリカリカリカリ…
何か齧る音しか聞こえて来ない…
「え?ええ?きゃあああああ!!」
「おっとお!おっかあ!はがっ!!」
佐吉の記憶が無くなって間もなく、佐吉が押し込まれていた小屋から、女房と子供の悲鳴が聞こえた。
その後すぐに、佐吉の押し込まれていた小屋は静寂に包まれた…
次々と悲鳴が聞こえていた。
傭兵達は、就寝の邪魔をしている悲鳴に苛立った。
「糞!集落の奴等は何を騒いでいるんだ!!」
傭兵の一人が槍を持ち、悲鳴が上がった小屋へ赴いた。
槍は追われた人々を刺し殺す為である。
小屋の前に来た傭兵は、雰囲気がおかしい事に気が付いた。
「…何故これほど静かなのだ?」
息を潜めている様子は無い。先程まで居た人間が消えてしまったような静寂…
おかしい…何だこの生臭い臭いは…?
嗅いだ事のある臭い…そう、これは…血の臭いだ…
…カリカリカリカリ…カリカリカリカリ
静寂に包まれた小屋の中から何かを齧る音が聞こえた。
「お、脅かしやがる。居るんじゃねぇかよ」
傭兵は小屋にそろそろと近付いた。
「う…!!」
傭兵が見たものは引き千切られた追われた人々と、その傍らに佇む、身体中痣にまみれた………女?
そいつが何か食っている…!
「な、なんだてめぇ?」
槍を構える傭兵。同時に女が振り向いた。
「う、うわああああああ!!」
傭兵は腰を抜かし、その場にへたり込んだ。
その女は目があったであろう場所が空洞になっていて、そこから血を噴き出していたのだ。
集落は真夜中なのにも関わらず、悲鳴と絶叫で大騒ぎとなっている。
当然、役人の耳にも入る。
「なんだ?賊か?こんな何も無い糞溜に?」
役人は傭兵に賊を討つよう、促した。
傭兵は武器を取り、悲鳴の先に向かった。
「な、なんだこれは…」
傭兵達の目に飛び込んで来たのは、追われた人々と仲間の傭兵達の肉が引き千切られた身体。
その全部が目玉をくり貫かれている。
「げ、げええええ…っっ!!」
あまりの惨劇に嘔吐する傭兵もいた。
「賊にしてはおかしい…獣か?何か物凄い力で引き千切られたような」
遺体を見て検証する豪胆な者もいた。
だが、見れば見る程おかしい死に様。獣に殺されたとしても、傷口がおかしい。咬まれたような傷口では無いのだから。
………ウワァ
「風…?」
傭兵達は空を仰いで木々を見る。
しかし、木々の葉は揺れていない。
「う、うわあああああああ!!!」
悲鳴を挙げたのは、先程遺体を見て嘔吐し、他の傭兵達と距離を置いていた傭兵だった。
傭兵達は悲鳴の先を見る。
見えたのは、真っ暗闇に浮かぶ手のひら。
「な、何者か!?」
手のひらの先に武器を構える。
「ち、違う!賊ではない!獣でもない!こいつは化け物…ごおっ!!」
嘔吐した傭兵がいきなり言葉が途切れたかと思うと、喉元から血を噴き出し、仰向けに倒れた。
「な!化け物?」
手のひらに何か握られていた。それを良く見る。
「おい!!あれは肉じゃないか!?」
「肉?確かに肉だ!!」
クッチャクッチャクッチャクッチャ………
肉を喰っている音?
ペッ!!
「肉を吐き捨てた?」
傭兵達は固唾を飲んで見ていた。
真っ暗闇だが、やはり徐々に目が慣れてくる。
「なんだあいつは!?」
「女!?いや?」
「うわあああああああ!!目が!目が!」
傭兵達は恐怖で身体が硬直し、動けずに、ただ絶叫した。
肉を吐き捨てた者は人間の女の形をしていたが、目がある場所が、空洞になっていたのだ。
そいつは嘔吐した傭兵に腕を伸ばし、顎に触れた。
ゴキィ
「顎を引き抜いた!!」
女の形をした奴は、それを口に入れる。
クッチャクッチャクッチャ…ペッ!!
すぐに吐き捨てる。
傭兵達は失禁する者、脱糞する者、その場で気を失う者が多数いた。
常軌を脱した者を見ると、逃げ出す事は選択には無い様子だ。
再び手を嘔吐した傭兵に向ける。
グリッ………
今、女の形をした奴は微かに唇が上に上がった。
ブチブチブチ……!!
あいつの手には目玉が握られているのも、遠目で確認出来た。
それを頬張る。
カリカリカリカリカリカリ…カリカリカリ…ゴクン!!
今度は呑み込んだ。
女の形をした奴は、光悦している。
「あ、あいつは目玉が無いから、目玉を探して喰っているんだ…!!」
豪胆な傭兵は、震える手で武器を取る。
「お前等、あいつを殺さなかったら…俺達がああなるぞ」
その言葉に促され傭兵達は、再び武器を握り直した。
「うわあああああああ!!」
豪胆な傭兵の槍が、女の形をした奴の喉を貫いた。
「や、やった!!」
手応えを感じた。人を貫いた時と同じ手応えを。
……カリカリカリ…カリカリカリ……
女の形をした奴は、意にも介さず、もう一つの目玉を貪る。
「し、死なねぇのか!?」
豪胆な傭兵は槍を引き抜き、再び胸に槍を突き刺した。
ズブッ
…カリカリカリ…カリカリカリ…カリカリカリカリカリカリ…
「そ、そんな!!」
大量の人間を貫いた槍が全く用を成さなかった。
「ひやぁあああ!!」
「くたばれ化け物!!」
傭兵達は一斉に奴を突き刺した。
女の形をした奴の身体中は、槍で埋め尽くされていると言っても過言ではない程に突き入れていたのだが…
ゴクン!!
目玉を飲み込んだ女の形をした奴は、光悦な表情をして打ち震えていた。
「死なねぇんだ…やはり化け物だ!!!」
誰かが叫んだ瞬間、女の形をした奴は、豪胆な傭兵の方を向いた。
――ウワアアァアアァァァアアア!!!
胸に槍を突き刺された状態で、女の形をした奴が、豪胆な傭兵に向かって突き進んで来た。
スブブブブブ
槍を自ら身体に貫かせながら、豪胆な傭兵に腕を撫で下ろす。
ブチブチブチ
豪胆な傭兵は顔半分無くなっていた。
「ひゃあああああ!!!」
豪胆な傭兵の近くにいた傭兵に、血が雨のように降り注いだ。
「ひゃあああああ!うわああああ!ごっ!!」
近くにいた傭兵の喉仏がスッパリと抉られた。
「こ、こいつ、痛みすら感じ…」
ビリビリビリビリ
胸を貫かれていた槍をそのまま真横に押し出す。身体中に刺さっている槍も無造作に引き抜く。
――ウワアアァアアァァァアアア!!
女の形をした奴が彷徨した。
傭兵達は全く身動きが取れず、簡単に全滅した。
動こうにも、気が付いたら、そこに腕があり身体を毟り取られて行ったからだ。
大量の目玉を嬉しそうに頬張る女の形をした奴…
ゴクゴクッ!!
全ての目玉を喰った後には身体を毟り取られて死んでいる骸が散乱し、雨上がりの水溜まりの様に、血溜まりが出来ていた。
相変わらず悲鳴は止まない。役人は不安に駆られた。
賊の人数が、此方の兵士の数をかなり凌駕しているのでは?
ならば、こんな糞溜の集落に居ては、自分の身が危うい。
護衛に残していた傭兵に、出発の号令を出した。
「っと、糞溜から去る前に宝条は殺しておかねばなぁ」
役人は宝条を監禁している小屋に、護衛と共に立ち寄った。
小屋の前に、人影を見る。
「ん?女…か?」
遠目だが、小屋の前にいるのは、全裸の女のように思えた。
夜目も効かぬ暗闇の中、白く浮き上がる肌。もしかして上玉か?
こんな糞溜に上玉は居なかったが、そうか、宝条が囲っている女か。
きっと山の中で宝条を確保した時に、近くで息を潜め、逃れていたのだ。
宝条恋しさに集落まで降りて来たのか。
役人は集落に来るまで、更に集落に来た後も、禁欲状態であった為、宝条の女を犯そうと思った。
集落の女は汚らしくて抱きたいとは思わなかったが、宝条の女は別だ。
役人は酷く汚らしい顔で、小屋の前にいる女にソロリソロリと近付いて行った。
ゆっくり、ゆっくりと近付く。
パキッ
「くそ!枝を踏んで音が出たわ!」
役人は女は逃げたと思った。だが、女は音に気が付かなかったようで、小屋の扉を四つん這いになり、カリカリと引っ掻いていた。
「そんなに宝条が恋しいのか…」
歪んだ笑みを浮かべながら、女に手を伸ばす。
肌に触れるか触れないかの刹那、役人は気が付いてしまった。
なんだこの女の肌は?痣や傷だらけではないか?
それよりも、何故この女は、月明かりすら無い暗闇の中にハッキリと見える?
背筋から冷たい汗が流れ落ち、手がカタカタと震えた。
寒い?寒いのか?
ガチガチガチ
歯が勝手に震えていた。
その時女がいきなり役人に振り向く。
「…ひゃっひゃっ…ひゃあああああああああ!!!!」
役人はその場にへたり込んだ。
女の顔には目玉が無かったのである。
正面から見た女の身体には沢山の穴が開き、胸から右肩にかけて、棒のような物を無理やり押し出したような傷。
「うひゃあああああああ!!」
役人の絶叫に、護衛の傭兵が慌てて駆け付けた。
「なんだあれは?」
「賊?女?」
「闇夜に女が裸で?」
護衛の傭兵達にどよめきが走った。
「ひゃあああああ!お、お前等!こ、こいつを殺みゃあ!!?」
役人の腕が、女の形をした奴に掴まれる。
「ひゃあああああ!!うわあああああ!!離せ!!離せえええええ!!」
半狂乱になる役人。履き物の股がぐっしょりと濡れていた。
「何か解らんが、兎に角離して貰おうか」
護衛の傭兵の一人が槍を持ち、女の形をした奴に向かって走る。
ゴキゴキブチィ
鈍い音と共に護衛の足が止まった!!
「そ、そんな!?」
「ふぎゃあああああ!!!」
肩の関節から腕を引き抜かれた役人。その血が近くまで接近していた護衛に降り注ぐ。
「はあわわわわわわわわわわわわ…」
凄惨な現場を目の前で目撃してしまった護衛はその場にへたり込んだ。
「ひゃああああああああああ!!あっ!!」
女の形をした奴は、役人の腕を捨て、後頭部を掴んだかと思ったらば、そのまま握り潰してしまった。
何事があったかと、残りの護衛もその場に向かって走った。
「う…」
「げ、げえぇ…」
護衛の全ては、その場で固まってしまった。
役人の頭蓋から凄まじい脳漿が流れ出ている。
目をカッと見開き、役人は絶命していた。
護衛の全ては、震えと吐き気で、その場にへたり込んだ。
そんな護衛達を余所に女の形をした奴は、頭蓋にそのまま手を突っ込む。
グチャグチャグチャ………
脳味噌をかき混ぜる女の形をした奴。護衛達は、その時初めて気が付いた。
「目が…目が無い?」
「身体中にある刺し傷は何だ…?槍の傷か?」
「み、見ろ!あいつ脳味噌を…」
女の形をした奴は、役人の脳味噌を口に入れた。
グッチャグッチャ……ペッ!!
口に入れた脳味噌を、直ぐに吐き出す。
再び頭蓋の中に手を入れた女の形をした奴は、何かを探すように、頭蓋の中を掻き回した。
ゴロッ…
指先に、丸い何かが触れた時、女の形をした奴の口元が緩んだ。
ブチッ
引き抜いた物が、女の形をした奴の手のひらに転がっている。
「め、目玉…?」
女の形をした奴は、それを頬張る。
カリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリ…………ゴクッ…!!
「こ、今度は飲み込んだ?」
女の形をした奴は、天を仰いで光悦した。まるで絶頂したように。
「目玉を喰う化け物…」
護衛達は、逃げ出したいが、腰が抜けて立ち上がる事すら儘ならない。
女の形をした奴は、もう一つの目玉を、再び頭蓋の中から弄り、それを喰った。
二つの目玉を喰った女の形をした奴は、余韻に浸る暇も無く護衛達に腕を伸ばした。
「はっはっ!!はわあああわああ!!」
「いぎゃああああああげひっ!!」
「わあああああああああ!げひっびゃあ!!」
小屋の前には役人と護衛達の骸が身体を毟り取られて、誰が誰だか判別出来ない程に損傷されて棄てられていた。
「さ、先程から騒がしいな…一体何が…」
深夜なのにも関わらず、宝条は眠る事が出来なかった。
役人に捕まってから幾日、食事すら与えられず、拷問を受けていた宝条は、眠る体力すら無かったのだ。
「扉を引っ掻いているような音がしたかと思ったら、役人達の絶叫がしたな…」
耳を澄ます宝条。だが、先程と打って変わって、静寂に包まれている。
「静かになった…か…」
集落の人々が反旗を翻したのか、それとも別の何かが現れたのか。
いずれにしても、宝条の胸には、不吉の文字しか浮かんで来なかった。
拘束が緩んでくれれば…
宝条は身体を縛っている縄を、何とか解こうと懸命に身体を捩った。
「く、くく、こんな程度で緩む拘束など意味は無いか…」
もがいても足掻いても、身体を縛っている縄が緩む事は無かった。
小屋は隙間だらけだった。
壁にあたる板と板の隙間から何とか外を見ようとする。
「暗いな…まだ夜か」
役人達の絶叫も気になる所だが、集落の人々の安否も気になる所。
小屋の中心に吊されている格好の宝条には、壁を蹴破る脚が微妙に届かない。
届いた所で、蹴破る力も無いかと天を仰ぐよう、天井を見る。
「叩けば壊れそうなんだがな…その力も無いか…」
足掻いても仕方無いが、それでも懸命に足掻かなければならない。
宝条の胸にある不安が、そうさせるのだ。
役人に捕まった時に棄てた命だが、今は何故か自分の力が必要な気がして仕方ない。
何時間足掻いた事だろう。
板の隙間から明かりが差して来た。
「朝が来たか…」
ザッ、ザッ、ザッ、ザッ…
小屋に向かって来る足音を聞き、宝条は何故か確信する。
「助けが来たか」
役人達は既にこの世には居ない事を、漠然とだが解っていた。
小屋の扉が開く。
「ほ、宝条様…」
現れたのは読み書きが出来る四人の内の一人、伍作だった。
「伍作さん、すまないが、縄を解いてくれないか」
宝条に促されなくとも、伍作は拘束を解きに来た。
昨夜の惨劇を教える為に…そして…あいつを鎮める術を教えて貰う為にだ。
「有り難い。助かった」
縄が食い込んでいた手首をさする。
「宝条様…実は…」
伍作は泣きそうになりながら、宝条に一部始終話した。
「あの呪いを使ったのか!?」
「はい…」
伍作は嗚咽を交え、全てを説明し終わった。
「小夜を使っただと!!何と言う愚かな事を…」
話を聞いた宝条は小屋から出たと同時に口を押さえ、嘔吐した。
引き千切られた肉片、血溜まりに浮いている顔…その全ての目玉が抜かれていた。
「お、俺達は教えて貰った通りにやったんです…」
敵を殺すどころか集落の半分を殲滅させた呪い。
責任は宝条にあると、遠回りに言っているようだった。
「小夜は耳が聞こえないのだ…耳が聞こえない者にどうやって敵の名前を教えるのだ」
読み書きが出来るならば、名前を書いた紙を見せても良かったかもしれない。
しかし、小夜はそれさえ叶わないのだ。
「そ、そう言えば…その通りです…」
伍作は両手で頭を抱え、蹲った。
「…匂いの元は?」
目玉が無い訳だから、敵を匂いで辿らせなければならない。これも事前に教えた筈ではあった。
「に、匂いは髪の毛や…衣類の一部などを、一つの小袋に」
「小袋?作ったのか?」
「い、いえあの、以前宝条様が種を入れる為に作らせた小袋ですが…」
宝条は天を仰いだ。
小袋は集落中の人々に、野菜の種を入れる為に作らせた。
それは、確か佐吉が管理していた筈だ。
更には、種を蒔く時に、誰でも自由に『使える』物だ。
つまり小袋には、集落の人々の『匂い』が染み付いている。
更に言えば、鞘の遺体に掛けた布。あれも村から適当にかき集めて作った布だ。
「…この集落は全滅する…」
小夜の狙いは匂いの元全て。
つまりは集落の人間全てが、小夜の狙いなのだ。
いや、宝条だけは小袋には触っていない。宝条は小夜の狙いには入ってはいないが…
「宝条様ぁ…小夜を、小夜を何とか鎮める事は出来ませんかぁ…」
伍作は宝条に縋りつく。
一時の愚かな恨みで、苦楽を共にした集落中の人間が皆殺しになってしまう。
自分も佐吉や六郎、仁太と同じく、小夜に殺された方が、どんなに楽だったか…
嗚咽混じりで、宝条に懇願する。
「…小刀をくれ…」
伍作は泣き止み、宝条を仰ぐ。
「な、何とかなるので?」
「解らんが…何とかしなければならないだろう…」
藁にも縋る思いで、宝条に小刀を渡した。
「小夜は洞穴で亡骸になっているのだな?」
宝条は、伍作を追い払い、一人洞穴に入って行った。
伍作は小屋に残され、その場でただ祈っているしかなかった。
松明に火を灯し、暗い洞穴に入って行く。
「私が潜んでいた時よりも暗いな…」
それもその筈、この洞穴は、既に小夜の棲み家となっているのだ。宝条が潜んでいた時とは状況がまるで違う。
吸い込まれそうに暗い穴…
まるで小夜のくり抜かれた目玉の痕のように…
背筋が寒い。見られている…いや、感じているのか。
立ち止まった宝条の足元に亡骸となっている小夜が布を掛けられて放置されている。
「痛かったろう…可哀想に…」
四人に不必要な存在として呪いの母体となった小夜。
この少女が一番の被害者なのは間違い無い。
自分が呪いなど教えたばかりに…
宝条は亡骸に手を合わせ、頭を下げた。
亡骸の前に、板を置き、文字を書く。
「小夜は字が読めないが…私の見た物が反映される筈だ」
その板には『目玉はこれ以上抜かないように。その代わりに定期的に目玉をくれよう』と書かれていた。
………ウワァ…
風の鳴く音…いや、亡骸が鳴いているのか?
「そうか…小夜は口も利けなかったんだよな」
宝条は改めて小夜に申し訳無い気持ちでいっぱいになっていた。
同じように国を追われた人間から不必要とされ、呪いの道具にされた小夜…
これも自分が馬鹿な呪いなど教えてしまった結果だ。不憫で不憫で仕方がない。愚かな自分が恨めしい。
宝条は静かに目を閉じた。小夜が現れるのを待っているのだ。
…ウワァアアア
…ウワァアアアアアア
…アァアアアァア
――ウワアァアアアアァァアアアアアアアアア!!
静かに目を開ける宝条の眼前に目玉をくり抜かれた小夜…いや、小夜であった者が血の涙を流して向かって来ていた。
「小夜、待っていろ」
宝条は持ってきた小刀を自分の右目に当てる。
「ふっ、ふっ!!ふんぐっあ!!」
右目に小刀を突き入れた。
「がああああああああああああああ!!!」
凄まじい痛みが走る。
宝条は小刀で己の右目をえぐり出した。
その右目が小夜に向かって転がって行く。
小夜は躊躇わすに、それを拾い、口に入れる。
……カリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリ…ゴクッ!!
右目を喰った小夜の脳裏に板に書かれた文字が浮かんだ。
それに伴い、宝条の思念も、いや、宝条が最後に見た物も小夜の脳に伝わって行く。
ああ…宝条様…宝条様のお言葉に従います…
小夜は微かに笑うと洞穴の闇に溶け込むように消えた…
生前大変世話になった宝条の言葉に素直に従った小夜。
小夜は宝条を慕っていた。
文字が読めない小夜だが、宝条の言いたい事は理解できた。
常に宝条の行っている事を頑張って理解しようとしていたのだ。
宝条の目玉でなければ、小夜は理解出来なかったに違いない。
「すまん…小夜…」
宝条の右目のあった場所からは血が滴り落ちていたが、残された左目からは涙が溢れ出ていた。
洞穴から出て来た宝条に、伍作が駆け寄って来た。
「宝条様、小夜…小夜は何と?」
「呆れたな、小屋で待っていろと言っただろうに。」
右目を押さえている宝条に違和感を覚えた伍作。まさか、と叫んでしまう。
「宝条様!!み、右目…!!」
「ああ、小夜にくれてやった」
伍作は青くなり、震えた。立っていられなくなり地に膝を付く。
「そんな事より伍作さん。小夜の亡骸をねんごろに弔ってくれないか。それと、祭壇を洞穴に作ってくれ」
「は、はい…」
小夜の供養…伍作はそう考えていたが、少し違った。
「小夜は呪いによって成仏は出来ない。これからも目玉に執着して現れるだろう」
「ええ!?鎮めたのでは!?」
先程よりも震えが増した。
「執着の念は簡単には鎮める事が出来ないよ。だから…」
宝条は今夜に自分の小屋へ来るように伍作に促した。
「わ、解りました…集落の成人の殆どを小屋に集めれば良いので?」
「頼む。今後の事を話さねばならないからな…」
残った左目で強く伍作を見据えた。
それは決して拒否など許されない、強制力を灯した光を放っていた。
夜、数ある骸を全て弔った追われた人々の大人達は、伍作に言われた通り、宝条の小屋へ集まった。
「皆さん、遅い時間だが、聞いて貰いたい。小夜は当面は出て来ない。しかし、小夜の念は手足となり、殺された人間が小夜の代わりに目玉を奪いに来る場合がある」
追われた人々は、よく解っていない表情をする。
「今はおそらく解るまい。小夜が目玉を欲しがって、小屋の戸をガリガリと引っ掻く時がある。それを無視し続けると、殺された人間が小夜の代わりに目玉を奪いに徘徊し回るのだ。そうなる前に…小夜の眠る洞穴に、目玉を献上して欲しい。私のように」
宝条は己の右目に巻かれている包帯を解いた。
「ほ、宝条様…!!」
「目玉が…!!」
追われた人々は大層驚いた。宝条の右目が空洞と化している事に。これではまるで…弔った者達と同じじゃないか!!
抉り出したばかりの傷口…渇ききっていない血がボタッと床に落ちる。その都度小さい悲鳴を上げてしまうのだ。恐ろしいから。
「片目だけで良い。そしてこれは禁呪だが…やはり言わなければならない…」
宝条は一つ深呼吸をし、話を続けた。出来れば話たくは無かったが、知っておかなければならない。
未来永劫、この『武器』を使わない事を祈るばかり…
「まずは贄を用意する。その贄は敵の顔を知っている者、そして敵の臭いを何でも良いから一つ持たせるのだ。そして、小夜の洞穴に贄を置き、敵の名を記した紙や板を見せ続ける。目に敵の名を焼き付けさせると言うべきか」
宝条は淡々と語った。
追われた人々は震え、恐れながらも、しっかりと聞いていた。
その呪は壮絶を極め、敵の目玉を奪う為、小夜、もしくは小夜に殺された人間が、どこに逃げても、どこに隠れようとも…臭いを辿り、必ず敵の目玉を取る…!!
しかしながら小夜や殺された人間は目玉が無い訳だから、おおよその位置にいる敵の身体を無造作に毟り取る。
運が良ければ一度で目玉に触れ、命が助かる事もあるらしいが、いずれ敵は盲目となる。
最後に宝条はこう締めくくった。
「禁呪を使えば人間では無くなる。人間でいたくば、この禁呪は胸に留めるだけにしてくれ」
宝条は静かに頭を下げながら追われた人々に願った。
追われた人々もそれは勿論と決意した。
だが宝条亡き後、宝条の願いは村に略奪に来た賊によって儚くも砕け散る事になった。
禁呪を最初に使用したのは他ならぬ宝条の子孫だった。
そして禁呪の力に酔った村人は、近隣の村や町の権力者との交渉に、禁呪を躊躇いも無く使用する事になった…
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