出会い

 彼の能力…馬鹿げた能力だが、それを見た私は、水谷さんが言う『伯爵は彼が倒した』との言葉を半信半疑ながら受け入れていた。

 客間に通された私と可憐は、水谷さんと向かい合わせに座るよう促された。

 水谷さんの隣には鼻に栓をし、鼻血をこれ以上流さないようにしている彼が、茶を啜りながら座っていた。

 私と可憐は、そんな彼をじっと見ている。

「俺に興味津々なのか?」

 彼は私じゃなく、可憐に言っていた。

 可憐はバツが悪そうに顔を伏せた。

「小僧、お前さんは見せ物じゃ。見せ物らしく、大人しゅうしとれ」

 水谷さんが彼に笑いながら、私達にとっての皮肉を間接的に彼に言う。

 私もバツが悪くなり、顔を伏せた。

「さて、初めからじゃ。ワシは視たので解るが、小僧に話してやりんしゃい」

 この席に彼が同席している理由がようやく解った。

 水谷さんは、彼に目無しを倒させようとしているのだ。

「北嶋さんが来て戴けるのですか?」

 顔を上げた可憐が嬉しそうに微笑んでいた。

 私は複雑に思いながらも、目無しと始めて戦った事を彼に話した。


 若かった私は血気盛んで、自ら悪霊を狩る事に酔っていた。

 金を貰い、正義の名の元に、大義名分を振り翳して、ただ斬り捨てていた。

 そんな私に、洞鳴村から依頼が入った。

 聞けば自分の息子が化け物に殺される。殺される前に化け物を葬って欲しいと。

 良く聞く話だ。気のせいだと言う事も多々あった。だから事前調査を行う。この場合霊視だ。

 霊視をして、信憑性を探った結果、確かに洞鳴村には化け物が棲んでいる事を確認した。

 私は依頼人に電話をし、すぐ向かう旨を伝えた。

 また斬れる。

 あの頃の私は、金は勿論の事、悪霊を斬り捨てる事の方に喜びを感じていた。

 事前調査をしたのも、本当に斬れる者がいるのかどうかを確かめる為の方が大きい。

 私は刀を持ち出す。

 つい最近手に入れた、鬼斬丸おにきりまると言う業物の斬れ味も試したい所だったのだ。

 渡りに船の気持ちで、私は洞鳴村に向かった。

 あの頃の私は相手の力量を感じ取る事が出来なかった。

 いや、慢心していたのだ。

 沢山の悪霊を斬り捨てて、沢山の人を救ったと言う自己満足のおかげで、目が曇っていたのだ。


 汽車に揺られて数時間…そこからバスに乗り換え、再び数時間…

 洞鳴村に着いた頃には、腰が痛くなっていたのを今でも覚えている。

 バス停には、依頼者が私の到着を待っていた。

「アンタが依頼者かい?」

 みすぼらしい格好をした中年の夫婦が、私を見ていたので話掛けた。

 中年の夫婦は私の格好を見て若干引いていたようだ。

 当時の私は小綺麗なスーツにブランド物の革靴。

 およそ仕事をしようとする格好では無かった。

 それでも中年夫婦は、頼る者が私しか居ないのだろう。

 凄く頭を低くして、私を自宅へと案内した。

「フン、なかなか住み心地が良さそうな家じゃないか?」

 家と言うより小屋。私はしかめ面を拵えた事だろう。

 中年夫婦は愛想笑いしなからも、私に茶を煎れてくれた。

 洞口ほらぐち だい。トキ。

 中年夫婦の名前を、この時の自己紹介で始めて知った。

 興味が全く無かったので、フンと鼻を鳴らした程度で、それ以上は何も聞かなかった。

「それで?化け物はどこだい?」

 私は早く鬼斬丸の斬れ味を確かめたかった。

 息子の目を守りたいと言う中年夫婦の願いなど、どうでも良かったのだ。

「目無しは匂いで追って来ます。息子の傍に居れば、すぐにでも現れるかと…」

 私はその息子をここに呼ぶよう促した。

 しかし、中年夫婦は押し黙ったまま、顔を伏せていた。

 苛立った私は、呼ばないならこの依頼をキャンセルをさせて貰うと、『脅し』を入れた。この中年夫婦にとって、私は最後の望みだった事は百も承知で。

「息子は洞穴に行っています…」

 突然泣き崩れる中年女性。その涙に私は何も感じなかった。

 私にあるのは、長年この村に厄を招いている化け物退治。

 私はとにかく斬りたかったのだ。

 独立してから負け無し。

 この慢心が、この頃の私の全てだったのだ。

「連れて来る事は…不可能です…」

 顔を伏せながら、断りを入れるその様に、私はやはり苛立った。

 この俺が連れて来いと言っているのに無理か?

 この頃の私は傲慢だった。

 私は中年夫婦を刀の鞘で小突いた。

「化け物退治はアンタ等が依頼してきたのだろう?何も出来ぬなら、せめて俺の指示に従えよ?」

 中年夫婦は互いに顔を見せ合い、再び項垂れた。

 こんな奴等は当てには出来ないと、私は洞穴に連れて行くよう、促した。

「村人に見付かったら……」

 この期に及んで躊躇している様に、私は苛立ち、鞘で中年の俺の背中を叩いた。

「お前いい加減にしろよ?この俺が自ら向かってやると言っているんだぜ。他の連中なんか知るかよ!!」

 狭い、薄汚い部屋の中で、私の怒号が響く。

 中年の男は、そこでやっと腰を上げた。

「あんた…!!村人に見付かったら…」

 中年の女が縋り付く。

「先生の仰る通りだし…村人も目無しが滅びたら、文句は言えないだろう…」

 満足そうに男を見て頷く。

「そうさ。俺が殺してやるんだから、結局この村にも平和が来るだろうさ」

 男は私を睨む。

「先生、必ず息子を…村を救って下さいよ…」

 睨む目は、私にお願いする目では無く、私に釘を刺す目だった。

「ふ、俺は今まで負け知らずの霊能者だぜ?俺が負けたら、その化け物を殺せる奴は、この世に存在しなくなるさ」

 私は本気でそう思っていた。

 井の中の蛙。この頃の私に最も相応しい言葉だった。


 中年の男に導かれ、私は洞窟の前に立った。

「この中です…」

「ふん、化け物が棲んでるに相応しい場所だな」


──ウワアァアァアアァアア………


 洞窟の中から鳴き声が聞こえてくる。

「目無しが…鳴いている…」

 中年の男は身体中震えて、立っているのがやっとの状態だった。

「鳴き声か、今に断末魔に変わるさ」

 男の状態なんか目に入らない私は、意気揚々と洞口に入って行った。


 暗い、暗い穴だ。

 時折聞こえてくる鳴き声が耳に付く。

「結構深いな?それ程の穴には感じねぇが」

 私はそれでも突き進んだ。

 程なく、ボンヤリとした明かりが見えて来た。

 私は鬼斬丸をそっと抜く。

 多少広い空間に到着した私。

 その場に身体中ロープで縛られて座っていた少年が目に入った。

「ガキ、助けに来てやったぜ」

 私は誇らし気に少年に話し掛けた。

 身体中縛られている少年が、ゆっくりと私に振り返った。

「おじさん…誰?」

 少年は泣き晴らした目蓋を私に向けた。

「おじさん!?ガキにとってはおじさんかよ…」

 多少ガックリしながらも、少年のロープを解いた。

 少年はオロオロしていた。

「おいガキ、早く出て行けよ。邪魔だ」

 化け物を斬る時に少年も斬るかもしれない。当時の私にも、その程度の配慮はあった。

「僕…目をあげなくてもいいの?」

「あん?どうしてもくれてやりたいなら、好きにするがいいさ」

 私はぶっきらぼうに応えた。子供の命より、化け物を斬る事の方が大事だったからだ。

 少し経ったが、少年は立ち去ろうとはしない。何と言うか、義務感で此処に居るようだった。

「ち!見学したいなら、入り口の方に隠れて見てな」

 少年を広い空間から追い出した。

 刀を握っている手が汗ばんでいた。

 まだ目無しの本当の恐怖を知らない私でも、あの負のオーラはやはり感じざるを得なかったのだ。

 祭壇の何も無い空間から腕が伸びて来た。

「出やがったな…」

 鬼斬丸を中段に構え、迎え討つ用意をした。

 腕から頭、頭から身体、身体から脚と露わになる…!!

「向かって来やがれよ。後の先を取ってやるぜ」

 後の先、所謂カウンターだ。

 襲い掛かって来た所を斬る!!

 私はその時を待った。

 顔を伏せていた目無しがいきなり顔を上げた!!


───ウワァァァアアァアアアア!!


 目玉があった場所が空洞になっている。殴られたのか、身体中に痣や傷…その殆どがドス黒く変色している。

 目無しは腕を伸ばし、襲い掛かって来た。

「な!!」

 驚愕した。ノーモーションでそのまま移動してきた目無し…

 まばたき一つしている間に、私の斜め前方に既に来ていたからだ。

「マジかよっ!!」

 後の先どころじゃなくなった私は、鬼斬丸を振り降ろした。

 しかし私の刀は虚しく空を斬る。

「ぎゃあああああああ!!!」

 私の後方から悲鳴が聞こえた。

「て、てめぇ…」

 目無しは私の存在を完全に無視し、依頼者の子供の顔半分を毟り取ったのだ。

 悲鳴と同時に顔半分持って行ったようだった。

 初めて依頼を失敗した…

 この事実も去ることながら、私は別の意味で憤慨した。

「てめぇ!!俺を無視しやがったやかな!!舐めやがって!!」

 無視された怒りに任せ、目無しの背後から肩を切り裂こうとした。

 しかし、鬼斬丸は目無しの肩甲骨辺りでピタッと止まってしまった。


 カリカリカリ……カリカリカリ……カリカリカリ……


 私の攻撃など意にも介さず、子供から抜き取った目玉を喰っている目無し。その表情は、光悦しているようだった。

「ふざけんなよ!てめぇ!!」

 肩甲骨で止まっている鬼斬丸を、渾身の力で斬り入れる。

 その時、全く予期していなかった事が起こった。


 パキン


 邪悪を斬り捨てる業物が、目無しにそれ以上斬り入れる事無く折れてしまったのだ。

「マ、マジかよ!!」

 業物を折られた私は、茫然としていた。

 その間にも、目無しはもう片方の目玉を探して、子供の身体を引き千切っていた。


 ブチッ…ブチッ…


 引き千切っては口に入れ、吐き出す…

 その時に、私は初めて背筋が凍った。

 この化け物は目ん玉に執着してやがるんだ…目ん玉欲しさに、ただ殺してるんだ…

 執着程恐ろしい物は無い。

 それを得る為に、他は一切気にしない。

 例え自身の身体を斬られようが、目玉さえ得ればいい。

 もう片方の目玉を漸く探し探し当てて、口に放り込んだ目無し。


 カリカリカリ…カリカリカリ…カリカリカリ…


 エクスタシーすら感じているような表情は、より私の恐怖を誘った。

 私は逃げた。洞穴から、一目散に走って逃げた。

 まだ夜が明けない村には、バスは来る訳が無い。無論タクシーもある筈は無い。

 私は村から、走って逃げた。

 夜が明けて、ようやく車が走り始めた。

 通り掛かったトラックに無理やり頼み込み、荷台に乗せて貰い、村からかなり離れた場所に来て初めて安堵した私は、身体を震えさせた。


 洞鳴村から逃げ出した私は、抜け殻のように、毎日を過ごしていた。

 負けた。

 初めて怖いと思った。

 負け知らずの私は、胸にポッカリと開いた穴をどう埋めるかも解らず、ただ呆けていた。

 そんな時、手紙が届いた。

 何の気なしに差し出し人を見た私は、心臓が凍り付くかと思った。

 洞口 大

 依頼者だった。

 恐る恐る手紙を開けた。


 私達も死ぬ。貴様のせいだ。貴様も腹を斬って死ね


 初めの数行しか読めなかったが、概ね恨み事が一枚の便箋にびっしりと書かれていた。

「わああああああ!!!」

 手紙を破り捨てた。

 仕方ない!!仕方ないだろ!!俺は化け物に勝てなかったんだ!!

 私は昼にも関わらず、布団にくるまり、そのまま震えていた。

 そしてそのまま夜になった。

 すっかり暗くなってしまったが、私は布団から出る事が出来なかった。

「俺が…俺が負けたんじゃ、誰もあれを倒せねぇよ!諦めろよ!!」

 同じ事をずっと言っていた事を、未だに覚えている。

 あの頃の私は、自身の責任を他人に擦り付けると言う、最低な根性が多々あったのだ。

 全ては自分の力量不足…それを認めたくは無かった。

 そんな時、部屋の空気が変わった。

「………」

 流石に不穏な空気を察する事は出来た。

 私は布団から抜け出し、鍛錬用の、刃の無い刀を持った。

「何だ……?」


 ………ウワァア


 耳に入って来た鳴き声は、洞鳴村の洞穴でずっと聞こえていた鳴き声。

「き、来たのか!?奴が来たのか!?」

 みっともなく震え、身構える。

 腕が視界に入って来た。

「ひっ…!!」

 腕はやがて身体を露わにした。

「ひっ!て、てめぇ等はっ!!」

 私は部屋の隅に身体を押し付けるまで退いて、それを見た。

 洞穴で子供を毟り殺した化け物では無かった。

 私に依頼してきた、あの中年夫婦だったのだ。

 中年夫婦は目玉を抜かれていた。

 かつて目玉があった場所は空洞となり、そこから涙のように血を流して私に向かって来るのだ。

「てめぇ等も化け物に殺されたのかよ…」

 目無しでは無いと、多少安心したが、やはり震えは止まらなかった。

――ウワァアァアアァアアァアアア!!

 中年の女が私に襲い掛かる。

「恨みか!逃げ出した俺に恨みかよ!ガキは確かに可哀相な事になったよ!」

 私は中年の女を斬った。

――ァァァァアアアアアア!!!

 中年の女は斬り口から、霧のようになって消えて行く。

「てめぇ等じゃあ、俺には勝てねぇよ!帰れよ!」

 自責の念に駆られた。彼等は、私に仕返しをする為に、自ら、あの化け物の餌になったのだから。

 斬った刹那、中年の女が、私の脳に、そう語りかけたのだ。

「ちくしょう!ちくしょう!ちくしょう!」

 中年の男にも斬り付けた。

 勿論、中年の男も、霧となる。

 やはり、中年の男も私に仕返しをする為に、化け物の餌になったのだ。

 霧となりながらも、私に恨み事を言っていた。


 …………貴様が殺した…

 …………貴様が逃げたせいだ…

 …貴様が…貴様が…


 消える最後の瞬間まで中年夫婦は私を責めていた。

 中年夫婦を斬っても暫くの間、私は呆けていた。

 貴様が殺した

 耳に残った。

「…やはり俺が殺したのかよ…」

 解っていた。全ては自分のせいだと。

 もっと自分に力があったら、もっと自分に勇気があったら、少なくとも、中年夫婦は死ぬ事は無かったに違いない。

「…もっと強くなるからよ…化け物は…必ず俺が殺すからよ…ちょっと待っててくれよ…」

 私はその日を最後に、自分の部屋を引き払った。再び鍛錬に明け暮れる為に、私の師の元に向かったのだ。

 師はやはり戻ったかと、一言だけ言うと、後は何も聞かずに私を一から鍛え直してくれた。

 師も危惧はしていたらしい。

 いつか慢心で身を滅ぼす事を。

 私は三人を犠牲にし、初めて気が付いたのだ。

 私は慢心を捨てた。

 それは三人の魂との引き換えにしては、あまりにも大きくて、一人の化け物によって遠回りになりながらも気が付いた事だ…

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