繋がる
村から猛スピードで逃げ出した私は、可憐の傷が気掛かりで、街の病院へ駆け込んだ。
幼い可憐が盲腸で入院した病院だ。
ここで初めて可憐と会った。
院長と私は以前からの、可憐と会う前からの知り合いだった。無論洞鳴村の事も知っている。
「また目無しか…お前さん、もう手を引いたらどうなんだ?」
「引きたくても退けないみたいです。私の力じゃ及ばないのも承知なんですがね」
院長は苦い顔をしていた。
「もう片方も失ってしまうぞ?いい霊能者と知り合いになったんだ。一人じゃ太刀打ち出来ないなら、その方と共闘したらいいんじゃないか、と思ってな」
申し訳無さそうに私に打診して来た。
私のちっぽけなプライドを刺激しないよう、共闘と言う言葉を使ったのは理解出来た。
「霊能者ですか。高名な水谷さんなら大歓迎ですけどね」
水谷さんは日本、いや、世界屈指の霊能者だ。水谷さんなら目無しを葬るのは容易いだろう。
「石橋さん!水谷さんを知っているのか?」
院長は目玉が飛び出る程、目を見開いて驚いていた。
「はは…この世界の人間に水谷さんを知らない人間は居ませんよ」
水谷さんは先日、魔人と呼ばれる世界最高峰の錬金術師、サン・ジェルマン伯爵との永き因縁に決着を付けたばかりだ。
齢三千年を超える化け物を葬った事で、更に名が売れた事だろう。
「その水谷さんと知り合ったんだよ!弟子の一人がこの街に引っ越しして来たらしいんだ。食べ過ぎでお腹が痛くなったとか言ってここに診察しに来たんだ!」
驚いたものの、多忙な水谷さんにわざわざお願いするのも気が引けた。
「はは…もし忙しくなかったらお願いしたいですね」
出された茶を啜る。
言い訳だ。自分の才能の無さが、水谷さんの高名に嫉妬しているだけだ。私は人間としても、何と小さい男なんだろう。
「そうか…気が変わったら、いつでも言って来てくれ。水谷さんにお願いしてみるから」
院長はそう言って院長室から出て行った。
院長も解っているのだ。私のプライドが邪魔をして、素直に助けを求めないでいる事を。
自己嫌悪を振り払うように、可憐の病室へと入って可憐の様子を見た。
全身に打撲や切り傷があるが、特に命に別状は無いとの事。
一応大事を取って個室に入院となったが、これは院長の配慮だろう。
包帯やガーゼが可憐に捲かれている。
「…可憐」
そっと頬に手を触れる。
家族がいない私にとって、可憐は娘に等しい存在だ。
例え命に別状は無いとは言え、洞鳴村の住人に怒りを覚えない訳ではない。寧ろ殺してやりたい程だ。
私は寝ている可憐のベッドの前で、椅子に腰掛け、じっと見ていた。
かなりの時間が経過したのだろう。気が付いたら、時計は夜の0時を越えていた。
「もうこんな時間か」
椅子から立ち上がり、ロビーに飲み物を買いに行く。やはり夜が遅いので、ロビーには誰も居ない。
自動販売機の明かりが、院内の暗さを尚更引き立てていた。
「それにしても…」
自動販売機からお茶を買い、プルトップを開けながら、院内の違和感を覚える。
「静か過ぎる…」
虫の鳴き声すら聞こえない。看護師の足音すら聞こえない。
何かおかしい…
胸騒ぎを覚えた私は、可憐の個室へ向かうべく、エレベーターのボタンを押した。
4階に可憐の個室がある。なかなか大きい病院だ。
チン
エレベーターが到着した音がロビーに響いた。
……………アアア………
「!!今のは!!」
扉が開く前に、エレベーターの中から聞こえてきた音!!以前聞いた事のある音!!
エレベーターが少し開いた。
開いた隙間からドス黒く変色した指が扉を開くよう出て来た!!!
「目無し…!!匂いを辿ったか!!」
今開こうとする扉を待ちきれずに、無理やり扉を開いて現れた。
痩せこけた身体、振り乱した髪、そして虚無の空洞の目があった部分…!!
「久しいな目無し…刀は今持っていないんだ。また後で…と言う訳にはいかないよな…」
目無しには勿論聞こえない。
──ウワアアアアアアアアア…アアァアア
咆哮しながら私に向かってくるだけだ。
懐から札を出し、目無しに投げ付ける。
ドゥッ!
伸ばして来た右腕に触れ、爆発した。
「
目無しは全く臆する事無くそのまま右腕を伸ばして来る。
皮膚が捲れ、焼けただれた右腕を、ただ私の身体目掛けて伸ばして来た。
「さて、困ったな…刀は車に置いてある。車に取りに行っている間に可憐が襲われるとも限らん」
かと言って易々と命はくれてやるつもりも無い。ここで倒れたら可憐に向かう事は必至だ。
「おっと!!」
考え事をしている間に、目無しの右腕が私の上着に触れた。
私は後ろに跳ねたのだが、その時上着がビリビリと引き裂かれる。
「ふぅ、懐の炸裂符は無事か」
私は炸裂符を全て取り出し、上着を捨てる。
刀の無い今、炸裂符だけが唯一の武器。まだ失う訳にはいかなかった。
「さて、刀の代わりを探さねばな」
私は棒を探した。しかし院内…そんな都合良く棒など見付けられはしない。
「いよいよ困ったな…車まで誘導するか?」
一定の間合いを取り、自らを餌にし、外へと誘う。簡単に言うが、難しい作業だ。
目無しは私に右腕を伸ばして追って来る。
「おっとと……!!」
動きが単調な割には結構なスピードだ。間合いなど直ぐに詰められる。
「何故そんなに速く移動出来るかは解らんが…捕まる訳にはいかないな」
伸びて来る左腕に炸裂符を放つ。
ドゥッ!
左腕は軽く後ろに下がった。
多少ホッとするも、残った右腕が私のシャツに触れる。
「う!?」
ブチィ
左肩に鈍い痛みが走った。
私は炸裂符を目無しの顔面に放った。
ドカン!!
超至近距離の爆発。しかし、こいつには通用しないのは、以前に実証済みだ。
急いで目無しから逃れる。
「っつ!!」
私の左肩の肉が多少抉られていた。
目無しは炸裂符を顔面に受けながらも、何事も無かったように私に寄って来る。
「ふっ…化け物め…!!」
せめて可憐から離さねばならない。
対目無し用に作った
「匂い消しの札は貴様の身体に貼らないとあまり効果がないんだよなぁ…」
手足ならばそこそこの効果は期待出来るが、何故か目無しにはあまり効果が無い。
効果を得る為には、身体に直接貼り付けて目無しを中心とし、一切の香りを遮断する。
しかしそれは目無しに接近しなければならない事を意味している。
消香符は目無しの周りから匂いを一時的に絶つ効果がある。匂いを絶ってから刀を車から持って来て、斬る。言うは容易いが…
「やるしかないよなぁ…」
炸裂符を右に持ち、消香符を左に持つ。
目無しがどんどん近付いて来ても動揺してはいけない。
──ウワアアアアアアァァアァア!!
両腕を伸ばして私に向かって来る目無し。
炸裂符を右腕に投げつける。
ドゥッ!
右腕が後ろに下がる。右胸に隙が出来た訳だ。
しかし怯まない目無しは、残りの左腕を懸命に伸ばして来る。
「はああ!!」
左腕を躱し、胸に消香符を貼る事に成功した。
それと同時に目無しが止まる。
ウロウロと辺りを彷徨い、歩き始めた。
「ふぅ、動きを止める代償がこれか」
私が目無しの懐に飛び込む時、目無しの左手親指が、私の頬を裂いた。ボタボタと血が流れ落ちる。
「少しズレていたら、顔半分持っていかれたな」
ホッとする間も惜しいと、車に刀を取りに戻った。
消香符の持続効果はまだ解らない。目無し用に試作し、今初めて実戦で使用したからだ。
手足で試した事はあるが、その効果もまちまちだった。
解ったのは強力な手足には効果が薄い事。直接貼り付けたら効果が出た事のみ。故に目無しには通じないと思ったのだ。
「戻るまで効いていてくれよ」
祈る気持ちで刀を持って走る。
ロビーに入った。
「ハァ、ハァ、い、居ない?」
先程までウロウロとしていた辺りに目無しは居なかった。
「くそ!どこへ…」
何気なしに見たエレベーター…上へ向かって動いている…!!
「可憐!!」
消香符の効果が切れたのかは解らないが、目無しは4階の可憐の元へ向かったのでは無いか!?
私は階段で4階を目指した。
「ハァ!ハァ!可憐!!」
2階、3階…一時も休まず4階へと走った。
4階に辿り着いた時、可憐の病室の前に2つの人影を見た。
「目無し!!」
刀を抜こうとした私だが、それをやめた。
もう一つの人影が目無しの動きを止めているように見えた。
「あれは…誰だ?目無しは何故動かない?」
目無しの他の人影は…女?
ショートボブの髪が揺れていた。
目無しに無数の腕が絡み付いていて、それが目無しが動けない理由となっているのは安易に予想が付いた。
「あの手は一体?床に空いた暗い穴から伸びて来ているのか?」
目無しの立っている床に暗い穴がポッカリと開いて、そこから目無しを穴に引きずり込むが如く、激しく目無しを引っ張っていた。
まるで冥府へと誘うように。
「くううぅ…『首』以来だわ…地獄に引き摺り込めないのは…!!」
目無しを押さえている女が大分苦労しているのが解った。
私は刀を抜き、一気に目無しに詰め寄る。
「え?」
私の接近に気が付いた女は、一瞬気を逸らす。同時に目無しに捕まっていた手が2本程外れた。
「すまないがお嬢さん!少しの間堪えて下さらんか!!」
私の願いに我に返った女は、再び集中し、目無しを押さえ込んだ。
私の匂いを嗅ぎ取ったのか、目無しが私の方に首をぐるんと回した。
「はああああ!」
刀を目無しに斬り込む。
目無しは腕を伸ばして来たのだが、絡み付いている手によって思うような行動が出来ない様子。
伸ばした腕が途中で止まる。私の刀が目無しの伸ばした腕に入った。
目無しの右手の人差し指と中指の間から肘にかけて刀が入って行った。
──ウワアァアアァアァァァアアアァア!!!
目無しは激しく咆哮した。
ここまで刀を斬り込んだのは初めてだったが、それでも目無しの魂を斬るまでには至らない。
「んんん……!!」
女が指で何かの印を
一気に穴に引きずり込まれる目無し。
──ウヮアァァアアアアアア!!
目無しは力を振り絞って自分に絡みついている手を引っ張る。
ブチブチブチ!!
穴から出ている手が引き千切られた。
「え!?」
驚く女、同時に穴から出ている他の手が一斉に緩んだ。
──ウワアアアアアアァァア!!
目無しは身体を激しく揺すり、全ての手から逃れた。
そして狂ったように身を捩らせる。私も女も、目無しの様をただ見ていた。
「これ程苦しんでいる目無しを見たのは初めてだが…」
刀を身体に斬り入れる隙が何故無い?
「それは恐れて萎縮しているからではないでしょうか?」
女が私の心を見透かした。
恐れている。私は目無しに恐れているのだ。
過去2度、目無しに挑んで退いた私だ。2回目は片目を失った。
「…そうですね…私はこの化け物が怖いです…」
「私も怖いです」
そう言うと、女は再び空に印を書いた。
暗い穴から出ている手が目無しを絡め取るように動く。
──ウワァァアァアァァアアア………
咆哮を残し…目無しが消えた…
「
「…そうですね…」
安堵していた。もし退かずに向かって来たのならば…
堪らずに喉を一つ鳴らした。
「病室の可憐さんの所へ行きましょうか?」
女に促され、可憐の病室の扉を開ける。
可憐はベッドに横になり、軽く寝息を立てていた。
「無事か…」
安堵したが、この女が可憐を守ってくれたのを思い出す。
「ありがとう。あなたのおかげで可憐は無事です」
「いえ、師匠からのお願いでしたから…お弟子さんご無事で何よりです」
会釈を返した女の肩が、小刻みに震えていた。
この女は、たった一人で目無しの恐怖と戦っていたのだ。
私と違う…恐れて動けない意気地なしとは違う…立派な勇気を持っているのだ…
女の名前を訊ねるのを忘れていた。慌てて改めて自己紹介をする。
「私は可憐の一応師であります。石橋 早雲と申します。あなたは一体?願いを言った師匠とは?」
女は会釈をしていた顔を上げた。
「私は桐生 生乃といいます。絵の勉強で、師匠の知り合いがいるこの街に越して来ていたんです。私の師匠は水谷と言う人です」
水谷!!どおりで…
高名な水谷先生のお弟子さんならば、あれ程の勇気を持っていても、何ら不思議では無い。
それにしても、やはり水谷さんのお弟子さんだ。かなりの霊力…私など足元も及ぶまい。
私は自分の才能の無さを恨めしく思うと同時に、桐生さんに軽く嫉妬心を覚えた。
「あの、どうかなさいましたか?」
伏せている私に、桐生さんが心配そうに話し掛けて来た。
「い、いや、何も…そ、それより流石は水谷さんだ。噂で聞きましたよ?サン・ジェルマン伯爵を倒したそうで」
少し自分が恥ずかしくなった私は、無理やり話を変えた。
「ああ、やっぱり世間ではそう思っているんですね」
桐生さんがコロコロ笑った。先ほどの真剣な顔つきからは想像も出来ない程、可愛らしい笑顔だった。
しかし、サン・ジェルマン伯爵の件…気になる。
「え?どう言う事ですか?」
素直に訊ねた。もし言いにくい事実があるなら、そのまま隠してくれても構わなかったのだが、やはり気になるものは気になるのだ。
「伯爵を倒したのは師匠や私達弟子ではありません」
桐生さんは、何故か頬を赤くして話を続けた。
「伯爵を倒したのは…世界で、いや、人類史上最強の人…北嶋 勇さんと言う方です」
桐生さんは本当に嬉しそうに笑っていた。
「北嶋…聞いた事が無いな…」
私もこの業界では多少名の通った霊能者だ。北嶋なんて名前は聞いた事もなかった。
「ふふ、今に知るようになりますよ」
桐生さんは本当にニコニコしていた。その理由は解らないが、あの魔人を倒したのが水谷さんじゃないという事実が驚愕だった。俄かには信じられない。
「ご自身でご確認なさっても構いませんよ。明日にでも師匠の元へ行きましょうか。目無しの件もある事ですし」
確かに目無しの件は最早私の手に余る。
可憐に託したいが、後ろ盾は私では力不足。
それに伯爵の話も気になる所だ。
「桐生さん、申し訳無いが、ご好意に甘えさせて戴きます」
「ええ。明日には可憐さんも退院出来るみたいですから、私がお二人をご案内致します」
桐生さんは快く応じてくれた。
これで可憐の命は助かった…安堵感でいっぱいになる。
退いたとは言え、まだ安心出来ない。桐生さんと共に可憐の病室に入り、寝ずの番をした。
「桐生さん、申し訳無い。本当は休んで貰いたいのだが…」
もし再び目無しが現れたら、私一人では手に余る。情けなさで一杯だった。
「いえ、私は大丈夫ですから」
その言葉通り、桐生さんはこう話している間にも、常に周囲に集中していた。
こんな若いのに、随分と場数を踏んでいる様子だ。
「私は本来、もう死んでいる筈なんですよ」
私に微笑みながら話し掛けて来た。
「ああ、それでですか…かなりの修羅場を経験してきたのでしょうね」
悪しき霊との戦いで死にかけたのだろう。そう思って頷いた。
「その私を助けてくれたのが北嶋さんなんです」
桐生さんはクスクスと笑っていた。
「北嶋?水谷さんが桐生さんを苦しめた悪霊を退けた訳じゃ無いんですか?」
桐生さんはやはりクスクスと笑って話を続けた。
「勿論師匠にも大変助けて戴きました。だけど、私を本当の意味で助けてくれたのは北嶋さんです。あの人は本当に凄い人…私は北嶋さんの役に立ちたいから絵の勉強をしてるんです」
北嶋と言う人物の事を話す桐生さんは、本当に嬉しそうだ。
「北嶋と言う人は男性ですか?」
「はい!とっても素敵な人ですよ!!」
成程、桐生さんは北嶋と言う男を好きなのだな。だから多少美化して話しているのだろう。
恐らくサン・ジェルマン伯爵も水谷さんがある程度追い詰め、北嶋と言う男がとどめを刺したに違いない。
「是非会ってみたいですね」
私は適当に話を終わらせた。
恋は盲目と言うが、桐生さんの話を信じる事はあまり出来なかった。
水谷さんを凌ぐ男が現れるとは、どうしても思えないからだ。
「是非会ってみてください!!」
桐生さんの瞳がキラキラと輝いている。
私は少し引き攣った笑顔で頷くしかなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
薄暗い病室の中…私は目を覚ました。
「…っ」
身体中が痛い。確認しようとしたが、一目見てやめた。
包帯が身体中に捲かれていたからだ。
生きていた。
村人に襲われた私は、生きるのを諦めたのだが、まだ命があるならば目無しは諦める訳にはいかない。
私の悲願であり、師の悲願でもあるから。
私は病室が出ようと立ち上がる。
…何やら扉の向こうで誰かが話をしているようだ。
そっと聞き耳を立ててみる。
「…水谷さん…」
「…是非会って…」
師の石橋と誰か女?が話しているようだった。
水谷…聞いた事はある。世界屈指の霊能者だとか。
話を聞くと、その水谷に会いに行くと言っているようだ。
対目無しの戦力を強化しようとしているのか。
面白い。世界屈指の霊能者と会える機会が出来るとは。
師と別の意味で会ってみたかった相手…
私の力がどの位置にあるのか、以前から興味はあったのだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
──貰えなかった…
失った目から涙が出ているような気がした。
滅多に貰える物では無い光。貰える時はそれはそれは嬉しく、幸せな気分なのだが、それが今回貰えなかった。
目無しの悲しみは慟哭と化し、洞穴に響いた。
──ウワアァアアァァァアアアア…ウヮアァアアアアアアア!!!
慟哭はやがて、かつて光を貰った者達に聞こえる。
目無しから光を奪われた者達…今は手足と呼ばれる者達が、その慟哭に恐怖を覚えた。
光を与えないと酷い目に遭うと。
実際は既に酷い目に遭っているので手足なのだが。
目玉を抜かれた。或いは殺されて目玉を抜かれた者達には、生前の恐怖が未だに引き継がれていると言うのが本当の所だろう。
手足は目無しに付着している匂いを感じる。
三人…内一人は片目が無い。
手足達は匂いを辿って彷徨う。
既に失っている光に執着している手足だが、未だに自分の光があると思っているのか、もしくは光を返して貰えると思っているのかは解らない。
解らないが、目無しの恐怖に縛られたくないが如く、光を求め、匂いを辿って標的に向かう…
自身が既に恐怖の対象となっているのを知らずに…
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
オッサンがサラサラになって消えてしまってから1クールが経過した。
1クールって何だってか?まぁ、季節が変わったと言ってもいいだろ。もう桜も散り始めているのだ。
花見に行きたかったが、俺のマイスィートハニーの神崎がどんどん仕事を入れてしまい、結局花見は出来なかった。
「花見は諦めよう。だが、神崎、お前の花弁を見せてくれ」
そう頼んだのだが、瞬間、俺の鼻が大惨事になってしまった。
「花見じゃなく鼻血でも見てなさい!!」
と、キレられたのだが、鼻血は毎日見ているので、今更感があった。
そして世間はGWと言う長期休暇を満喫中だろうが、俺は次の仕事に無理矢理向かわされている。
「師匠の所へ呼ばれたんだから、きっと大変な事が起こっているんだわ」
神崎は神妙な顔をしてBMWを運転していた。
俺は神妙な顔の神崎もイイ。とか思いながら、酔い止めの薬を飲んで寝た。
神崎が運転がどーたら言っていたが、以前車をゲロまみれにしたら服がビショビショになると言うミラクルを体験したので、気にせず寝た。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
全く北嶋さんは本当に運転しないんだから!!長距離運転は疲れるんだからね!!
自分で運転すれば車酔いなんかしないと思うんだけど。
何か腑に落ちない感が多々あったが、仕方なしに高速を飛ばした。
「電車で来れば良かろう?」
そう師匠から言われ、電車で行こうとした時もあったが、
「電車をゲロまみれにはしたくはない」
と、北嶋さんにしては、かなり納得出来る理由を述べたので、やはり車で向かう事になった。
その北嶋さんは助手席を倒してカーカー寝ている。
日差し遮断の為に本を顔に掛けているし。用意周到だなぁ。
因みにそれはツボの本だ。肩凝りがすると漏らしたその日にツボの本を買って読んでいた。その本を持って来たのだろう。
執拗に肩揉みをしてやろうと言われたが、鼻の下が伸びていたので、何か邪な事を企んでいると思い、丁重に断った筈だけど。捨てなさいよそんな本。
まあいいや、と途中のサービスエリアでお茶を買い、喉を潤しながら師匠の元へと急いだ。
師匠が呼ぶには、かなりの事が起こったのだろう。
私はアクセルを踏み込む。
北嶋さんは助手席で寝息を立てている。かなりムカつくが今は放っている。
恐らく北嶋さんの力が必要な何かがあると思ったからだ。
北嶋さんはその時存分にコキ使わなくてはならない。休憩の前貸しだと思えば腹も立たないし。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「…不味いわ…来ている…」
「ああ…手足か…」
石橋さんの車の後ろに乗って師匠の元へと急ぐ最中、二人は口を揃えて言った。
「目無し…ではありませんね。大勢の亡者が追って来ていますけど」
私にも感じた。数も10や20じゃない。
大勢の目のくり抜かれた亡者が、私達を追って来ている。
宝条さんが札を取り出し、車に貼った。
「それは?」
「これは匂い消しの札…消香符と言います。目無し用に師が開発したものです」
宝条さんが説明している時に、運転している石橋さんは怪訝な表情をしていた。
「あの、どうかなさいましたか?」
「いや、目無しには僅かな時間しか通じなかった札なので…」
私が遭遇した目無しの胸に、確かに札が貼ってあった。恐らくあれが消香符なのだろう。
「師は札作りの名人でもあります。炸裂符も師のオリジナルです」
石橋さんを讃えているのか、その時の宝条さんは、本当に尊敬している様子だった。
ただ、当の石橋さんは苦い顔をしていたのだが。
そして石橋さんの車は、亡者に襲われる事の無いまま、師匠の元に着いた。
「ここなら大丈夫です。何人、何十人、何百人の亡者が来ようが、全て師匠と弟子の方が葬り去りますから」
石橋さんは安堵の表情を浮かべたが、宝条さんは何故か不機嫌だった。
「手足程度なら私が全て斬り捨てますけど。まぁ、そこまで仰るのなら…」
そう言って刃の無い刀を帯刀する。
自分達の力量が足りないと言われたと思ったようだ。
「で、ではこちらへどうぞ」
私はお二人を客間へ案内しようと玄関前に歩き出した。
「生乃が先か」
不意に私の隣で声がした。
「師匠?なぜ外へ?」
師匠だった。小さいから見落としたのか。
「客を迎えるならば当然じゃろ?」
「わざわざお出迎え有難うございます。私が石橋、これが弟子の可憐でございます」
石橋さんが丁寧にお辞儀をする。宝条さんもお辞儀をするも、その眼光が何故かギラギラしていた。
「よう来られたの。生乃、客間へご案内せぇ」
そう私に促すも、師匠は家の中へ入る素振りは見せない。
「あ、あの、師匠?お客様はお二人ですけど」
「ん?解っておるが」
そう言いながらも家に入る素振りは無い。石橋さんも、こうなれば客間へ上がり込む訳にはいかないらしく、もじもじしていた。
「何をしとる?早よう二人を客間へ案内せぇよ?」
師匠に促された私は、石橋さんを案内しようとした時、車が此方へ向かって走ってくるのが視界に入る。
「おー!来た来た!!待ち侘びたわい!!」
師匠のお迎えするお客様って
だが、徐々に視界に入って来る車を見て、私の胸は張り裂けんばかりにドキドキしてきた。
「あの、桐生さん?」
ポーッとしている私に石橋さんは不思議そうに話し掛ける。しかし私の耳には入る訳が無い。
私の五感全てが、あの車の助手席で横になっている人に向いているから。
車が停車する。
「遅いわ!年寄りを待たせるでないわ!」
悪態を付く師匠だが、そこには微塵も悪意を感じない。
助手席のドアが開く。
私の胸の鼓動がより激しくなる。
「?桐生さん?どうしたのですか?顔が赤いですよ?」
申し訳無いが、今の私には宝条さんの問いに応える時間が勿体無かった。
今の私の時は助手席の人に全て奪われているのだから。
「婆さん。取り敢えず水だ。少し酔ってしまった…」
「北嶋さん……」
全ての時を北嶋さんに奪われている。
変わらない。顔も仕草も、車に酔っちゃう所も。
「じゃろうと思って水は用意してあるわ。気が利くババァに感謝せぇよ?」
師匠がペットボトルの水を北嶋さんに渡す。
「ん?んんん?桐生か?久しぶりだなぁ!!」
北嶋さんが水を飲みながら笑顔で私に近付いて来る。
私の顔が、火が出そうになるほど火照っている。
「生乃?本当に生乃だ!!うわ~久しぶりだねぇ!!」
北嶋さんを押し退けて尚美が私に近付いて来た。北嶋さんは「うおっ!!」とか言いながら転んでいた。
「ああ…尚美、久しぶり」
私は尚美と無理にはしゃいだ。真っ赤になって火照った顔を、なるべく北嶋さんに見せないように。
「ん?んんん?婆さん、あのツインテールのゴスロリは誰だ?弟子か?」
北嶋さんが宝条さんに気が付いた。
北嶋さんが他の女の子に気を取られるのは嫌だったが、そんな事を考えていた自分が本当に嫌いだった。自分の心が醜く見える。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
この男が北嶋?
サン・ジェルマン伯爵を倒したのがこの男?
私は北嶋と言う男を穴が開く程見た。観察したと言っていい。
北嶋はと言うと、可憐を穴が開く程見ている。
解り易い男だ。とても凄い男とは思えない。桐生さんの私情が、あの男の高評価を殆ど占めているのか。
「そうではないぞ?小僧はワシより上じゃ」
いつの間にか、私のすぐ横に来ていた水谷さんが私に話し掛けた。
「水谷さん…ああ、驚いた。水谷さんより上ですか。申し訳無いが…」
とてもそうは感じない。
「まぁ、追々解るじゃろ。少し小僧の片鱗を感じてみるかえ?」
水谷さんはデジタルカメラを取り出し、額に当てた。
「念写、ですか?」
水谷さんはデジタルカメラに写った者を満足そうに見た。その画像を覗き見る。
「!!これは…」
「お主等が連れて来た亡者共じゃよ」
画像には100を超えるであろう手足が写り込んでいた。
いずれも両腕を伸ばして接近してくる様を写し出している。
「振り切れなかったか」
直ぐに車のトランクを開けて刀を取り出した。此処で食い止めようと。
「いらん。小僧の片鱗を見せてやると言っておろう?」
「お言葉ですが水谷さん…」
手足は目無しの被害者だ。
悪霊化はしているが、ただ地獄へ堕としていい訳じゃない。
私は刀で呪縛を断ち切り、在るべき所へ還しているのだ。
「まぁ、黙って見ておれ」
水谷さんは北嶋と言う男に歩み寄る。
「小僧、こやつ等じゃがな、危険ではあるが、被害者に変わりは無い。ただ還してくれんか?」
北嶋はデジタルカメラの画像をじっくり見た。
「振り切れなかったんだわ」
「うわー…みんな目がくり抜かれているわね」
「ち!皆さんにご迷惑をおかけする訳には…!!」
可憐が刀に手をかけたその時!手足が私達の目を求め、、至近距離まで接近してきた。
「ひ、100じゃ効かない数…」
さしもの可憐も腰が引けるか。その数は手に余る。
「私達も手伝います!!」
「勿論!行くわよ北嶋さん!!」
みんながやる気になっている最中、北嶋はと言うと、辺りをキョロキョロ見渡しているだけだった。
「…君は戦わないのか?」
この緊張感の無い男に多少の嫌悪感を覚えたので、言葉の語尾が強くなっていた。
「ああ。やるけど?オッサンは取り敢えず下がっとけよ」
右手で私を追い払うよう、動かした様が、より私を苛立たせた。
「君は手足がそこまで来ているのに、随分と呑気だな!!」
手足が水谷邸の庭先まで侵入して来たにも関わらず、この男は何もリアクションしないばかりか、視る事さえしていない。
「来ているのか?どこにだ?」
再びキョロキョロと見回す。
「もしかして…君は視えないのか?」
「あ~…見えないなぁ…」
頭を掻きながら、まだキョロキョロしている。
「し、しかし!あれ程の負の魂が多数群がって向かっているのだよ?いくら何でも方向くらいは解るだろう?」
現に水谷さんのお弟子さん達と可憐はビリビリと緊張している。
「解らん。感じないし」
実にあっけらかんと答えやがった!!
目眩がした。このような霊力が皆無の男が、手足を全て還すと言うのか?
水谷さんは耄碌なされた。
それは私を動揺させると共に私を絶望に追いやった。
「まぁまぁオッサン。泥船に乗ったつもりで気軽にしてろ」
北嶋は胸を張りながら私の肩を叩く。
私はその手を払い退けた。
「君はあの恐ろしい咆哮が聞こえないのか!!ここにいる全員が目玉を抜かれるぞ!!」
──ウワアアアアアアアア!!アアアアアアアア!!ゴワァアアァアァアアァァア!!
100を超える手足の咆哮!!
多少霊感がある人間ならば、それだけで恐ろしくて失神してしまうかもしれない。
「芳香?トイレの臭い消しか?今欲しいのかオッサン?」
北嶋はヤレヤレと肩を竦めて私に背を向けた。
「誰が便所の臭いを今気にすると言うんだ!!君は…」
私が北嶋に退くよう促そうとした時、水谷さんが私を止める。
「小僧に任せろと言った筈じゃがな?」
言い返そうとしたが、水谷さんの眼光に怯み、それ以上何も言えなかった。
「尚美達も下がるが良い。小僧の邪魔はいかんぞ」
言われたお弟子さん二人が前線から退く。
「ほれ、お前さんもじゃ。はっきり言って邪魔じゃ」
可憐にも退くよう促した。
可憐はかなりムッとした顔になりながらも、前線から退く。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
何なのあの婆さんは!!あの霊感皆無の鈍感男に何が出来ると言うの!?
こうしている間にも、手足が接近して来ているのに!!
「宝条さん。まぁ見てて」
桐生さんが私に近付いて来て微笑む。
「…あの人が敗れても、私がちゃんと片付けるわ…」
本当の気持ちを話した。すると髪の毛の長い女の人も、私に寄って来る。
「まぁねぇ…北嶋さんはあんなだしねぇ…」
そう言いながらも、この人も彼が敗れるとは思ってもいない様子だった。
彼女達はどうかしている。私が彼女達を守らないと…
「北嶋さん!!集まったわよ!!」
あの男に群がる手足は既に身体に触れていた。
可哀想だけど、肉を引き千切られ…
「もう還していいのか?」
「はああああああああああああああああ!?」
驚いたってもんじゃ無かった!!あの男は全くの無傷!!
手足も必死に肉を掴もうとしているが、全く掴めない!!全て身体をすり抜けている!!
「なあああああああああ!?な、何アレ!?」
私もそうだが、師の石橋も顎が外れんばかりに口を開けて呆けていた。
手足が存在を確認しているにも関わらず、全く手応えを感じていないのか、何度も何度もあの男の身体を掴もうとするが徒労に終わっている。
「な、なぜ手足が掴めないの?」
あの男に向かって問い掛ける。
「だって見えないもの。つか何をされているのかも解んねーし」
腕を組み、威張ったように胸を張る男。
「君は一体何者だ!?」
師が驚愕している。勿論私もそうだ。
手足は目無しの光を求める下僕。
過去如何なる人間も、例外無く目玉を持って行かれるまで身体を毟り取られている筈!?
「だから見えないし聞こえないし感じないから俺に触れる訳無いだろう?そうそう奴等の都合良く行くのかよ?」
半ば呆れながら男は頭を掻いた。
「つ、都合良くって?」
兎に角何を言っているのかさっぱり解らなかったから訊ねた。
「奴等は人間に触れるんだろ?こっちから触れないにも関わらず?だから逆も有りだろう」
男は面倒臭そうに説明した。
「逆もって…」
確かに海に入っていた時に足を引っ張られるとか、ベッドで寝ている時に腕を引っ張られるとかは良く聞く話だ。
理不尽な行動には理不尽な行動と言う事?
「小僧、そろそろ固まって来たぞい。還してやりんしゃい」
水谷と言う婆さんが男に促す。
「還すって…成仏させるって意味なの…?」
まさかそんな事は、いくら何でも不可能だろう。
男はそれを合図としたのか、右腕を高々と空に翳した。
「さぁ、還りな」
その動作と共に、空から眩い光が降り注いだ。
「ば、馬鹿な!!こんな馬鹿な事がある訳が無い!!」
師は興奮してその光景を見ていた。私も夢を視ているようで、信じる事が出来ない…!!
あんなに身体を毟り取ろうと懸命に腕を伸ばしていた手足達が、その手を合わせ、失った筈の目から涙を流し、安らかな顔となって天に登って行くのだから!!
「北嶋さん…本当に素敵…」
隣りで桐生さんが、頬を赤らめて、胸に両手を当ててポーッとしていた。
「そうか、彼等は贄や餌として目無しに殺され、縛られていたから罪は無いと言えば無いのね」
髪の長い女の人は冷静に解説していた。
「馬鹿な!!冗談はやめろ!!嘘だろう!?」
師は初めて見た光景に頭を振って否定しようと躍起になっていた。
「ふむ、それでも数人は残ったか」
全て成仏させた訳じゃないのが、せめてもの救い(?)のように感じた。
「そ、そりゃそうよね。あれだけの数の霊体を成仏させる事は不可能だわ」
それでも彼は100を超える手足を、時間にして数十秒で成仏させた。
私には到底出来る訳が無い芸当だが、彼も完璧では無いと思い、安堵した。
「ふ~ん…自ら恨みや妬みの為に目を献上した輩もいるって事ね」
髪の長い女の人の言葉に、ハッとした。
つまり、今いる手足は罪人?だから易々と成仏出来ない?
「6人も…進んで餌になる奴等もいるんだ…」
桐生さんの表情が険しくなる。
残った6人の手足は、彼に腕を伸ばしながら接近していた。
「真正面に1人!その左右に1人づつよ!!」
髪の長い女の人の言葉を聞いた彼は、回し蹴りを放った。
向かって来ていた手足が一斉に吹っ飛ぶ。
「はああああああ!?蹴りが当たっただと!?」
師の驚きは相当なもので、私は師のそんな大きな声を聞いたのは初めてだった。
しかし、私も吹っ飛ぶ手足をただ目で追っていただけ。
状況が全く信じられなかった。
「け、蹴った?手足は触れる事も出来ないのに?」
手足は彼に掴み掛かろうと必死立ったが、空を掴んでいた筈。
何故彼の攻撃は当たる?
「ななななななな!!何て事だ!?いや、何で??」
師も同じ疑問を抱いていた様子。
私と師は同時に桐生さんを見た。
「ん~…北嶋さんは凄いからですよ」
目をキラッキラさせて返答にならない返答をする。
「残り3人!!一歩前に固まっているわ!!」
髪の長い女の人が指を差して指示している。
彼は指示通り一歩前に進み、再び回し蹴りを放った。
固まっていた3人の手足の顔面に蹴りが当たる。残り3人の手足もやはり攻撃を喰らった!!
「おう化け物!!まだ向かって来るか!!」
彼が一喝すると、手足達は起き上がらずに、そのまま四つん這いになって
「手足が怖がっている?」
恐怖の対象である手足が彼に恐れているのが解る。四つん這いになりながら、カタカタと震えているのだ。
私が刀で斬り付けても、怯む事が無かった手足が…
「め、目無しにしか恐れない筈の手足が…彼に恐怖を感じているとは…」
師の言う通り、手足は目無しに恐れている為、目無しに光を届けようと、対象者の身体を毟り取る。
手足は目無しの呪縛をどうしても断ち切れないのだ。
そんな手足が怖がっていると言う事は…
「彼なら目無しに勝利出来る…?」
独り言を呟いた私に、桐生さんと髪の長い女の人が同時に頷いた。力強く。
きっと彼女達は彼の馬鹿げた能力を何度も目にしたんだろう。
「あやつがサン・ジェルマン伯爵を倒した様を見せてやりたいくらいじゃわ」
世界屈指の霊能者も、まるで自分のように誇らしげに彼を見ている。
「本当に彼が…」
師も半信半疑ながら、彼が伯爵を倒した事を認め始めた。
彼が四つん這いになっている手足の一人に蹴りを入れた。
手足は顎を蹴り抜かれ、そのまま宙に浮き、地面に叩きつけられた。
――ウワァアアァァア…
蹴られた手足の鳴き声が、咆哮では無く哀願に変わっていた。
彼が手足をやっつける様から目が離せなくなっていった。
「右2歩斜め前!立ち上がろうとしているわ!」
髪の長い女の人が、手足の方向や状況を指示している。
彼は指示通りに手足に進み、頭を踏み抜く。手足の顔が地面に叩き付けられる。
――ウワァァァァ…
この手足も、咆哮が懇願に変わった。
「彼は本当に手足が見えないみたいね…」
髪の長い女の人の指示が出るまでキョロキョロと辺りを見回している様からして、彼が霊を視る事が出来ないと言うのは本当のようだった。
しかし気配すら感じないとは…
大抵の人間なら寒気くらいは感じるであろう負の気配も、まるで彼には感じない様子。
それでいて、圧倒的にぶちのめす自身の霊力。いや、そもそも霊力があるのか?少なくとも私には彼の霊力は感じないけど…
兎に角、全く以て辻褄が合わない。
合わないが、現に彼はそれを実行している。
手足達は最早全部が懇願に変わっている鳴き声を発していた。
「奴等に反撃する気力は無いのう。宝条とやら、とどめを刺してやるが良かろう」
私は呆けながら、手足の元へ歩いた。
手足達は私が近づいても、決して立ち上がろうとせず、私に目の無い顔で助けを求めている。
私はそいつに刀を振り下ろした。
手足の首がボタッと地面に落ちる。
残りの手足にも刀を振り下ろした。
機械的に、ただ何の感情も無く、機械的に。
彼の凄まじさを
残り一人…
私がそいつに向かって歩くと、そいつはいきなり立ち上がり、腕を伸ばしてくる。
完全に油断していた。油断でもないか。甘さ?いや集中力の欠落?
それとも彼に完全に負けたと思っている敗北感で心ここに有らずの状態だったから?
何にしろ、私は手足に身体を千切られる。
手足の
終わった…
静かに目を瞑ろうとしたその時、掌が私から一気に離れて行った。
ドウッ
手足は私から離れて倒れ込んだ。
私の顔の後ろから誰かの腕が伸びて来ていた。
「何か知らんが、これでいいのか?」
私が振り向くと、そこに彼がいた。
彼は手足にパンチを当てて私から引き離したのだ。
「ナイスよ北嶋さん!!」
髪の長い女の人が親指を立てている。彼女が彼に指示したのか。
見えない、聞こえない、感じない彼を見事にサポートして、私を救ってくれたのだ。
私は手足に向かって刀を突く。
手足は苦悶しながら、霧となり消えていった。
「あの、助かりました。有り難う」
彼にお礼を述べる。
彼は何か香りを嗅いでいたようで、鼻がピクピクしていた。
「あ、あの…」
再びお礼を述べようと彼に近づいた。
彼は私に超接近、そしていきなり抱き締めて鼻をピクピクさせた。
「あ、あの?あの?」
軽くパニックになる私。
「ん~…いい匂いだなぁ」
彼は私の髪の香りを嗅いだのだ!!
「ちょ、ちょっと!!きゃああああ!?」
私の悲鳴と共に、彼は仰け反って倒れていった。
「初対面の女の子に何すんのよ!!」
髪の長い女の人の右拳に赤い何かが付着している。
私は彼を見た。
彼は大量の鼻血を流して倒れていた。
「か、神崎…ヤキモチはよくない…ぐあっ!!」
大量の鼻血を流している彼の鼻に再びパンチを浴びせる髪の長い女の人。
「ヤキモチって何よっ!!」
彼は鼻骨骨折しているかも死れない程、鼻に大ダメージを受けていた。
「あ、あの、やり過ぎでは…?」
彼が心配になって彼女を宥める(?)。
「いつもの事ですから」
彼女は本当にうんざりしている様子。桐生さんが彼に駆け寄り、彼を抱き上げる。
「北嶋さん大丈夫?尚美、ヒドいよ!!」
彼女に抗議している桐生さんの胸に手を当てようとしている彼を、私は見てしまった。
「桐生さん!!あ、あの…」
私が知らせようとした刹那、髪の長い女の人の蹴りが彼の顔面に入った。
「ぷふあああ!!!」
「きゃあ!北嶋さん!」
「小癪な真似をするんじゃないわよっ!!」
彼女は見抜いていた。彼の邪な右手を。
「はは…あはははは!!」
何故か可笑しくなって、笑った。
「宝条さん?」
「ど、どうかなされましたか?」
「俺に惚れたのか?」
私の笑い声を聞いた彼等は、争いをやめて私を茫然と見ていた。
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