故郷

 服を貸して貰えた上に、何故かご飯までご馳走になった私は、今電車に乗っている。

 師の石橋の元へと向かっているのだ。

 今回の件の報告は携帯で一応したのだが、やはり師は育ての親でもある。

 子は親に会いたいものだ。そして沢山誉めて貰いたいものだ。

 師は電話口で、『よく頑張ったな。少し休むといい』そう労ってくれたのだが、やはり私は少しでも早く会いたかったのだ。

 そんな訳で、私は師の元へと向かっている。

 しかし、少し眠い。

 まだ目的の駅に付くのには暫しの時間があったので、私は目を瞑った。

 多少うとうとしてきた私の瞼がピクピクと痙攣しているのが解る。


 あ、今寝た。


 寝た瞬間が解ると言う、特に必要の無い特技を持っている。そして夢を夢と認識する特技もあった。

 夢の中の私は自分の刀、刃の無い刀を点検していた。

 特に不具合は無い。

 師の祓い方は因果(因縁)を刀で文字通り断ち切る。

 まぁ、特に刀で無くても構わないし、なんなら木刀とかでも良かったのだが、師から初めて頂いた『道具』。

 私に馴染んで来た所だったから、特に代えたいとも思わず、そのまま使用している。

 師は真剣を使用しているが、(何か大層な銘があった筈だが)真剣は怖いので私は使わない。


 カリカリカリカリ……


 ん?何か音が聞こえたような?

 振り返り、辺りを見回す。特に何も無かった。

 夢の中の私の空間は、私は何も無い場所で座って刀を点検していた。

 背景はグレー。見渡す限りグレーの景色。この空間で何かあったらば直ぐに解る。

 夢の中で、何故かビリビリしている私。何を緊張しているのだろうか?

 静かに立ち上がる。


 カリカリカリカリ……


 カリカリカリカリ……


 何だ?何かを齧っているような音?しかし辺りには何も無い。

 幻聴?疲れているのか?

 目を瞑り、一つ深呼吸をした。

 再び目を開ける。

 !!

 私の目の前、本当に直ぐ目の前だ。指が向かって来ていた。

 後ろに下がり、指から間合いを取る。

 しかし再び指の全体が視界に入って来た。速い?だが、先程よりは近くない。

 背中を丸めて膝を片方落とし、右手を私に伸ばしていた姿が確認出来る程は遠い。

 ならば顔を見てやろう。

 じりじりと接近してくる指の人物に集中する。


 ウワアア……


 口から漏れたのは…鳴き声?

 髪の毛は手入れした事も無いように伸び捲り、グシャグシャだ。

 衣服は身に付けていない。よって容易に解ったガリガリに痩せこけた身体。

 泥や煤で汚れた身体に見える青い痣。それと腫れ上がった傷口。

 血がポタポタと流れていたり、乾いてどす黒く変色していたり…

 観察している最中、不意に指の人物が顔を上げた。

 私はその顔を見て凍り付く。

 その顔には目が無かった。

 無かった?いや、元はあったのだろう。目があった場所が空洞になっている。

 その空洞の部分から血がドボドボと流れ落ちていた。まるで涙のように。


 ウワアアアアア…ウワアアアアア…


 その口からは鳴き声も発している。

 目無し!!

 私はこいつを理解した。

 洞鳴村の洞窟に棲んでいる、手足を量産して『目』を奪い、それを貪る化け物!!私の家族に罪を着せた化け物だ!!

 勿論、私は対峙する。刀を構えたのだ。夢であろうが目無しは斬る!!

 目無しはゆっくりと、ゆっくりと這いつくばって私に向かって来ている。

 間合いが詰まる。私の間合いだ。

 躊躇する事も無く刀を振り下ろす。目無しの肩から腹にかけて斬り付けた。

 手応えがあった。肉を斬った手応えだ。霊体に肉の手応えを感じる理由は解らないが、斬った感覚はいつもと同じ感覚。間違える筈はない。当然勝利を確信した。

 しかし、目無しは構わす私の目に指を伸ばしてきた。

 驚いて追撃を試みるが、刀が目無しの身体に食い込んでいて動かない。

 目無しの指が私の左目に触れる。

「きゃあああああああああ!!」


 そこで目が覚めた。

 電車の中…今、間違いなく目が覚めた…

 周りの乗客の視線が私に降り注いでいる。夢で叫んだ筈だが、現実でも叫んでしまったのか。

 汗が凄い。悪夢を見たから当然か…


 …チリ…


「つ!?」

 左目に痛みが走る。

 左目…?夢の中で目無しに触れられた目だ。

 背筋が凍った。

 もし目が覚めなかったら?いや、それにしても何故私の夢にあんなに鮮明に?

「うわ!ひでぇな!アパートで引き千切られた死体発見だと!!」

 携帯でテレビのニュースをみていた乗客がつい口走っていた。

 電車での携帯はマナー違反。乗客は何喰わぬ顔で携帯をポケットに入れた。口に出したバツの悪さから早く逃れようとする為だろう。

 それはさておき、妙な胸騒ぎを覚える。

 私は携帯のニュースを開いた。

【〇県〇市で身体中引き千切られ、死亡している女性を発見。女性は両目をくりぬかれた状態。先日起きた事件と類似している事から同一犯の犯行と思われる。遺体の損傷が激しい事から身元の判別は難しいが、このアパートに住んでいる時田留美子さん(21)とみられている】


 時田…留美子………?

 時田さん…!!

 絶望感と恐怖感…そして罪悪……

 目無しは何故私の元へ来た?

 何故終わった筈の時田さんの目を奪った?

 いや、そんな事はどうでもいい。

 私の家族を使ったばかりか、私が守った命まで奪った。

 怒りが込み上げて来る。

 洞鳴村…

 あの洞窟に目無しは棲んでいる………!!

 私は目的地を変えた。

 師の待つ家ではなく目無しのいる洞鳴村へ。

 次の駅で降りて再び電車を乗り換える。

 故郷と言う感じは無い。あるのは憎しみと寂しさと悲しみの始まり。負の感情。


 プルルルル…プルルルル…プルルルル…


 携帯電話に着信が入る。発信者は師だ。

「……もしもし」

『可憐、落ち着いて聞いてくれ。実は…時田さんだが…』

 ニュースを見たのか。時田さんが殺されたニュースを。

「知っています。今から向かいますから」

『知っていたのか…今から向かう?どこへ?』

 少し沈黙し、ゆっくり口を開く。

「…洞鳴村です」


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 目無しの手足となった可憐の家族の救済の為、可憐に時田さんの元へと向かわせたのは、可憐の祖父の遺志だ。

 宝条さんの遺志と、私の期待通りの働きをした可憐に、宝条さんも本望だろう。

 無論、私も心から良かったと思う。

 しかし…目無し…

 可憐の家族から匂いを辿って、時田さんと可憐の所へ行ったのか…

 確か嗅覚だけは機能していた筈だからな。

 ともあれ、可憐に思い留まるよう説得を試みる。

「可憐!戻って来い!洞鳴村の目無しには辿り着けない!なぜなら…む?」

 既に通話を切ったのか!!

 迂闊だった!洞鳴村の情勢を教えておくべきだった!!

 私は車に乗り込む。洞鳴村へと向かう為に。

 可憐は目無しに辿り着く前に殺されるかもしれない。

 そして、実はそれが一番厄介な事なのだ。

 洞鳴村へは車しか交通手段が無い。

 バスも三時間に一本だったか?兎に角交通の便が悪いのだ。

 可憐はバスで洞鳴村へと向かうだろう。

 洞鳴村に入る前に、何としても可憐を止めなければならない。

 目無しに届く前に、村人に殺されてしまう可能性がある。

 あの村は自身の命を守るために、さっきまで遊んでいた子供を目無しに献上したり、敵を殺す為に手足を作ったりする、狂気な人間が多数を占めている。

 実際、自分達の身の安全確保の為に、人を11人殺し、そして手足に3人殺させたのだ。

 現代でも、このような事を平気で行っているのだから、過去何人屍にしたのか見当も付かない。

 私はスピードを出した。近年こんなにアクセルを踏んだ記憶は無い。

 可憐が村人に殺される前に、何としても救出しなければならない。

 宝条さんとの約束然り、私の『娘』の命は守らねばならないからだ。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 洞鳴村に着いた。

 帰りは三時間後になるのか、それとも帰れなくなるのか。

 幼い時の記憶のままの風景。山、小川、畑、田んぼ…

 しかし、あの時と決定的に違う事がある。

 今、私は視えるのだ。幼い私には見えなかったのだが、今はハッキリと視える。

 道路は元より、畑にも田んぼにも、家の中にも小屋の中にも、無数の目玉をくり抜かれた霊の彷徨う様が。

「黄泉の村……」

 私の口から漏れた言葉。的を射ていたと思う。

 明らかに人間よりも、霊体の数がまさっていた。目無しの手足となった人間は、永遠に手足となるのか?

 殺された、もしくは贄とされた人間は可哀想に、成仏は出来ないようだ。

 刀を抜く。

 一番近くにいる手足となった霊を斬る。

 霊は霧となり消える。

 その刹那の表情を私は見た。

 無い筈の目から涙が零れ落ちたのを。

 最後に人に戻れた嬉しさからか、呪縛から解き放たれて成仏出来る嬉しさからかは、私には解らない。

 解らないけど、私の出来る事はこれしか無い。

 しかし、全て斬るにしては時間効率が悪すぎる。

 それ程手足の数が圧倒的に多かった。

 今はこちらに襲い掛かかって来る素振りは見えないが、いつ向かって来るかも解らない。

 しかし、抵抗が無いから、易々と斬れた。

 斬った先から霧となり、安堵の表情を浮かべる手足。

「おい、お前?何している?」

 夢中で斬っている私に誰か話し掛けて来た。

「刀を振り回して危ないな?ん?この村の者じゃないな?」

 話し掛けて来た男を睨み付ける。

「この村の化け物を斬りに来た!」

 男の表情が曇った。

「…アンタは一体誰だ?なぜ目無しを知っている?」

 騒ぎを聞き付けたのか、村人が沢山現れて、私の周りを囲んだ。

 その全員を睨み付けながら言った。

「あなた達、もう人殺しはやめなさい!私が目無しを必ず倒してみせるから!がっ!?」

 言い終えたと同時に私は倒れた。後頭部を誰かに殴られたのだ。

「馬鹿かコイツは!目無しは誰にも倒せねぇ!他所者よそものがしゃしゃり出て来て、俺達が目無しに殺されたらどうするつもりだ!!その前にお前を…」

 私を殴った男の手には薪がしっかり握られていた。

「実吉!この前宝条を殺したばかりだろ!」

 殴った男は実吉と言うのか…お腹が出ている中年…それよりも聞き捨てならない事を言ったような…

「真一の田んぼはもう使えないぞ?宝条を埋めたんだからな。お前の畑に埋めるか?」

 宝条を殺した…埋めた…

「アンタが私の家族を!!ぐっ!?」

 実吉という村人を睨み付けた矢先、再び私の背中に誰かが蹴りを入れた。

「宝条の家族?おめぇが娘かよ!おめぇが逃げ出したおかげでこちとら散々なんだよ!!」

 倒れ込んだ私のお腹にも、容赦ない蹴りが飛んで来る。

「アンタの家族は自業自得でしょうが!私の息子も目無しに殺されたんだ!アンタを逃がしたばかりにね!!」

 顔に脚が振り落とされる。

「仕方無いな。山の麓に埋めるか。武器は今必要ないしな…」

 村人は私に一斉に罵声を浴びせながら、私の身体のあらゆる箇所を殴ったり蹴ったりしてくる。

 殺されるんだ。

 目無しや手足じゃなく、人間に私は殺される。

 その間にも、執拗に私を痛めつける村人達。

 痛みすら麻痺して、何も感じなくなっていた。

 口の中には血が充満し、音も耳鳴りしか聞こえない。

 ここの村は何年も何年もこうして人を殺して来た。何人も何人も…

 武器、確か誰かがそう言っていた。今は武器は要らないと。

 この村の武器は目無しだ。つまり、今は目無しの力は必要無いと言う意味だ。

 私は餌にされる事も無く、ただ殺されるのか。

 まだ小さい時に目無しの贄から逃れた私だ。死ぬ時がやや遅くなっただけかもしれない。

 死を覚悟、いや、生きる事を諦めていたその時、私を殴る村人の手が止まった。

「~~~~ぶねぇじゃ~~~!?」

「他所者が!!~~~~するのか!!」

 村人が罵声を浴びせる相手を変えていた。

 辛うじて目を開ける事が出来たから、私は首を傾げて辺りを見た。

 真っ黒い車が、村人達に突っ込んで来たようだった。

 その人は村人の山を掻き分けて私を抱き上げる。

 誰?視界がぼやけて良く見えない…

 私はそのまま意識を失った………


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「何だこの車!?危ねぇじゃねぇか!?」

「他所者が!!罪人を庇い立てするのか!!」

 村人達が一斉に私に罵倒を浴びせる。しかし聞いている暇など無い。

「可憐!!」

 うつ伏せになり、少し首を傾げていた可憐を見つけた。

「なんと言う酷い真似を…」

 可憐を抱き上げ、急いで車に戻る。

「オッサン!勝手に罪人を連れ出す…ゴホッ!!」

 私の肩を掴んだ若者の腹に蹴りを入れ、直ぐに可憐を助手席に放り込む。

「アンタ!一体何しているのか解って…ぐはっ!!」

 初老の女が私の前に立ち塞がったので、顔に拳を入れた。

 車に乗り込んだ私は窓を少し開けて毒付く。

「変わらんなこの村は!!救いようが無い!!」

 車を発進させた。結構乱暴に。

「ぎゃあああ!!」

「うわああ!!」

「いてぇぇっ!!」

 発進させる際に何人かの村人を撥ねたようだが、気にしてやる必要は無い。可憐を殺そうとしたのだ。自分が車に轢かれて死んでも文句はあるまい。

 それでも何人かは追って来るが、所詮車には勝てない。彼等の姿は簡単にバックミラーから消えた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「くそがあ!逃げやがったぁ!」

 足を押さえながら吠えている若者、洞口ほらぐち 健二けんじは、先程宝条 可憐を思うが儘殴りつけたり蹴りつけたりしていた村人の一人だ。

 そして石橋に腹を蹴られ、あまつさえ車に撥ねられた若者だった。

 健二の他にも車に撥ねられた村人がいたが、他の村人の懸念はそこでは無かった。

「あのまま警察に駆け込まれないだろうな?」

 家族を殺されたばかりでなく、自身も瀕死になる程殴られたのだ。

「それに、あの車で駆け付けて来た奴…奴が病院に運べば…」

 そこから警察の介入があるかもしれない。

 村人は夜遅くまで話合っていた。警察が自分達を捕まえに来ないか?話し合いとは言えない程、そればかり話していた。

 長老の洞口ほらぐち 善吉ぜんきちが息子である実吉にそっと耳打ちをした。

「埒が開かんな。武器を用意するとしようか」

 実吉は一瞬固まったが、直ぐに頷いた。

「そうだな。贄は…」

 実吉は村人達を見回すと、健二が騒いでいるのが目に止まる。

「健二、恨みを晴らしたいか?」

 実吉は健二におかしな笑みを浮かべながら訊ねる。

 年寄り達は、すぐに理解したが、若い者はおかしな空気にただ黙った儘だった。

「恨み?当たり前だろ!俺は腹を蹴られた上、車に撥ねられたんだぞ!宝条のお陰で散々だ!!」

 怒鳴り散らし、周りからも嫌な顔をされている事に気が付かない健二。

 真一が健二の後ろに回って肩を抱く。妙に力強く抱かれた感じだったが、頭に血が昇って気に掛けていない。

「だよなぁ…宝条もあの男も許されんなぁ…」

 実吉が相槌を打つように頷く。

「あの男は確か、以前2回ほど村に来た事がある。宝条のじいさんが依頼したのは覚えているんだよ」

 実吉と同年代の男達が、いつの間にか健二を囲んでいた。

「お、おう。それが何だ?」

 不穏な空気をようやく感じた健二。

 立ち上がろうにも、真一が肩をしっかり捕まえていた。

「目無しは匂いで辿る。宝条の娘をいっぱい殴ったり、あの男に殴られたりと、健二はよう村に尽くしてくれたな…」

 その言葉を聞いた直後健二は激しい痛みを脳天に覚えた。

「がっ!」

 健二はそのまま意識を失った。これから起こる事など想像もせずに…


「……ううう…っつ!!」

 健二は目を覚ました。頭を振ると、ズキッと痛みが走る。

「くそ!誰か殴りがったな!」

 痛みがある頭をさすろうとし、健二は自分の置かれている状況に気が付いた。

「な、なんだ?縛られている?」

 身動きが取れないほど、縛られていた。

「ふざけんなよ!解け!!ほど……………!!」

 もがき、叫んでいた健二だが、自分の正面にある和紙が目に入って動きが止まった。

「宝条可憐と……石橋早雲?」

 宝条 可憐。昼に村に来た女だ。自分が一番殴り付けた女。

 じゃあ石橋 早雲とは、途中に宝条を助けに入った、あのオッサンの事か?あのオッサンには腹を蹴られ、車で撥ねられたのだから、顔はハッキリ覚えている。

 そこまで思い出した健二は、ハッとして辺りを見回した。

「ここは…洞窟か…?じゃあ、あの名前の書かれている和紙が置いている棚は……!!」

 健二の身体が激しい悪寒を感じ、ガタガタと震え始めた。

 和紙が立てられている棚は目無しの祭壇だった。

 洞窟は蝋燭の明かりが一つ灯っていた。和紙の文字が見える程度の明かりだ。

「おい!!お前等本気かよ!!」

 自分の父に聞いた事がある。

 目無しに敵を襲わせるには、まず餌になる誰かが目無しの祭壇に入り、敵の名前を目に焼き付け(だから和紙に名前を書き、餌に見せる)、目無しにその敵の名前を焼き付けた目を食わせる。

 餌は敵の匂いが付いている者でなければならない。目無しは匂いで敵を辿るからだ。

「うわあああああ!!解け!!解け!!解けよ!!」

 縛られたロープが身体に食い込んで肉が避けるが痛みなど気にしている場合じゃなかった。自分がどうなるのか簡単に理解できたから。

 健二は何とか脱出しようと、もがき、足掻く。


 ………………ァァァ


 暴れる健二の動きが止まった。

 耳に入って来た風の鳴き声…

 健二はガタガタと震え出した。

 祭壇から真っ黒に変色した指が出て来たのを見てしまったからだ。

 指を凝視した。

 目無しの指か?これが…

 ドス黒く変色した指は、血がこびり付いて変色したのだと理解する。


 ………ウワアァァァァァアアアアァァア………


 ………ウワアアアアアアアアアアアア!!!!!


 風の鳴き声がハッキリと聞こえて来た。

 指から腕、腕から頭、頭から身体と目無しの姿が露わになって来たのを確認した。

 風の鳴き声と今まで、いや、生まれてからさっきまで思っていた音が、実は目無しが咆哮している喚き声だったのを、この時初めて知った。

「うわ…うわあああああ!!来るな!!来るんじゃねぇよ!!」

 生まれて初めて全身全霊で暴れた。

 恐怖しか無かった。この化け物が、今まで村に棲んでいたのかと。

 有らん限りの力を振り絞って暴れた健二だが、紐が身体に食い込むだけに過ぎなかった。健二の胸に目無しの指先が触れた。


 ブチィ


「ぎゃあああああああああ!!」

 健二の胸の肉が目無しによって引き千切られた。

 胸から激しく血が吹き出る。

「ぎゃああああ!!うわあああ!!い、いてぇよ!!うわあああああ!!」

 激しい痛みと恐怖で気が狂いそうになった。

 目無しは健二の胸の肉を口に入れる。


 クッチャクッチャクッチャ……ペッ!!


 肉を吐き出した目無し。肉には興味がない。

「やめろ!!もう帰ってくれ!!頼むから!!」

 しかし目無しには聞こえない。

 欲しいのは胸の肉では無い。命でも無い。光が、目が欲しいのだ。

 健二に再び忍び寄る指先。

「わあああああああああ!!」

 指先が目に近付いて来る。

 その時健二はハッキリと目無しの顔を見てしまった。

 髪を振り乱し、顔には殴られたであろう痣や傷。頬が痩けて表情すら解らない。

 何より目がある筈の部分は、窪んで空洞になっていた。

「うわああああああああああ!!ぎゃああああああ!!!」


 ブチブチブチ


 叫び声の間に自分の目が引き抜かれた感触を感じた。

 その音がんだ直後に、健二の右目から光が消えた。

 死ぬ。俺は死ぬ。最早健二は痛みも恐怖も感じ無かった。あるのは自覚した死。

 鼠は蛇に呑み込まれる刹那、一切の抵抗も無く、眠りに付くらしい。

 この時鼠の脳内には大量のエンドルフィンと言う脳内麻薬が分泌されている。

 健二も今まさに脳内麻薬を分泌していた。

 残った左目で目無しを見る余裕すらあった。

 目無しは健二の右目を口に入れた。


 カリカリカリカリ…カリカリカリカリ…


 今まで鼠が何か齧っていた音だと思っていたのが、目無しが目玉を齧っていた音だったのを、この時初めて知った。

 目玉を喰っている目無しの表情が光悦しているのが解った。明らかにウットリしながら目玉を喰っていた。


 カリカリカリカリ…カリカリカリカリ…カリカリカリカリ…カリカリカリカリ…カリカリカリカリ…………ゴクン!!


 健二の右目を食い尽くした目無しは、残った健二の左目に手を伸ばして来た。

 目無しの手が健二の髪に触れる。


 ブチブチブチ


 頭皮ごと引き剥がされた。血が溢れ出て、左目に流れ込んで来た。

 血が流れ込んで来た左目が、霞んで良く見えなくなる。


 ビリビリビリ


 左肩が引き千切られる感触があった。

 こうやって手探りで目を捜しているのか。そりゃそうだ。目が無いから見えないからな。

 冷静に分析している自分にも驚きもしなかった。

 顎に手が触れる感触を感じる。


 ボキボキゴキッ


 健二の下顎が引き千切られ、舌がだらしなくブラブラと揺れた。

 ああ、言葉さえも喋れなくなったなぁ。

 意識が段々無くなってくる。大量の出血で、死がもうそこまで来ている。

 どうせなら意識がある内に左目を抜けよ。

 健二の思いが伝わったのかは解らない。

 解らないが、健二の左目に指が入る感触を覚えた。


 カリカリカリカリ…

 

 ああ、喰ったか…

 俺の目ん玉旨いか?

 健二はそう思いながら息を引き取った…


 ゴクン


 聞こえた最後の音がそれだった…


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 目無しは思う。

 親切な誰かが丸い何かをくれると、失った筈の目が見えるようになる。(実際は網膜に焼き付いた残像が頭に見せるだけなのだが)。

 紙に書かれている文字を読む。自分は字を読めないが、何故か書かれている事が解る。

 宝条可憐 石橋早雲…

 スンスン…

 目無しは健二にこびり付いている匂いを嗅いだ。

 こっちの女の人は先程まで嗅いだ匂いと同じ匂いだ。さっきはちょっと触れた程度だったけど、今度はちゃんと貰いに行こう。

 目無しは嬉しさが込み上げて来た。

 こっちの男の人は前に嗅いだ匂いと同じだ。あれ?確か前も一個貰った筈だけと?もう一個貰えるのかな?嬉しいなぁ………

 クスクスと笑う目無し。無邪気な子供のようだった。

 目無しは感謝する。

 親切な人、いつも私に何か見せてくれてありがとう。

 たまにおねだりする為に外へ出るけど、叱らないでいてくれてありがとう。

 そう、心から感謝していた。


 フッ


 先程見えた光が消える。


 ああ、また真っ暗になってしまった…

 目無しはこの瞬間が一番悲しかった。

 見えていた物が、ほんの数分で消えるこの瞬間が。だから嘆く。

――ウワアアアアアアアア…

 見えない悲しみから、再び咆哮する。

――ウワアアアアアアアア!!ウワアアアアアアアア!!!

 目があったらば、涙で前が見えなくなる程泣いていた事だろう。

 そして、それが絶対に叶わない事にも、嘆いて泣いているのだ…


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