08 ロボコン会場

 会場のロビーで正木を捜し出すのは、そう難しいことではなかった。

 とにかく目立つ。ただ黙って立っているだけでもすごく目立つ。夕夜は難なく正木を見つけ、すぐさまそのそばへと駆け寄った。


「正木博士!」

「よう」


 夕夜に気づいた正木が、軽く片手を挙げて答えた。朝だろうが夜だろうが、正木の挨拶はこんなものだ。手を挙げてくれるだけ、親愛の情が深いかもしれない。


「本当に来たんですね。あなたの顔を見るまで半信半疑でしたよ」

「何だよ、それ。俺が行くって言って、行かなかったことってあるかよ?」


 不服そうに唇をとがらせる正木に、夕夜はすかさず言った。


「そうですね。ありませんでしたね。若林博士関係のときだけは」

「――若林は?」

「控室にいますよ。私の〝妹〟と一緒にね。何でしたら、ごらんになりますか?」

「馬鹿言うな。それじゃルール違反だろ。どうせ順番になりゃ嫌でも見られる。それより、おまえこそ若林のそばにいなくていいのか?」

「今日の私は若林のロボットとしてではなく、あくまで客の一人として来ていますから。だからあなたと一緒にいます」

「どうして俺がおまえと一緒にいなきゃならねえんだよ?」

「別にかまわないでしょう? それとも、私がそばにいてはまずいことでもあるんですか?」


 そう切り返されて、正木は言葉に詰まった。正木でさえ、口で夕夜に勝つのは至難の業なのだ。


「んなことはねえけど……やっぱ、若林の作ったロボットと俺が一緒にいるのはまずいだろ。川路の手前よ」

「今さらそんなことを気にしなくても、あなたが若林博士に肩入れしていることはもう周知の事実ですよ。幸い、あなたも私も顔はそれほど知られていないことですし、一緒にいても不思議に思う人はいませんよ」


 正木はつくづく呆れて夕夜を見た。


「おまえ、セールスマンに向いてるぞ」

「そうですか? だったら若林博士が失業したらそうしましょう。とにかく、ここで立ち話をしているのも何ですから、一緒に中に入りませんか? 席は自由なんでしょう?」


 どんなしまり屋の財布の紐も、ゆるめるどころか引き抜いてしまいそうな笑顔で、夕夜は正木を誘った。




 一口に〝ロボットコンテスト〟(通称〝ロボコン〟)と言っても、その規模や形式は主催者によってまちまちである。

 小規模でロボットに競技を行わせるところもあるし、大規模で各ブースごとにロボットを見せるところもある。

 その中で、スリー・アールのロボットコンテストは、ひときわ異彩を放っていた。

 まず、スリー・アールは、日本で唯一、ロボットコンテスト専用のホールを持っている。そのためか、他のその手のイベントが、だいたい一年に一度、あるいは半年に一度という頻度で行われるのに対して、スリー・アールのコンテストは、規模の大小はあるものの、ほぼ毎月開催されていた。川路がスリー・アールのコンテストを選んだのは、こうした事情にもよる。

 しかし、スリー・アールのコンテストの最も大きな特色は、有名無名を問わず、ロボットを製作した者なら誰でも参加可能で、しかも、たとえどれほど高名な製作者――たとえば若林など――が参加してきても、特別にひいきすることはないという点にあった。

 他の主催団体がある一定レベル以上の者しか参加させないのに対して、このスリー・アールの〝来る者拒まず〟といった姿勢は、特にアマチュア製作者にとっては大きな魅力となっていた。もしかしたら、自分のロボットが企業や大学のロボットを打ち負かすかもしれないのである。

 このように、スリー・アールは受け入れる間口が広いため、自然、出品されるロボットも非常にバラエティに富むことになるが、それはまた、レベルの上下の隔たりが大きくなるということでもある。スリー・アールのコンテストとは、おもちゃよりは少しましな程度のロボットと、とんでもない高水準のロボットとが顔を合わせる、ほとんど唯一と言ってもいい場所なのである。

 それゆえ、スリー・アールのコンテストは、他のその種のイベントに比べ、低レベルの俗っぽいものに見られがちである。プロやセミプロと呼ばれる人々は、まず参加しない。最初はスリー・アールのコンテストに参加していたアマチュアも、そこそこ有名になると、もっと高レベルと考えられているイベントのほうに参加するようになる。

 だが、ロボットマニアやロボット産業関係者の間では、時々とんでもない掘り出し物があったりするので、毎回好評を博していた。十八歳未満は入れないが、ロボット好きの素人にはかっこうの場所かもしれない。

 本来のロボットコンテスト会場としての他に、様々なイベント会場としても利用されているホールは、まるで巨大な映画館のようだった。開会の十一時までまだ時間はあるのに、座席はすでにほとんど埋まっている。


「今日は妙に多いな」

「え? 前にも来たことあるんですか?」


 正木の呟きを聞いて、夕夜が驚いたような顔をした。


「ああ、一回くらいはな。それで嫌んなったんだ。今もちょっと嫌んなってる。……若林の番が来るまで、外で缶コーヒーでも飲んでるか」

「そんな、もうじき始まるんですよ。せっかく来たんだから、最初から見ましょうよ」


 買い物以外にあまり外へ出かけたことのない夕夜は、珍しく甘えた声を出して、正木の腕を引っ張った。

 そんな夕夜を正木は憤然と見やったが、すぐに苦笑いを浮かべた。


「わかったわかった。でも、缶コーヒーは買わせてくれよ。ほんとに喉渇いてるんだ」

「いいですよ。じゃ、私も一緒に行きます」


 ――何だかなー。

 ロビーへ出る重い扉を開けながら、正木は思った。その腕はまだ夕夜につかまれている。まるで少しでも離したら逃げられてしまうとでも思っているようだ。あまり人目は気にしない質の正木だが、さすがに今ばかりは気になった。よく似た男二人が腕を組んで歩いている姿は、さぞかし不気味なことだろう。

 しかし、だからといって、夕夜の手を振り払うわけにもいかない。正木には夕夜に負い目があった――いろいろと。

 ちょうど正木たちがロビーへ出たときだった。脇目もふらず駆けてくる男とぶつかりそうになって、正木はとっさに夕夜をかばった。その男は「すみません」と言いかけたが、正木の陰にいる夕夜に気づいて、いきなりその腕をつかんだ。


「夕夜、ちょうどよかった! 大変だ! 〝〟が逃げた!」

「え?」


 よく見れば、それは控室にいるはずのK大教授、若林修人だった。




「逃げたって、どういうことです?」


 非常事態に、夕夜は正木を押しのけるようにして、若林に詰め寄った。対する若林も、動揺のあまり、いま自分の目の前に正木がいることに驚いていられない――というより、気づいていないようである。


「いや、ちょっと目を離した隙にいなくなってて……」


 面目なさそうに若林は自分の頬を掻いた。困ったときの癖である。


「あなたという人は……!」


 夕夜は呆れて、それ以上何も言えなかった。

 やはり自分は若林と一緒にいるべきだったのだろうか。だが、若林も子供ではない。今日くらいは別行動で、正木と一緒にいたいと思っていたのだ。それなのに、まさかこんなことになろうとは。


「いなくなったって、いつ?」


 絶句している夕夜の代わりに、正木がそう訊ねた。


「いや、まだそんなに経ってない。俺がちょっとトイレ行ってる間にいなくなってたんだ。あんなに勝手に出歩くなって言っておいたのに……」


 若林は自然に受け答えた。正木のことはすでに認識していたらしい。前回のような派手なリアクションがなかったのは、あのときここに来ることを予告されていたからか。


「なら、そんなに心配しなくても、そのうち戻ってくるんじゃないのか? まさか、それくらいの知能はあるんだろ?」


 正木がそう言うと、若林と夕夜は互いの顔を見合わせ、一様に渋い表情になった。


「知能はあるかもしれないけど……」

「感情が……」

「感情?」

「だいたい、若林博士がいけないんですよ」


 思い返して、夕夜はまたむかむかした。


「〝美奈〟に、おまえは今日のコンテストに出すためだけに作ったなんて言うから……」

「それはまあ、そうだけど……でも、ほんとのことだろ?」

「だからって、何も本人に言うことはないでしょう。私だってそう言われたら傷つきますよ。デリカシーなさすぎです」

「内輪もめなら後にしろ」


 正木の低い一喝で、夕夜と若林はぴたっと口を閉じた。


「事情はだいたいわかった。今はとにかく〝美奈〟の回収のほうが先だ。おまえら、ロビーのほう行ってろ。ここじゃ通行の邪魔だ」


 夕夜たちを手で追い払いながら、正木は別方向へと歩きはじめた。


「正木博士? どこに行くんですか? まさか、心当たりでも?」


 あわてて夕夜が訊ねると、顔だけ振り返ってぼそりと答えた。


「サービス・カウンター」

「え?」


 正木は再び前に向き直り、ホテルのフロントを思わせるサービス・カウンターに行くと、そこにいる受付嬢――実はスリー・アール社製のロボットだ――と、一言二言言葉を交わした。と、受付嬢のそばにあった、場内アナウンス用のマイクを無造作につかんだ。


「美奈、聞いてたら即刻ロビーまで来い。でなきゃ帰るぞ」


 マイクに向かってそう言うと、正木は周囲の視線などまったく意に介さず、足早に若林たちのところへと戻ってきた。


「まだこの中にいるんなら、あれで戻ってくるだろ」


 あっけにとられている若林と夕夜に、正木はけろっとした顔で言った。


「そうでしょうか。それならいいんですが……」


 それでも不安そうに夕夜が言った、そのときだった。若林と同じように、しかし、今度は長い髪の女がこちらに向かって駆けてきた。その女を見たとたん、若林と夕夜は「あ……」と口を開きかけたが、正木はそれを見ている暇がなかった。


「まーちゃんッ!」


 そんな絶叫とともに、思いきりその女に抱きつかれたからである――




 名前やいつ完成したかは、夕夜から逐一聞かされていたので知っていた。だが、顔を見たのはこれが初めてだった。夕夜いわく〝白雪姫〟だそうだが、実際に見て納得した。

 波うつ漆黒の長い髪に、透けるような白い肌。美しい小さな顔に、細くて長い手足。

 今はごく普通の娘のように、ブラウスとロングスカートという服装をしているが(おそらく、夕夜の見立てだろう)、西洋のお姫様装束をさせたら、さぞかし様になるだろう。まあ、それはいい。もっかの問題は別にある。


「美奈ーッ! おまえ、俺を殺す気かーッ! もっと力ゆるめろーッ!」


 さしもの正木も、この馬鹿力の前では無力だった。本気で抵抗すれば逃れられるかもしれないが、まさか若林の作ったロボットを殴り倒すわけにもいかない。


「あ、ごめん」


 正木の声で我に返った美奈が、ぱっと彼から離れた。正木は安堵の溜め息をついて自分の胸に手をやった。どうやら折れてはいないようだ。


「でも、若ちゃんたらひどいのよ、夕夜をここに出したくなかったから私を作ったって言うのよ、どうせ私は夕夜の身代わりなのよ、間に合わせなのよ、ねえ、まーちゃん、ひどいでしょ? ひどいでしょ?」


 黙っていれば、夕夜よりも大人っぽい外見をしている美奈は、それこそ幼い子供のように正木に言いつのった。

 〝人形のような〟という表現が、まさにそのまま当てはまる美奈だが、その表情は人間の少女以上に豊かだ。そんな美奈を前に、正木は難しい顔をしていたが、ついに耐えきれなくなって口を開いた。


「美奈」

「なあに?」

「その……さっきから言ってる〝まーちゃん〟ってのは、もしかして俺のことか?」


 美奈は黒目がちの瞳を大きく見張った。


「そうよ。そうに決まってるじゃない。他に〝ま〟のつく人、ここにはいないでしょ?」

「じゃあ……」


 と、正木はこみあげてくる笑いを必死でこらえながら訊ねた。


「〝若ちゃん〟てのは、もしかして……」


 美奈は無言で前を指さした。そこには次に起こることを予期して覚悟を決めている若林がいた。


「〝若ちゃん〟!」


 美奈と同じように指をさして、正木は大笑いした。美奈は何がそれほどおかしいのか、よくわからないような顔をしている。


「正木博士……何もそんなに笑わなくても……」


 残念な男ではあるが、曲がりなりにも自分の生みの親である。夕夜は控えめに若林をかばった。


「だってよー、〝若ちゃん〟だぜ、〝若ちゃん〟! これが笑わずにいられるか! 斎藤の親父の〝若〟よりも笑えるぜ!」


 しかし、正木は腹を抱えて、ひーひー笑いつづけた。ちなみに〝斎藤の親父〟とは、二人の恩師である故斎藤さいとう寿一としかず教授のことである。

 正木の性格は若林も熟知している。彼はおかしければ遠慮なく笑いこけるのだ。こういうときは、正木が笑い飽きるまで黙って受け流す。それが正木とつきあううちに身につけた、若林の自衛策だった。

 だが、今は夕夜がいた。


「そういうあなたは、〝まーちゃん〟じゃないですか」


 冷然と夕夜に言われて、正木は笑うのをやめた。若林は夕夜に尊敬のまなざしを向けた。さすが〝人間型ロボットの最高傑作〟。正木相手でも容赦ない。


「こいつがそんなこと言うのも、おまえらの〝教育〟が悪かったせいじゃねえのか?」


 しかし、敵もさるもの引っかくもの、正木はすぐにそう切り返してきた。若林だったら、まず何も言い返せない。若林は今度は正木に感嘆の目を向けた。


「〝教育〟も何も、あなたにもらったプログラムを走らせて、できたデータベースを移植しただけですよ。起動したときにはもう、若林博士のこともあなたのことも、それに私のことまで知っていました。それで、若林博士は開口一番、〝若ちゃん〟って呼ばれたんです」

「あ、そう。ならしょうがねえな」


 あっさり正木は納得して、戸惑い顔で自分を見上げている美奈の肩に手を回した。


「ま、細かい話は若林の控室でしようぜ。ところで美奈、おまえ、今までどこに隠れてたんだ?」


 美奈はほっとしたように、にぱっと笑った。


「あのねー、女子トイレー。あそこなら若ちゃんたちは絶対入れないと思ってー」

「おお、賢いぞ、美奈」


 正木はふざけたように笑って、美奈の頭をくしゃくしゃにした。


「へっへっへーっ」


 およそ〝白雪姫〟らしくない笑い方をして、美奈はくすぐったそうに首をすくませた。


「じゃあ、賢い美奈ちゃんは、控室の場所もわかるなー?」

「うん、わかるわかる。こっちー!」


 美奈は正木の腕をつかむと、突然走り出した。


「美奈、おまえ、少しは力の加減ってものをしろよ」


 などと言いながら、正木も美奈に合わせて走っていく。そんな二人の後ろ姿を、若林と夕夜はしばらく茫然と見送っていた。


「さすが正木博士。あんなふうでも人扱いはうまいですね」


 称賛とも嫌味ともつかない調子で、夕夜は隣の若林に囁いた。


「うーん。それに、あいつは女好きだからなー。大学にいた頃も、よく女の子とベタベタしてたっけ。でも、正木だとそれが全然いやらしく見えないんだよな。あれはいったい何なんだろう。人徳かな」


 ――単に、で女の子が好きなわけではないからですよ。

 腕を組んでしきりと感心している若林に、夕夜はよっぽどそう言ってやりたかったが、じゃあどういう意味でと訊かれたら、他の余計なこともしゃべらなければならないことになりそうだったのでやめた。そういう話は、やはり本人の口からするべきだと思う。


「ええと、とにかく、正木博士が言ってたように、一度控室に戻りましょう。鍵はオートロックでしょう? じゃあ、私たちも行かないと」

「あ、ああ……そうだな」


 夕夜にうながされて、若林も歩き出す。と、場内アナウンスがコンテストの開会を告げた。


(本当は、正木博士と一緒に見たかったんだけどな)


 アナウンスを聞きながら夕夜は思った。ロビーにいた人々も、次々と扉の向こうへと消えていく。


(でも、この場合はしょうがないか。今日の主役は美奈なんだし)


 我知らず、夕夜は溜め息をついた。なぜかはわからないが、気分が悪い。面白くない。こんな気持ちになったのは、生まれて初めてだった。


「さ、急ぎましょう」


 それを振り切るように、夕夜は足を速めた。


「あ、ああ……」


 突然不機嫌になった夕夜を訝しみながらも、若林は小走りで彼の後を追った。

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