09 出品者専用控室

「ぜーったい嫌よ!」


 というのが、美奈の終始一貫した回答だった。


「そんなこと言わないで、頼む! 出るだけでも出てくれ! おまえは何にもしなくていいから!」


 一方、それに対する若林の対応も変わらない。自分が作ったロボットだというのに拝み倒している。そんな二人を、正木と夕夜は半ば呆れて眺めていた。

 日本で唯一、ロボットコンテスト専用のホールを持つスリー・アールは、そのホールの中に出品者専用の控室(しかも個室)も用意している。秘密主義者の多いロボット製作者にとっては、実にありがたい心遣いと言えよう。

 控室は八畳ほどの広さで、まるでビジネス・ホテルの一室を思わせた。出品者のプライバシーを守るためか、窓は一つもなく、壁は防音となっている。部屋の奥には作業台がわりのベッドと、コンテストの進行状況を知らせるテレビとがあったが、この控室ではどちらも今は使われていなかった。

 部屋の中央には、簡素だが丈夫そうな木製の丸テーブルが置いてあり、四人はそこで話をしていた。もっとも、話しているのはまだそのうちの二人だけだったが。


「やっぱり、私が出ましょうか?」


 その二人に聞こえないよう、夕夜は隣の正木に耳打ちした。


「無理だ無理無理。若林が承知しねえよ。それに、おまえじゃ反則だ」


 正木はそう囁き返した。


「反則? 何が?」

「おまえは俺のあのプログラムを使ってねえだろうが」

「ああ、あれね」


 うなずきながら、夕夜は天井を仰いだ。


「同じようなものじゃないですか」

「それをどうやって川路に説明するよ?」

「もう、めんどくさいなあ」


 心底嫌になって夕夜は眉をひそめた。


「いっそこのまま棄権しちゃったらどうです? この際、川路博士に暴露されてもかまわないじゃないですか。後であなたが説明すれば」

「それは最後の手段だ」


 正木は椅子の背にもたれて、両腕を組んだ。


「美奈がどうしても出たくないってんなら、そうするしかねえだろ。ま、なるようにしかならねえわな」

「そんなあ! 何とか美奈を説得してくださいよ!」

「説得ったってなあ。――おい、美奈」


 ふくれっ面をしていた美奈は、すぐに笑顔になって正木に向き直った。会ったばかりなのに、彼女は妙に正木に懐いている。


「なあに? まーちゃん!」

「おまえよ、何でコンテストに出たくないんだ?」


 そう問われると、見る間に美奈の顔が不機嫌にかきくもった。


「別に、コンテストに出たくないわけじゃないわよ」


 正木は意外そうな顔になって、美奈に身を乗り出した。


「でもおまえ、出たくないって言ってるだろうが」

「私が言ってるのはそんなことじゃないの!」


 美奈はじれったそうに両手の拳を握りしめた。


「夕夜よ! 夕夜がいるのに、何で夕夜を出さないのよ! 結局、私より夕夜のほうが大事ってことじゃない! どうせ私は夕夜の身代わりで、このコンテストが終わったら用なしなんでしょ? 私はそれが悔しいのよ!」


 すごい、と夕夜は思ってしまった。

 いまだかつて、これほど感情豊かなロボットを見たことがない。

 肌が紅潮したり、目に涙が浮かんだりすれば、まったく人間の娘にしか見えないだろう。いや、今でも充分そのように見える。


「そ、そんなことはないぞ、美奈」


 あわてて若林が口を挟んだ。


「確かにおまえは今日のコンテストに出すために作った。でも、コンテストが終わったら用なしなんて、俺は全然考えてない。最初から正木のプログラムがもらえるとわかっていたら、おまえも夕夜と同じようにコンテストに出そうとは思わなかった。今も本当は出したくない。でも、ここで棄権したら、正木に迷惑がかかるんだ。元はといえば俺がみんな悪いんだが、ここは一つ、正木のためだと思って、出るだけでも出てくれ。美奈、頼む!」

「若林……」


 じーん。

 こういうとき、この男に惚れていてよかったと心の底から思う。逆に言えば、こういうときにしか正木は報われない。

 一方、そんな正木を横目に、夕夜は必死で笑いを噛み殺していた。正木の内心など、夕夜には手に取るようにわかる。


「わ……わかったわよ」


 若林の勢いに気おされたのか、美奈はぎごちなくうなずいた。


「そういうことなら、出るだけは出るわよ。でも、ほんとに出るだけだからね。優勝できなくっても、私のせいにしたりしないでよ?」

「それはもう、責任は全部俺がとるから。あ……でも、正木」

「え?」


 まださっきの余韻に浸っていた正木は――何しろそういう機会はめったにない――いきなり若林に名前を呼ばれて、はっと我に返った。


「いや、今になって急に思い出したんだけど……、おまえの名前を出してもいいのか?」

「俺の名前? 何で?」


 とっさにそう答えたが、それに対して若林が言う前に正木は気がついた。


「ああ、美奈のプログラムか。俺はどっちでもいいよ。おまえが言いたければ言えばいい」

「そうか。じゃ、言うからな」


 若林は嬉しそうに顔をほころばせた。たぶん、本当に嬉しいのだろうが、正木は遠回しに責められているような気分になった。


「そりゃかまわねえけど、川路の野郎がおまえの前に何て言うかな。ま、ケース・バイ・ケースで、適当にしゃべんな」

「適当にか? うーん……まあ、何とかおまえにこれ以上迷惑をかけないようにするよ」


 自分の頬を掻きながら、若林は注意深く答えた。

 確かに今回の事態を招いたのは若林の不注意と短慮である。しかし、そんなに恐縮しなくてもいいのにと内心正木は思うのである。もうけっこう長いつきあいになるのに、いまだに若林は水くさい。そこがいいと言えばいいのだが、やはり正木には物足りない。今回のことも夕夜に言われなければ知らずに終わっていたことだろう。


「だったらさ」


 と言ったのは、若林と正木の顔を見比べていた美奈だった。


「いっそのこと、まーちゃんもコンテストに出たら?」


 正木は思わずテーブルに突っ伏した。


「何で俺が!」

「だって、まーちゃんが自分でプログラム作りましたって言ったほうが、面倒なくていいじゃない」


 自分の名案にケチをつけるなと言わんばかりに、美奈は赤い唇をとがらせる。


「そりゃまあ、そうだが……」


 正木はテーブルに頬杖をついて、自分の額に手をやった。

 それは確かにそうなのだが、正木には抵抗がある。コンテスト嫌いというのもあるのだが、それより何より――恥ずかしい。

 プログラムを提供しただけだったから、それまで考えもしなかったのだが、一応美奈は若林との共同製作(合作?)ということになるだろう。それを公衆の面前で、しかもスリー・アールのコンテストで発表する。これは恥ずかしい。どうして恥ずかしいのか、その理由を頭の中で言語化するのも恥ずかしい。

 しかし、〝恥ずかしい〟と口にするのもまた恥ずかしい。正木は悩んだあげく、


「あんまり人に顔知られたくないんだ。動きづらくなるから」


 と答えた。これもまあ嘘ではない。


「いいよ。おまえは出なくても。俺がみんな悪いんだから。後は俺一人で何とかするよ」


 実は赤くなった顔を隠していただけの正木に、若林がすまなそうに言った。彼は単純に、正木の言葉を信じているのだろう。


「ちぇっ、つまんないの」


 見るからにつまらなそうな顔をして、美奈はそっぽを向いた。外見はとてもよろしいのに、言葉遣いはあまりよろしくない。


「でも、よりはいいよ」


 言ってしまってから、しまったと夕夜は思った。美奈をはじめ一同が、驚いたような視線を自分に向けている。


「僕よりはいいって? それに、夕夜が〝僕〟なんて言ったの、初めて聞いたー」


 目をぱちくりさせて、美奈が無邪気にそう訊ねてくる。だが、正木と若林は、後ろめたそうに互いの顔を見合わせていた。


「いや、その……」


 さすがの夕夜も返答に困った。言えるわけがない。他人に真実を公表してもらえる美奈が羨ましいだなんて。すねていたから、つい〝僕〟と言ってしまっただなんて。


「何でもないよ。何でもないんだ」


 美奈は何も悪くない。結局、そう言ってごまかすことしかできなかった。


「そう?」


 美奈は不審そうに首をかしげて、じっと夕夜を見つめた。


「それならいいけど……でも、私は夕夜のこと、恨んでないからね。夕夜は何にも悪くないもん。悪いのは若ちゃんだもん。だから私のこと、嫌いにならないでね?」


 ――〝妹〟。

 今回のことがなければ、永遠に存在しなかったかもしれない、〝妹〟。

 もしかしたら、この〝妹〟は、自分が思っている以上に聡いのかもしれない。

 もしかしたら、この世で唯一の、自分の〝同志〟になりうるのかもしれない。


「嫌いになんかならないよ」


 確かに、自分の感情に正直な美奈が羨ましいけれど。正木に自分よりも可愛がられている美奈が妬ましいけれど。


「美奈は僕の、たった一人の〝兄弟〟だもの。美奈だけが、僕とだよ」


 夕夜がそう言ったときだった。四人のいる控室のドアがノックされた。


「あれ、もう時間?」


 美奈が上半身を反らせてドアのほうを振り返った。他も同様である。


「いや、時間になったら、そこのインターホンで知らせてくるはずだから……誰かな?」


 そう言いながら、若林が立ち上がってドアを開けた。


「はい、どちらさまですか?」


 ドアの向こうに立っていたのは、すらりとした青年だった。若林ほどではないが、背の高い範疇に入る。顔立ちは涼しげで、非常に端整なのだが、まるで能面のように表情がなかった。


「若林教授ですか?」


 表情と同じく、感情というものが感じられない声で、青年はそう訊ねてきた。


「はあ、そうですが……どちらさまで?」


 青年はしばらく黙った。顔は無表情のままである。


「〝彰〟です」

「はあ……どちらの?」

「もう、かったるいわね」


 これは言葉どおり苛立った、若い女の声だった。


「こいつが若林なら、殺しちまえばいいじゃないの」

あや


 青年がそう呟いて、自分の横を見たとき。

 若林にはナイフの鋭い刃が迫っていた。

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