第3話

 都心から少し離れた、しかし下町よりはもう少し都会よりといった街の、人通りが昼間でも絶えない二車線道路に面している一画に、これまたそれほど古くはないが入りづらい雑居ビルがある。

 手入れをそれほどしていないのか、長い蔦が5、6本ほど壁を伝い上へと登っている。

 その雑居ビルの4階に、「便利屋」と書かれたプレートが下がっている扉の向こう、今時どこに売っているのか小さく古いブラウン管のテレビから、朝(とはいえ、昼に近い)のニュースが細々とした音で流れていた。

「ねぇ、この前そこで鋸山のこぎり持った男が暴れたらしいね。男性二人が軽症、女子高校生が一名巻き込まれたって。学生時代に受けたいじめを復讐しようとしたらしい。」

 短髪で背が低い男が、コーヒーを飲みながら新聞とテレビを交互に見ている。

 見た目は学生と言った方がしっくりくるが、髪だけをみるとそれなりの年齢を感じさせる灰色だった。

「あー……。」

 もうすでに陽の光がそれなりの高さにあるというのに、ジャージを着た癖っ毛の男はソファに寝転がりまだ眠たそうにしている。

「クゼ、いい加減に起きろ。今仕事はないけど、食い扶持は稼いでもらわないと。」

 言いながら、銀縁の細い眼鏡をかける。

 短髪で灰色の髪、端整な顔立ちのうえ眼鏡をかけると随分と冷たい印象がある。

「いや、そんなことそーいやあったなー、と思ってよ。そっかぁ。あの子巻き込まれただけだったかー。」

 うんうん。と納得したように頷く。

「ちょっとまて、それ依頼か?まさかまた無償で助けたのか!」

 ガタリと音を立てて椅子から立ち上がる。アンティークのようなテーブルに乗っているコーヒーカップが少し揺れた。

「しかたないだろっ。だって襲われてんだぜ!?ほっとけるわけねぇって。」

 はあーっ、と大袈裟にため息を吐き、眼鏡のつるを触る短髪。

「クゼ、いい加減にしろ。誰も彼も救えるわけじゃない。神様だってそんなことはできないんだ。僕達は人間じゃないが、人より遥かに優れてるわけでもない。むしろ、劣っていると言っていい。確かに、生まれてから人の一生を超えるくらいの時間でそれなりの知識を身につけたとは思うし、君はきっとオリンピックで金メダルを取るようなプロレスラーにも空手の選手にも負けないだろう。それでもっ!」

 冷たく見える顔は、どこか泣きそうだった。

「……死ぬときは、しぬんだよ。」

 ブラウン管のテレビから、淡々とした女性のアナウンサーが聴こえる。

 地方イベントの様子を伝えるため、現地のアナウンサーに変わると、お祭りのような騒ぎが遠くにきこえてきた。

「わるかった……。」

 でも、と続けそうになった言葉をクゼは飲み込み、眠気を払うように軽く首を振る。

「わーるかったって。次は気をつける。」

 勢いをつけてソファから起き上がると、新聞を手に取り先程の記事を読む。

 どうやらあの女子高生はクゼのことを話さなかったらしい。それとも、死人が出ない事件にそれほど構ってはいられないということだろうか。

「なぁクルス、特に仕事はないって言ってたけど、今日はどーすんだ?」

「食べ物を買いに行こう。車出してくれ。あとは、もう五月だし服でも買いに行くか。」

 眼鏡の具合が悪いらしく、舌打ちしながら何度もかけ直している。

「その眼鏡変えたらどーだ?近頃は安いのもあんだろ?」

「……この眼鏡のツルが曲がったの、お前のせいだけどな。」

 凶悪なまでに表情が歪んでいるのを見て、クゼは思わずたじろぐ。クルスのこめかみには血管がはっきりと浮き出ているように見えた。

(眼鏡一つでそんなに怒るかなぁ……。)

「……すまん。車出してくるから下で待っててくれ。」

 朝から謝ってばかりだな。そう思いながら部屋の隅に置かれた椅子を見る。さっきクルスが座っていたのとは別の椅子だ。

 ずっと座っていても疲れないような、古いが立派な椅子に深々と腰掛けている彼女。

 腰まで垂れた真っ白な髪、焦点の合わない大きく伏せがちな目、ドレスを着ているせいで良くできた人形の様に見える。いや、たとえ普通の服を着ていたところで、全く動かないそれは人形でしかない。

(あいつがあーなってから、クルスは何かに怯えてるように見える。)

 同じように舌打ちしたい気分になりながら、少し乱暴に部屋の扉を閉めた。


 窓から射す柔らかい光に、彼女は瞳だけゆっくりと動かした。

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