第2話こうして

ここに来たのはいつからだったのか。

思い出せない。

今は何時、何分…分からない。

何月何日か分からない…その時点で私を見ているであろう誰彼は、私を侮蔑するだろう。笑ってくれ。嘲笑してくれ。私はこうして息を吸い、心の臓をドクドクと脈打たせている蝋人形。面白いことに私は心臓を動かすこともできるし、手を動かすこともできるのだ。思考はある。ただ…ここへ来た経緯だけが、思い出せない。最後に見たのは、私の部屋。つまり、ここは私の部屋ではないのだ。初めてこの景色を見た瞬間思ったのは


「拉致られた」


出るのは恐怖心と疑心。

疑心にも2つあり、私をここへ連れてきたものへ向けたものと、私は自分でここへ来たのかと思う自分へ向けたもの。その2つが妙にどうともつかない所を行ったり来たりするのです。どうともつかない所を…はい。


「行ったり来たりするのです」


私は寝る間も惜しんで考える。

この空間に私一人がいることに。




「すみません、朝北さん」


私の名前は朝北…?


「はい」


「あぁ、よかった。いらっしゃったんですね。山寺です。」


私は山寺を観察した。彼の見た目からして大学生だろう。大きめのリュックに、パソコン用のトートバッグを抱えている。しかし、パソコンが重いのか、トートバッグはどこかくたびれて見える。


「山寺さん。お久しぶりです。」


流れるように会話が成り立つ。私は夢を見ているのだ。


「この間まで、沖縄へ行ってて…。先日の、青森のお土産のお礼です。」


「どうも。」


「では、失礼します。」


ゆっくりと扉は閉まる。それとは裏腹にどこか突拍子もない急な展開に、戸惑いを隠せない。その扉が最後に落ち着くガチャリという音を立てる前に私は何か手がかりを掴もうと、山寺を呼んでみた。しかし彼は私の声が届いていないかのように、廊下を歩いて行く。


山寺…


私は心の中で初めて会った大学の青年を、頭の中で静かに書き込んだ。

ここは、私の一室だ。戻ってきたのだ。私は夢を見ていたのか。しかし、私の居たあの空間は確かに実在したものだった。あれを夢と片付けてしまえば、今ここにいる方が夢と思った方が簡単なのだ。じんわりと湿った部屋には、さっきまでの朧げな空間の姿形もない。胸の高鳴りと、どこか待ちきれない焦燥感が私を支配する。ゆったりとした音楽の中、視覚からとても気になる対象が現れては消えてゆく。その繰り返しなのだ。つまり、私が見ているこの景色もさっきまで見ていた景色も、夢とも現実ともつかないものなのだ。私はただ、それらを夢と認識し、現実と認識したがっているだけなのだ。


私は、もう動かなくなった自分の体を、すでに光を失った目を使って見ようとした。そして、頭の中で、私の幸せな呪文を反芻する。


ー頭の中の想像は、世界を作ることができるのだ。ー




そう、彼は戦争の犠牲者で、植物人間にされてしまった哀れな人間だった。運の良いことなのか、悪いことなのか、彼は意識を取り戻したが筋肉が全壊してしまったせいで、口も目も動かすことができない蝋人形なのだ。




さて、私はまた、先ほどの部屋に戻ってきた。

整理しよう。私がどうしてここにこうしているのか、整理しよう。どうして私がここに来たのか。





ー完ー


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哀れな蝋人形 ママロット @masatovolcom

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