第六章 3 朝焼けの凶弾

 小天守の最上階から、ボコイに薩磨サツマ軍への合図の花火を打ち上げさせると、おいらとワガハイはリョウマのいる部屋へもどった。

 ちゃんと客あつかいされて布団も敷かれているが、とても落ち着いて寝られる気分ではなかった。


「どうして薩磨軍を熊元城クマモトジョウに入れることが〝大逆転の方法〟ってことになるんじゃ? それに、タニがどうして素直に熊元城を明け渡すことに同意したんじゃ?」

 おいらには、その理屈がいまいちよくわからなかった。


「それはなあ、まず薩磨側の事情じゃ。政府軍の本隊が、太原坂タバルザカを越えて熊元の市街になだれ込んでくる。すると、ただでさえ押され気味の薩磨軍は、熊元城の政府軍との挟み撃ちにあうことになる。さらに、真っ平らな市街戦では物量、兵員ともに劣る薩磨の不利は明らかじゃ。だが、熊元城に立てこもることができれば話は別じゃ。攻撃を二手に分ける必要がなくなるばかりか、何倍もの軍勢が押し寄せてきても、対等に戦いをつづけることが可能になるんじゃ」

「ふーん、そうか。なるほどな……」

 おいらにも少しはわかってきた。


「その一方で、谿タニら籠城軍は、薩磨を引きつけ、本州に進撃させないようにせよと命令され、今まで必死に熊元城を守りつづけてきたわけじゃ。ところが、救援に来たはずの本隊のもくろみは、籠城軍を犠牲にして、熊元城もろとも薩磨を葬り去ろうということだとわかった。これは明白な裏切りじゃ。爆発物が仕掛けられた危険な城に、もはやこれ以上とどまる理由はない。だから退去する……理屈は合っとるじゃろ?」


 ワガハイは、生意気に腕組みなんかして考えこんだ。

「籠城軍が出ていって、空き家になった城に薩磨軍が入る……といえば、なるほどと思うけど、門が開けばすぐに薩磨軍が押し寄せてくるだろうし、退去するにはそこを突破しなけりゃならないんだぜ。いくらお互いの目的がうまく合致していたって、もともと敵同士なんだ。そんなにすんなりといくかなあ……」


 そこへ、天井板がそっと外され、ニンジャ装束のヒジカタが音もなく降りてきた。

「どうじゃ、残りは見つかったか?」

 リョウマが声をひそめて問いかけると、ヒジカタは無念そうに首を振った。

「最後のひとつがどうしても……」


 爆発物のことだ。

 ヒジカタはあの後も探索にかかりきりで、今日は政府軍の兵士に化けたりして昼間もそれをつづけていたのだ。

「しかたないのう。爆発物の個数については、谿にだけ耳打ちしてあるが、あといくつ隠されているかわからんほうが、正当な退去の理由になるし、城内の統一と緊張感を保つにはかえって都合がいいといっちょった。わしもそう思う」


「薩磨軍が入城するまでは、爆発させる意味はないわけですしね」

「そのことじゃ。城側との交渉はまとまり、たった今そのことを薩磨軍に知らせる合図もした。しかし、爆発物が残っていることは、薩磨のほうでもうすうす予想していよう。そのことを含めて、わしの計画全体を薩磨軍をおとしいれるためのワナだと疑う連中が、かならずいるはずじゃ。今ごろ、桐乃キリノ武良田ムラタがいい合いになっちょるかもしれん」


「それに、西豪サイゴウは、その計画に賛成したっていうより、黙って龍馬の話を聞いていただけなんだろ?」

 おいらがいうと、リョウマはいらだたしそうに貧乏ゆすりしながらいった。

「薩磨の陣営にもう一度念を押しに行きたいもんじゃが、それもかなわん。わしらは人質ではないが、谿らにとってみれば、薩磨がわしのいうたとおりに行動するっちゅう約束手形のような存在じゃからな。ここを離れるわけにはいかん。もはやすべてがわしらの手を離れてしもうたんじゃ。成り行きを見守るしかない――」

 リョウマは布団の上にバタンと大の字になり、天井をにらみつけた。



 夜明け前に、タニが自分で提灯を手にして迎えにきた。

 リョウマへの親近感もあるのだろうが、おいらたちの身柄を他人まかせにできないという責任感も、そのたくましい背中から感じられた。

 ほとんど眠れなかったおいらたちは、フラつく足取りで複雑に折れ曲がる城の通路を通り抜け、高い櫓のひとつに案内されていった。


 待つ間もなく空が白みはじめた。

 ああ、あちらが東かと見当がつくと、眼下に見える樹木でおおわれていないところが、広大な城の南端であることがわかってきた。

「薩磨はこっちから来るのか?」

 おいらはだれにともなくたずねた。

 政府軍は北方から城下に迫っているのだから、薩磨軍はそれに向かって布陣しているはずだし、城門はそちら側にもあったはずだ。


 タニがいった。

「確信はありませんが、彼らの性格から考えて、正面から堂々と入城しようとするはずです。熊元城の正門である大手門は、こちらなのですから」


 南側には北から流れてきた川が蛇行し、城の外濠となっている。

 そこに細い橋がかかっていて、街並との間をつないでいた。

 大軍をいっぺんに渡らせないための工夫だろう。

 そして、渡りきってからも、深い濠と斜面にはさまれたむき出しの長い坂を登らなければならない。

 濠のこちら側には高い石垣の上に塀がつづいており、銃をかまえた兵士がズラリと配置されている。

 城に侵入しようとするなら、いちばん困難な場所にちがいない。


「お、あれは……」

 リョウマが小さく声を上げた。


 大地にとどこおっていた闇がしだいに薄らいでいき、建物の形がようやく見分けられるようになった。

 すると、川岸にそって低い立木のようにびっしりと並んでいるものが、すべて人影であることがわかってきた。

 そう思って見て行くと、人の群れは川沿いばかりか横丁にもあふれ、通りという通りを埋めつくしている。


「薩磨軍じゃ。約束どおり、やって来おった」

 黙りこくってこちらを見上げている無数の男たちは、劣勢に立たされたあげく、進退に窮してしぶしぶ敵の城を頼って来た者たちにはとても見えなかった。

 彼らの不ぞろいな服装は、かえって精強さと強い個性を主張しているかに見えたし、手にするまちまちな武器は、その使い手一人ひとりの確かな技量を示しているように思える。

 ただ一つ共通の装いである白い鉢巻は、残るほの暗さの中にくっきりと浮かび上がり、統一された意志とその強さをなにより印象づけた。

 彼らが総がかりで城に攻め寄せてくれば、姑息な取引や事前の取り決めなど問答無用に蹴散らして、そのまま怒涛のように城内になだれ込んできそうだった。


 やがて最初の陽光が街の上に射しかかったとき、戦いの開始を告げるような大砲の音がたてつづけに轟いた。

「あれは反対の北側からです。政府軍とすれば、まさか薩磨軍が街のあちら側をあっさり放棄してしまっていようとは思ってもいないでしょう」

 タニは落ち着いた声でいった。


 その方向には高い石垣と天守閣、小天守などが建ちならび、様子をうかがい知ることができない。

 でも、きのうの時点では、市街に政府軍の影はまったくなかったから、あの号砲が熊元への進撃の合図ということになるのだろう。

「やつらは、空っぽのうす気味悪い街の中をじわじわ進んでくるしかあるまい」

 邪魔者はいない、とリョウマはいいたいのだろう。

「あとは、薩磨がわしのいったとおりに動いてくれるかどうか、じゃ。それと、城側がそれに対応して整然と迎え入れてくれるかどうか――」

 後のほうの言葉は、タニに向けられたも同然だったが、タニは返事もしなければうなずきもしなかった。


 薩磨軍は、三列ほどの縦隊になって橋を渡りはじめた。

 石垣の上から狙われているのは承知しているはずなのに、だれもがためらいのない足取りで、こちらに眼を向けようともしていない。

 先頭が、ちょうどおいらたちがいる櫓の正面のあたりにさしかかったときだった。


 パーン――


 緊張感に満ちた静寂を破って、一発の乾いた銃声が轟いた。

 おいらは全身がブルッと震えるほどの衝撃を受け、さらに二発の射撃音がたてつづけに聞こえた。


 薩磨の隊列がゆらりと揺れたと思うと、一人がひざを折って倒れ、別の一人が腕をおさえて苦痛のうめき声を発した。

 行進は急停止し、剣を抜き放つ音や怒号が飛びかい、怒りに満ちた多くの顔がこちらに向けられた。


「しまった! なんちゅうバカなことを……」

 リョウマが声を上げ、タニは苦々しげに唇を噛んだ。

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