第四章 3 暗殺の首謀者

「われわれが恐れたのは、まさにあなたのそういう無欲さなのだ。権力はもちろん、財力も、家臣も、領地も、後ろ盾もない。あるのは高い理想と、民を公平に見て分けへだてしない心と、世の流れを鋭敏につかむ眼力のみ。だからこそ、どの党派にもかたよらず、だれにも影響されない。そのような人物にならすべてをゆだねていいのではないか――と、そう考えはじめた者がどの勢力の中にもたしかに存在した」


 カツラは確信のこもった声でいい切った。


「そりゃ、買いかぶりってもんじゃ。本人のわしでさえ、そんなことはチラとも考えたことがないっちゅうのに……」

「いや、そもそもわたし自身が、その可能性を考えた一人だったのだからまちがいない。王家を代表する岩蔵イワクラ具視トモミもそうだった。そして、大政奉還で一命をとりとめた格好の幕府の総帥、将軍徳河トクガワ慶喜ヨシノブまでもが、同じように考えているという話が伝わってきた」


「なんと、将軍までが!」

「そうなのだ。名ばかりとはいえ今や大政の権を握る王家と、政権を返上したとはいえ最大勢力を保持する幕府の長が意見を同じくし、接近をはかれば、とたんにそれは現実味を帯びた話になってくる」


「まさか、そんな……」

「王家が勅命をもってその人物を指名し、幕府がそれを全面的に支持したとしたらどうだ? 事実上、もはやだれ一人反対の声を上げることができなくなるのだ」


「そ、それじゃ、リョウマが日ノ本ヒノモトのプライム・ミニスターとか、プレジデントになるところだったってことかい?」

 おいらが思わずイグランド語でいうと、横で聞いていたワガハイもすっとんきょうな声を上げた。

「すごいや。もしそうなってたら、日ノ本はもっとずっとましな国になってたかもしれないんだな!」


 だが、リョウマはフンと鼻を鳴らして面白くもなさそうにいった。

「べこのかあをいうな。そんな名ばかりの役職に祭り上げられたって、思うようなことは何ひとつできん。どうせすぐに寄ってたかってつぶされたにきまっちょる」


 カツラもそれをあっさり認めた。

「あの連中は、たかが脱藩浪人一人くらい、思うがままにあやつれると思っていたことだろう。都合の悪いことだけ押しつけ、用済みになれば放り出すだけのことだ、と」


「やつらとすれば、薩潮サッチョウが突出しようとするのを抑え込めさえすればいいわけじゃからな。わしはとんだ操り人形にされるところじゃったのか……」

 苦々しげにいうリョウマに、カツラはうなずいてつづけた。

「しかし、薩潮にとって、それはまちがいなく道を閉ざされるに等しい大打撃となる。わたしはあわててキョウの都の某所に西豪サイゴウ大久穂オオクボの二人を呼んで密会した。その席上、西豪は腕組みして『坂元サカモトさんにはしばらく姿を隠してもらうしかなか』とうめくようにいい、大久穂が『では、私が心当たりをあたってみよう』といった。二人の言葉が何を意味しているのか、わたしにはうすうすわかっていた。それを承知で、わたしは黙ってうなずいたのだ。坂元さんの暗殺事件が起こったのは、その三日後のことだった」


 なんてことだろう。

 リョウマの暗殺をたくらんだのは、サイゴウとオオクボ、そしてカツラの三人だったのだ!


 リョウマは細い眼をいっぱいに見開き、何かいいたそうにカツラの横顔を見つめたが、またすぐうっすらモヤったうららかな春の海のほうへ黙ったまま視線をもどした。


 カツラもまた元の沈んだ声になってつづけた。

盟治維新メイジイシン以来……いや、あなたの理想を踏みにじって倒幕戦争に突入させた『王政復古』の大号令以来、われわれはずっと迷走してきた。あの宣言は、われわれが強引に……西洋でいうクーデターを起こして王家を恫喝するようにして出させたものだった。しかも、それを実現させるために、われわれは大切な同志であり、恩人であり、手本ともすべき自由の精神の体現者まで葬り去った。貴重な水先案内人を乗せずに、日ノ本はまちがった方向に船出してしまった。そのあやまちのツケがどんどん大きくなっていったのだ。ここに坂元龍馬がいてくれたらと、わたしは何度悔やんだことか……」


「なあ、葛連カツラさん」

 リョウマは、やわらかくさとすように呼びかけた。

「やっぱりそれは、過ぎたことじゃ。一度書かれた歴史は元にはもどせん。わしらはつねに、今いるこの場所から出発するしかないんじゃ」


「龍馬さん――」

 カツラがリョウマを見た。

 涙がその両眼にいっぱいたまっていた。


 そのとき、おいらたちの背後でガサガサと灌木が音をたてた。

 ふり返ると、数人の男が繁みをかき分けて姿を現すところだった。

 先頭の着流しの男は、さらりとした長い髪を海風になびかせている。

「残念だが、どこにも出発できないよ、坂元さん。ここがあんたの墓場になるんだ」


「オキタ!」

 おいらがその名を叫ぶと、初めて会うワガハイがエッと驚きの声を上げた。

「てことは、し、新殲組シンセングミの……?」


「ほう、おれの名はガキにまで知られていたか。光栄なことだが、今は世を忍ぶ暗殺者の身でな。正体がバレたからには、三人とも死んでもらうしかない」

 オキタが、呪いの言葉をとなえるような押し殺した声でいった。


 昏闇坂クラヤミザカのときの不気味さとはまたちがって、生き霊のような凄絶さは、むしろ明るい光のもとで見るほうが恐ろしいぐらいだった!

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