第三章 4 世界初のパイロット?
そして――
おいらにも、ついに出発の時が来た。
その日、ヒジカタが、おいらと似た背格好の女の子を身代わりに連れて先に外出し、監視の眼をそちらに引きつけてくれた。
そのすきに、おいらはこっそり地下通路を抜け、ボコイと着替えを入れた風呂敷をかかえてギエモンさんの工房へと急いだ。
「よう来た。いよいよあんたの出番やな」
そういって、ギエモンさんが迎えてくれた。
おいらはギエモンさんの手を引っぱり、貨物用馬車の荷台によじ登った。
ギエモンさんが用意してくれただけあって、コモ包みの荷物の間につくられた隠れ場所は小さな部屋のように居心地よかった。
馬車はゆっくり走りだし、気がついたときには
おいらとギエモンさんはコタツをはさんで向かい合い、のんきにミカンなどを食べながら揺られていった。
幌を外した頭上には、雲ひとつない冬晴れの空がのぞけた。
道はしだいに登りになり、二日の旅程で山深い里に着いた。
「ほら、あればい」
ギエモンさんが指さすほうを見上げると、スギ木立ちにおおわれた山の間に、白い点のようなものが浮かんでいた。
その物体は、夕焼けに染まる空に八の字を描いたりしながら優雅に舞っている。
だんだんと地上に近づいてくるにつれ、それが羽を広げたトンボか鳥のような形をしていることがわかった。
最後は段々田んぼの上をかすめるように飛んできて、おいらたちが立っているすぐ前をビュッと風を切って通り過ぎ、一〇〇メートルくらい先に着地した。
そこに駆けつけてみて驚いた。
物体の中からはい出してきたのは、なんと久しぶりに見るワガハイだったのだ!
「お、おまえ、何してるんだ?」
「きまってるだろ、わが輩がこの飛翔器を操縦していたんだ」
ワガハイは、大きなガラスが入った風よけ用のメガネをずり上げ、得意そうにいった。
「ウソだろ!」
反射的にそういったものの、ワガハイが乗っていた場所をのぞいてみると、何だかさっぱりわからない計器だとか操作用の棒のようなものがいっぱい並んでいた。
「なかなか上達したやんか、キンちゃん」
ギエモンさんにほめられ、ワガハイは満面の笑みを浮かべたが、背中を叩かれると「イテテテ」とうめいて顔をしかめた。
「キンちゃんの身体は、熱い風呂に入れないくらいアザだらけなんだよ。最初は怖がって泣きわめくんで、乗せるだけでも大変だったな。飛んでいる最中にあぶない場面になると、何度ションベンをひっかけられたことか」
同乗していた技術者の青年が、ニヤニヤ笑いながらいった。
ギエモンさんが片腕と頼りにしている大吉という弟子で、おいらもすっかり顔なじみになっている。
「そ、それは秘密にするって約束だろ!」
「いやいや。キンちゃんは、人間は努力しだいでいくらでも進歩できるということば身をもって実証した。そして、まちがいなく世界初の空飛ぶ乗り物の操縦士になったとよ」
ギエモンさんがいうと、ワガハイは顔を真っ赤にして涙ぐみ、誇らしげに胸をそらした。
「翼ば背負って崖からふわりと宙に浮かんだくらいの者なら、今までにも何人かいよう。そのうち、キンちゃんが飛んだ距離ば楽々と超える者も出てくることやろう。ばってん、曲がりなりにもちゃんと飛行術ば最初に極めた者はなにより尊か。数十年もすれば、電気か石油燃料の発動機を積んで、楽々と安全に、しかも長距離ば飛ぶ飛行機械ができるかもしれんが、おいたちには悠長に待っている時間はないけんのう」
いいながら、ギエモンさんは荷馬車では登れない森の中の小道を案内していった。
秘密の工房は、木が切りはらわれた斜面の横に建っていた。
斜面は飛翔器が滑走するためのものだとすぐにわかったが、なんと工房の外に壊れた器体が山と積まれていた。
「キンちゃんの名誉のためにいっとくが、こいつが壊したのは半分くらいだ。残りは器体に不具合があったか、こっちの不手際で事故が起きたやつさ」
ダイキチがまたおいらに説明してくれた。
「笑うんじゃない。こんどは、おまえのせいでいくつ壊れるか知れやしないんだぞ」
ワガハイは、まじめな顔でおいらに警告した。
たしかにそのとおりだ。
正直いって、おいらは、強い力でねじれたりボッキリ折れたりしている器体の残骸を見て、足がすくむ思いがした。
翌朝から、ギエモンさんが見守る中で練習が始まった。
一〇〇メートルくらい離れた木と木の間にロープを張り、そこに吊るした実験器に乗りこんだ。
腹ばいになったおいらの腹の位置に木枠がつくってあり、変身したボコイをそこに固定する。
おいらの上の棚にリョウマの役をかねたダイキチが乗り、またその上の棚に操縦者のワガハイが横たわるという配置になる。
ワガハイが操縦者に選ばれた理由はすぐわかった。
ボコイをあやつるおいらと大柄なリョウマをかならず乗せなければならないことから逆算すると、操縦者はできるだけ身体が小さく、体重が軽い者がつとめる必要があるのだ。
「おい、コトコ。用意はいいか?」
ワガハイがえらそうに呼びかけたが、おいらにはいい返す余裕がなかった。
ボコイに触れる指先が緊張で震えている。
シュ、シュ……シュシュウ……
おいらのためらいそのままに、ボコイが吐いた噴気はたいしたことなく、器体はちょっと揺れただけでぜんぜん動かない。
「もっと強く! 三人も乗せてるんだぜ!」
ワガハイがいらだたしげに催促する。
バシュウウウウーッ――
「わわわわっ」
飛翔器は跳ね上がるように器首を上げて反り返り、そのまま猛スピードで疾走した。
一〇〇メートルの距離はあっという間に尽き、器体は前方の木に激突して大破した。
「バ、バッカやろう! 程度ってものがあるだろ!」
「なにいってやがる! おまえ、ちゃんとプレーキかけたのかよ!」
残骸の中からはい出したおいらとワガハイがとっ組みあいになりそうなのを見て、ギエモンさんたちがあわてて駆けつけてきた。
「まあまあ。最初からうまくいくわけがなかろう。二人の呼吸を合わせるとがなにより肝心ばい」
二回めもあぶなかったものの、なんとか衝突だけは避けられた。
そうやって練習を重ねていくうちに、たしかに連係が大切だということがわかってきた。
その日はもう飛翔器を壊すことはなかったが、ロープの間をひたすら往復することだけで終わってしまった。
おいらとワガハイは疲れ果てて、早々に二階に上がって眠りこんだ。
ギエモンさんたちは、おいらといっしょに荷馬車で新しく運んできた器材で、予備の器体を組み立てる作業に余念がなかった。
その音が夜更けまで響いていた。
翌日、いよいよ実際に空を飛ぶ訓練に入った。
最初からボコイを使った飛行はむずかしいので、到着した日に見たような斜面を滑走して空中に飛び立つ飛行を、まずおいらに体験させることから始まった。
なにより怖かったのは、斜面を滑り降りるときだった。
身体は下向きになるし、器体と地面がこすれるなんともイヤな音と振動で、生きた心地がしなかった。
しかも、どんどん加速がついてくると、周りの景色がふっ飛ぶようにぼやけていく。
おいらも風防メガネをつけていたが、枯れ草の先がビシビシと頭や肩に当たる。
ノド元までせり上がってくる悲鳴を吐き出すまいと、無意識のうちに歯を食いしばった。
首のところにしがみついているボコイが、キョトンとした平気な顔でもの珍しそうに前方を眺めていなかったら、おいらはどうなっていたかわからない。
ところが、浮力がついてふわりと空に舞い上がった瞬間、まるで魔法にかかったように視界も体感もすべてが一変し、たちまち不思議な解放感に包まれた。
「おい、気絶してないか?」
頭の上からワガハイの皮肉たっぷりな声がした。
滑走飛行には乗り手三人では重すぎるというので、ボコイを連れたおいらと操縦者のワガハイだけが乗っていたのだ。
おいらはせいいっぱい平気なふりをして応えた。
「おまえとちがって、おいらは度胸があるからな。――うわあ、すごい!」
地上からでは冬ざれた田舎の寒々しい風景にしか見えなかったのに、眼前に展開する光景は、別世界に迷いこんでしまったかのようにぜんぜんちがったものに映った。
視点が上がったことで、川や谷の曲がりくねり方だとか、山の丸さ、とんがり具合だとかが、人間の尺度をはるかに超越した悠久の自然の力によって造形されてきたものだということが、実感として伝わってくる。
それもただ箱庭細工を見下ろしているような感じでなく、その風景の中をこちらがとんでもないスビードで移動しているために、まるで大地全体が生命力を持っていて、盛り上がったり、大きく波打ったり、いきなり逆落としに落ちくぼんだりして、ウネウネと激しく活動しているようにさえ感じられるのだ。
「じゃあ、あの左の山のてっぺんを越えてみせようか」
ワガハイが図に乗って、とんでもないことをいい出した。
「正気か?」
その頂上は、おいらたちよりあきらかに二、三〇メートルは高い位置にある。
推進力のない飛翔器では、理屈からすれば、どうあがいたって飛び立ったところからだんだんと低く降りていくしかないはずだ。
「おまえがいよいよ東亰から呼び寄せられたのは、わが輩の操縦技術になんの不安もなくなったからさ。毎日同じコースばかり飛ぶのはもううんざりだ。それに、おまえとわが輩なら、器体への負担はずいぶん少ない。あれくらいへいちゃらだ」
「バカなことはよせ……おい、やめろってば!」
こんどこそ、おいらは悲鳴を上げていた。
山のこちら側はびょうぶのように切り立っていて、赤い山肌がむき出しになっている。
接近するにつれ、岩崩れでできたヒダが見分けられ、そこに巣をつくっていた鳥たちがゴマの粒を散らすようにあわてて逃げていくようすまで見えた。
(ぶつかるっ――!)
おいらが眼をつぶろうとする寸前、下からいきなり飛翔器全体をぐいっと持ち上げるような力が働いた。
「上昇気流っていうんだ。わが輩には風の流れが読めるのさ」
ワガハイが余裕たっぷりの声でいう。
おいらのすぐ横を、頂上に張りついていた小さなマツの木の枝がギリギリにかすめて飛び去り、ボコイがびっくりした表情でそれを見送った。
飛翔器は山をかろうじて越え、向こう側に飛び出した。
すると、風景はまた一変し、こんどは眼下にゴツゴツとした大岩に囲まれた谷川が現れた。
白い岩と紺碧の水の色が鮮やかな対照をなしているのが眺められた。
「うわあ、きれいだなあ!」
息を呑むような山水の美しさに、おいらは思わず賛嘆の叫びを上げていた。
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