第二章 7 大久穂邸脱出
リョウマは椅子から立ち上がると、そのままくるりと背を向け、おいらの手を取った。
すると、階段のほうからいくつもの足音が駆け上がってくるのが聞こえた。
「警備兵を呼びおったな!」
リョウマはオオクボをふり返り、なじるようにいった。
オオクボの手が机の上のペン立てを持ち上げていた。
その下についたひもが、机の小さな穴の中へと伸びている。
警備室の警報装置につながる仕掛けが隠されていたのだ。
「今、あなたにかき回されてはこまるのだよ、龍馬さん。すべてが片づくまで、静かなところでおとなしくしていてもらおう」
ドアに内錠がかかっているとわかると、警備兵が代わるがわるドシン、ドシンと体当たりしはじめた。
おいらが肩に手を伸ばそうとすると、ボコイのほうからくるりと丸まりながらおいらの腕の中に落ちてきた。
すかさずリョウマがおいらの身体を後ろからささえた。
実験のときから何度も試してきた連携だった。
ドウウウンッ――
薄い煙の混じった突風の塊がドアを吹き飛ばし、そのむこうにいた警備兵たちをなぎ倒した。
リョウマはすぐさまおいらを脇にかかえ、廊下へ飛び出した。
数人の制服姿の男たちが折り重なるように倒れているわきで、ほんの数センチの差でドアの巻きぞえにならなかった男が、呆然とつっ立っていた。
書斎の中に砲弾が撃ちこまれたとでも思ったことだろう。
「運がいい男じゃのう。命を大切にせいよ」
男の肩をポンと叩き、リョウマは裏階段のほうへむかって走った。
そちらは家族の住む一画に通じている。
廊下のつき当たりを曲がり、すぐのところにある窓を押し開けた。
真下は、接客棟と住居棟に挟まれた通路のような奥まった場所だ。
建物の角に吊るされたランプの光で、ようやくそれとわかるような暗さだ。
「あのランプを撃ち落とすんじゃ」
リョウマが窓枠に細いロープを結びつけながら、小声でいった。
「わかった」
球形になったままのボコイを肩に乗せ、慎重に狙いをさだめて放射した。
黄色っぽい熱線が闇を走ったと思うと、パリンと乾いた音をたててランプのガラスが飛び散った。
廊下のむこうから、外で警戒にあたっていた者たちが、異変を知ってつぎつぎ駆け上がってくるのが聞こえた。
「賊だ! 侵入者がいるぞ!」
先頭の男が叫び、後続の者がピリリッと呼び子を鋭く吹き鳴らした。
近隣に配置された警備兵たちも、すぐに駆けつけてくるだろう。
まず書斎にいるオオクボの無事を確認すると、ほかの部屋のドアノブをがちゃがちゃいわせ、中に潜んでいる者がいないことを確かめながら進んでくる。
「窓が開いとる。ここから逃げおったんだ!」
窓からロープが外に垂れ下がっているが、その下は奈落のような真っ暗闇だ。
「くそっ、ランプも壊されとる。だが、こちらは行き止まりだ。邸内への出入口をふさいでしまえば袋のネズミになる。急げ!」
住居棟のほうから遅れて昇ってきた者たちにも指示が飛び、たちまち喧騒は建物の外へと移っていった。
「どうじゃ。やつら、まだ引き上げんか?」
リョウマが苦しそうに聞いた。
おぶさっているおいらは身体を覆った布から顔を出し、眼下を見下ろした。
ロープが垂れた窓辺にはひと気がなく、地上も手提げランプやタイマツをかかげた人影でいったんはごった返したが、そこにおいらたちの姿が見当たらないのを確認すると、またすぐに無人の暗闇にもどった。
「もうだいじょうぶじゃ」
おいらが小声で答えると、リョウマはホッと一息つき、握ったロープをそろそろとつたい降りた。
おいらは外壁の色に合わせた布を手早くはずし、開いた窓から放りこんだ。
「うーむ、運動不足がたたっちょる。腕がへなへなじゃ」
いいながら、リョウマは窓枠に足をかけてまた建物の中に滑りこんだ。
実はおいらたちは、窓のヒサシの上に足を乗せ、屋根のすぐ下の暗がりにぶら下がっていたのだ。
オオクボ邸に忍びこんですぐ、リョウマが脱出に備えてあらかじめロープを屋根の軒下に結びつけておいた。
案のじょう、警備兵たちは、窓から垂れたおとりのロープと壊されたランプのほうにすっかり気をとられ、頭上を見上げることなど思いつきもしなかった。
リョウマとおいらは足音を忍ばせ、もと来た暗い廊下を慎重に進んでいった。
書斎のドアの残骸はそのままだが、負傷した警備兵たちは運び去られていた。
リョウマは、おいらをほら穴のようにポッカリ開いた書斎の入り口へすばやく押しこみ、左右に眼をくばりながら自分も後ろ向きに中に入った。
外に逃げたように見せかけ、また書斎の時計の中に潜んで救出のときを待つ――それがおいらたちの作戦だったのだ。
あっ――
おいらは思わず声を上げそうになった。
侵入者の捜索のために地上であかあかとともされているかがり火の光を受け、今や窓辺は夕陽の直射を浴びたように明るんでいる。
それを背にして、黒い人影がひじ掛け椅子に座っていたのだ。
オオクボは机の上に両ひじをつき、拳銃をかまえておいらたちを狙っていた。
「もどってくるだろうと思っていたよ。やはり、この時計の中にひそんでいたのだな」
「ばれちょったのか」
リョウマが舌打ちしながらいった。
「いや。そんなものをいちいち気にかけるほど、私はひまではないよ。あれだけの警戒をどうやってくぐり抜けて潜入したのかと、つらつら考えているうちにわかった」
オオクボが時計の中を調べたらしく、ガラス扉がわずかに開いていた。
「つまり、いろいろまずいことを聞かれてしまったということだな」
「だったら、その拳銃で撃つのか? それとも、もう一度警備兵を呼ぶか?」
リョウマが剣のツカに手をそえながらいうと、オオクボはちょっと首をかしげ、ぜんぜん関係のないことを口にした。
「あなたがなぜいつも子連れなのか、ようやくわかったよ。その危険で奇怪な動物をあやつる娘に守ってもらうためだったのだな」
「あんたにはそう見えるか。わしは、どうにも心配で手放せないだけなんじゃがな」
「そのことを含めて、あなたのほうが守られているということさ。だが、それができるのは今回が最後だぞ。二度めはない……」
リョウマに危害を加える気がないのを見透かしているように、オオクボは悠然と拳銃を机の引き出しにしまい、見られては困る書類を代わりに取り出すと、またきちんと鍵をかけて出ていった。
おいらたちは、呆然とその後ろ姿を見送るしかなかった。
翌日、書斎のドアを新しいものに取り替える工事が行われているところに、老執事が
「きのうちょっとボヤ騒ぎがありましてな、それでドタバタしたせいか時計が止まってしまったのですよ。
古時計はまたていねいに木箱に収められ、すっかり安定した冬晴れがつづくようになった
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