第二章 6 小さな宣戦布告
オオクボとオグリの二人は、連れだって薄暗い常夜灯のともる廊下に出ていった。
大時計の中からはい出すと、おいらとリョウマは申し合わせたようにいっしょに大きなため息をついた。
おいらのは心底ホッとしたためで、リョウマのは真っ赤に焼けた腹の中の怒りを吐き出すようなため息だった。
「……あの二人が犯人じゃった。あの二人が、黒幕と下手人だったんじゃ!」
リョウマは、ギリギリと歯を固く噛みしめながらいった。
「おいらも、オグリはヤタロウのただの使いっ走りだろうくらいにしか思ってなかったよ。言葉はていねいだし、さらったときのあつかいだって優しかった。拳銃を取り出したときはギョッとしたけど、ヤタロウに忠誠をつくしてるんだとばかり思ったし、おまえに手首を打たれてかわいそうになったくらいだった。なのに、ヤタロウに秘密にしてオオクボとつながってたり、そのうえおいらたちを殺そうとしてただなんて……」
おいらは強いショックを受けた。
「おい、コトコ。明日の夜、ここから脱出するぞ」
リョウマが決然としていった。
「もういいのか?」
リョウマはうんうんとうなずいた。
「まだまだ知りたいことはいくらでもある。だが、政府がどんなに汚い手を使ってでも
それ以外にも見えてきたことがある。
カワジやオグリという人物像がそれだ。
話に出てきた人物の中でもっとも印象に残ったのが、ヤタロウの奇妙で複雑な感情と関わり方だった。
政治的なものとはまたちがう意味で巨大な力を持っているのだから、あいつが何かしようとすれば当然大きな影響が出るわけだが、嫉妬だか、親近感だか、いら立ちだかがぐちゃぐちゃに入り混じった行動のおかげで、おいらたちの命が危機一髪のところで救われたというのは大きな驚きだった。
本人にそんな意図はまるきりなかったのだろうが、リョウマに悪意だけをいだいているわけではなさそうなこともわかった。
しかし、オオクボという人間はまだよくわからない。
西洋人のような長身で、つねにきちんと身づくろいしている端然とした姿がまず思い浮かぶ。
しゃべっているときより、むしろ黙りこんで相手の言葉をじっと聞いているときのほうが存在感があるという、不思議でやっぱり稀有な人間だ。
そのずっとむこうにいるサイゴウとなると、話題に出れば出るほどわからなくなる。
伝説の怪物みたいなものに思えた。
「そういえば、オオクボが気にしていたことだけど、おいらがさらわれてから、料亭でどんな話し合いがあったんだ?」
「いや、ちょっとは盛り上がったが、あの場では大筋の合意ができただけじゃ。会合のことが事前に
「おいらを信用してないのか?」
「知っていれば顔に出る。何も知らなけりゃ、どんなにきつく問いただされたって平気でいられようが。それもおまえ自身のためじゃ」
おいらはしぶしぶうなずいた。
でも、それはリョウマが単独行動することが増えてくることも意味しているのだろう。
気がついたら肝心なところでおいてけぼりをくっていたということになりそうで、おいらはまたすこし不安になった。
「明日の夜までいるっていうのは?」
「やり残したことがある。それをやるんじゃ」
翌日のオオクボは、なかなか帰ってこなかった。
オオクボは、風で乱れた髪を片手でなでつけながら書斎に入ってきた。
ドアを閉めようとして、尻尾の大きな小動物を肩に乗せた見知らぬ子どもが、その陰に立っているのを見つけて驚く。
「迷い子になったのかね。どちらのお子さんかな?」
おいらは、長身から見下ろすその眼をにらみつけたまま、中途半端に開いているドアを閉めて内錠をカチリと下ろした。
「何を……」
オオクボはさすがに動揺したようすは見せないが、けげんそうな表情になった。
「わしの娘じゃ」
リョウマがオオクボの背後から呼びかけた。
その手には抜き身の剣が握られ、切っ先はオオクボの後頭部に突きつけられている。
「子連れの男……ということは、
背中に殺気を感じたのか、オオクボは微動もせずに問いかけた。
「おお、勘がいいのう。あんたが会いたいと思うちょるじゃろうと、地獄から出向いてきた。歓迎してくれるかね」
「するしかあるまい。その物騒なものを引っこめてくれ」
「さすが大久穂さんじゃな。後ろにも眼がある」
リョウマは笑いながら剣をサヤに収めた。
オオクボは、いつものように机を回ってひじ掛け椅子に腰を下ろした。
リョウマは木椅子をクルリと回してまたがるようにして腰掛け、背もたれの上に腕を組んだ。
まったく行儀の悪い格好だ。
おいらはその横にくっついて立った。
「どこから入ってきた? 屋敷はそれなりに警戒させているはずだが」
「幽霊じゃからな。塀も壁も関係ない。姿は見るべき者にしか見えん」
「そうだな。昔からあなたはそういう人だった。わかる人間にしか理解できない。しかし、わかるというのは、あなたがすることなすことの奇抜さや斬新さに、ちゃんと驚けるというだけのことだ。驚かされてしまうのだから、それ以前には結局何もわかっていなかったことになる。つまり、だれもあなたのことを完全に理解してはいなかったのだ」
オオクボは、慎重にひとつひとつ言葉を選ぶようにしていった。
「それは、ほめてくれちょるのか?」
「そのつもりだがね」
「しかし、わしがこうして化けて出ても、あんたはちっとも驚いたようには見えんな」
「いつ死んでもいいつもりでいるからな。あなたが地獄の閻魔の使いだとしても、私にはいっさい悔いることはない」
すこしも気負った表情を見せず、オオクボはさらりといった。
「今すぐ死んでもかまわない……か。いい覚悟じゃが、そういうお人が国の頂点に立っておってはいかんぜよ。国民は、そのうち国がなんとかしてくれると思うから、重税や徴兵の負担にあえぎながら耐えちょるんじゃ。役人も、軍隊も、警察官も、上役にゲタをあずけておけるから、それぞれが居丈高にふるまい、手柄を立てることだけに専念できる。専制とはそうしたものじゃ。独裁者以外はすべて被支配者だが、逆にいえばその唯一人以外はぜんぶ責任をまぬがれとる。なのに、その頂点に君臨するあんたが、やすやすと責任を投げ出すつもりでいては、残された者たちはたまったものじゃない」
リョウマは皮肉たっぷりにいった。
「曲解してもらってはこまる。私は、古今東西のいかなる独裁者ともちがうつもりだ。私利私欲もなければ権力欲もない。
オオクボの本音なのだろう。
リョウマをまっすぐ見つめ、きっぱりといい切った。
「あんた一人の心情とすればそれでいいじゃろう。だが、わしがいうのは一〇〇年後のことじゃ」
「一〇〇年後? いくら私でもそこまで責任は持てないな」
オオクボは口に手を当てて苦笑した。
「いや、責任があるんじゃ。あんたは、専制は一時の方便にすぎず、目的さえ達すれば、後は立憲政治でも、議会政治でも、残った者らが好きなようにやればいいと思うちょるんじゃろう」
「まさにそうだ。今の日ノ本では、軍事力も経済力も、文化教養までふくめて、あまりにも貧しすぎる。これらを富ませた上でなければ、何も始まらない」
「そうかのう。わしは、そうなったときにはもう後もどりできぬと思うがな。あんたが自分の仕事に満足して去った後には、高い志はないくせに、権力欲と名誉欲と金銭欲だけはたっぷり持った後継者が、堅固で座り心地のよくなった独裁者の椅子を受け継ぐだけのことだとは思わんか? 文化教養もとぼしいというが、専制のもとで行われる教育は、その制度を正当化し、宗教の教義のように絶対化するための洗脳になるとは思わんのか?」
リョウマは厳しい顔をして、たたみかけるように迫った。
「それは……」
オオクボの顔から、じょじょに血の気が引いていくのがわかった。
「一〇〇年後の日ノ本の姿を想像してみい。世の中はずっと豊かになり、国力も列強と肩を並べとるかもしれん。しかし、軍人は平和を願う者を臆病者、非国民とさげすんどることじゃろう。官僚や役人は、おまえたちのために仕事をしてやっているのだと、国民を奴隷のように見下しちょるにちがいない。警官は『おい、こら』と居丈高にだれかれなく呼び止め、犯罪者だろうと決めつけるのだ。それが独裁者の遺産じゃ。大久穂さん、あんた、そうはさせぬといえるのか?」
「……」
オオクボは無言のまま、唇を固くかみしめている。
リョウマはつづけた。
「たしかに、これからの世は平等だろう。だから、望めばだれでも軍人や役人や警官になれる。だれもがそれになろうとし、なった一部の者がなれなかった大多数を支配する。勝ち組に入ろうとあがくか、負け組に甘んじるかっちゅうことだけが唯一の選択肢になる。一方、政府と癒着して肥え太りつつある
「だが……ほかに道はない。これ以外の道はすべて遠回りだ。一刻でもぐずぐずしていては、日ノ本が生き残る道は閉ざされてしまう。未来なぞないのだ。それがわからぬか!」
「あんたのように、他人をけっして信用せぬ、潔癖で孤高の士ならそう考えような。わしを切り捨て、
「どうする気だ?」
オオクボは身を固くし、リョウマの剣をチラリと見た。
その眼は暗殺を恐れていた。
リョウマはニヤリとしていった。
「あんたと戦うのさ」
「もしや、西豪と手を結んだのか?」
戦う、と聞いて、それが戦争の意味だとただちに解釈して、オオクボがいった。
「いや、結んどらんな。西豪さんは、まだ不平士族の巣窟の奥深くにおる」
「では、どうやって戦う?」
「わしには、正面からぶつかるほどの力はもちろんない。じゃが、わしがずっとやってきた方法がある」
「どのような?」
「
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