終 章 Assassins on the Dark Slope 昏闇坂の暗殺者

終 章   昏闇坂の暗殺者

「本気で戦争する気なのか?」


 おいらには想像もつかなかった。


 味方といえるのは、元気だけは人一倍あっても、どう見たって老人としかいえない連中ばかりだ。

 かろうじて戦えそうなのは、リョウマとヒジカタくらいしか思いつけない。

 おいらは、たった一人で押し寄せる大軍の前に立ちはだかるリョウマの姿を思い浮かべ、思わずブルッと身体を震わせた。


「さあ、どうなるかな……」

 横を歩くリョウマの声はむしろ楽しそうだった。


 カイシュウ先生が泊まっていけというのを断って、真っ暗な早朝の街に出た。

 戒厳令とかいうものが出されれば、夜中はもちろん、昼でも市中を自由に歩けなくなる恐れがある。

 そうなる前に金座キンザにもどりたいと、リョウマがいったのだ。


 警視庁や政府機関が集まる江渡エド城周辺の警戒が厳重になっているのはわかりきっていたから、おいらたちはまず正反対の麓本木ロッポンギ方面へ向かった。

 後をつけられたり姿を見られないようにと、わざと細い道を選んだりいきなり見当ちがいの方向へ曲がったりした。

 雲間から淡い色の月がのぞいて、かろうじて道の延びる先だけは見分けられる。


 リョウマがどんどん歩いていく後を、おいらはやっとのことでついていった。

 立てつづいた騒動でずっと眼が冴えていたのだが、さすがにもう限界だった。


 リョウマ、おぶってくれ……


 そういいかけたとき、いきなり前を行くリョウマが立ち止まり、おいらはその背中にしたたか顔をぶつけてしまった。


「イテテテ。ど、どうしたんじゃ?」

「調子に乗って適当に歩いてきたら道に迷うたようじゃ。しかも、この坂は暗うて一寸先も見えん。こりゃ、ボコイに明かりがわりになってもらうしかないのう」

「ちぇっ。まったくもう……」


 おいらでなければボコイに火を吹かせられない。

 リョウマの背中で眠るどころではなくなってしまった。


 球形になったボコイの先端にポッと火がともったとき――


 おいらとリョウマは同時にギョッとして前方に眼をやった。


 切り通しの登り坂の途中、高くそびえる石垣に背中をもたれて、ゾロリとした着流しの男が、足を道に投げ出して座りこんでいたのだ。

 酔っぱらいだろうか。


「もし……」

 眠りこんでいるのかと気をつかって、リョウマが小声で呼びかけた。


 すると、前にかかっていた長い髪がさらりと左右に分かれ、ゾッとするような青白い顔がもたげられた。

 両の頬は病的にコケているが、すらりと通った鼻筋とふてぶてしく結ばれた薄い唇は、女と見まちがえそうな美しさだ。

 おいらはてっきり幽霊かと思った。


「ちと道を尋ねたいのじゃが。ここはいったいどこじゃろう?」

麻分アザブ昏闇坂クラヤミザカさ」

「くらやみざか……か」


 リョウマが記憶をたどるように頭上を仰ぎ見た。

 ワガハイが道案内してくれたとき「木立が坂の上に鬱蒼と差しかかっていて、昼なお暗いから『昏闇坂』と呼ばれているんだ」といっていた。

 その不気味な名前とひんやりと湿った空気に、思わず鳥肌がたったのを憶えている。

 今もサワサワと無数の葉ずれの音に包まれているのがわかった。


「すると、シバ増乗寺ゾウジョウジのほうへ出るには、この坂の下の道を曲がればよかったんじゃな。かたじけない。失敬する」


 増乗寺は徳河トクガワ家の菩提寺だけあって、だだっ広い森のような境内を持つ大きな寺で格好の目印になる。

 そこからまっすぐ北の方角へ進めば金座だ。


 リョウマはくるりと回れ右し、おいらの肩を押して歩き出そうとした。


「いや、ここでいいんだよ」

 背後から呼びかける声に、リョウマの手がピクリと動いた。


「何じゃと?」

「あんたらがこのあたりを通るだろうと目星をつけて、網を張ってたのさ。ちょうどおれの前に現れるとはな。やはり、あんたを斬るのはおれの運命のようだ」

 男が薄気味悪い声でいいながら、ゆっくりと立ち上がる気配がした。


「やはり、とはどういう意味じゃ……運命じゃと?」

 リョウマが怪しい男のほうへ向き直った。


「ああ、一〇年待ったぜ。あんときはしくじったが、こんどはそうはいかん」

「ほう。わしは一介の脱藩浪人にすぎん。そんなにしつこく命を狙われるほどの恨みをかった憶えはないんじゃがのう」

「そっちになくとも、おれの雇い主にはあるのかもしれんぜ。おれのほうはむしろ、あんたに感謝したいくらいだがね」

「なぜ?」

「雇い主は、業病をかかえたおれに腕のいい医者をつけてくれ、十分な生活費もあたえてくれた。おかげで病もどうにか癒えてこうして生き延びられた。世間的にはなぜか死んだことにされてしまったが、おれはべつに不自由もしなかった。世の中には太っ腹な人間もいるもんだと思っていたら、また大金とともにあんたが日ノ本ヒノモトに現れたって知らせが届いたんだ。つまり、あんたを殺すためにおれは生かされてたってわけさ」


 男はとんでもないことをいっている。

 見かけが女と見まがうような美形だけに、こともなげに語る口調には妙な迫力があった。


「黒幕がいるんじゃな。そいつの名を教えてくれんかのう」

「それは無理だな。いくつか手がかりはあったが、調べようとするとかならずどこからか警告を受けた。知らぬが仏、ってことだろう」

「おんしはそれでよくても、黒幕の正体も殺される理由もわからんでは、わしは納得がいかんなあ。大事な娘もいることじゃ。ここは見逃してくれんか」

 リョウマのほうも、相手に合わせるように見かけの口調だけは軽かった。


「残念だな。あんたを狙う以前にも何人も人を斬ってきたが、納得して死んだやつなぞ一人もいやしない。暗殺とはそういう不条理なものさ」

「なるほど……」

 リョウマはうなずいて周囲をぐるりと見回した。


 ボコイがともす小さな明かりの輪の端っこに、いつのまにか無言の人影がいくつかずつ現れ、坂の前後を固めていた。


 リョウマがおいらのほうに屈んでささやいた。

「ボコイに炎を噴かせて、後方のやつらを追い散らしながら坂を駆けおりるんじゃ」

「おまえはどうするんだ?」

「前の連中と二、三太刀まじえといてからおまえの後を追う。増乗寺にむかって力のかぎり走れ。いいな」

「わ、わかった!」


 さいわい、ギエモンさんの工房で再現実験をしたばかりだ。

 要領はわかっている。

 おいらは迷わずボコイを頭上に差し上げ、球体の脇をサッとこすった。


 ボンッと低い音がして、白い閃光がパアッと周囲の闇を払った。


「うわっ! な、何の手妻だ……」


 真昼の太陽よりまぶしい輝きに、取り囲んだ怪しい人影が立ちすくんだ。

 サナコさんや千波チバ道場の子どもたちを驚かせた強烈な目くらましだ。


 坂の上のほうに着流しの男ともう二人、下のほうには四人見えた。

 だれもが突然の光の爆発にたじろぎ、まぶしさをさえぎろうと腕を上げたり顔をそむけたりしてまともに剣もかまえられずにいる。


「けやっ!」

 リョウマはすかさず気合鋭くそこに斬りこんでいった。


 殺人光線を吐くには時間がかかる。

 おいらはボコイを胸の前にかかげ、とっさにヒジカタとクローク先生の武器を奪った火炎放射を選んだ。

 灼熱した火炎が勢いよくほとばしった。


「こ、こんどは何だ?」


 赤竜がいきなり宙空に出現したかのような光景に、ある者は剣を取り落として後ずさり、ある者は腰を抜かしてへたりこんだ。


 おいらは火炎を左右に振りながら、そこにできた間隙をぬって坂を駆けだした。


 ところが、おいらもよっぽど泡をくっていたにちがいない。

 もうすぐ坂を下りきれるというところで、敷石につまずいて転んでしまったのだ。

 球体のボコイがコロコロと坂をころがっていく。

 後ろをふり向くと、やっと体勢を立て直した一人が剣を振りかざし、おいらに襲いかかってくるところだった。


「キャッ」

 おいらはとっさに身体を横に投げ出し、その太刀先をかわした。


 そのとき――


 ヒュルルルル……


 坂の下から火を噴く黒い塊がかん高いうなりを上げながら飛来し、おいらの肩先をかすめ、斬りかかってきた男の額にもろにぶち当たった。

 男はもんどりうって数メートルも吹っ飛ばされた。


 塊はそのままぐるぐる回転しながら飛んだ。

 石垣にぶつかっても勢いはおとろえず、派手に火の粉をまき散らし、すこし蛇行している坂の間をカンッ、コンッ、ガツッと小気味いい音をたてて、あちらからこちらへとコマのようにめまぐるしく跳ねまわった。


 リョウマを坂の上下からはさみ撃ちしようとしていた暗殺者たちは、一人が塊に剣をはねとばされると、リョウマを襲うどころか、奇怪な飛翔体と熱い火の粉をかわすのにたちまちせいいっぱいになった。


「ボコイ……!」


 いったいどういう動きをし、どんな風に火の粉を吹いているのか、暗くてはっきりとは見さだめがたかったが、おいらは、また新たな威力を見せつけたボコイに驚きの眼をみはった。


 すると、ボー然と立ちすくむおいらの横を、風のようにすり抜けていった人影があった。

 まだ敵がいたのかとギクリとしたが、その人影は昏闇坂を猛然と駆け上ると、眼にもとまらない太刀さばきでたちまち暗殺者を二人斬りふせてしまった。


 形勢が明らかに逆転したのを見て、おいらは急いで坂をもどった。

 地面を転がってくる黒光りする塊のボコイを拾い上げると、勝手にポッとタイマツのような炎がともった。


 剣をかまえて対峙する男たちの姿が、光の中に浮かび上がった。

 敵はもうあらかた斬りふせられるか戦闘不能の状態になっている。

 一流の剣士は闇の中でも殺気を察知して立ち回りができるものだとリョウマはいったが、それは本当だったのだ。


 無傷で立っているのは三人。


 長髪をふり乱した着流しの男の正面に、加勢してきた男の背中が見えた。


「生きていたのか……そうじ!」

 うめくような声はヒジカタのものだった。


「そっちこそな。こんなところで、しかも剣を突きつけ合って再会しようとは思ってもみなかったよ」

 着流しの男が、薄い唇をさも愉快そうに横にゆがめていった。


「〝そうじ〟ってことは……そうか、おんし、新殲組シンセングミ熾田オキタ総司ソウジじゃな」

 ヒジカタと並んで立ったリョウマが、着流しの男をあらためてにらみつけた。


「あんたらは仲間同士か。そいつはいよいよ面白くなってきた。肘方ヒジカタさん、あんたとは竹刀でも木剣でもついに勝負がつかなかったな。いつか真剣で斬り合ってみたいと思っていたのさ。坂元サカモト龍馬リョウマの仲間だってことなら、その理由も機会もこれからいくらでもあるだろう。そのうちまた、な――」

 オキタはいうが早いかクルリと身をひるがえし、昏闇坂を疾風のように駆け上がっていった。


 官憲などに見つかってはと、暗殺者たちをその場に置き捨てて、おいらたちも急いでそこを離れた。


「熾田は数をたのんで油断しちょった。ボコイのおかげで五分以上の戦いに持ちこめたが、最後はやつとどちらかがかならず死なねばならん決闘になっていたじゃろう。おんしが現れんかったらあやういところじゃった。今夜は二度も救われたな」

「とんでもない。あなた方の後ろをずっとつけていたつもりなのに、肝心なところで見失ってしまいました。ボコイの放った光がなかったら、間に合わなかったかもしれません」

「そうか、やっぱりそれもボコイのおかげか」


 リョウマはおかしそうに笑ったが、すぐに口調をあらためていった。

「熾田は、一〇年前にもわしを襲ったんだそうじゃ」

 それは、むしろヒジカタを気の毒がるような調子だった。

「そうでしたか。おれは札保呂サッポロでは意地を張ってああいったが、坂元龍馬ほどの要人が標的であれば、もしかしたら新殲組の中でひそかに暗殺仕事を請け負う者がいたかもしれんという懸念はありました。しかも総司は当時、病気療養のために隊を離れていた。勝手に動ける総司なら、と……」


「わしが日ノ本に帰ってきた理由の一つは、わしがだれの手で、なぜ暗殺されようとしたのか、その真相を探ることじゃった。それはまた、わしはまだ暗殺者に狙われているのではないかという漠然とした不安でもあった」

「それが現実になったわけですな。しかも最悪なことに、新殲組の、まさにおれの部下だった男が犯人だったとは……」


「いや、それはいいんじゃ……というか、まずは相手の正体がわかってよかった。幽霊がこわいのは、気配だけあって姿が見えんからじゃ。確実にいるとわかり、しかもそれが生身の人間なら、こっちもそれなりに心構えができるし対処のしようもある。さらにそいつの尻尾をたぐっていけば、黒幕の姿も見えてこようし、ついには真相にたどり着けることじゃろう」

「だが、時期が悪すぎる。おれたちは、政府や薩磨サツマ潮州チョウシュウを相手取って待ったなしの戦いを挑もうとしている矢先ではないですか。これまでとは問題にならぬほど活発に動き回らなければならないし、あぶない橋をつぎつぎ渡っていくことになるでしょう。なのに、つねに背後の暗殺者にも警戒する必要があるのです。おれが、龍馬さんの警護に専念できればいいのですが」


「ありがたいが、それは無理じゃ。おんしにはおんしでなければできんことがいくらでもある。だが、わしらがこれからやろうとしていることとわしの命が狙われることとは、たぶん無関係ではなかろう」

「というと?」

「いや、それはまだ予感のようなものにすぎんが、おそらく大きく外れてはいまいよ。わしに動かれては困る勢力が、あの頃も今も隠然と日ノ本に巣食っちょるんじゃ。わしが公然と動き出せば、そいつらも動かざるをえなくなる。その動向と暗殺者の動きは二重写しになるんじゃ。わしらが正しく動いて痛いところを突けば、それは暗殺者のあわてぶりも誘うってことじゃ。……わかるか、コトコ?」

 リョウマは、いきなり背中のおいらにむかって尋ねた。


 リョウマの顔はニヤニヤ笑っている。

 あぶない場面になればなるほど楽しくなるという、例の理解しがたい心理状態なのにちがいない。


「わからんな。だけど、おいらはいつもリョウマといっしょじゃ。そしてボコイもじゃ」

 おいらがいうと、リョウマはいっそう嬉しそうに歯を見せて笑った。


 ボコイがおいらの肩で大きなあくびをした。

 それはすぐにおいらにも伝染した。


 行く手の増乗寺の森の上に大きな伽藍の屋根が見え、そのむこうに今まさに朝陽が昇ろうとしていた。


   ※      ※      ※


 熊元の反乱は、その日のうちにたちまち東亰じゅうに知れ渡った。


 そして、『旋風連センプウレンの乱』の三日後、一〇月二七日には、同じ玖州キュウシュウ福丘フクオカ県で『明月アキヅキの乱』が勃発し、さらにつづく二八日には、元参議・真栄原マエハラ一誠イッセイを首領に押し立てた潮州チョウシュウ士族による『葉稀ハギの乱』が起こった。


 二九日には、なんと金座からほど近い日ノ本橋古網町コアミチョウで『思庵橋シアンバシ事件』というものが勃発した。

 潮州の真栄原と呼応した一味が、武装反乱の軍資金を盗もうとくわだて、戦闘の末に警察に鎮圧されたのだという。

 この事件の首謀者は、リョウマが十南トナミでとうとう会うことができなかった元愛津アイヅ藩士・名賀岡ナガオカ久茂ヒサシゲだったとわかった。


 つぎつぎともたらされる凶報に、きらびやかな開化の彩りの中にあった東亰トウキョウの街は、一挙に不穏な空気につつまれていった。



                 第1部 [放浪篇]  完

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