第六章 5 同伴者は大警視

「挨拶なんぞ後回しだ。さっさと乗れ」

 あたりを見回しながら、カイシュウ先生がおいらたちをせきたてた。


「乗れっちゅうても、その車は一人乗りではないですか」

「見かけはそうだが、こういう仕掛けになっとるんだ」

 カイシュウ先生が腰を浮かすと、座席の後部にポッカリと予備のスペースがこしらえてあった。

 そこに身を隠したまま移動することもできるし、護衛をひそませることもできるというわけだった。

 大柄なリョウマが首をすくめるようにして先にもぐりこみ、おいらはその横にどうにか身体を割りこませた。


「娘さんも、少々きゅうくつだろうが我慢してくれ。二年ほど前、太政官政府の右大臣・岩蔵イワクラ具視トモミが暴漢に襲撃されてあやうく殺されかけた。おれも敵は多いからな、用心のためにこんなものをこしらえたってわけよ。それに車を引くのがその名も高き新殲組シンセングミ肘方ヒジカタ歳三トシゾウとくれば、これ以上心強いことはない」

 ヒジカタが車を引いて走りだすと、カイシュウ先生は笑いをふくんだ声でいった。


「そうか、肘方は、海舟先生の護衛役になったんじゃな。そりゃよかった」

「ええ、坂元サカモトさんが紹介してくださったおかげです。カツ先生のおそばにいて、世の中の動きもよくわかるようになった。おれのような男でも、まだ少しはお役に立てそうです」

 ヒジカタは、三人が乗った人力車をさほど苦もなく引きながら答えた。

「とんでもない。おんしの本当の出番はこれからじゃ」

 リョウマの調子のいい励ましに、ヒジカタのたくましい背中が笑い返した。


「海舟先生と偶然行き合わせて、あやういところを助かった。物騒なご時世だといいながら、先生はこんな夜更けにどこにおいでじゃったのです?」

「偶然なはずがなかろうが。おまえら父娘が盛大な花火を打ち上げるっていうから、わざわざ見物に来たのさ。花火と聞けば血が騒ぐのが江渡エドっ子ってもんだ」

「よくわかりましたな。どこからそんなことを聞きこんだのです?」

「おまえがまたとんでもねえ騒ぎを引き起こしそうだってんで、千波チバ道場のさな子さんが心配して急いで子どもを使いに寄こしたのさ」

「なんだ、そうじゃったのですか」

「なんだじゃねえ。おまえってやつは、ありったけ他人の世話になり、さんざん心配させて、あげくに迷惑のかけっぱなしだ。すこしは恩にむくいようって気はないのかよ」

 カイシュウ先生は調子のいい〝ベランメエ調〟でまくしたてた。

「この世では無理かもしれませんなあ。わしはそういう人間じゃ。昔さな子さんにもいってある。かんべんしてもらうしかありません」

「あきれたやつだ。まあ、花火はなかなか見ごたえがあったぜ。この可愛らしい娘さんと小さな動物が、あのみごとな花火を打ち上げたのだな」

 カイシュウ先生は身体をひねって、おいらとボコイの頭をかわるがわるなでた。


「止まれ、止まれ! 警視庁の御用だ!」

 前方で怒鳴り声が聞こえ、ヒジカタが人力車の速度を落とした。


「なんだと。元参議・海軍卿の克海舟たァ、おれのこったぜ。官憲なんぞに足止めをくらういわれはねえ。わかったら、さっさとどきやがれ!」

 カイシュウ先生が威勢のいいタンカをきると、取り囲んだ警官たちの足が思わず一歩ずつ後退した。


 が、そこにただ一人、前に進み出た者がいた。

東亰トウキョウの治安をあずかっておりもす大警視の河路カワジでごわす。先刻、澄田川スミダガワの河畔から怪しき大火玉が上がりもした。ただ今犯人を追跡中にて、お手間をとらせもす」

「ほう、そんな事件があったのか。それじゃあ、なにかい、このおれをその犯人だとでも疑ってるわけかね?」

「めっそうもござらん。しかし、克どんのような重鎮に変事があっては、警視庁の名がすたりもす。安全なところまで、この河路がお供つかまつりもそ」

「ありがたい申し出だが、遠慮しとこう。わざわざ大警視どのにご足労いただいてはこちらも恐縮せにゃならんし、お役目のさまたげにもなってもいかんしな」

 言葉づかいは丁寧だが、カイシュウ先生の口調はいかにも迷惑そうだった。


「いやいや、そんなこつ。おいもちょうど後を部下にまかせて警視庁にもどるところじゃっで、ぜひごいっしょさせてたもんせ」

 河路の声は愛想笑いをふくんでものやわらかに聞こえたが、強いクセのある薩磨サツマ弁は真意をさとらせず、こちらに有無をいわせない響きもあった。


「まさにこいつが敵じゃ……」

 人力車に合わせて河路が横を歩きだすと、リョウマが声を押し殺していった。

「たかが大久穂オオクボの手先とあなどっとると、痛いめにあうことになりそうじゃ。どこまでつきまとうつもりか……」

 それを聞いて、カイシュウ先生が苦笑まじりの小声でいたずらっぽくいった。

「まあ、そのうちうまく逃げる手を考えるさ。しかし、龍馬、どうせそれまで時間がある。敵の眼の前で密談するのも、なかなかスリルがあっておつなもんじゃねえか。できるだけ静かに聞いてるから、今のうちにおまえたちの旅の報告をしてくれ」

 車輪が路面に当たってガラガラとやかましい音をたてている。

 たぶん幌の中の会話はカワジには聴き取れないだろう。

「なるほど、それもそうじゃ」

 リョウマもニヤリと笑った。

 どうやらこの師弟は、こういうあぶない場面になればなるほど楽しくなるらしい。

 とんでもない似た者同士だ。

 腹がすわっているといえば聞こえはいいが、おいらには無鉄砲としか思えない。


 リョウマは、ラメリカから始まった海外旅行のてんまつをかいつまんで話した。

 苦労した話で同情を引こうなんていう人間ではないから、すべてが楽々と順調に進んだようにしか聞こえない口ぶりだったが、見聞したことの何もかもが壮大で驚異的だったことは、誇張ではなくおいらも十分そうだと思うとおりに伝わった。

 やがて、アリョーシャン列島の火山島でボコイを見つけたこと、迎えに来たヤタロウの船から抜け出して北海堂ホッカイドウに上陸したことへと話は進んだ。


「美里さんは立派な女性に成長しちょりましたが、彼女を連れ帰ることはできませなんだ。今は彼女の意志を尊重してあげるべきじゃろうと、わしは思うちょります」

「そうか、しかたねえなあ」

「その代わりといってはなんじゃが、象山先生から思わぬ土産をもらったんです」


 大量の最新鋭兵器のことを説明すると、カイシュウ先生は驚いて息をのんだ。

「あの偏屈オヤジ、殺されてもやすやすとは死なぬ人間だとは思っていたが、転んでもただでは起きんという典型だな。かわいそうに、美里もそうとう苦労しとるにちがいない」


 それはどうやらカイシュウ先生流の感動と賞賛の言葉らしく、興奮を隠しきれずに何度も首を激しくうなづかせた。

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