第五章 5 西豪と大久穂

「バカもの! おまえたちの仕事はわたしの警固だぞ。火事場見物になど行って、何をするつもりだったのだ。その間に、怪しい賊に入りこまれていたらどうする。まず屋敷内を徹底的に捜索しろ。わかったか!」


 カツラの怒鳴り声が母屋のほうから聞こえた。

 別邸の周囲を固めていた警官たちをわざと玄関先に全員集合させ、説教しているのだ。

 そうやってカツラが猿芝居を打ってくれている間に、おいらたちはもとの板塀のところから無人の路上へ降り立った。

 イクマツさんが心遣いで用意してくれた提灯に火をともし、三人並んで夜道を悠々と歩きだした。


「そうか、やっぱり西豪サイゴウ……そして大久穂オオクボの二人か」

 リョウマが独り言をいうようにつぶやいた。


「なんだ、リョウマ。海外をずっと旅していて、日ノ本ヒノモトのことはくわしくわからんといってたのに、おまえはこうなっていることを予想していたのか?」

「いや……。そうじゃな、予想というなら、それは一〇年以上前、わしが西豪、大久穂の薩磨サツマ藩と葛連カツラ潮州チョウシュウ藩に手を結ばせ、薩潮サッチョウ連合を実現させようと奔走しちょったころにいだいた想いじゃ。西豪がすべてのサムライと民衆の先頭に立ち、大久穂が西豪の後ろで思いどおりに全軍を動かしたら、倒幕はもっとあっさり成っていたかもしれんという夢想じゃな。いや、維新政府は薩磨幕府になっていたかもしれん」


「なぜ、そうはならなかったんだ?」

「簡単なことじゃ。西豪と大久穂はもともと無二の親友じゃったが、上下関係のとくにやかましい大藩薩磨の下級武士にすぎなかった。泰平の世なら、藩主にお目通りすることさえかなわなかったにちがいない。やつらが活躍できたのは、たまたまこの乱世にめぐり合わせたからじゃ。それでも障害は無数にあった。藩主の顔色をうかがいつつ潮州や土左トサとの連携を模索し、宮廷や幕府との困難な駆け引きの中でのし上がっていかなけりゃならなかった。二人そろってここまで来られたことが、そもそも奇跡なんじゃ」

「そして、やっと頂点に登りつめたというのに、そのときには二人は強力なライバルになってしまっていたってことじゃな」


 子どものおいらにだって、それがどれくらい大変な道のりで、どれほど皮肉な運命のいたずらなのかということが想像できる。


 さっき、カツラはいっていた。

「わたしは、潮州閥の代表として薩磨代表の二人に対抗しているのか、太政官政府の一員として二人の間を必死に調停しているのか、正直わからなくなることがよくあった」

「大久穂とは、それほどの切れ者かね。西豪さんが山のように揺るがぬ大人物なのは疑いなかったが、大久穂はほとんどその陰でむっつり黙りこんじょった。そうとうな才子だとは推測がついたが、ついにその正体を見極めることはできんかったなあ……」

 リョウマは、なつかしさなどみじんも感じられないきびしい眼を虚空にさ迷わせ、過去の記憶をけんめいに手探りしているようだった。


 すると、カツラはさらにいった。

「いや、揺るぎない信念を冷徹につらぬくことでは、大久穂の右に出る者はおらんよ。あの男が、新政府において自分がなすべきことを曲げたことは一度もない。妥協と見えることでさえ、あの男にとっては次のための周到な布石なのだ」

「なるほど、手強いやつじゃのう」


「西豪が政府を去るのに呼応して、参議の半数をふくめ、軍人、官僚合わせて六〇〇人もの人間が大量に辞職した。その未曾有の混乱と危機を打開するために、大久穂は直後に内務省というものを設立し、みずから内務卿に就任した。だが、これは危険な権力の一極集中だった。わたしは猛反対したのだが、翌年には、不満士族による事件があいついで勃発した。とくに大規模な反乱に発展した佐駕サガの乱では、首謀者がなんと、西豪とともに参議を辞した江頭エトウ新平シンペイだった。文官でありながら兵権を持つ内務卿の大久穂は怒り狂い、みずから兵をひきいて玖州キュウシュウへ鎮圧におもむいたほどだった」


「西豪さんはどうしたんじゃ? 江頭は当然、同じ玖州に帰っている西豪さんに、自分と同調して立ち上がるように要請したじゃろう」

「西豪は不気味に最後まで動かなかった。大久穂は反乱を鎮圧し、正当な裁判を望んだ江頭に対して、まるで西豪に見せつけるかのように有無をいわさずさらし首の刑に処した」


「むごいのう……それに強引じゃ。それが、内務卿の力っちゅうものか」

「しかし、その絶対的権力があったからこそ、それ以上の大乱にならずにすんだともいえるのだ。わたしも、それは認めざるをえなかった」

「まさに政治っちゅうものじゃな。どちらが原因とも結果ともいえん」


 苦々しげにいうリョウマに、カツラはうなずき返した。

「『有司専制』といういい方が、近ごろよく新聞などで見られる。政府の中枢だけで重大な決定がつぎつぎ行われてしまう現状を批判したものだ」

「専制――つまり、独裁じゃな。それこそ、独裁以外のなにものでもない。大久穂はついに独裁者になったか……」


「たしかにそのとおりだ。しかし、それほどに強力な権力がなければ対処できそうにない問題が存在しているのも、まぎれもない事実なのだ」

「そうか、それが薩磨にこもった西豪さんちゅうわけなんじゃな」

 リョウマは腕を組み、遠くを見るような眼をした。


「西豪対大久穂か……」

 山の手の複雑な坂道をたどりながら、リョウマがまたつぶやいた。

「どちらが勝っても、日ノ本の未来はわしが思うちょったようにはなりそうもないのう」


「そうなのか?」

 おいらはたずねた。

 ずっとカツラとリョウマの会話を聞いていただけのおいらには、薩磨出身の二大巨頭が支配権を争っていることはわかったものの、その対立と勝敗が意味するものが何なのかは、いまいちよくわからなかった。


「西豪さんの背景にあるのは、身分を剥奪された全国のサムライたちの不満じゃ。出身者の一部が政府を支配している薩磨であれ、潮州であれ、もはや例外ではないっちゅうことじゃ。そのうえ両藩の武士には、維新を成しとげたのは自分たちの力だという自負もあろうしな」

「サムライ流のやり方で支配する国にもどそうってことだな」


「そういうことじゃ。では、大久穂が勝ったら……。わしは、こっちのほうが恐ろしい結果になるような気がする。やつはたしかに、葛連さんがいうように清廉な男だろう。だが、そういうやつだからこそ恐ろしい。だれに対しても、恥じるところも臆するところもないはずじゃ。そういう人間が強権を握ってしまえば、反対意見はことごとくつぶされようし、反対者は一人残らず抹殺されよう。何よりも効率が優先され、すべてが厳格な統制の下に置かれることになるにちがいない……」


「そういうことか。それじゃ、カイシュウ先生は、この危機をなんとかしなくてはと思って、おまえをユーロピアから呼びもどしたんじゃな」

「まあ……そういうことになるのかもしれんのう」

 リョウマの返事はあんまり煮えきらない、どっちかというとまだまだのんびりとした響きしか感じられなかった。


「おまえら、さっきからなにをグダグダくだらない話をしてるんだ。あんなやつのいうことを真に受けているのか」

 おいらたちの後ろから、皮肉っぽい口調でワガハイがいった。


「おお、キンちゃん。おんしもいたんじゃったな」

「いるにきまってるだろう。それに、その呼び名はやめろ、いいな」

「まあまあ。で、どうじゃった、政治家に間近に接した感想は?」

 リョウマはちょっと立ち止まり、ちゃんと話を聞いてやろうとでもいうように、おいらとは反対のほうの側を開けて待った。


「そうだな。自分がいかに正しいことを成してきたかと主張するか、やたら悲壮がって嘆くふりをするか、いずれにせよ、大げさなだけで中身のないセリフばかりだ。まともな神経の人間には、聞くにたえないものだな」

 ワガハイは、とくに意気込んだようすもなく、ちょっと思いついた感想を述べるといった風情で、そんなことをスラスラと口にした。


「ほう、いうのう。では、葛連さんはそんなに信用できん人間に見えたのか?」

「いや、そういう意味じゃない。たとえ人間として信用できそうでも、政治家っていうのは多くの人の運命を左右する。大事なのは、そいつが何を考え、何を悩んでいるかじゃないだろう。何をするつもりなのか、だ。そういう覚悟が感じられるような言葉がぜんぜんなかった。政治家としたら、そいつは信頼するに値しないってことだ」


 こいつはとんでもないやつだ。

 いちいちガキのセリフとは思えない。

 生意気を通り越して、大人までなめきっている。


 だが、リョウマは大きくうなずいた。

「鋭いのう、キンちゃんは。たしかにそうじゃ。西豪、大久穂に対抗できる存在は、今や葛連さんしかおらん。理想家らしい責任感とものを見る眼の鋭さは、まさに昔の葛連さんのままじゃったが、だから自分はこうするという熱い意気込みに欠けちょったのはたしかじゃ。よう初対面でそれだけのことを見て取ったな、キンちゃん」


「わかるさ。大人っていうのは無神経で不用心だから、自分を隠すことを知らない。あいつは感情的すぎるな。奥さんは、葛連の表情やしぐさにばかり注意して、疲れていないか、具合い悪そうにしてないかだいぶ気にしていた。あんなに気をつかわれているということは、病気がかなり重いんだろう。奥さんに心配されているような政治家なんて、あてにできるはずがない。……それと、キンちゃんはもうやめてくれ」


「わかった、わかった。うーん、そうか、そんなところまで見とったとは驚きじゃ。おんし、その鋭い観察眼は、いったいどこで身につけたんじゃ?」

「いや、なに……子どもだと思ってバカにする大人のほうが、よっぽど間抜けなんだ。人間、必要にせまられれば、どんなことだって学んでしまうものさ」

 ワガハイは急に口ごもり、ため息まじりの口調になってそんなことをつぶやいた。


「そうなるとやっぱり、大久穂とどうしても一度会わなきゃならんようじゃのう……」

 リョウマは、ワガハイの意見にはえらく感心したが、それくらいのことはわかったうえで、すでに思考はつぎにとるべき行動のほうへと移っているようだった。


 ワガハイはついつられてよけいな口をきいてしまったことを後悔してでもいるかのように、生意気に腕組みなどしてプイとあらぬ方を向いたまま歩いている。


 二人と並んで夜道をたどりながら、おいらの頭の中には、ワガハイという想像を絶した同年代のガキに対する驚きと、憤懣と、疑惑が、グルグルと渦巻いていた。

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