第五章 4 カツラ、維新政府を語る

「なあんじゃ、おどかすな。おんしは、キンちゃんではないか」

 リョウマが拍子抜けした声でいった。


 とたんに、そのあばたヅラがひきつった。

「〝キンちゃん〟って呼ぶんじゃない。わが輩は、その呼び名がだいっきらいなんだ!」


 そういえば、こいつは、自分のことを『わが輩』なんていう変な呼び方をするのだ。

 なんだか偉そうな響きだが、ほかにそんな言葉づかいをするやつにはまだ会ったことがない。

 みんなに『キンちゃん』と呼ばれると、きまって露骨にイヤそうな顔をする。

 だから、おいらはひそかに〝ワガハイ〟と呼んでやることにした。


「ほう、そうか、そうか。だがな、いい合いなんぞしちょる場合じゃない。あの盛大な火を見て、すぐにもあちこちから人が飛び出してこよう。そのすきにわしらは別なところに用があるんじゃ。おんしも、怪しまれないうちにとっととここから立ち去るがいいぞ」

 リョウマはまったくワガハイを相手にせず、おいらを背負ったまま駆けだした。

「待てよ、おい。どこへ行くんだ?」

「おまえには関係ないよ。さっさと道場へ帰れ!」

 リョウマの背中からふり向いて、おいらは怒鳴った。


 だが、ワガハイはおいらたちの後をしつこく追ってきた。

 ドタバタした効率の悪い走り方だが、リョウマもおいらを背負っているからなかなか引き離せない。

 ハアハアあえぎながらついてくるワガハイの姿を、ボコイが同情するように見つめている。


 リョウマは例の別邸のほうに向かった。

「火事だ、火事だ」という怒鳴り声があちこちから聞こえ、通りにだんだん人の姿が増えてくる。

 別邸を警固していたらしい警官が火事場に駆けつけてくるのにも、何人かすれちがった。


 別邸の裏手に回りこむと、案のじょう警官の姿はなく静まりかえってひと気もない。

 リョウマはおいらを地面に下ろし、やっと追いついてきたワガハイをふり返った。


「おい、キンちゃん」

「だから、そう呼ぶなっていったろう!」

 ワガハイは、ゼイゼイと息を切らせながら怒鳴った。

「ほたえなや。いいか、わしらはこれからこの屋敷に忍びこむ」

「こんどは泥棒か。とんでもないやつらだ」

「ある人物に会うためじゃ。さっき庭園の木に火をつけたのは、ここにいた警官どもの眼をそらすためなんじゃ。燃やしたのは広く開けた庭園の中の木一本だし、周りは高いレンガ塀で囲まれとる。派手な炎のわりには、外には被害がおよぶまい」


 なるほど、リョウマはそこまで計算していたのか。

 それに、庭園の持ち主があのヤタロウなら、まったくの他人に迷惑をかけたことにもならないだろう。


「わかったか。だったら、警官がもどってくる前に金座へ帰るんじゃ」

 リョウマはいいながら、用意してきたロープを黒板塀の上に投げ上げ、おいらを背負ってよじ登りはじめた。

 ところが、ワガハイもまねをしておいらたちの後からロープにすがりついてきた。


「やめとけ。おんしには無理じゃ。一人で帰れないなら、そのあたりに隠れちょれ」

「やだ。わが輩も行く」

 ワガハイは意地でもロープを放そうとしない。

「わからんやつじゃな。しょうがない。ぐずぐずしとられん」


 リョウマは先に塀を乗り越えると、引っかけてあったロープの端を握って邸内に滑り降りた。

 反対の端につかまっているワガハイの身体が吊り上げられる音が聞こえた。

「うぎゃあ」

 あばたヅラを塀の板にすりつけてしまったらしい。

 まったくいい気味だ。


 政府要人の屋敷というからどれほどぜいたくなたたずまいかと思ったら、広い庭はひどい荒れようだった。

 庭木の手入れどころか、草取りも落ち葉の掃除もろくにしてない。

 おかげで、隠れる場所にはこと欠かなかった。


「ふーん、いかにも葛連カツラさんじゃのう。本邸のほうはどうか知らんが、自分が引きこもっちょる住まいの見てくれなんぞどうでもかまわんらしい」

 建物のようすをぐるりと見て回りながら、リョウマはおかしそうにつぶやいた。

「今はもう葛連小五郎コゴロウじゃない。樹戸キド孝允タカヨシというんだ」

 訂正したのは、意外なことにあばたヅラをさすっているワガハイだった。


「ほう、よく知っちょるな」

「あたりまえだろう。世間じゃ、西豪サイゴウ隆盛タカモリ大久穂オオクボ利通トシミチと並んで『維新の三傑』なんてもてはやされてるからな。だけど、幕府を倒した功績がどれほどのものか知らないが、政治家なんてどうせろくな人間じゃない。えらそうにふんぞり返っているだけさ」


 なんて生意気! なんて傲慢ないい草! なんてひねこびた口調!

 おいらは思わずぶん殴りたくなった。


「まあ、せっかくいっしょに来たんじゃ。そういう評価は、本人に会ってからでも遅くないきに。……お、あれは」

 母屋から離れへとつづく渡り廊下を、人影がしずしずと歩いてくる。

 柱にともされたロウソクの灯りに、白い顔がぼうっと浮かび上がった。


「おおい、郁松イクマツさんではないか!」

 不用心にも、リョウマは、いきなり植え込みの陰から立ち上がって声をかけた。


 きれいな日ノ本髪に結い上げた女性の足が止まり、こちらをふり返った。

〝だれかしら〟と問いかけるように小首をかしげた姿がえらく優雅に見えた。


「わしを憶えとらんか? 土左トサ坂元サカモトじゃ。坂元龍馬じゃよ」

 いいながら繁みをかき分け、水草でびっしりおおわれた池のほとりに踏み出した。


 その姿を見た女性は、手にしていたお盆ごと運んでいた湯飲みをその場にとり落とし、まるで空中を泳ぐように両手をばたばたさせながら、離れの中に駆けこんでいった。


 なんてことだ……おいらは思わず顔を両手でおおってしまった。


「松が母屋のほうへ逃げていかなくてよかった」

 おいらたちをこっそり離れに上げてくれた男は、そういって苦笑した。

 母屋にはやっぱり、警固の者やおいらたちのことをどこかに通報しそうな人間がいたにちがいない。

 その男が、樹戸孝允こと、元潮州チョウシュウ藩士、葛連小五郎だった。


「暗殺されたものとばかり思っていたが、そうか外国へ……」

 カツラは感慨深そうにリョウマの話にうなずいた。

 リョウマに負けないくらい立派な体格をしていたが、その身体がいかにも重そうだった。

 一人掛けのソファに深々ともたれ、キョウの芸妓だったというきれいな愛妻のイクマツさんに、厚い毛布をひざにかけてもらっている。

 病気療養中だという話はほんとうらしかった。


「へえ、政府のことを『太政官』ちゅうのですか」

「なんだ、そんなことも知らないのか」

「はあ。とくにこの一年ほどは、捕鯨船に乗ってアトラス海と泰平洋タイヘイヨウをあてもなくさ迷っちょりましたからな。情報なんぞ入りようがない。最後は無人島暮らしじゃった」

 カツラはあきれ、とうとう笑だした。

「まったく坂元さんらしいな。やることがいちいち常人の想像を絶している。うらやましいかぎりだ。とにかく、生きていてくれてなによりだ」


 カツラの晴れ晴れとした笑顔は、昔リョウマと知り合ったころの青年時代を偲ばせた。

 だが、それはほんのつかのまにすぎず、またすぐ深いシワが眉の間に刻まれてしまう。

 重大なことにいくつもかかわり、そのたびに苦渋の決断を迫られてきた経験が、リョウマよりいくつも歳上ではないはずの顔つきに重い年齢を降りつもらせていた。


「で、われわれが目指した革命は、どうなりましたかいのう」

「うむ。〝維新〟と称される革命は、志士たちに貴重な多くの犠牲をはらわせたとはいえ、日ノ本ヒノモトという国全体からみれば、奇跡と思えるほど少ない混乱しか巻き起こさずに成就されたと思う。それは、坂元さんをふくめて、われわれが誇っていいことだ」

「問題は、倒した幕府の後を引き受けてからだったちゅうことですな」


「維新を先導した潮州、薩磨サツマ、土左、腓前ヒゼン佐駕サガなどの出身者が新政府の中心になることは、あるていど必然だった。ほかの藩より、新しい日ノ本をつくるという明確な合意ができていたからだ。それらの藩の協力によって、版籍奉還――つまり土地と人民の管理権をまず維新政府の手に入れることができた。つぎは兵制だ。士・農・工・商の四民平等が理想であるからには、徴兵制をしいて国民皆兵を実現すべきだとわたしは主張した。……だが、薩磨の大久穂利通は時期尚早だと強硬に反対した」

「そこでもう新政権にヒビが入りはじめたのですな」


 カツラはうなずいてつづけた。

「結局、わたしの意見は通らず、薩潮土三藩によって構成される近衛兵が設置されることになった。しかし、結果的にはそれが諸藩の反抗をおさえこむ示威勢力になり、最大の懸案だった廃藩置県が実現することになった。封建制が完全に否定され、ついに中央集権が確立したのだ」

「筋を通すことばかりが最善の道とはかぎらない――それが政治ちゅうもんですか」

「いかにもそのとおりだ。しかし、禍根は残る。サムライという身分の特権を奪われた士族は、当然ながら不満を持った。西豪らが唱えた〝征乾論セイカンロン〟というのは、そういう不平士族の力を外にむけて吐き出させようという主張だった。サムライで軍隊を組織して、日ノ本にもっとも近い乾の国を攻め取ってしまおうというのだ」

「自国に生じた矛盾を、他国に強引に押しつけて解決してしまおうというのじゃな」

 リョウマは不快そうに顔をしかめた。


「だが、冷静に判断すれば、日ノ本にはまだ対外戦争を起こすような国力はとうていない。折から海外視察団として欧米を歴訪していたわたしや大久穂は、その計画がどんどん現実味を帯びてきていると聞いて仰天した。あわてて延期させていなければ、留守政府は勝手に取り返しのつかない暴挙に走っていたにちがいない」

「むちゃくちゃじゃのう。どうしてそんなことになったんじゃ」


「そもそも廃藩置県を決めたころのことだ。それを断行するために、迷走することが多かった政府を一本化しようという動きがあった。政府の最高責任者は〝参議〟というが、その参議を一人にして権力を集中させようとしたのだ。わたしは『それは危険だ。独裁政治におちいる危険がある』と反対し、数人の参議の合議による参議内閣制を採用させた。視察団に同行した参議はわたし一人。西豪ら残りの参議は留守政府に残っていた。混乱をまねいたのはそのせいだ」

「ただ一人の参議というのに推されたのは、だれだったんじゃ?」

「それは……ほかならぬこのわたしだがね」

 カツラは苦笑いしながらいった。


「葛連さんらしいのう。あんたは昔から、だれにも負けぬ理想家じゃった。そのうえ広い視野をもって状況を見る眼も持っちょる。その役を引き受けるのが、自分の思いどおりに理想を実現するいちばんの早道じゃったろうに」

「たしかに、そうすれば、さまざまな懸案もちゃんと整理して優先順位をつけ、一つ一つ効率よく解決していけたかもしれないな。だが、残念なことに、話し合いでものごとを決定する、というのがわたしの第一の理念だったのだ」

「もったいない。日ノ本のナポリオンになれるところじゃったのに! だが、わしも葛連さんに賛成じゃ。どんな場合であろうと、独裁は独裁にすぎん。一人の考えでものごとを決め、それを全員に押しつけるのはいちばん危険なことじゃ」


「そのとおりだ。民主的な考え方とその方法論を実践していくことは、われわれが成立させた新政府にとって自明のことだと思っていたのだがな。いざ新しい国をつくっていくとなると、さまざまな考え方が一度に噴出するものだ」

「たとえば?」

「〝富国〟を第一とする者がいるかと思えば、まずは〝強兵〟だという者もいる。その方法にしても、いたずらに重税を課せばいいという者、産業をすべて国有化して振興させようという者などさまざまだ。あるいは、日ノ本を徹底的に洋化して効率化せよと唱える者。サムライの剣とヤマト魂さえあれば、近隣諸国を侵略して回り、富国も強兵も両方いっぺんに実現してしまえるなどと、たわごとを大声で叫ぶやつらまで出るしまつだ」


「まさに混乱の極みじゃのう。それに、産業を興すことには大賛成じゃが、金がからめばいろいろ問題も生じてこような」

「ああ。当然、政府の上層部と結託して財を成すような者も出る」

巌崎イワサキ弥太郎ヤタロウみたいなやつか」

「まさにそのとおりだ。そして、政府内にも、そうやって一部の者に便宜をはかってやって独占企業を育てたほうがむしろ効率がいいといってはばからぬ者さえいる。理想や道義よりも、政治を道具にして私腹をこやそうというのだ。一〇年前には、身命を投げうって革命に邁進したはずの者たちがだぞ。恥ずべきことだと思わぬか?」

 カツラは憤懣やる方ないというように顔を赤らめ、深いため息をついた。


 リョウマも同感だというように大きくうなずいた。

「もちろんじゃ。札保呂サッポロには、黒多クロダ清隆キヨタカの汚職を追及しようとする者たちがいた。薩磨の親玉の西豪さんは、あんなやつを黙って放置しちょるのか?」

「西豪は、征乾論が敗れたことに端を発する政変で下野してからというもの、故郷の薩磨に引っこんでしまって政府にはいっさい口出しをしていない」

「なんじゃと! あの西豪さんが、維新政府と訣別してしまったというのか?」

 リョウマは、眼をむいて驚きをあらわにした。

 カツラの苦悩の表情は、どす黒いほどの激しい怒りに塗りこめられていた。


「目下の最大の問題がそれだ。今や薩磨は、完全に政府の支配が通用しない、独立国のような場所になってしまっている。西豪はその絶対的な支配者だ。もしかしたら、やつは、日ノ本に反革命を起こそうとしているのかもしれない……」

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