第四章 2 炭鉱見学の目的

「炭鉱に向かっとるんじゃ」

 リョウマはおいらの質問に対してそう答えた。


 夜通し歩いて札保呂サッポロの街から出はずれると、道のわきのシラカバ林に入りこみ、おいらがくるまっていた毛布をかぶってこんどは自分が眠りはじめた。


 仮眠から眼覚めたリョウマに、これからどこへ行くつもりなのか、とおいらはたずねたのだ。

 横には、途中で買い求めてきたらしいいくらかの食料のほか、徒歩の旅行に必要なものがまとめて荷づくりしてあった。


「だけど、ヒジカタはもう江渡エドに旅立ったんだろ。何しに行くんだい?」

「もちろん、日ノ本ヒノモトの炭鉱ちゅうのを見るためじゃ。ドーチェスでも行ったじゃろ」


 ミュッヒェンからベルリエンへの旅の途中――というか、寄り道というにはほど遠く、ほとんどホランダとの国境近くまで大回りして、世界を代表する大炭田地帯というのをわざわざ見物した。


 炭鉱といえば、イグランドでも、産業革命を代表する工業都市として栄えるバーメンガムやマニチェスターへ、リョウマはおいらを連れて旅した。

 あのころ、おいらはまだ小さかったから、リョウマというのは、汚くて、うるさくて、ゴチャゴチャと人がたくさん働いているところが大好きな変なやつだとしか思えなかった。

 そういえば、ロンデンの地下鉄で三往復してススまみれになったのもあのときのことだ。


 たぶん、またその趣味がぶり返したのだろうくらいに思っていたが、本当の目的はもっととんでもないことだった。


 管理者らしき男に炭坑の中を見学させてくれと正直に頼むと、まったく相手にされず、「さっさと立ち去れ」とあっさり断られてしまった。


 リョウマは、いったんそこを離れるふりをして管理者の眼がとどかない物陰にひそみ、手押し車を押して通りかかった者に「わしらは肘方ヒジカタの知り合いじゃが」と告げ、ヒジカタから名前を聞いていた男をこっそり呼んでもらった。


「ほう、肘方さんの友人か。だが、あの人はおらんぞ。札保呂の街に抗議運動に出かけたきり、もどってきていないのだ。それとも、そのわけを知っているのか?」

 現れた男は、リョウマとおいらを興味深そうに交互に見ながらたずねた。

 どうやらこの男も元はサムライだったらしく、石炭まみれの顔の中に光る眼は鋭かった。


「ああ、知っちょるとも。あいつは東亰へ行ったよ」

「そうだったのか。北海堂ホッカイドウくんだりで炭鉱掘りなんかをやらせとくのはおしい人だとは思っていたが……残念なことだ。これで待遇改善の運動も一からやり直しだ。もしかして、おぬしもここで働きたいのかね? 子連れではよけいにつらい仕事場だが……」

 おいらのほうを横眼で見ながら、同情をおし隠すようにしていった。


「いや。肘方に、ここにはアインの人間も働いちょると聞いた。わしらにぜひ紹介してもらいたいんじゃ」

「アインだって?」

 驚きと当惑の入り混じった表情をして、男は思わず大きな声で聞き返した。


 男の反応が大げさだった理由は、連れてきた青年を見てすぐわかった。

 太い眉とゴワゴワした濃い髪をして、彫りの深い独特な顔立ちだった。

 ヤタロウも個性的な風貌をしていたが、青年があたえる印象はもっと次元のちがうものだった。

 アインとは北海堂の先住民族のことだと、リョウマに後で教えられた。

 内地から来たらしい父娘連れがいきなりアインに会いたいなどといい出したのだから、男が驚いたのも無理はない。


「わしらは、ここに行きたいんじゃ」

 といって、リョウマは日ノ本語らしくない発音の地名を口にした。


「そこ、遠い。山、たくさん。川、たくさん。谷、たくさん。キムン・カムイ、出る」

 青年は、たどたどしい口調でいった。


「キムン・カムイって、何のことじゃ?」

 その音のなんとはない不思議な響きに誘われて、おいらはたずねた。


「〝山の神〟――ヒグマのことだよ。アインの者たちは、土地でも、動物でも、自然のあらゆるものに神が宿っていると考える。おぬしらがいう場所は遠くにあって、たどり着くには山あり谷ありだし、ヒグマも出るから危険だといっているのだ」

 青年を連れてきた男が説明してくれた。


 リョウマがそれでも行くというと、アインの青年は、いつも身につけているらしい小さな布袋を腰からはずしてリョウマに渡した。袋には星のような模様が入っていた。


朝陽川アサヒカワの近くにこの若者の家族が住んでいるといっている。彼らにこの袋を渡せば、おぬしがいった場所まで案内してくれるはずだ、と――」


 おいらたちは山あいの炭鉱を後にし、石刈川イシカリガワの流域に広がる原野へと下った。

 朝陽川はやって来た札保呂とは正反対の方向へ、さらに何倍もの距離を行ったところにあるという。

 札保呂にもどる道の途中で分かれ道へ入った。

 石炭を運ぶために整備された道路とくらべると、その道は悲しいほど細くて頼りなかった。

 目指す北の方向には、地平線の果てまでさえぎるものがなく、石刈川の流れ以外には目標となるようなものは何もなかった。


「とうとう炭坑の中は見られなかったな」


 これからどこへ、どういう目的があって行こうとしているのかは気になったが、それよりもまず、炭鉱好きなはずのリョウマがあっさり引き下がったのが意外だったのだ。


「ああ。あれくらい見られればいい。炭鉱開発は始まったばかりだし、日ノ本の産業革命も緒についたばかりじゃ。さまざまな工業がおおいに振興していかにゃならん。石炭は産業の米じゃ。石炭がなければ、何もかもが動かんのだからな」

「だが、坑夫たちは、まるでウシかウマのように働かされているように見えたぞ。それはかまわないのか?」

「労働者たちはたしかにひどい虐待を受けているように見えたな。産業の先端をになう仕事だからこそ、それ相応の待遇をちゃんと保証し、万全の安全対策をとらねばならぬはずなのに。しかし、肘方のように問題の本質がわかって危機感をいだいている者は、まだ一部にすぎん。今いくら待遇改善を要求したとしても、かんたんに突っぱねられるのがオチじゃ。先になればなるほど、もっとひどいことになっていくじゃろう」


 ドーチェスやイグランドの炭鉱を見てきたリョウマには、一眼見ただけでそれがわかったのだろうし、最初からあるていどの見当がついていたにちがいない。

 だから、ヒジカタを迷わず東亰へ行かせ、炭鉱から引き離したのだ。


 おいらは暗い気持ちになった。

〝富国強兵〟とか〝殖産興業〟とかいういかめしいスローガンの意味はよくわからないが、リョウマは、ラメリカやユーロピアでさまざまな先進的な技術や驚くべき豊かさを目の当たりにするたびに、日ノ本にもそれらが必要だと悔しそうにくり返していたものだ。

 必要なもののはずなのに、それが進むほど世の中にひどいきしみが出てくるというのは、どういうわけなのだろう。


「問題なのは、進歩をいちばん極めた国が、いつか世界中の富を総取りし、支配してしまいかねんてことなんじゃ。ユーロピア諸国とラメリカは〝列強〟と呼ばれ、たがいに他を蹴落とそうと産業振興を競い、戦争し合っとる。新政府のお偉方は、そんなやつらにむしり取られる側から、むしり取る側へ割りこもうとあせっちょるんじゃ。後発の日ノ本がやつらに肩を並べるには、そうとう無理を重ねていかにゃあならんのさ」

「そうか。国が元気なのもいいけど、そのせいできつい仕事を押しつけられる者もいるってことだな」


 おいらにもすこしずつわかってきた。

 リョウマは、ただの物好きで世界を回っていたわけではなかったのだ。


「で、こんどは何を見にいくんじゃ?」

「いや、見にいくわけじゃない。会いに行くんじゃ」

「会うって……どんな人に?」


 リョウマはちょっと黙りこみ、眼を上げてどこまでもつづく長い道の先を見つめた。


「女の人なんじゃ」


 リョウマの口から出た言葉は、北海堂の無骨で雄大な風景にはもっとも似つかわしくないものだった。

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