邂逅4



『神竜――だと?』


 地竜の朦朧とする意識でもその白い竜の姿には慄いた。

 純白の竜といえば、竜族の長たる神竜族の特徴だ。だが、彼らは神のそばに侍るために創られ、決して神々の世界・天界を出ないはず――いや、1匹だけ例外がいるという噂は聞いたことがあるが。

 そんな考えを巡らせるうちに白竜は旋回し、ふわりと弧を描いて地竜の前に降り立った。着地とほぼ同時に森羅はその背を離れ、とんっと軽い足音を立てて地に降りる。続いて瞬きするほどのあいだに白竜は十歳ばかりの人の子供に姿を変えた。


『はじめまして、僕は双樹。こっちは森羅だ』

『……噂は聞いております、双樹様』


 人懐っこい笑顔で名乗る少年に、地竜は畏怖から深々と頭を下げた。

 神竜というだけでも頭が下がるが、まして天界から降りている唯一の神竜・双樹といえば、族長の一人息子だ。

 神竜族の族長にしてすべての竜族を束ねる王の名を翠皇すいこうという。威厳ある王だが、亡き妻の忘れ形見である一人息子に関しては丁重に育てるあまり、勝手に天界を飛び出したり、人に血を与えて竜に転生させるという禁忌を犯したりと、手を焼いているという噂だが。


(そうか、があの――)


 地竜は頭を伏せたまま、目を細めて少年の傍らに立つ森羅を見た。


『知らぬこととはいえ、双樹様の伴侶となる方に無礼をした』


 双樹の寵愛を受けて血を与えられ竜に転生した元人間の名が森羅と言う。

 しかし完全な竜にはなれず、半竜半人の半端で異形な存在は神々に認められず、地上をさまよい続けることを余儀なくされたという。


『気にすることはないよ』


 森羅は風に乱された髪に手櫛を入れながら苦い顔をした。


『それより、手当をさせてほしいんだが』

『御意に』


 地竜は退化して飛ぶには使えない翼を大人しく畳み込み、森羅の手が傷口に届くように身を屈める。息をついた森羅は手際よく毒消しの薬草を出して手当の用意を始める。


「ねぇ森羅。ひとりで行ってきたんだから褒めてっ」


 そんな森羅に双樹が猫なで声ですり寄ったかと思うと、薬草を塗る森羅の背後からぎゅむぅっと抱きつく。


「双樹、邪魔だから離れて」

「やだ! ひとりで天界に戻ってくるの、寂しかったんだもん」

「私は門を通れないし、双樹の父上のところでしょう。ひとりで行ってあたりまえ!」


 森羅は身をよじって腕を突っ張り双樹を引きはがそうとするが、離れる気配は全くない。


「もう、双樹は人の姿になるとすぐに抱きつくんだから!」

「だって竜のままじゃ森羅潰れちゃいそうだから」

「そういう意味じゃなくて!!」


 双樹は逃げようと暴れる森羅の首に腕をまわして一層べったりと抱きつく。まるでじゃれあう子犬達のような光景を、地竜は溜息をついて眺めた。

 双樹は禁忌を犯した贖罪から森羅の傍にいることを願い出て、地上にいることを許されたというが――実のところ、翠皇は手に余っていた子守をていよく彼女に押し付けたのだとまことしやかに囁かれている。






「そういえば、あいつはどこへ行ったんだろう?」


 じゃれつく双樹をあしらいながらの地竜の手当がようやく一段落すると、森羅しんらは不意に割り込んできた青年の存在を思い出した。

 今更あたりを見回しても影も形もなかったが。


「あいつ?」

「うん、双樹が到着するちょっと前に、手出ししてきた人間がいたんだけど」


 首を傾げる双樹に説明しながら思い返し、改めて不思議な人だったと思う。

 怒れる地竜の一撃をあれほど易々と弾き返すなんて、並の人間にできる芸当ではない。いくらドラゴンキラーを所持していたといても、たったひとりで竜に対峙して、あれほどの余裕があるのも不思議だった。


『人間なら双樹様の姿が見えた時に逃げたようでしたが』

「そう――……」


 森の木陰を見つめながら、ぎゅっと自分の身を抱いた。

 あの、やたら人の心を見透かすような言動。気に障るのに、あの笑顔を思い出すとざわざわと風に揺れる木立のように心がさざ波立つ。

 それが不安なのか恐怖なのか言葉にできないもどかしさと居心地の悪さに、そっと目を伏せる。


「近くに人間の気配はないよ」


 双樹はあたりに視線を走らせながら忌々しげ言い捨てると、今度は遠慮がちに森羅の袖を引いた。


「人間なんて、どうせ恩を売ってなにか無理なことでも言うに決まってる」


 さっきまであの人間に恐怖に似た感情を抱いていたのに、そうは見えなかったという思いがなぜか心の内によぎる。

 だが、口には出せなかった。

 双樹は他の竜と同じく、基本的に人間を毛嫌いしている。

 これほど人を嫌うのになぜ元人間の自分にこんなに懐いているのか――そもそも、なぜ竜に転生させたのかという疑問に、双樹はいつも答えてくれない。


『ありがとうございました』

『あぁうん。数日は身を隠して、無理をしないようにね』


 深々と頭を下げた地竜に別れを告げ、のしのしと地を揺らしながら去っていく地竜の巨躰を見えなくなるまで見送ってから、森羅は問う。


「それで、呼び出しの内容は?」

「ん。予想通り、竜王と竜狩りの件だったよ」


 双樹は軽い調子で答えたが、芯ではひやりとしているのがわかる。

 双樹はあまり語りたがらないが、この国の王・ゴーシュは森羅と同じく百年前に双樹の血を飲んで竜人になった。そして自らを竜王と名乗り、国名を竜人王国ドラゴニュートキングダムと改名し、その強大な力で次々と近隣の諸国を侵略し大陸統一を果たしてしまった。

 大陸中を侵略する理由のひとつが、竜狩りだと言われている。

 各地で竜を探しては狩り集め、その血肉を食らうというおぞましい噂だ。

 基本的に人里にはできる限り近寄らない双樹たちの耳に入るほどだから、よほどのことだと思っていた矢先、双樹は父から呼び出しを受けた。


「……これは僕の責任だ。僕が止めなくては」


 珍しく緊張してふるえ出しそうな声がいたたまれず、森羅はその小さな肩を抱き寄せた。


「大丈夫、私が一緒にいる」

「うん――森羅、大好きっ」


 双樹がむぎゅぅ~っと抱きついてくると、森羅がはっとする。


「もう! 抱きつかないでっていつも――」

「今のは森羅が先だったよぅ……」


 双樹は文句を言いながら離れ、拗ねたようすで小さくなる。

 その背中を見るとちくりと胸を針で刺されるような気になる。


 双樹はいずれ森羅を伴侶にすると公言している。

 双樹のことは好きだと思うし感謝もしているが、それを受け入れることはできなかった。

 半端者である気後れもあれば、子供のいうことだからと軽視する気持ちもある。竜族の王子に文句など言ってはいけないんだろうとも思う。

 けれど――将来の伴侶などの言い回しは最近めっきり諦めてきつつあるが――しかしどうしても受け入れることができず、双樹が大人になってもそれを望んでくれるならと返事を濁し続けている。

 理由は、自分でもよくわからない。

 人であった頃の記憶がないせいかもしれない。

 抱きつかれると、ざわりと嫌な感じがしてしまう。

 違う、と声が聞こえる気がして、ちりちりと心が焼けるように痛むのだ――。

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