邂逅3

「少し油断しただけだ! さがってろ!」


 薄ら寒い感覚を押さえ込むためにぐっと息を呑んで男を背に一歩前に出ると、彼は呆れ半分の笑顔で肩をすくめた。


「その話し方、せっかくの可愛い顔が台無し」

「軽口叩くよりマシだ!」


 振り返らずに怒鳴ると、男が「うん、確かにそれは困る」と言って忍び笑う声が聞こえた。なぜ彼が困るのか理解できないが、なんだか無性に苛立たしい。

 もし森羅がそれなりに女性らしい格好をして穏やかな表情で長い髪をさらさらと風に揺らしている姿でも見れば、確かに可憐な乙女の容姿に違いない。だが現実は飾り気の一切ないオリーブ色の男物の旅姿に仏頂面。ついでに男勝りの語調は、一見すれば少年のように見える。――見えるように、意識している。


「まぁ、女の子の一人旅は危険だろうけど。それにしたって――」

「煩い!黙れ!!」


 わざと怒らせようとしているのではないかとすら思えてきて振り返った森羅は、槍の切っ先をよく喋る男の喉元に突きつけた。


「……やっぱり強情」


 だが彼は一切恐れのない涼やかな表情のまま槍を掴んだかと思うと、くるりと捻った。


「ッ!!」


 余裕なのか笑みを浮かべる男は細身で決して力強くは見えないのに、槍は親が子供から玩具を取り上げるかのように易々と森羅の手から離れてゆく。


「君は武器を振り回すことも誰かを傷つけることにも慣れてない」


 取り上げた槍を掲げて嬉しそうに笑みを浮かべた男は、そうきっぱりと断言する。


「微塵も殺意の籠っていないハッタリなんて脅しにならないよ」


 見透すような態度にぐぅの音も出ず、森羅はただ彼を睨んだ。彼は涼やかにそれを受け流すと、槍を投げて返した。


「君は武器より怪我人を介抱する方が似合う」

「……煩い。余計な世話だ」


 森羅は慌てて槍を受け取りながら苦虫を噛み潰したような返事を絞り出す。すると彼は目を細めて穏やかに笑った。


「君は相変わらず、言い出したら聞かないなぁ」


 人違いだと口にするより先に、迫り来る重い風切り音に気づく。

 森羅は反射的に後ろに跳んで避けたが、男は悠然とドラゴンキラーを握り直したかと思うと、轟音とともに振り下ろされた地竜の尾をそのまま剣の腹で受け止めた。

 杭のように大地に打ち込まれるのではないかと思うような打撃を受け止めた男は、そのまま唸り声を上げて噛み殺そうと首を伸ばしてくる地竜の頭に向かってそのハンマーのような尾を払い退けた。

 押し戻されて蹈鞴たたらを踏む地竜に向けるその眼光は自分に向けられたものではなくても背筋が凍る思いがするほどに鋭くて。


「やめて!」


 再び剣を握り直す気配に、森羅は遮二無二その腕を引いた。


「お願い。傷つけられて気が立ってるだけなんだ。だから――」


 殺気立った気配がふわりと緩む。地竜に向けていた鋭さとは打って変わって穏やかな琥珀色の瞳が、ゆっくりと細められる。

 剣を握っていない方の腕が森羅の背中の方に伸ばされ、心の奥底に細波が立つ。


 その時、不意に。

 地竜がぴたりと動きを止めた。

 そして、その巨躯がぐらりとかしいだ。


「――やっぱり!」


 この地竜を最初に見た時から恐れていた事態だった。だからこそ双樹を待たずに声をかけたのだから。


『矢に毒が塗られていたんだ。暴れれば余計に回ってしまう。急いで解毒を――』

『煩うるさい、触れるな!!』


 焦りから考えなしに走り寄った森羅は、怒号とともに振り回された前足に弾き飛ばされた。男が何かを――おそらくは人違いをしている誰かの名を――叫ぶ声が遠く聞こえる。


「う……っ!」


 小さく呻いた森羅の華奢な体は空高く飛ばされる。

 想像以上の衝撃ではあったが、とっさに槍で受け止めて衝撃を和らげたから大事はない。猫のようにくるりと体を反転させて着地の姿勢を整えたところで――耳元にばさりと大きな羽音が轟き、地上の景色を純白の鱗で覆われた竜の背中が遮った。


「お待たせ、森羅」


 無邪気であどけない子供の声がして、純白の竜の背が森羅を受け止める。


「双樹…ありがとう」


 森羅は慣れた仕草で落ちないようその首に腕をまわし、その名を呼びながらつるりとしたその首筋に頬を寄せた。

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