終焉


「あぁ神様、こんな無慈悲な……!」


 従兄弟にあたる少年の遺体に縋り、エミリア姫は声を上げて泣いた。

 信心深い彼女が神の慈悲を疑うことを禁じ得なかったのも仕方ない。それほどまでにその遺体は細く、小柄だった。


 エミリアは幼い頃からゴーシュ様が王子を授かれば王妃の第一候補として名を上げられるのだからと厳しく躾られ、懇意にするようにと言われて育った。彼女が8つの時に待望の王子が誕生したものの、その年の差に加え、成人まで生きられるかどうかという虚弱な体――そして王弟の台頭といった事情に縁談はまとまりそうになかったけれど。

 けれどいとけない従兄弟はたいへんに可愛らしくて、エミリアはこれまでわずかな散歩や庭でのお茶会や、室内遊びなどと親しく接してきたのだった。


 トーマ王子はその虚弱な体とは不釣り合いに、男の子らしい冒険譚が大好きだった。

 主人公の危機には頬を真っ赤にして聞き入り、興奮が体調に障って途中でやめようかと提案すれば、駄々をこねた――そんな想い出が姫の脳裏をかすめては消え、そのたびに涙は尽きることなく溢れた。


 成人するまで生きることが出来ないだろう、世継ぎを残せはしないだろう、と囁かれていた子だった。しかしそれでもわずか10才――しかもこんなに唐突に、まさか竜に踏み殺されるなんて、哀れに過ぎる。

 最初に竜に踏まれたなんて聞いた時には遺体を見に行くにも躊躇われたほどこわかったけれど、竜に踏まれたにしては遺体にはほとんど損傷がないのはせめてもの救いだろうか。


(……竜)


 王子の衣装を飾る王家の紋章をぱたりと涙が打って、ふと思う。


(白い……竜……)


 国の守護者として描かれていた生き物が、どうしてこんなあどけない王子の命を奪ったのだろうかと。


(これが啓示だとするならば――)


 そんな怖気に身を震わせた時、とすんと軽い衝撃が頬の脇に落ちた。


「にゃあぁぁん」

「エミリア様!」


 顔を上げるより先にそれは声を発し、王子が可愛がっていた白猫だと察せられた。後ろに控えていたアイリが鋭い警告の悲鳴を上げるのを訝しく思いながらゆっくりと顔を上げる。

 主人の死を悼むエミリアを気遣っているのだろう。猫はしなやかな体をこすりつけ、ぺろりと涙を舐めた。


「まぁ慰めてくれるのね、なんて優し………」


 触れあうぬくもりに幾分心が落ち着いた礼を言おうと涙を拭ったエミリアは、目元からハンカチを離したとたんに喉を凍らせた。


 王子が可愛がっていた猫は、純白の手足に空を思わせる澄んだ水色の瞳。凛々しい顔も張りのあるヒゲも白くて、鼻先と耳だけがほんのりと桃色に色づくそれはそれは美しい猫、だったはずだった。

 けれど。

 純白の手足も水色の瞳も、なにもかもが王子の愛猫と同じでありながら――その猫には、翼があった。

 その体と同じ純白の、骨張った蝙蝠のような――否、竜の翼が。


「………な…なに……っ!?」


 細い悲鳴を上げて腰を浮かせれば、両肩に大きな手のひらが添えられた。


「あれもトーマの死を悼んでいるのだろう」


 穏やかな――けれど低く、囁くように小さく押さえられているのは悲しみを堪えているが故か――声に仰ぎ見れば、それはゴーシュ王だった。

 本来なら礼をとるべきだが、体が凍ってしまったように動けなかった。

 肩に添えられている王の手は白い鱗に覆われ、鋭い鉤爪が伸びていたから。


「トーマを悼んで泣いてくれるのだな、エミリアよ」


 穏やかな口調で名を呼ぶのは聞き慣れたゴーシュ王の声だ。けれどその言葉と同様に優しく肩をさする手は、王子を殺したという白い竜を思わせ――。


「エミリア様ッ!!」

「きゃっ!」


 アイリが不意に腰に腕を回してぐいと引き寄せ、体勢を崩してふたり揃って尻餅をついた。


「ずいぶんと不作法な従者だ」

「ひっ……!」


 ぎょろりとした目がアイリを睨みつけ、鋭い鉤爪が伸ばされる。


「ゴーシュ様、お許しください。この子はきっと私の身を案じたが故に……っ」


 恐怖に動けないアイリを庇うように抱きしめると、ゴーシュ王は「ああ、そうか」と呟いてゆっくりと腕を引いた。


「この腕では、私を主人に害なす怪物と考えるのもやむを得まいな」


 王は自分の腕をまじまじと眺め、しかし感情の読みとれない平坦な声で呟いた。


「……ゴーシュ様……?」


 ひどく奇妙な――ちぐはぐな印象を受けた。


「トーマ亡き今、もはや英雄シグルドの血を継ぐ者は私一人……」


 すっと下ろされた腕と肩が、ひどく意気消沈しているようにもみえた。けれどすぐにぐっと鋭い爪のついた指が拳を握る。


「だが!」


 メリメリと不気味な音とともに、王の背中を覆うマントが竜の翼の形に浮き上がる。叫ぶ喉も鱗に覆われ、靴が裂けて太い竜の足が現れた。


 エミリアは弾かれたように駆け出した。

 腰が抜けているアイリの手を無理矢理に引いて。


「終わらせはせぬ。決して、決して!」


 手を引かれたことで駆けだしたアイリとともにもつれあうようにして駆け抜ける室内に哄笑が響いた。


「私はこの力でより盤石な国をつくる!!」


 視界が滲んで世界が溶けるように思えたが、命綱のようにアイリの手を強く握ってひたすらに駆けた。

 ここにいてはいけないという本能が鳴らす警鐘に急かされ、着の身着のままで城を飛び出し、ひたすらひたすら駆けた。


 決して振り返ってはいけない。

 それもまた本能的に感じた警鐘だった。







 かくして白い竜の恩恵を受けた英雄の国・グラドは終焉を迎えた。

 そして異形の王は、新しい国の名を竜人ドラゴニュート王国キングダムと名付けたのだった。





《第二部・完》



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