裁きの炎2
街を見渡せる小高い丘の頂に続く小道は、無数の純白のユリで飾られていた。
毎日のように夕日を眺めてきた思い出の場所だから夫婦の門出もここからにしようと弾けるような笑みを浮かべたシオンの顔が浮かびそうになって、そっと心に蓋をする。想いを込めて育ててきたユリをはじめとする花々が咲き誇るその丘の上に向かって、ゆっくりと歩を進める。
しかし到着した丘の上に立てられた十字架は華々しく飾られたわけでもなければ厳かでもなく、無骨な黒ずんだ鉄製のもの。客を迎え入れるはずだった広場は同じく鉄製の柵と見張りの騎士が部外者の立ち入りを拒み、代わりに柵の外に人々が集まっている。観衆の視線の先にいるのは、神父ではなく死刑の執行人。新郎の代わりに処刑の見届人。そして純白のウェディングドレスに身を包んだ新婦の代わりに簡素なワンピースに身を包んだ罪人――という3人だった。
ひやりとした鉄製の十字架を背に感じる。
同じように冷たい、太く頑丈な鉄の鎖がじゃらじゃらと音を立てながら腕や足、胴回りに巻かれていくのを、どこか他人事のように感じていた。
牢を出てここまで歩いてくる道のりを一歩踏みしめるごとに心は凍り付いていった。だからその感触に動じることはない。けれど、部外者の侵入を防ぐ鉄柵にすがって両親が泣いている声が耳に届くと、胸が軋んで鈍い痛みに思わず呻いた。その姿を目にすまいと強く目を閉じ、痛みを堪えることだけに心を傾ける。
けれどむせび泣き、私の名を呼ぶ母の声を意識から閉め出すことはできなかった。
「これより、反逆者の処刑をはじめる!」
涙が滲みかけた瞬間に、朗々と執行人が開始を告げたので、危うく涙を飲むことができた。
「……サラ――」
見届人である領主が珍しく苦渋に満ちた表情で傍に寄り、周りに聞こえない小さな呻き声で名を私の零した。
「ヒース様、」
市政を執るに際して私情を挟むことなど一度もなかった領主の、呻くような呟きをを遮る。それはこのような場所で決して口にすべきではない言葉だと感じたから。
遮られた領主の拳がわずかに揺れ、そして息を飲むと言葉の代わりにゆっくりと長い嘆息だけをこぼした。
この心優しい領主を一時でも義父(ちち)と呼び慕うことが許された幸福が胸を満たして、自然と、わずかではあるが笑みがこぼれた。
「……両親のことを、どうかよろしくお願いいたします……」
ヒース様は目眩を振り払うかのように軽く目頭を押さえ、深く息を吸ったままで一度止めた。
「ああ、わかっている」
息を吐きながら呻くように答えたヒース様は、さらにもう一度深く息を呑み込む。それから、こほんと咳払いをして、ようやく処刑の見届人として声を張った。
「リュイナールの花屋ディアとナタリーの娘、サラ。王に謀反を企てた大罪により、これより火炙りの刑に処す!!」
その号令により、執行人の持つ松明に赤々と火が灯された。
厳かに近づいてくる炎を横目に見ながら、見届人は静かに問うた。
「……最後に、言い残したいことはあるか?」
問われ、シオンの姿が浮かびそうになって強く自分を叱咤し、目を伏せて彼のことを意識の外へと閉め出す。
(最後に、みんなに言うべきこと――!)
シオンのことを除けば、思い浮かぶことはあとひとつしかなかった。
「どうか、もうあの竜を追い回さないで。これ以上あの幼い竜を追い回せば、必ず神の怒りをかうことになる……」
ざわめいていた観衆の声がぴたりと凪ぎ、ヒース様の表情が厳しく強(こわ)ばった。
「――だから、どうか――……」
ヒース様がちらりと視線を投げた先には、騎士団が整然と隊列を組んで待機している。
「………どうか、逃げて………」
執行人は息を飲んだまま号令を出せずにいた見届人を睨みつけて急かした。号令を迷うならば、と執行人が騎士団に目配せしようとし、それを遮るようにヒース様は手を挙げた。
「――点火!」
見届人が号令を下し、執行人の手によって十字架の下のくべられた薪に火がつけられた。
はじめは、蛇の舌のようにちろちろと薪の間から炎が覗くだけだった。けれど、炎は小さくとも背中の十字架は下から少しずつだが確かに熱を帯びていく。
「…………っ!!」
きつく唇を噛んで声を押し殺すことだけを考えた。
十字架が背中まで熱を帯び、髪がちりちりと焦げ、ほのかに甘い異臭が鼻を突いた。
足に巻き付いた鎖は、いつのまにか灼熱の赤い蛇が這いつくよう。
次第に、足先からちりりと炙られる感触がしてくる。
甘い異臭に、焦げ臭さが混ざっていく。
「………………ぁ、っ……!」
覚悟を決めていても寒気が走るのを抑えられない。
シオンの優しい笑顔が浮かんで、無意識に名前を叫び出しそうになる。
(――シオン!)
心の中で叫んでしまってから、きつく歯を食いしばる。
(ダメ、あの人のことは忘れなさい!!)
自分を叱咤して、必死に思い出を全部記憶の彼方に閉め出そうとする。
どんなことがあっても、絶対に彼の名を叫んではいけない。
呼べば、シオンは共犯として同じ目に遭うだろう。
(そうなるくらいなら、今すぐ舌を噛んで自害したほうが――!)
そんな思考の途中で風に煽られた炎が、ついにワンピースを巻き込んだ。
「――――……っ!!」
息を呑み、奥歯を噛みしめ、どんな言葉も叫ぶまいと息を詰める。
けれど。
ワンピースはあっという間に炎に包まれ、耐えきれないほどの激痛に、口を閉じてなどいられなかった。
凄絶な絶叫が、街中に響きわたった。
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