枷3
「――サラ。ひとつだけ、正直に答えて欲しいことがある」
声も上げずに静かに涙をこぼすサラを離すまいと強く抱き寄せていたが、意を決して腕を少しだけ緩める。ゆっくりと、覚悟を決めるようにサラは顔を上げた。
「昨日……本当は竜のことを相談したくて、私を引き止めた?」
謹慎させられている間に何度あの時の不安げなサラの表情がまなうらに浮かんだだろうか。
別れ際にそばにいてほしいと引き留めるだなんて、はじめてだった。
なにかを悩んでいるのだとは、わかっていた。
「……結婚のことかと聞いたら、君は違うと言った」
なのに、私は勝手にそうと決めつけた。
「私がそれを信じていれば。もっとちゃんと話を聞いていれば、こんな――」
胸を締め付ける悔恨が、血が滲むほど強く拳を握らせる。
サラはほのかな笑みを浮かべて両手でそれを包み、ゆっくりと解いて手のひらを重ね合わせた。
「いいえ。あの子に誰にも話さないって約束したから、あなたにも打ち明けるつもりはなかったわ」
「じゃあなぜ昨日に限って君は私を引き留めたんだ」
サラは、少しだけ笑顔に少しだけ苦い物を滲ませる。
「打ち明けるべきじゃないのかと悩んではいたの。でも、今はこれでよかったと思ってる」
「これでよかった?」
幸せにすると約束した婚礼を控えていながら一転、処刑を待つ身となって、いいわけなどないだろうと信じられない気持ちでまっすぐに見つめるが、サラは笑うばかりで譲る気配はなかった。
「――私を、巻き込まないために?」
一瞬息を詰まらせて表情を歪ませたサラに、罪悪感とやり場のない怒りがこみ上げる。
「君はいつだってそうやってひとりで背負い込んで自分だけ傷ついて……っ!!」
サラは押し黙って王都の方を見つめるだけで口を閉ざしていた。
その
合わせられた瞳から感じる決意に、一瞬、言葉に詰まる。
「……シオン。この街から――いえ、この国から、逃げた方がいいと思うの」
サラの声は静かだったが緊迫感に満ち満ちていた。
話を逸らす気かと勘ぐってもみたが、その張りつめた声に他意は感じられなかった。
「あの子は神竜だと言っていた。神様のものを傷つけたり追い回したりしたら、神の怒りに触れるわ。それにあの子自身も、今は人に怒りや憎しみは持っていないようだったけど、もし約束を破ったら、追い回され続けたら、いつか――……」
サラは想像して怖くなったのか言葉を切り、目を伏せた。
「最初は本当にただかわいそうだと思って手当しただけだった。だけど神竜だと聞いてからずっと、それも不安で……」
「じゃあ、一緒に逃げよう! 今すぐに!」
そっと自分の身体を抱きしめたサラの腕を強く引いて立ち上がる。けれどサラはその手をそっとほどいて、ゆっくりと首を振った。
「……いいえ、私は行かない。この厚遇はヒース様が絶対に逃げないと保証してくれたおかげ。なのにそれを裏切るわけにはいかないわ」
「父上のことは心配しなくても!」
サラは石のように微動だにせず、まっすぐに私を見上げた。
「反逆罪で処刑される娘を領主の息子が連れて逃げたりしたら、みんながどう思うか考えてみて。あなただけじゃなく、ヒース様まで共謀の罪を着せられ、この街を騎士団が制圧にくることだってありえる。あなたは、それでも構わないって言えるの?」
「――……っ!」
言葉にならない声を呑みこみ、自分の立場を生涯で一番強く呪った。
鍵もかけていないこの牢に彼女を繋ぎとめる目に見えない枷は、自分自身だった。
「父上は……」
祈るような気持ちでサラの手を両手で握り、額に当てる。
「父上は、今夜限りで私と縁を切ると言った。だからサラ――逃げよう」
一瞬、サラは目を見開いた。
けれど、ゆっくりともとの微笑に戻っていく。
「……お気持ちだけいただきますと、ヒース様に伝えて。これまでの十分過ぎるほどのご厚意、言葉にできないほど感謝しているとも」
「――サラ!」
「シオン、頭を冷やして。今更縁を切ったと言っても庇うための虚言だと誰でも勘ぐるでしょう?」
「……わかってる。わかってるけど、父上だって――…!」
「もちろんヒース様もそれを承知で黙認するつもりでしょう。あなたに面会を許可するだけでも逃げなさいと言うのも同じことなのに。――ならばなおさら、私は逃げるわけにはいかない」
強い決意の目に、きっぱりと拒絶される。
「さっきも言ったけど、これは私が負うべき罪なのよ。だからシオン、あなたは帰らなければ」
「嫌だ。――嫌だ、サラ。君のそばにいる」
「……お願い、シオン。私の大事なこの街を、両親を、守って」
「それは……もちろん、そうするけど――けど、でも――せめて、君だけでも……」
サラは、駄々をこねる子供のように泣くしかない私の背を優しく撫でた。
「……私のことは、大丈夫」
項垂れている私の頭上から、サラの優しい声が降ってくる。
目の前に膝をつき、私の両手を包む込み、胸に抱くようにして、そっと笑顔で語りかける。
「私は神の竜を助けたんだもの。神様がきっと、奇跡を起こしてくれる」
その笑顔が痛々しくて、声が出なかった。
優しくて穏やかな声なのに、震えている。
手だって、冷たくて、震えているのに。
どうして、慰められているのは私なのだろう。
いますぐにこの境遇から救い出したかった。
いつものように明るい太陽の下で、花の芳香をまとって、暖かく笑ってくれるのならば、自分に差し出せるものならなんだって引き換えてもいいとさえ、思うのに。
その方法が、思いつかない。
何も。
なにも――。
「サラ……必ず、助けるから」
強い意志を込めた言葉は、けれども空しく宙に消えていくだけだった。
強く、強く。
離したくないと、ただ抱きしめることしか、できなかった。
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