運命の朝


 そっとぬくもりが去っていくのを感じて、うっすらと目覚めた。


 サラはいつも朝日より早く目覚めて、私を起こさないようにそっとベッドを去っていく。一人で手早く身支度を済ませ、そして寝ている私に一言だけ声をかけて仕事に行ってしまう。

 ほんの一時でいいから朝日の射すベッドの中で共に微睡みたいと思っているのだけれど、サラはその願いを聞き入れてくれたことがない。


 だから呼び止めようと思うのだけれど、意識がぼんやりとしていて頭が働かず、言葉が出てこない。瞼はにかわでも付いたかと思うほど開けることができない。


(……なんで、夜更かししたんだったか……)


 寝不足なのだろうと判じてみるが、常ならばぬくもりを絶やさないはずの自室の柔らかいベッドではない。空気は冷え冷えとしていて、ベッドはシーツの下に板の感触を感じるような粗末なものだ。


(ここは、どこ……?)


 混濁している記憶を探っていると、静かに……そっと、撫でるような囁き声が降ってくる。


「シオン、ありがとう。本当に最後までずっといてくれて、嬉しかった……」


 震えを押さえ込んだ声はことさらに優しく穏やかで、それが夢かうつつか、わからなくなるほど現実味を帯びていなかった。


(最後……? なんでそんな、今生こんじょうの別れみたいな……)


 サラの離れていく気配を追いかけようと痺れた腕を鈍い動きで伸ばす。けれど手は届くことなく、離れたところからぼそぼそと涙に濡れた話し声が聞こえてきた。


(……昨日から、君は謝ったり泣いてばかり――、……ッ!?)


 唐突に、パチンと泡が弾けるように意識が覚醒した。


「サラ!!」


 それと同時に、カシャンと、乾いた錠が下りる音がした。


 見渡しても、サラの姿はなかった。

 腕の中にも、牢の中にも。


 鉄格子に縋って通路を見れば、蜂蜜色の髪が登り階段へと消えていくのが見えた気がした。



 明け方までずっとサラを抱きしめながら、なにか説得できる材料がないか、救う方法がないかと考え込んで――前日もほとんど寝てなかったせいでうとうとと船をこいだのは、そんなに長い時間じゃないはずなのに。


「サラ!!!」


 呼びかけても、返事はない。

 姿も、見えない。


 鍵のかけられた檻に入れられているのは、私だけ。


「お前は、そこで待っていなさい」


 静かな声に、牢の中から声の主を――鍵を持つ父を睨みつけた。


「父上! なぜ――!!」

「あの子が、そしてお前が望んだ結果だ」

「私はッ!!!」


 牢屋の檻を思いっきり殴りつけたが、頑丈な鉄格子はびくともしなかった。父の態度と同じく、全く揺るぎなかった。


「一晩の時間をやったのに連れ出さなかったのだからお前も承知したのと同じことだ。彼女を助けに行くことは許さない」


 父の声はどこまでも静かだった。


「なにより、あの子はそれを望んでいない」

「――わかってる、そんなこと!!」


 喉が裂けそうなほど、叫んだ。


 サラはどんな説得も絶対に頷かなかった。

 一歩たりとも、牢を出ようとしなかった。


 それはなにより、私や父や家族を含むこの街の人々を守るために。

 それらを犠牲にして命を繋いでも、一生後悔するだけで生きる意味などないからと!!




「……これを、お前に返そう」


 父が差し出したのは、指輪だ。

 銀色の、家紋であるユリの紋章が刻まれた指輪。


 昨日、サラが返して寄越した婚約指輪――。


「……嫌だ。それは、サラの手にあるべきものだ」


 血を吐くような思いで、喉を絞る。



 受け取りたくない。


 受け取れば、認めたことになる。

 婚約の破棄を。

 サラの、処刑を。


「――…彼女の伝言だ。『どうか幸せに』と」


 威厳のある父の声が、ほんの少し涙に震えたように聞こえた。


 だが、それでも。

 その伝言は火に油を注ぐことにしかならなかった。



「サラをこのまま見殺しにするくらいなら、こんな国なんか滅べばいい!!」


 踵を返して去っていく父の足音を一度はかき消した呪詛の余韻が、地下牢にこだました。




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