枷2



 常ならば、この街で処刑など行われない。

 城の地下牢は単に移送や手続きを待つ虜囚を留めておくためにある。故に狭い牢がふたつきりだ。


 領主が保証したためか、サラは手枷も足枷も嵌められていなかった。それでも冷たい鉄格子の小部屋の中の堅い簡易ベッドの端に、所在なげに座っていた。


「サラ!」


 うまく回らない鍵を開けるのがもどかしく、声をかける。

 サラは反射的に顔を上げようとしたが――すぐに、ぷいと背けた。

 焦りからうまく開かない鍵に苛立つ。


「……シオン様、なぜこのような場所にいらっしゃったのですか?」


 堅い声で呻くように窘められる。

 声の固さも、わずかに震えていているのも、居たたまれなかった。


「私はもはやあなたとは関係ない大罪人――」

「……サラ」


 ようやく開錠して大きく一歩踏みだし、彼女の前に膝をついて手を伸ばすと、息をのんで言葉が止まった。

 その表情は苦渋に歪んでいた。

 手はきつく拳を握り、そこに怖いものがあるようにきつく閉じられた目。

 それらを、両腕でしっかりと抱き寄せる。


「私の他には誰もいない。そんなふうに取り繕わなくていい」


 腕の中で、細く冷たい体が震えた。

 疑い深く見上げてくる目に、みるみる涙があふれていく。

 それがこぼれ落ちそうになった時――糸が切れた人形のように唐突に、胸の中に顔を埋めた。


「シオン――……ごめんなさい。……ごめんなさい……!」


 かぼそい嗚咽が漏れた。

 サラは何度も何度も、謝り続けた。


 背中をゆっくりとさすると、慟哭がかえって深まってしまう。


「あなたに、ヒース様に、こんな迷惑をかけるつもりはなかったの……」


 唐突にこみ上げてきた涙で、喉が詰まった。


 明日処刑されそうになっていてもなお、人のことばかり気にして。

 お人好しにも、程がある。


「――大丈夫。サラ、必ず……必ず助けるから」


 泣きじゃくるサラが一息つけるまでその冷えた身体を抱きしめ続け、根拠もなく大丈夫だと言い続けることしかできなかった。







 サラは涙が枯れ果てるまでひたすらに泣き、涙が枯れてからもしばらく身じろぎしなかった。


「……シオン、ありがとう。もう……大丈夫」


 随分時間をかけて最後に苦しげに吐息を漏らすと、ようやくサラは全てを吐き出してすっきりした顔を上げた。

 いつもの、笑みを張り付けて。


 顔を見合わせたところで不意に、シャツのボタンが飛びんでちらりと覗く胸元が目に入り、苦い気持ちが溢れる。

 聞くべきか躊躇っていると、サラは襟を集めてかすかにほほえんだ。


「あぁ、これは、別に何もされてないのよ。逆上したシオンが剣を向ければ反逆の汚名を着せてイグナス家を処罰する名目が立つと――あなたはその思惑通りに激昂してしまうから、生きた心地がしなかったわ」

「君がなにかされたら、冷静でいられるわけがない」


 思わずむくれると、サラはくすくすと笑った。


「もう、シオンは開き直りすぎ」


 その笑顔は、じわりと心を温めてくれる。

 けれどひやりとした空気が現実に引き戻し、この状況で笑える肝の据わりようは複雑だと思う。


「大体、竜の血を持ってただけで魔女だの何だの、翌日には有無を言わさず処刑って酷い話だ」

「……ごめんなさい」

「君が謝ることじゃない」


 自分に落ち度がなくても謝ってしまうのは、サラの悪い癖だ。だが、サラはうなだれたまま首を振って押し黙った。

 沈黙が重くのしかかって、溜息が漏れた。


「……でもまぁ確かに。手負いの竜を保護するなんて、いくら君でも驚きを通り越して呆れるけど」


 サラはかすかに自嘲気味な笑みを浮かべた。


「ごめんなさい。最初は王に追われてるなんて知らなかったし、それに子供だったから見捨てられなかったのよ」

「……子供……?」

「ええ。穏やかで優しくて、とてもかわいらしい子だった」


 竜の子供の姿を思い返すサラは、いつも保護した動物のことを話す時とまったく同じ優しげな笑みを浮かべていた。


「――その竜は、王子を殺した罪に問われてる」


 迷いながら告げると、サラの笑みは暗雲が立ちこめるようにみるみると曇っていき、視線が曇天色の床に落ちた。


「ええ、それはゴーシュ様に聞いたわ。……まだ、信じられないけど」


 サラは膝の上の自分の両手をぎゅっと握りしめ、その手をじっと見つめている。


「あの子……私が食べる楽しみがないのはもったいないって言ったら、命を奪うことがもったいないのかって不思議そうに首を傾げた。ひどい出血で歩くこともできなかったのに、助けてくれたお礼にあげられるものが他になにもないからって、自分の身を傷つけてまで私に血を与えようとした。……そんな子が、人の命を奪うなんて想像できないもの」

「じゃあ、別の竜ということは――?」


 竜の存在自体が稀少だが、もし別の個体だとすればまだしも弁明が立つ――という一筋の光明を、サラは静かに首を振って否定した。


「あの子、騎士団に追われている自覚はあったみたい。それに――竜にあんな重傷を負わせられる人なんて、限られてるでしょう?」


 国宝である唯一竜に有効なドラゴンキラーを所有している騎士団長の姿がちらりと脳裏をよぎる。

 莫迦がつくほど真面目に王家を守る騎士団長・カラムの、壁のような佇まいを。


「……だから、こうしてあなたに迷惑をかける可能性をまったく考えなかったわけじゃない。それでも私はあの子を見捨てられなかった」


 きっぱりとした態度で、サラは言った。

 そして、少しだけ申し訳なさそうにしながらも、まっすぐに見上げてきた。


「だから……これは、私が負うべき咎なの」


 息が詰まって苦しく、意識して呼吸をしなければならなかった。


「……怪我をした動物を助ける慈愛が、罪だっていうのか?」


 ようやく呻いた私の背中を、サラは無言で撫でた。子供のようにそれに縋ってしまう自分が情けなくて悔しくて、堪えていた涙がぽたりとこぼれ落ちる。


「ごめんなさい。私は目の前の竜の命と、あなたとの未来を天秤にかけて――あなたを選ぶことができなかった……」


 ぽつりと懺悔するサラに、かすかな笑みをこぼす。


「確かに……それは悔しいな」

「だから――」

「だけど!」


 絶対に聞きたくない不吉な言葉を強引に遮り、サラの頬に手を添える。


「だけど、そんな君だからこそ好きになった私に、君を責める権利なんかない」

「……シオ……ン――……」


 くるりと見開かれた若草色の目。

 頬に残る涙の跡を指で拭ってから、冷たい唇を重ね合わせた。

 頬に添えたままの指に、あたたかな涙がぽろぽろと止めどなく伝っていった。


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