萌芽3
「お願いって?」
できるだけ動揺を顔に出さないように努め、さりげなく身を引いて距離を取りながら問い返す。
「うん、僕のことは他の人には内緒にしててほしいんだ」
つぶらな瞳が、例えば秘密基地を作って大人には内緒だと秘密を共有する遊びをしている無邪気な子供のように輝いていた。けれどどれだけ胸を押さえても心臓がばくばくと強く波打って落ち着かないのは、きっと本能が警鐘を鳴らしているせいだ。
「……ええ、わかったわ。誰にも言わない」
逆らうべきではないという本能から、ほとんど反射的にそう約束していた。
約束を口にした瞬間、今度は本当に誰にも相談しなくていいだろうかという不安に駆られる。背中に張り付いて離れない膜のような不安を振り払おうと胸に手を当て、そこにある婚約指輪に助けを求めるように意識を向ける。
(でも、シオンにだけは……)
「約束だよ」
だが、それを口にするよりも早く、少年は満足そうに頷いて安心しきった笑みを浮かべた。その屈託のない信頼のこもった笑顔に、約束を
「ええと……何か、他に私にできることはあるかしら? 例えば、食べ物とか。怪我や病気の時は栄養を取ったほうがいいと思うのだけれど」
その提案が単に怪我をして迷子になっている子供に対する情なのか、せめて償おうとする気持ちが働いたのかは、自分でもわからない。
「ううん、僕らは食事を摂る必要がないから」
ソウジュはふるふると首を横に振った。
そう言われてみれば、神竜は他の竜と違って動植物の命を惜しみ、霞しか食べないと言われているのだった。
「そう。でもおいしいものを食べる楽しみがないのは、少しもったいない気がするわね」
幼い頃、父が布団の中で神竜の絵本を読んでくれた時に思ったことが懐かしくて、いつの間にか口から零れ落ちていた。
その何気ない一言にソウジュは子猫のようにあどけなく首を傾げる。
「もったいない? 命を奪うことが?」
食べることと命を頂くことがすぐさま結びつくこの子は、人間とは感覚が全く違うのだと現実を突きつけられて苦笑し、首を振った。
「いいえ、命を奪うことがもったいないわけじゃないの。けれど、果物は食べてもらうためにおいしく
一度言葉を切ると、ソウジュは好奇心に目をキラキラと輝かせて、身を乗り出すようにして話の続きを待っていた。それは街の子供たちと同じ、いかにも子供っぽい無邪気なしぐさだった。シオンの方が教えるのが上手なので今はすっかり任せきりになったけれど、街の子供たちに読み書きを教えていた頃が懐かしく思い起こされ、笑みがこぼれた。
「食べてもらうことで種を運んでもらったり、種を作る手伝いをしてもらう――自分の命を子供につなげていくために、助け合っている。だから食べることが悪いってことはないと思うのよ。食べてもらうためにおいしくなったのなら、そのままにして腐らせるより食べてあげるのも大事なことじゃないのかしらね」
ソウジュはしばしぱちぱちと瞬きしながら私を見つめ、ゆっくりと言われたことをかみ砕き呑みこんでいるようだった。
そして最後に、にぱっと天真爛漫な笑みを浮かべた。
「ふうん、サラの話は興味深いね。僕はそんなふうに考えたことがなかったけど、そういう考え方もあるんだね」
「もともと食べることを必要としないあなたたちには、関係のない話だったかもしれないけど」
大仰に感心され、いくぶん居心地が悪く座りなおした。
「ううん。いろいろな考え方を知るのは大事だって、母上が言ってた」
にこにこと笑う少年の愛らしさに、胸が疼いた。この子を失った母親はどれほどの悲嘆に暮れるだろうかとそっと頬に触れる。
「そう……お母さん、とても心配しているでしょうね」
「ううん、母はもうずっと昔に――僕が生まれてすぐに死んでしまったから」
顔色を全く変えずあっけらかんと答えたソウジュは、子猫のように心地よさそうに私の手に頬を寄せ、自分の――いつの間にか人の手になっている――一回り小さな手を重ねた。
「……あのね、僕の母の名もサラっていったんだ」
サラという名はよくある平凡なものだけれど、竜の名にすらあるのかと思わず目を丸める。
「もしかしたら、神様がサラに巡り会わせてくれたのかも知れないね」
頬をすり寄せたソウジュの、懐かしむようなほんのりと寂しそうな響きを帯びたその呟きは、亡くなったという母の代わりに抱きしめてあげたい衝動に駆られるほどだった。だが、少年はぱちりと瞬きをひとつするとすまなそうに上目遣いで見上げ、手を離した。
「――話が逸れてしまったね。ええと、なにか必要な物、ね……」
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