萌芽2



「ソウジュ……様……?」


 それは明らかな自己紹介だったが、耳慣れない響きに名前なのかどうか判断しかねて首を傾げた。さらに神竜と聞けば子供相手とはいえ敬称をつけるべきかも迷う。

 御伽話によれば、神竜はこのグラドを建国した英雄に助力したと言われる聖なる竜族で、国旗にも王家の紋章にも描かれている。

 その姿は美しい純白の鱗に覆われていて、温厚で思慮深く慈愛に満ちた竜だという。


「うん、ソウジュでいいよ。君の名前は?」

「あ……ごめんなさい。私はサラ」


 神竜は人間の百倍の寿命があると言われているのだから、このあどけない外見でも私の何十倍も年上なのかもしれない。しかし、無邪気な笑顔と言動は完全に子供のもので、敬うべきかかわいがっていいものなのか、それもまたまた困惑する。だが結局はその屈託ない笑顔は、子供のように接するのが自然に思えた。


「サラ――……?」


 少し驚いた様子で目を丸めたソウジュに、つられて首を傾げそうになる。だが、その前にソウジュはくすぐったそうにはにかんで、窓の外に視線を投げた。


「ねぇあの花達の世話はサラがしているの?」

「ええ、私は近くの街で花屋をしているから」

「花達がとても喜んで咲いてる。僕の故郷にもあんな花畑があってね――……」


 にわか笑顔と言葉が、故郷を懐かしんでいるのか尻すぼみになって消えていった。


「……神竜は神々の世界に住むと聞くけれど」

「うん。本来、僕らは神の傍を離れてはいけない、天上から降りてはいけないって言われてる」


 ソウジュは神妙な顔で頷いた。

 けれど次の瞬間にはちろりと舌を出しておどけてみせた。


「それがあんまりつまらないから、ちょっと地上に遊びに降りてみたんだけど」


 唖然として、声が出なかった。

 いくら思慮深い生き物であっても、子供は子供ということだろうか。それでも千年ほどは生きているのではないかと思うと開いた口が塞がらないが。

 ソウジュはひょいと肩をすくめて苦笑いを浮かべる。


「でも、散々追い回されてもうコリゴリ。早く帰りたいよ」

「帰る方法は?」


 乾いてしまった喉を息を飲んで潤してから問うと、ソウジュは迷うように一呼吸だけ沈黙した。


「……僕ひとりの力では、帰れない」


 溜息混じりの、答えだった。


「地上と天界の間には結界があって、僕にはそれを開ける力がない。それに、天上に帰るためには飛べないと困るけど、今の僕にはその力すら残ってないから」


 ソウジュは華奢なだけで何もない自分の背中を大きな爪でそっと撫でて唇を噛む。

 その姿にどう慰めの言葉をかけていいのか見当がつかずにいると、ソウジュはにぱっと明るい笑みを浮かべた。


「でも大丈夫。多分父上が迎えの用意をしてくれていると思う。きっとめちゃくちゃ怒ってるんだろうけどね……」


 怒られることを覚悟したのか後半はしょぼんとする無邪気な少年の姿と裏腹に背筋にはひやりとした寒気が這い、思わず胸元に――そこにある指輪に――両手を添える。


 いったい誰が神に愛された竜を傷つけるなんて愚かなことをしたのだろう。

 この国では竜は国を守護する神聖な生き物とされ、国旗や王家の紋章にも描かれているというのに……。


 ソウジュの深い傷跡を凝視して、思慮を巡らせる。


 竜の鱗はどんなに腕の立つ人でも普通の武器ではかすり傷がやっとという強靱な防御力を誇るといわれている。この国にはその竜族に唯一致命傷を与えられるという宝剣が一振りだけ存在しているが――その所有者は、王に忠実な騎士団長・カラム様だ。

 あのどこまでもまっすぐな騎士が、そんな謀反に等しい行いをするはずがなかった。

 抱き上げた時に触れたソウジュの肌は柔らかく、普通の人の子供と変わらないように思えた。人の姿では竜の力の恩恵は受けられないのかもしれない。

 だとしたら、この半端な姿に怯えた人々だろうか。


(……どちらにしろ、許してもらえるかしら? 神と、彼の親から……)


 いくら思慮深く慈愛に満ちた生き物と言っても、情がある。個体差だってある。それを、なによりこの子が証明している。

 決まりを破ったのはこの子だが、大事な我が子を傷つけられた怒りが人間に向かうことになったら、それがどれほどの惨事を引き起こすことになるのか、想像がつかない。


「――……だから、お願いがあるんだ」


 そんなことが次から次に浮かんでいたので、ソウジュがくるりとした目で見上げていることに気づくのが数拍遅れてしまった。

 心まで見透かされそうなあまりにもまっすぐな瞳が、額が触れそうな距離で見つめてきていて、心臓が跳ねた。


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