第二部 竜の血

雲の上から



 母は、人が好きだった。



 母は僕が生まれて数年で命を落としたらしいから、母の記憶は少ない。

 少ない記憶の殆どで、母は天上の雲の切れ間から地上を眺めていた。

 母は愛おしそうに人を眺め、僕はその母に寄り添い、ぬくぬくとした母の翼に包まれながら人を眺めていた。


 だから僕は母がいなくなってからも人を眺め続けた。

 人を眺めていると、母がそばにいてくれるような気がしたから。



 人は弱い。

 寿命が一万年を越える僕らが卵から孵ってすぐに自由に歩き回り、空を飛び、言葉を解するというのに。僕らの百分の一以下の寿命しかないくせに、人は生まれてから1年は歩くことすらできず、3年ほども会話が成り立たない。十数年も保護者が必要だし、大人になっても、人の助けがないと生きていけないようだ。


 なんて弱く、不便な生き物なのかと思う。

 地上のあらゆる生き物の中でも、これほど生命力、活動能力の低い生き物はいまい。


 だけど、なぜだろう。


 その手の掛かる赤子を世話する人の姿が。

 言葉にならない声に耳を傾け、あーとかうーとかそんな発語から伝えたいことを理解する姿が。

 とても、愛おしく思えた。


 こんな不思議な生き物になるのはどんな気分がするものだろうかと、こっそりと人に姿になる練習して、いつか言葉を交わしてみたいと人語を覚えてみたりもした。


 神の住む世界である天上と地上の間には結界があって、単に空を飛ぶだけで、単に飛び降りるだけで行き来ができるわけではない。

 成獣になればその結界を開く力が得られる。

 父には神の膝元から離れていけないと言いつけられているけれど、いつか地上に降りてみたい、人と直に話をしてみたいと願いながら、地上を眺めていた。


 そんなある日のことだった。

 地上を眺めていると、天上と地上を隔てる結界がわずかに綻びた。


《――………て…》


 声が、聞こえた。

 頭に直接響く竜の思念の声にも似た、不思議な人の声が。

 小さすぎてなんと言っているかは聞き取れない。

 けれどそれは願いだった。

 なにかを切に願う声。


《――ど…か、……て……》


 意識を集中しなんとか聞き取ろうと耳を澄ます。


《………聖なる竜、応えよ……》

《――………助けて……!》


『……呼んでる!』


 歓喜の声を上げた。


 愛おしく眺めるだけだった生き物が、呼んでいる!

 近くにいける、話ができる!


 乞われるままに小さな綻びに体をねじ込む。


双樹そうじゅ!!』


 留めようとする父の声を背にして、僕は地上へと降りた。

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