出逢い1
差し込む光が柔らかな金色の帯状に伸び、そこかしこにひだまりをつくっている明るい森。普段ならおしゃべり好きな小鳥たちの声や、りすやうさぎたちが昼食を求めて動き回る音で賑やかなのだが、この日この時だけは突然の来訪者の荒い息遣いや、時々血が滴り落ちる音がはっきり聞こえるほどに声をひそめ、彼の様子を遠巻きに観察していた。
来訪者――
(ダメだ……こんなところで倒れるわけにはいかない……)
そう自分を叱咤し、歩を進めようとするが、足がもつれた。
咄嗟に近くの木に寄りかかり、なんとか立位を保つ。一度座ってしまえば、再び立ち上がり、歩き出す力はないように思えた。
木に身体を預けて荒い息を整えながら、ちらりと自分が歩いてきた方を振り返る。
地面にはくっきりと赤黒い血の染みがつき、どれほど蛇行して歩いたかがはっきりわかる有様だ。
これでは追手を撒くのは困難だった。
(でも、歩みを止めるわけにはいかない……)
そう考えながら視線を足元に落とすと、自分の足が本来の姿に戻っていることに気付いた。頭から全身を覆い隠すマントの裾から純白の鱗に覆われたトカゲのような足がちらりと覗き、20センチほどの鉤爪が地面に食い込んでいる。
慌てて――とは言っても力が入らないためゆるゆるとしか動かせないが――出血が酷い腹部の傷を押さえていた右手を目前に持ってきた。その腕は肘ほどから先が、足と同じく純白の鱗に覆われ、足と同じく鋭い爪が生えていた。
落胆の溜息が出た。
追手をかわすために人の姿に化けたというのに、こんな手足では人でないことが一目でわかってしまう。
(この姿でいるのも、限界だ。どこか広くて、見つからない場所を探――)
「きゃっ……!」
がさりと草を踏む音と、それとほぼ同時に、短く甲高い悲鳴が上がって思考を遮った。
反射的に右手やや斜め前のその方向を見、悲鳴の主と目が合った。
色とりどりの花をあふれそうなほどに詰め込んだ大きな籠を抱えた人間の、若い女だった。
彼女は目が合った瞬間から、冷水でも浴びたように硬直している。
目が合ってすぐに気づいただろう。僕の爬虫類の瞳に。
それから鱗に覆われた手、その先の獰猛な爪、腕と同じ鱗に覆われた足、足元にできつつある血溜まりへと視線が滑っていく。
怯えた表情をしていた。
それに数十メートル離れていてもはっきりわかるほどに震えている。
数秒、息を詰めてそのまま見つめ合った。
(――追手では、ない)
視線を全身に走らせてみるが刃物の類は持っていないようだった。
彼女は向かい合ったまま、じりりと一歩だけ後ずさる。
あの様子ではとても追いかけてはこないだろうと断じることができる。
が。
(逃がすわけにも……いかない……)
追手を呼び寄せる危険がある。
今は身を潜め、傷を癒さなければ、今度こそ命が危うい。
焦燥からさらに息があがり、爪に力が籠もる。
(……でも……どうやって………)
思考が弱気になってしまった瞬間だった。
ざっと草を踏む音が耳に届き、弾かれるように気持ちを持ち直した。
彼女は出血から動けないことを察したのか、一気に踵を返し、走り出そうとしていた。
「待って……!」
身体は、もう走って制止できるほど動けなかった。
代わりに言葉で制止し、いくらかでも追いすがろうと足を踏み出そうとした。しかしその突然の動きに、限界の身体が悲鳴を上げた。腹部の傷口から全身に激痛が走り、ついに倒れこむ。倒れこんだ衝撃に再び激痛が全身を覆い、意識が混濁していく。
「……まっ……て……――」
気力を振り絞っても、もはや風の音と聞きわけがつかないような声しか出なかった。
意識が途切れる最後の瞬間、遠ざかる足音が止まったような気がした。
しかし本当に彼女が立ち止ったのか、それとも聞こえないほど遠くなってしまったのか、それすらもわからなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます