決勝戦2



 ようやく臨戦態勢に入った決勝戦に、会場が湧いた。

 その歓声を聞きながら、剣を握る腕に力を込めなおす。


 《グラドの盾》の異名は伊達ではない。

 臨戦態勢に入ったカラムの気迫は、本能的な恐怖を呼ぶ。

 まるで猫に睨まれた鼠になったような気がしてそう易々と切り掛かれるものではないし、そもそもが掛かってきた相手の攻撃をあの盾で防ぎ、隙を見て切り伏せるというスタンスなのだ。こちらから飛びかかる時点で罠にかかりにいくようなもの。


(――だけど)


 歓声の波が引いていく中で――じり、と間合いを詰める。


 あの大盾と身長ほどもある剣。

 間合いも純粋な膂力、技術、練習量。

 そのどれもかなう相手ではないのはもとより承知。


(あれに対抗できるものがあるとすれば……!)


 一気に、地を蹴った。

 地表を滑空するような疾走で一気に懐まで飛び込み、そのまま右下から剣を振り上げる。

 ゆらり、と大盾がそれを受けるために揺れた。

 重心を深く踏み込んでいた左足に乗せ、振り上げていた剣の柄に左手も添えて旋回させながらさらにもう一歩左に回り込み、開いた脇腹に向かって振り上げる。

 だがカラムは重量を感じさせない軽やさで一歩身を引くと同時に正面を向けた。突き出された大盾が鋭い金属音を響かせ剣戟を弾き、同時に視界を閉ざされる。

 瞬間、背筋にひやりとした感触が伝い、本能的にさらに左へとステップを踏む。

 だが――紅い閃光が、追いかけてくる。


 剣で受けるか、躱すか。


 刹那、逡巡が駆けめぐった。

 気がついたときにはざわりとした悪寒に急かされるように側転で距離を取っていたが。

 それでも紅い閃光が右肩を紙一重で掠め、風が頬を撫でた。



 ――しゃくんっ!



「――――………!?」


 林檎を切る音に似た――けれど金属質の、不思議な音が耳元に響き、息を呑んだ。

 同時に、頬が線状の熱を帯びる。


 十分な間合いを取って体勢を整えると同時に、呑んだ息をゆっくりと吐き出しながら右肩を見る。

 すっぱりと切り離された金属片が視界に入り、背筋が凍った。


「さすがは竜をも切り裂く宝剣――並の金属など果実と同じか……」


 呻きにも似た驚嘆が口をついた。

 カラカラと音を立てて回転する肩当ての欠片に血がついている。頬を掠めたのはあれだ。サラはきっと青い顔をしているだろうが、この程度ならかすり傷の範疇だ。

 それにしても――卑怯だろう。この性能の差は。

 こっちは至って標準的な長剣ロングソードだというのに。あの切れ味では攻撃を受け流そうとするだけでも剣ごと一刀両断されかねない。

 カラムは重い武具をものともせずに俊敏な反応を見せるが、それでも速さでは多少の分があると踏んでいた。勝機を見いだすならそれに賭けるしかないと特に速さに磨きをかけてきたのだが……少しくらい驚いてくれるようなかわいげすらないのが、余計に癇に障る。


(さて、どうする……)


 思ったより深いのか頬の傷から顎を伝う血を袖で乱雑に拭いながら思案していると、カラムは構えはそのままに口元を緩めた。


「動きも判断力も、去年より磨きがかかっている。惜しまぬ鍛錬を重ねたのだろうな」

「……一応、褒め言葉として受け取っておく」


 その気負いのない悠然とした構えは師匠と弟子ほどの歴然とした差を物語るようで、なお一層胸が悪くなる。


「その鍛錬は――褒美のためか?」


 カラムが投げたのはぴりりと張りつめた問いだった。

 ゆっくりと息を整え、再度剣を構え直す。


「……お前は、市中に降りることはあるか?」

「見回りでは」


 カラムはそれが質問の答えに繋がるのかと訝りながら短く答えた。


「お前はあんな無理無体なことが公然と行われているのに人々が声を上げないのはなぜか、考えたことがあるか?」


 ぴくりとカラムの肩がふるえたが、答えはなかった。

 サラの姿が脳裏をよぎって静かな怒りがこみ上げ、いやがおうにも剣を握る腕に力が籠もる。


「民衆の中にあるのは恩義でも忠誠でもない。ただの恐怖だ。怯え、竦み――動くことができないだけだ。見回りで、それを感じたことはないのか?」


 カラムが軽く目を伏せ、沈黙が流れた。

 歓声が、遠くに聞こえた。



 サラは両親をリュイナールから連れ出すことをなにより避けようとする。

 リュイナールの街は平穏で、市場は賑々しく活気に溢れ、人々は口を揃えて言う。

 この街はヒース様が守ってくれる。

 この街に暮らせることが幸せだと。

 それはみんなが差がありこそすれ、王都の民をはじめリュイナール以外の街の民がどれほど虐げられているかを知っているからだ。


――お断りすると、処罰を受けますか?


 今でも、あの言葉が蘇る度に胸に苦い気持ちが広がっていく。

 あれほど気丈なサラがリュイナールの街中にいて、それでも、貴族の横暴に無条件にただ耐えることしかできないのが、現状なのだ。

 サラだけではない。暖かく迎え入れてくれたあの街の人々がそうやってただ耐えている姿を見るにつれ、胸が痛んだ。


――私達の我慢にだって限界はあるのよ。


 サラはそう言った。

 あまりにも当然のことなのに、後でその言葉を思い返して背筋が冷えた。

 彼らの不満、嘆き、恨み――それらが、消えることなく積もり積もっていくのを毎日肌に感じて、じわじわと焦りが滲んでいった。


――川の流れを止めようと思うな。堰を築いても押しとどめられるものではないし、流れの止まった水は腐る。そして堰を切った濁流は一層荒れ狂うものだ。


 そう教え諭したのは、父だった。


「恐怖で敷く政治は、必ず綻ぶ。こんな理不尽なことにいつまでも民が耐えているはずがない」


 あの人は私が物心ついた頃から自分の守りたいものを自分で守れる程度の技量を身につけろと言い続けてきた。一度も口にしたことはないが、ずっと前から傾きつつあるこの国の未来を憂いてきたのだろう。


「内乱――」


 囁くように、呻くように、カラムはその言葉を舌の上で転がした。剣を握り直した手甲が、ガチャリと軋む音を立てる。


「念のため言っておくが、煽動する気はない。そんなことになった日には愛しい妻がどこに飛び出していくかわからないからな」


 こちらも、剣を握る両手に力を込める。


 民衆が蜂起すれば、多くの血が流れる。

 特に武力などまったく持っていない民衆は、多大な犠牲を払うだろう。

 だから、そんなことをさせたくない。

 サラはその時どんな立場にいようともその犠牲に涙を流すだろうし、最前線だろうと敵味方の見境もなく怪我人を助けに飛び出しかねない。

 サラが一市民のままでも安心して暮らせる国でなければ、彼女を幸せになんかできない。


――お前はなにより家族を大事にしなさい。

――おふたりは、私達の希望なのに……。


 結婚の許しを出した父の思惑も、もしかしたらそこにあったのかもしれない。

 民であっても公式な妻として扱われる――それは、鬱屈とした民衆の胸にどれほどの希望と期待を抱かせただろう。

 蜂起の芽吹きを遅らせるほどになっただろうか?

 それとも――。


――覚えておけ。治水とは、流れを導くことだ。



「だからッ!!」


 斜め右に降りかぶると同時に大きく足を踏み込み、一気に距離を縮める。


「――――……ぉぉおおおっ!!」


 滑らかな動きで振りかざされた大盾の上段に蹴りを入れて作り出したわずかな傾きを気合いだけで駆け上がる。

 大盾を足で押さえつつ、頭上から真っ直ぐに長剣を振り下ろす。


 ギィィインッ!!


 降り下ろされた銀の剣とそれを受け止めた深紅の剣が交差し、火花を散らし――会場中に耳障りな剣戟の音を響かせた。



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