前哨戦
「いまだ謝罪に伺えないまま、こうして貴殿と対峙することになったのは残念だが」
重そうな兜が、わずかに下げられた。
だが、こんな挨拶がてらといった謝罪などされても気に障るだけだった。
「私はサラほど人間ができていないから、謝罪くらいで許す気は毛頭ない。お前もヴィオールも、いずれ罪を償ってもらうつもりだ」
決勝戦は騎馬を使わない一騎打ちだから愛馬から降り、労をねぎらってその首筋を撫でてやりながらぶっきらぼうに答える。気持ちよさそうにすり寄る愛馬のぬくもりに苛立ちを慰められてしまうから、駆け寄ってきた係の人間に手綱を預ける。
それから改めて剣を握りなおし、確認するまでもなく決勝戦の対戦者であろうカラムを睨んだ。
彼は王弟の熱い声援を受け、壁のように立ち尽くしている。
「元より、許されようとは思っていない」
カラムは苦い顔でそう言いながら右腕を押さえ、眩しそうに目を細めて観客席にいるサラへと視線を投げた。
「彼女のように強く在るのは、難しいな。あれほどの気概を持ちながら、市井の生まれとは、神は時に残酷な采配をするものだ」
その視線に含まれる思慕に、思わず眉を寄せた。
まったくサラときたらエミリア様といい、人でも動物でもすぐに惹きつけてしまうから困る。
「違うな。サラは人並み以上に苦労してきたし、それを打開しようと懸命に努力してきたから、ああいう無茶な気性になったんだ」
「――そうか。では、私も精進しなければならんな」
燻銀の兜の下で偉丈夫が薄く笑った。
その余裕の態度がなおさら癪に障るが、苛立ちを押さえて一度剣を鞘に納める。
決勝戦は準決勝のあとすぐに開始されるが、準決勝戦で負傷した騎士や武具を収容し舞台を整える時間は必要だ。
そのわずかな待ち時間に、対戦相手の装備に視線を走らせる。
燻銀の鎧兜に身を包み、左手に身長ほどの大盾、右手だけで両手剣を軽々と持つ姿は去年と同じだ。
だが――剣が、違った。
カラムの持つその剣は、柄に竜を模した意匠が施され、柄の中央には血のような深紅の宝玉がはめ込まれ、同じく深紅の刀身からは不思議な燐光を放っている。
「それが去年の褒美にもらったというドラゴンキラーか?」
その剣は、純粋に見とれてしまうほど美しかった。
《竜殺しの剣》の名の通り、普通の武器や技量では傷一つ付かないと言われる竜の鱗をも切り裂くことができるという幻の剣。
「ああ」
ここ数年、常に優勝を飾り続けている騎士団長カラムは、栄誉だけで十分だから褒美は望まないと断り続けてきた。その謙虚な忠臣ぶりを喜んだ王弟が昨年「お前にこそふさわしい」と下賜した王家秘伝の宝剣という噂だ。
「伝説ではこのグラドは竜の力を授かった青年が建国したという。なのに王家秘伝の宝が竜殺しの剣というのは、どうにも辻褄が合わなくて釈然としないんだが」
「これは国の守護者たる竜を狩る力。だからこそ誰も使えないよう封印していたこの宝剣を、決して王家に刃向かうことのない絶対的な忠誠の証として賜った。……この剣は、私の誇りだ」
大盾を置いたカラムが、愛しそうに剣を一撫でする。
「なるほど。それでは、私が望んでも賜ることはなかっただろうな」
自嘲すると、カラムの表情がにわかに歪められた。
「――貴殿は、今年も彼女に爵位を望むのか?」
思いがけず昔の日記を読まれたような気恥ずかしい質問を受けて苦いものを飲み下す。そういえば去年の決勝戦で問われ、バカ正直に答えたんだった。
「いや、あれはサラに怒られたから別のことにするつもりだが」
「別の?」
「じきにわかる。今年こそ、お前を倒して優勝するから」
強気な優勝宣言をカラムはありえないとでも言いたげに悠然と鼻で笑っただけだった。挑発すら相手にされず、本当に面白くない男だと眉を寄せる。
「お前こそ、今年も名誉だけでいいとか言うつもりじゃないだろうな? 褒美が要らないなら、今年は譲ってもらいたいんだが」
「できない相談だ。一介の文官相手に騎士団長が敵前逃亡したとあっては他国に笑われる。軽く見られ、攻め入ろうとする国が出てきかねない」
真剣勝負を愚弄するなとか怒らせるつもりだった。それが余裕の笑みで笑い飛ばすでもなく真面目に検討した答えを返されるとは思っていなかったので、わずかに面食らった。
「冗談だ。生真面目だな」
戦争も内紛も何十年も起こらず、慢心から鍛錬を怠る騎士が大半を占めているこの国にあって、剣を握るこの男の雰囲気は日々厳しい鍛錬を繰り返しているのが傍目にもわかる。家系もあるだろうが、本人の性格も相当真面目でなければこうはいかないだろう。
その生真面目な性格を好ましいと、去年は思ったものだが。
……この男は、愚直に過ぎる。
「それに――今年は、望むものがある」
ぽつりと落とされた小さな呟きを耳が捕らえ、俄然興味を引かれた。
「へぇ、人に聞くからには問えば答えてくれるだろうな? お前の望みは何だか興味深い」
「……じきにわかる。去年のように貴殿が意識を失わなければ、の話だが」
「――言ってくれる」
笑って流したはずの私の優勝宣言への意趣返しとしか思えない悠然とした発言に、ぎり、と奥歯を噛みしめた。
去年はあの大盾の鉄壁の防御を切り崩すことができず、一矢報いることすら叶わずに切り伏せられ――目が覚めた時には、自室のベッドに横になっていた。
あなたはどこまで愚かなんですかと物凄い剣幕で怒りながら、心配して泣いてくれたサラを思い出すと、胸がきゅうと締め付けられるようだった。
あの時、サラは私にはなにもないと言った。
手を繋いでも、冷たい手にぬくもりが伝わっても、サラの気持ちは手が届かないほど遠かった。
その口惜しさを剣に込めるように強く柄を握る。
今朝まで説得してようやく連れてきたサラに、今年また同じような姿を見せるわけにはいかない。絶対に、だ。
「……私の望みは、この国の安寧だけだ」
ぽつりと、カラムが独白した。
この男の国を想う気持ちに、きっと嘘はない。
そう思わせる呟きだった。
「何故お前みたいな男があんな奴に忠誠を誓い、愚直に仕え続けるのか、理解できないな」
「王家を――国を守るのが、騎士の勤めだ」
教本をそのまま読み上げたような答えを本気で言っているらしいのがこの男らしいところか。
「つくづく真面目な奴だな。私とは意見が噛み合わないのが残念だが――」
苦笑した時、審判が決勝戦の準備が整ったことを高らかに告げた。
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