準決勝戦2


 闘技場コロッセウムに、地響きのような歓声が響き渡る。

 活躍を労って濡れ羽色の愛馬の首を撫でながらその1万を越える心地よい歓声の豪雨を一身に浴びれば、気分は嫌でも昂揚するというものだった。


 準決勝に進める騎士は24名。

 準決勝戦はその24名を2組に分け、騎馬による乱戦試合の形式を取って行われる。

 落馬もしくは武器を落としたり破壊されたり、降参すれば敗北。そして相手の命を奪うと失格という規定ルールで最後の一人になるまで戦う。

 本職ではない私に負けたとあっては騎士の名折れとばかりに一斉に飛びかかってきた騎士達を、水に浮かぶ木の葉のようにゆらりと躱し、すれ違いざまに一閃を見舞い――開始早々5人を下したところだった。


 ほんの少し観客席をみやれば、目を瞑ったり背ける暇すらない鮮やかさにサラはただ息を詰めて見つめている。

 試合とはいえ誰かを傷つけて喜ぶとは思っていなかったが、それでも彼女の悲痛な表情に昂揚していた気分をいくらか落ち着かせた。

 それでも愛馬の向きを変えて残りの6人を確認する表情には、挑発を込めて自信と余裕を乗せておく。

 誰も彼も国の紋章を刻んだ重い鎧兜に身を固めた騎士達に対し、私は肩当と胸当のみという軽装だ。攻撃を受ければ即致命傷になりかねないが、反面、身軽で視野も広くとれるという利点もある。いかにも騎士らしからぬ風体で騎士の競技会の準決勝に臨み、開始早々に5人を下せば騎士達は兜の奥で鼻白んでいることだろう。


「――っ!」


 ふいに、視界の端にちかりと光るものを確認して、咄嗟に手綱を引いた。

 いななき、竿立ちになった愛馬の足下にどしゅっと鈍い音を立てて矢が刺さる。

 その矢をまじまじと見つめ、眉を寄せた。

 確か、開始時には全員剣か槍を装備していたはずだ。

 3人が弓を背負っているという認識はあったが、戦況に応じて使い分けるために複数の武器を扱える騎士もいる。それだけの訓練をしてきた手練れの証でもあり、準決勝にまで勝ち進むのなら珍しくもないのだが。

 しかし、弓は遠距離の敵を狙うのが定石で接近戦には向かないし、全員が敵状態の乱戦において武器を持ち変える手間は致命的な隙になる。

 見やる2騎の弓騎士ボウナイトは仲良く並び、その手前には護衛するように佇む槍騎士ランスリッターがいる。


(――最初から11対1という状況を打ち合わせ済みというわけだ)


 そんな考えを巡らせるうちにも、突進してくる槍騎士ふたりと、それを追いかけるように放たれた矢が2本が空気を切り進む。軌道から推測するに、矢のほうは槍騎士の突進から私の退路を断つのが目的だろう。

 絶妙な連携もまた、一朝一夕とは思えなかった。


(どんな目的だろうと、少しでも訓練したんならこの競技会が意義深くなるからかまわないけど)


 背中を見せれば相手の思う壺だ。

 愛馬の腹を軽く蹴って突進してくる槍騎士2人に向かってゆっくりと走らせ始め、状況を再確認する。

 ふたりの弓騎士は射程ギリギリの距離から次の矢をつがえ、その手前に護衛の槍騎士、剣騎士一人は遊撃手という構えで走り回って攻撃の隙を狙っている。

 剣に対して間合いが有利な槍使いが多いのも、今思えば私が剣を好むことを考慮した上の作戦かと思われた。


(だが、この程度で止められるものか……!)


 走る愛馬の鞍に膝立ちになり、目を細めて2馬身程度の波状攻撃の体勢で駆けてくるふたりの騎士とぶつかる位置を想定し、矢の飛来する軌道を見定める。


「おぉおおおぉぉっ!!」

「……行け!」


 猛獣が唸るような低い雄叫びとともに突進してくる槍の穂先が迫ると愛馬に短く号令をかけ、同時にひらりと飛び上がって迫っていた槍の柄を踏み台にしてさらに上空の矢を打ち落とす。バランスを失っている槍騎士の後続、もうひとりの槍騎士が突き上げた穂先を剣で弾き、そのまま落下の勢いで騎士を馬上から蹴落とす。


「お前の役目は終わりだ。怪我をしないように避けておけよ」


 主を失って暴れる若い馬の鞍に着地すると、その首筋を撫でて声をかける。駆け戻ってきた愛馬の背に戻りしな、尻を叩いて退場させる。

 さっき落馬した騎士を馬で踏み殺すわけにもいかないので愛馬の手綱を握るといったんその場を離れる。先に槍をあしらっただけの騎士をどう仕留めようかと考えを巡らせながら後ろを一瞥すると、降ってきた矢の残骸が体をかすめて驚いた馬に振り落とされて勝手に敗北になっていたから、失笑するだけでよかった。



 再度、闘技場が揺れたように思えるほどの喝采と怒号が沸いた。


(――あと、4人か)


 そのうち二人は弓騎士だ。

 駆け回って矢が切れるのを誘ってもいいが、手持ちがどれほどあるのかわからないし、切れたのを確認してから距離を詰めれば武器を持ち直す好機も与えることになる。

 それよりも、ここは攻める。

 距離があると弓は厄介だが、接近戦に持ち込み、武器を持ち直す前ならば撃破するのは容易い。


 主の心を読んだように気を逸らせて足踏みしている愛馬の腹を、とんと軽く蹴る。

 喜び勇んで隼のように駆ける馬上に身を屈めていると、ひゅんっと風の鳴る音を耳が捉えた。

 前方から矢が二本飛来している。

 さっきは味方を越え、行動を牽制するためだけに高く打ち上げる軌道を描いて放たれていたから打ち落とすこともできたが、まっすぐに敵だけを射抜こうとするこの速度では打ち落とすのは困難だ。

 主がそう判断するのと同時に、命じずとも愛馬は紙一重で矢を避ける。そして次の矢のうち一本は愛馬の足下を、もう一本は私を狙って放たれていた。


「飛べ!」


 鋭い一声に応じて、愛馬は一歩横に矢を躱す。護衛の任に当たっていた騎士が構えていた槍を軽々と飛び越えて一気に弓騎士がふたり並んだ間に前足を下ろす。

 そのまま後ろ足で弓騎士の一人を蹴落とし、私が振った剣がもうひとりのほうの弓の弦を斬った。

 だが顔を上げた時には鼻先に槍の穂先が迫り、その背後では駆けてくる遊撃手が見えた。罵倒とともに弓を捨てた騎士が腰に腰に差していた剣を抜く音も聞こえた。


「……チィッ!」


 さすがの多勢に小さく舌打ちして、愛馬の鞍を強く握りしめる。

 馬なりに走らせたまま槍を避けて大きく仰け反り――







「シオン――ッ!!」


 サラは槍を避けようとした私が落馬したかと、悲鳴混じりに叫んだ。

 おそらくは、誰もがそう思っただろう。

 だが、落馬の音も地に落ちた姿もなく、“なぜ?”と疑問が浮かんだ瞬間――突然2頭の馬が竿立ちになり、驚いた騎手が捕まる暇もなく振り落とされる。


「なっ……なにが……!?」


 落馬した騎士の呻きは、剣を持った最後の一人の騎士の悲鳴で遮られた。


「もう少し実践で使える馬術も覚えるんだな」


 ひらりと馬上に姿を現した私が、片手で馬の腹にしがみついていたのだと悟った騎士は兜の奥でもはわるほど顔を怒りに染めたが、


「勝者、シオン・イグナス!!」


 審判はこの舞台で唯一馬上に残っている勝者の名を宣言した。


「こんな――騎士は、曲芸師ではない! こんな無茶苦茶な戦法があるものか!!」


 兜を脱いで真っ赤に染めた顔を晒した騎士は思いの外、若かった。

 愛馬の腹に捕まったまま、油断した騎士達の馬を蹴り、突っ込んできた騎士が姿の見えない敵に困惑している間に剣を振り上げた――まあ、曲芸と言われても奇策と言われても間違いではないのだが。


「本物の戦争をしている時に、そんな悠長なことを言っていられると思っているのか? なんのための競技会、なんのための乱戦試合だ」


 喚いた騎士にぴしゃりと言い捨てると、返す言葉が見つからずに地面を睨んだ。


「軍馬が矢が落ちてきたくらいで取り乱す程度の訓練しかしていない者が準決勝に勝ち進み、文官である私に11人掛かりでこの様だということこそ騎士の名折れと思え!」


 この国の王家も騎士団も腐っている、とつくづく思う。

 攻め入る国もない安楽な暮らしに怠惰な訓練しかしていない。


「――まったくだ。その程度の心得ならばいっそのこと騎士を辞するがいい」


 ガシャンッ!と重い鎧の金属音を響かせて現れた人影に、若い騎士は慌てて敬礼する。

 見やればそこにいるのは、おそらくこの国で唯一といっていいほど実直な鍛錬を積んでいると思われる男――騎士団長カラムだった。


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