応報3



「いや、似合ってるよ。思わず見惚れてしまったくらいだ」


 私の心情など知らないシオンは真摯に訴え、余計に居心地悪くて目をそらす。


「歩き方くらい、練習すればすぐできるようになる。私が畑を耕すのに慣れたみたいに」


 農作業と貴婦人の所作を一緒にしないで欲しい、と心の中で呻いたのだけれども。


「私の誕生日だからと思って今日だけ私の我が儘に付き合ってくれないだろうか?」


 尋ねられてはいても、そう言われてしまえば頷く以外の選択肢などない。

 私が用意できる祝いの品と言えば花くらいのものだから。


――この私に愛でられ、奉仕するというのも名誉ある仕事だと思わないか?


 王弟殿下に言われた言葉が不意に脳裏に蘇り、胸を凍らせる。

 あの人の声を思い出すだけで、抜け殻になってしまったような気持ちになる。

 私は、なにももっていない。この身ひとつだけだと、思い知らされる。


「心配しなくてもそれを脱げとか、そういうことはもう冗談でも絶対言わない」


 私が暗い表情をしているのに気づいたシオンは、冗談混じりに言って気を紛らわせようとしたように思えた。

 けれど、それは逆に決意の背中を押す。


「………ねぇ、シオン」


 声が震えそうになって、一度息をのむ。

 両手を胸の前でぎゅっと握りしめて、震えを押さえ込む。


「ティナの言うとおり、私が贈物では、いけないの?」


 見上げると、シオンの懐疑的なまなざしと視線が絡み合った。


「だって、その、一応、恋人……だし」


 その目を見ているのが怖くて俯いてしまう。

 けれど、報いたいという想いは曲げられない。


 いつか捨てられるのだとしても。

 彼が精一杯守ってくれる、その恩返しに。

 すべてを差し出しても絶対に後悔なんかしない。

 そのくらいしか、私には、できないから。


「私は、かりそめでいいと宣誓した」


 苛立ちを露わにした声だった。そんな不機嫌な声を向けられたことがないから、どうしたらいいのかわからなくて、瞬きを繰り返し視線が泳ぐ。


「………サラ」


 結い上げずに垂らされた鬢に指を滑らせながら呼びかけられた。その声は打って変わっていつものように優しくて、誘われるままに見上げる。


「私はいつか必ず、君の生涯を貰い受けるつもりでいる。だけど私はまだ最低限の生活保証つけるくらいのことしかできない」


 真剣に宣言を新たにしたシオンはくしゃりと顔を歪めたかと思うと、私の肩に額をつけた。


「もし現状で君が身籠もったとしてもその子は私生児だ。庶子としてですら私の子だと認めてもらえない。そんな無責任なことはしたくない」

「…………っ」


 今まで貴公子達が私に求めたのはただ一時褥に侍ることだけだった。

 だから、本来それが子宝を望む夫婦の行いだということも、身籠もるかもしれないという当たり前の可能性をも、完全に失念していた。

 無意識にお腹を押さえると、シオンは一歩身を引いた。


「それに君が心から望んでいるようには思えない」

「望んでます!」


 慌てるあまりに声を荒げ、離れた一歩を詰め寄る。だが、シオンは再び機嫌悪そうに眉をひそめた顔を隠すように私に背を向ける。


「嘲笑に耐える見返りにと思ってるなら、それを望んでいるとは認めない」


 背中。

 あの時殿下から庇ってくれた、温かな背中。

 けれど今漂っているのは拒絶の空気で。


 急に、ぽろぽろと涙が溢れ出す。


「じゃあ私は、どうやってあなたに報いればいいの? 私には、何もないのに……っ」


 なにも持ってない。

 なにも。

 なにも。


「………サラ、化粧が落ちるよ」


 振り返ったシオンは苦笑いで私にハンカチを差し出した。使うのがもったいないような上質な絹のハンカチを。だからそれを受け取る気になれなくて、涙を止めなきゃと思う。

 なのに自分でもどうして涙が出てくるのかよくわからない。

 わからないから、涙の止め方もわからない……。


 どうして、シオンが関わるとこんなにも涙腺が壊れたみたいになってしまうのだろうかと恨めしく思う。

 父が倒れてからシオンに会うまでは、一度も泣いたことなんかなかったのに。


 だから、怖い。

 怖い。

 弱くなっていく自分が怖い。


 自分で餌を取ることを忘れてしまった動物達のように、ひとりで生きていけなくなったら、どうすればいいの?



 どうしようもなくて両手で顔を覆うと、シオンは幼子を慰めるように軽く私を抱き寄せてぽんぽんと背中をさすった。


「ごめん。私にもっと甲斐性があればいいんだけど」

「シオンが……謝ることなんて……っ」


 慰められ、心が軋んでよけいに辛くなる。


「だってティナが……私が、ちゃんと恋人っぽく振る舞えていないから、シオンの苦労が報われなくなるって……」


 とめどなく溢れる気持ちに押し上げられて、弱音がこぼれ落ちる。

 シオンが「まったくあいつは余計なことを」と呻くのが意識の外からぼんやり聞こえた。


「私、恋人のふりなんて……どうすればいいのか、わからないし。だから……だから……っ」


 言葉を最後まで続けることができず、部屋の中には暫し淀んだ空気のようにすすり泣きが漂った。


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