応報2
元よりシオンの誕生日には朝市を畳んでからすぐに祝宴の席に飾る花を城に届けるようにと発注を受けていた。私からのせめてものお祝いの気持ちにとそのお代は受け取らないつもりだけれど――とにかく、泊まりにいかなければならなくなったとはいえ、配達のあと一度畑仕事に戻って、日が暮れてから再度訪問するつもりだった。
けれど配達に行くとティナに捕まり、「畑はソラナおばさんに任せておいたから、今日のあなたの仕事はシオン様を喜ばせることだけだと思いなさい!」と叱られ、強制的にお風呂に押し込まれ「坊ちゃんに愛でていただくんですから、土の一粒、埃一粒として残すわけにはいかないわ」と体中を隅から々まで洗われる羽目になった。
さらにそこから他の古参の
「ちょっと待って。これはどういうこっ……」
「はいはい、口紅つけるからしゃべらないでー」
最終的に泊まる覚悟はしていた。けれど、こんな格好をするなんて一言も聞いていない。
抗議の声をあげるも無下に遮られ、聞く耳をもってもらえない。
「うふふ。シオン様がねぇ、サラちゃんにも宴席に同席してほしいんですって。一緒に祝ってほしいし、お兄様方にも紹介しておきたいって。だからこうしてきちんと、ね」
「聞いてないわよ! 宴席なんて……っ!」
歌うように楽しげなティナが私の手を恭しく――そのわりには力強く――引いて歩き出す。文句を口にはするものの、はじめて履くヒール付きの靴のせいで転ばないよう必死でその手を振り払うことができない。
大体、いったいどこからこんな豪奢なドレスを用意したのだろう。貴婦人のドレスは最低でも一般家庭の年収ほどもかかると聞くし、宝飾品もきっとものすごく高価なものだ。汚したり傷でもつけてしまったらと思うと気が気ではない。
「大丈夫よ、宴席って言っても身内だけの夕食会だし。アゼル様もセオス様も奥方様方もとってもいい方達だから。サラちゃんがかわいらしく着飾って隣に座ってるだけでシオン様は喜ぶから、ね!」
最後に扉を開けたティナが背中を押し、シオンの部屋に押し込まれる。
「誕生日の
ティナは扉の外で含み笑いを隠すように丁寧なお辞儀をするだけで、押し込まれて転びそうになっている私には素知らぬふりだ。なんとかバランスを取り直して息をつき、顔を上げる。と、盛装なのにソファにゆったりと座って本――ゆったりと読むには不釣り合いなとても分厚い本だ――に視線を落としているシオンの姿があった。
最近うっかり庶民の出で立ちに目が慣れてきつつあったけれども、濃紺に銀糸の刺繍が入ったシックで品のいい装いは、当然のことだけど彼にとても似合ってる。
改めて住む世界が違う人だと思わずにはいられなくてしくしくと胸が痛んだが、今は無理矢理それを脇に押しやる。
「誰からのだ。サラを物みたいに言……――」
幼馴染みに軽い文句を言いながら本から顔を上げたシオンは、なぜか途中で言葉をなくした。
言葉もなくまじまじと見つめられ、こんな豪奢なドレスが呆れるほど似合わないのではと心配になる。そういえばまだ自分でも鏡を見ていない。
「私達、いい仕事したと思いません? あ、今日はシオン様の誕生日ですから特別手当は要りませんからねー」
自信満々で胸を張ったティナに視線を移したシオンは、ようやく声を取り戻したようだった。
「……ティナ、ちょっとコルセット締めすぎじゃないか? サラは元々細いんだからこんなに締めなくても」
「サラちゃんは胸がないからこのくらい締めないと見栄えが悪いんです。かわいそうならシオン様の手で緩めて差し上げたらいかがです?」
ティナは相変わらず容赦のない笑顔で言い放ち、シオンは軽く目を覆った。ちらりと覗く耳が赤い。
「さ、宴席の用意が整うまでの時間は若い二人でごゆるりとー」
にやにやしたティナが退室し、二人きりになる。居心地悪く目を伏せると、扉が閉まる音、本を閉じる音、それからシオンが歩み寄ってくる足音が聞こえた。
「……サラ、大丈夫? 苦しくない?」
「だ、大丈夫です!!」
手の届く距離で立ち止まったシオンに心配そうに声を掛けられる。実際は息が詰まりそうなほど苦しかったのだけれども、ティナの言葉が脳裏に蘇り咄嗟に全力で否定してしまった。
「あ、いや……緩めたかったら、誰か呼ぶ」
「……多分、その命令、誰も聞いてくれないわ……」
さっきまでのティナの浮かれっぷりを思い出しつつ呻くと、シオンも観念したのか苦笑いを浮かべた。
「迷惑をかけてすまない。とりあえず、時間まで掛けてるといい」
ソファに座るように促され、履き慣れないヒールの高い靴に既に足が痛かったのでそれに従うべく慎重に一歩を踏み出す。
「お言葉に甘えさせてもら……きゃっ!」
緊張からか2歩目で早速ぐらりと体が傾ぎ、悲鳴が漏れた。体がガチガチに固まってしまっていてバランスを立て直すどころではなく、ただ目を瞑って身構える。
「……この調子だと待ち時間は歩く練習に費やすことになるかな?」
ふわりと抱き留められる感覚がして、いつもみたいに穏やかに笑うシオンの声が耳元で聞こえた。背中にしっかりと回された腕の温もりを認識する。
途端に心臓が飛び跳ね、転んで弁済なりしたほうがよほどマシだったと思うほど息苦しくなる。
「やっぱり私にはこんな格好似合わないし、宴席に出たってあなたに恥をかかせるだけよ」
胸が締め付けられる痛みを堪え、突き飛ばすようにシオンの腕を離れる。
所詮農婦がこんな格好をするのが悪いのだ。
街の女の子達が結婚式で着るドレスより立派なものを身につけている不相応に、身が縮む思いがした。
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