応報4
「うん。そこまで言うなら、本当に恋仲になってもらおう」
「…………っ!」
急に両手で顔を包み込まれて反射的に身が竦む。目を伏せたシオンが顔を寄せるのを、呆然と見つめていることしかできなかった。
けれど結局、ちゅと軽い音を立ててシオンの唇が触れたのは私の額だった。
「………………?」
狼狽えて額を押さえている私を見つめたシオンは、満足そうな笑みを浮かべる。
「恋人の本来の意味を知ってる? 恋しく思う人だ」
「恋しいと……思う」
「君が会いたいと
……会いたいと、思う?
いつだって思っている。
声が、目が届くところにいてくれるだけでもいいと――。
「――ダメ」
カタカタと音を立てて溢れそうになる想いを、無理矢理胸のうちに押し込める。
「婚前交渉は別の――君が今後も泊まりにくるなら体裁が整うから万事解決する問題だ。無視していい」
ますますもってどうしたらいいのかわからなくなっただけで、振り出しに戻ってしまったと途方に暮れ、溜息混じりに肩を落とす。するとシオンは私を抱き寄せてゆっくりと背中を撫でた。
「手をつないでのんびり散歩したり、一緒に食事をしたり、無為なおしゃべりをしたり、星を見上げたり……なんでもいいけど、とにかく一緒にいて安らいだり楽しいと、君に思ってもらいたいんだ」
「……私、シオンといても楽しそうに見えないってこと?」
「楽しそうに見えないというか、君はかなりあからさまに線を引いてる」
「線を、引いてる……」
口の中で繰り返し――どう言ったらいいのか返事に困る。
ティナもソラさんも、私の態度がバレバレの要因だと言った。でも、じゃあどうすればいいのか、わからない。
「たとえばほら、今も。君は私の腕の中にいることを拒絶しないけれども、寄り添ってもくれない」
どうすればいいのかという答えはあっさり与えられたものの胸を射られたように身じろぎができずにいると、彼は笑った。
「せめて寄り添ってほしい。今日、兄上達の前だけでも構わないから」
促され、ぎくしゃくしたまま彼の胸に額をつけようとして――こんな瀟洒な衣装におしろいがついたら困るかもと考え直して、耳を押し当てた。
背中に回されていた腕が肩を強く抱き寄せ、彼がくすくすと笑うのが声ではなく振動で伝わってきて、どうにも落ち着かない。本当にこれでいいのだろうかと教師に回答を伺うような不安な気分で控えめに見上げると、彼は腕を緩めた。
「今は君に余計な虫がつかなければそれだけでいい。いずれ時期が来る――」
照れ隠しなのだろうか、彼の複雑な笑みに言葉が出てこなかった。
どうしよう。
そんな表情を向けられると、胸が苦しくなる。
もう一度涙がこぼれるのを我慢できなくなる。
一秒でも長く、一歩でも近くに、いたい。
できることならずっと寄り添っていたい。
ずっと、ずっと――。
「……時期って、なに?」
目をそらし、溢れ出そうになる涙と想いを胸の中に無理矢理押し込んできつく蓋を締める。
「花にも種を撒くのに適宜の時期があるだろう? 見当違いに撒いても、種をダメにしてしまうだけだ」
「あなたはなにを基準にその時期を判断するつもりなの?」
「んー……そうだな。君と対等になれた時とか?」
(……そんな日は、永遠に来るはずがない)
そう思ったら、無性に悲しかった。
また、涙が溢れそうになる。
「――さて、この話は終わりにして、歩く練習をしないと。足を挫いたとか言い訳してずっと私が抱きかかえておくのもひとつの手だけど」
「そんなの嫌に決まってるでしょう!」
けれどシオンは子供みたいに無邪気に笑ってどこまで本気かわからないことを言うから、泣くどころの話ではなくなった。
「あぁ、私に恥をかかせたくないんだったらテーブルマナーと挨拶も一通り教えておこうか? 特に上の兄上は父上に似て礼儀作法に厳しい」
「………っ!!」
今さらなのだが、お兄様方にご挨拶しなければならないという緊張にびりびりと痺れるような戦慄が走る。
「だからまずは歩行練習から」
笑いを押し殺して差し出された手を恨みがましくじろりと見たものの、他の選択肢などなかった。誤魔化されていることは気づいていたけれど蒸し返すわけにもいかず、大人しくその手を取って付け焼き刃で貴婦人の所作の練習に励むしかなかった。
* * *
休憩を挟んではいても足がくたくたに疲れて攣りそうになってきた頃、叩扉の音がした。
「シオン様。宴席の支度が整いましたので、食堂へお越しください」
扉の向こうから聞こえたのはティナの声だ。
シオンが許可すると悪びれもせずに「靴を間違えてしまいました」とヒールのない靴を携えて入室してくる。
詰まるところ、このハイヒールは強制的にシオンの手を取って歩く練習をさせたり、転倒を契機に抱き留められたりという事態を狙った彼女の策略だったのだろう。
「ティナ……」
「さ、サラ様、化粧直しも必要のようですね。ちょっとそこにおかけくださいますか?」
怒るよりも呆れてしまうほどの強引な手口にシオンとお揃いで憂鬱な嘆息をこぼしたが、敢えて私に敬語まで使って外聞は寵姫だという立場を押しつけ続ける。
「あらあら、おふたり揃って溜息なんて仲がよろしいこと。名残が尽きないでしょうが、おふたりの時間は宴席の後にまたゆっくりとございますからねー」
「ティナ、いい加減にしろ」
悪ふざけがすぎると窘めて拳骨を――多分、すごく軽く――落としたシオンは照れているのか怒っているのか、とても複雑な表情をしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます