宣言1



 父が開墾した畑はリュイナールの街を守る城壁の外――森の中にある。

 城での仕事とあの現場の片づけは他の侍女達が済ませてくれていたので、夕方の閉門の時間ギリギリに街を出て、ランプの灯りで最低限の畑仕事を済ませて作業小屋で仮眠を取り、朝市の時間に間に合うように街に戻った。




「ソラさん、おはようございます」


 若い女の子が森の中の作業小屋で一夜を明かすなんて物騒だと叱られはするけれど、それほど珍しいことでもないし、何事もなかったようにいつも隣で青果店を出しているソラナおばさん――私は母がそう呼んでいた影響でソラさんと呼んでいる――に挨拶しながら荷物を下ろす。


 だが、いつもは豪快な挨拶を返してくれるおばさんの返事がなかった。訝しく思って振り返った途端、青い顔のおばさんが私の両腕をがしっと鷲掴みにした。まるで、自分の子供をさらわれたみたいな顔色をして。


「あんた昨日、坊ちゃんのお部屋に行ったって本当なのかい? まさか…――」


 それ以上の言葉は憚られたらしく、ソラさんはただ無言でサラの腕を強く握りしめたままで俯いた。

 ちらりと周りに視線を走らせてみると他の人もみんな、手を止めて私達を見ていた。

 噂が広がるのはなんと早いのだろうかと苦笑いがこぼれる。


「……うん、行った」


 障りのない言葉を選んで短く答える。

 顔を上げたおばさんが涙を溜めた目で睨みあげる。


「あんたまさか、お父さん達のためにバカなこと考えたんじゃないだろうね? そんなことお父さん達が知ったらどう思うか――!!」


 怒号が、全然怖くなかった。その怒りは、私に向けられたものではなかったから。怖くはなかったけれど、じわりと心が締め付けらるようで息が苦しくなる。


「ううん、違うの。シオン様はとても優しい方で、私――」


 弁護を試みなければと思った、その時だった。

 ざわりと人々が波のように揺れ、その異様な空気に言葉を止めた。


(……まさか……)


 その源はまっすぐ城の方向で、だから、胸騒ぎがした。

 暴れる心臓を宥め賺しながらも目を逸らせずにいると、さざ波のようなざわめきが少しずつ近くなってくる。

 朝市が始まる前の人がごった返し喧噪に溢れている空気がざわめいているのに、自分の血潮が流れる音のほうがとてもうるさくて、喧噪はどこか遠い世界の出来事のように静かに思えた。

 人垣が割れていくのが遠目に見えて、そこに金色の光が煌めいた。

 緊張に息もできずにみつめていると、相も変わらず人なつっこい笑顔を浮かべて人垣を割ってシオン様が現れた。


「おはよう、サラ」


 片手を上げて気さくに挨拶する、その呆れるほど物怖じない態度に目眩がした。

 露骨だったり、そうでなかったりするが、さっきまで私に向けられていた哀れみや同情など比ではない苛烈な憤りや憎悪が含まれる視線。まさかそれに気づいていないのだろうかと疑うほど爽やかな笑顔だった。

 唖然とするあまり、挨拶すら忘れてしまう。


「シオン様……なぜ、こんなところに……」

「逢瀬の時間がないから、市場を見に来いと提案したのは君だったと思うけど」


 眩しいほどの笑顔に再度目眩がして思わず目を覆った。


 確かに……そう提案した。

 しかし、まさか本当に来るとは思わなかった。

 しかも昨日の今日。

 ……いや、彼は毎日会いたいと言った。

 仕事に気を取られてそこまで思慮がまわらなかったが、これは予想すべき事態だった。せめて強要されていないという誤解くらい解いてからにして欲しいと言っておくべきだったのだ。

 そうでなければ――。


「サラ、大丈夫?」


 気遣わしげに顔色をのぞき込まれ、もういっそ「誰のせいだと思ってるんですか!」と怒鳴りつけたい気持ちをぐっと押さえ込む。

 戸惑いと憎悪といぶかしむ視線が集中している中で、どうすればこの場が丸く収まるだろうかと思案している間に、彼はそっと私の髪に触れたかと思うと、薄く笑った。

 髪をすくい上げ、耳元にこっそりと言葉を落とし込む。


「ずいぶん痛そうなそよ風が吹いているようだけど?」


 かぁっと頬が紅潮するのが自分でもわかる。


「他人の言葉ならいくらでも……!」


 怒り半分、恥ずかしさ半分の気持ちが我慢の限界を越え、爆発の勢いで彼の腕を乱暴に振り払った。

 ざわめいていた人々が水を打ったようにしんと静まり返り、はっと我に返る。

 シオン様もさすがに予想外だったのか目を丸めている。


「……あ」


 不敬だ。

 こんな人前で恥をかかされたと、処罰されかねない。


 私もソラさんも、みんなが息をのむ中で――意外にもシオン様はくるりとあたりを顧みてから眩しそうに目を細め、笑ったのだ。


「……そうか、彼らは君の家族なんだな。私にとってのエド達のように」


 そう小さく呟いて、笑顔に苦さを滲ませて私の頭を撫でた。


「すまなかった。昨日のことで君がひとりで辛い思いをしているんじゃないかと心配になって」

「………あ、」


 愛おしそうな目で見つめられると心臓を掴まれたような気分がして、目を合わせていられずに俯いた。


「ごめん……な……さい……」

「いや、私の思慮が足りなかった」


 ひどい後悔に押し潰されそうになるが、彼は子供を慰めるみたいに不器用に――でも、とても優しく――頭を撫で続けた。



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