宣言2



 冷静になると対等でありたいと言うくらいだし今まで幾度となく失礼な言動を取っているのだから、手を振り払ったくらいで処罰なんかするわけがなかったのだろう。

 けれども民にとって貴族の機嫌は法と同じ絶対のもので、決して逆らうなと本能に刻み込まれるほど教え込まれてきたのだ。

 だから、彼の言動には嬉しさよりも戸惑いが先立つ。

 街の人々も私と同様に戸惑っているのを、あれがただ気まぐれに手を出した遊び相手に対する気遣いだろうかと迷いが混じったのを、肌に感じる。


「あれほどの嘆願が寄せられるくらいだから、余計な世話だったな。むしろ――」

「嘆願……?」


 なんのことかとよけいに困惑する私には気を止めず、彼はくるりとあたりを見回し、隣の青果店のおばさんに目を留めた。


「あなたが、ソラナさんだね?」


 朗らかな笑顔で声をかけられたソラさんは恰幅のいい身を緊張に引き締め、ゆっくりと頷いた。


「どれもあなたが連名の代表者だったから、代表して聞いてほしい。軽々しくサラを部屋に連れ込んだことは反省している。自分達が出した嘆願が結果としてサラを貴族の手籠に追い込んだのではないかと随分気を揉んだことだろう。サラにもあなた方にもすまないことをしたと思っている」


 穏やかな――けれど確かに罪悪感が滲む謝罪に、ソラさんをはじめとした街の人々みんなが固唾を呑んだ。


「けれど、どれほどの責めも受け入れ後悔はしないつもりだ。二度も私を振ったサラがようやく私の恋人になることを受け入れてくれたのだから」

「わ……私、振ってなんか……」


 ないとは言えないのだが、居心地の悪さに抗議が口をついた。だがシオン様はそれこそそよ風を受けるように涼しげに目を細めて薄く笑っただけだった。


「交際を申し込んでも、身分を捨てて駆け落ちしようと言っても拒否しておいて振ってないと?」

「そ、それは――」


 口ごもった途端、ソラさんの豪快な笑い声が一帯に響いた。


「あっははは、坊ちゃんに駆け落ちしようとまで言わせておいて振るなんて、さすがサラだよ!」

「振ってないったら!!」

「どうせ両親を見捨てて街を出られないとか言ったんだろう。同じじゃないか!」


 否定するが、ソラさんはばっさりと切り捨てた。聞いていたんじゃないかと思うほど寸分違わぬ指摘に、二の句が継げない。

 おばさんは目尻に光るものをエプロンの裾で拭い、それから改めて私を見た。


「――でも。それでもあんた、諦めじゃなくて、自分で選んだんだね?」


 決意を問う真剣さに、恥ずかしくて沸騰していた全身の血がふっと冷えた。

 一度呼吸を整え、そっと息を吐く。


「うん。私――」


 いきなり背後からシオンに抱きしめられ、驚きから途中で言葉を呑んでしまう。何事かと見上げようとしたが、強い力で抱きすくめられて動けない。


「君はなにも言わなくていい」


 耳元で囁かれた声の身を切るような切なさに、胸が詰まった。

 未婚でありながら純潔を失ったのはあくまで強要されたせいだと、一人で醜聞を受けるつもりなのだろう。

 そんなことしないでほしい。領主の名声は民の誇り、領主の醜聞は民の汚名なのだから。

 けれど声をあげるよりも早く、彼は顔を上げ、まっすぐに街の人たちを見た。


「これだけは宣言しておく」


 シオン様は一度言葉を切ると猫のように頬をすり寄せてきて、恥ずかしさに全身の血が沸騰しそうだった。


「私がサラの未来を奪ってしまった以上、私は全身全霊、生涯を懸けてサラが幸せであるように責任を持つつもりだ」


 きっぱりと言い放たれた言葉の、あまりの重さにサラも含めて全員がぽかんとしてしまう。


(――ありえない。たかが領民一人に)


 そう思うのに、決意を秘めた宣言に声が出なかった。


「だから見守っていてほしい」


 胸の奥から溢れ出る気持ちを押さえ込むのに必死になる。

 僅かでも気を許せば、本当にこの暖かい腕の中に心から寄り添いたくなってしまいそう。頼り、甘えてしまいそう……。


「坊ちゃん、サラをお願いします。バカみたいに気が強くて頑固で強情で手を焼くと思いますけど……気の優しい良い子なんですよ――」


 胸を打たれて感極まったソラさんが、彼の手を取る。


「もう、ソラさん! なにを勝手にお願いして――私、そんなつもりは……」

「うん。神に誓って、必ず」


 抱擁からは解放されたものの目くじらを立てて抗議する私を無視して、シオン様は太陽のような明るい笑顔でそう宣言し――さらに、家にもわざわざ押し掛けて両親にも同じことを宣言してしまった。



 そして本当に毎日、朝市に通ってくるようになった。


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