健気な花2



 カチャリ。

 乾いた鍵の音ではっと我に返り、拳を握る。


(鍵なんかかけて……何をするつもりだ……?)


 苛々していた。

 偶然通りかかったからよかったがもし誰も気づかなかったらと思うと血が沸騰しそうで。苛立ちからひらすら無言で歩き、我に返った時には私室にサラを招き入れて鍵を掛けたところだった。

 領主の息子の私室だ。施錠などしなくても、誰も――父が怒鳴り込んでくる可能性はあるが、あの人は合鍵を持っているからそもそも施錠の意味がない――勝手に押し入ったりはしない。


(どうする……)


 頭に血が上っているせいか、うまく考えがまわらない。

 成り行きと勢いに任せてここまで連れてきてしまったものの、これからどうしたものか考えていなかった。考えなければと思うのに、あの時いっそ無理強いしてでも私のものにしておけばあんな男に言い寄られることもなかっただろうという獣のような理屈や、涙をためて心から安堵の表情を浮かべたサラの信頼。そういうものがごちゃごちゃとせめぎあって胸の奥でぐるぐると渦を巻き、二日酔いのようにひどく気持ち悪くてなにも考えられそうにない。


「あの……ありがとうございました」


 数十秒の長い沈黙に耐えかねたサラがおずおずと声をかけた。深く頭を下げたままあげないのも、さっきまでの純粋な感謝にかすかな不安が混ざっているのも、多分鍵をかけられ逃げ道を絶たれたせいだろう。その意味を勘ぐれば不安に駆られても仕方ないし、なにか優しい言葉をかけて安心させてやらなければと思った。

 けれど混乱した頭からは安心させる言葉が出てこなかった。


「――いつも、こんな目に遭っているのか?」


 行き場のない苛立ちが混ざる剣呑な自分の声音を聞きながら、さっきの光景が脳裏によみがえって思わず目を覆う。

 あの時、もし気がつかなかったら。無視していたら。あと少しでも遅れていたら。あのまま連れ込まれて――そう考えると、身震いがする。

 もしこれまでにサラの純潔を奪った男がいるなら相手が誰だろうと殺してやりたいとすら思った。

 けれど、サラはかすかに口元だけの笑みを作って答える。


「いいえ、いつもというほどでは。そうですね……先日のシオン様の申し入れを数えても4回目です。幸い、花瓶を割ってしまって他の方に気づいていただいたりして、ことなきをえています」


 淡々とした返答は、神経を逆なでする。


「拒否すればいいだろう!!」


 他にあと二回もあれほど怯え、耐え忍んでいたのだろうかと思うとそれだけでも声が荒くなる。しかもサラがあの男と私を同列に置いて数えたことで怒りの矛先はどこの誰とも知れない男どもからサラにも向かう。


(あんなふうに無理強いする気など――傷つける気など、ないのに!)


 確かに私に反省すべき点があったのは理解している。けれどあんなのと一括りとはあまりに理不尽な言われようだ。サラはゆっくりと首を横に振った。その表情からはさらに不安の色を濃くしているように見えた。


「ヒース様には返しきれないほどのご恩があります。そのご恩に報いるより先にご迷惑をかけるわけにはいきません。私ができるのは、許しを乞うことくらいです」


 言葉を探すが見つからず、苦く重い沈黙が澱のように漂う。


「………君は、私の申し出を拒否した」


 拗ねた子供みたいな言いように、サラはかすかな笑い声をあげた。訝しく見やれば、彼女は暗い影を落とす表情に口元だけ笑みを添えている。


「はい。先日、シオン様は問いかけて下さいましたからお断りさせてただきました。ですが、あなたが望むなら私は従う他になかったのです」

(……それは……冗談のつもりか、それとも試しているのか……?)


 問いが、声にならなかった。寂しげに笑いかけているサラの顔には、自虐的な色さえ浮かんで、胸の奥から苦いものがこみ上げてくる。


「じゃあ今、服を脱いでベッドに入れと命じられれば従うのか?」


 勢いで飛び出た暴言に、一瞬サラの表情が凍り付いた。

 時間がとまったように思える静寂の中、自分でも酷いことを言っていると思った。これでは本当にあの男と同じだと吐き気がしそうなほど酷い後悔が押し寄せるが、今さら後に引くこともできなかった。


 サラがかすかに頭を振ったように見えて、一度は胸をなで下ろした。


 だが、違った。


 サラは無言で室内を見渡しただけだった。

 ベッドに目を留めると、くるりと踵を返して歩き出す。

 ちらりと見えたペリドットの瞳には諦めを含む暗い光が宿っているのに、口元にはうっすらと笑みをたたえていて、ぞわりと悪寒が背筋を這い上がった。

 ベッドの横まで歩み寄る足取りに、迷いはなかった。

 だが私に背を向けたまま、エプロンの背中のリボン結びにかけた手が、躊躇うように一度止まる。


 そのまま、止まってほしかった。


 けれど、短く息を呑むのが聞こえたかと思うとリボン結びは一息にしゅるりと音を立てて解け、そして、純白のエプロンがぱさりと音を立てて床に落ちた。


(――なんでだ!)


 仕事がなんだと言うのだ。

 こんな理不尽で横暴な命令など突っぱねればいい。

 この前のように付き合うことはできないと。


 仕事が貞節より大事かと苛立ちがつのる。


 上着も同じように床に落ちる。

 その音が、やたらくっきりと耳に届く。

 緊張に息をのむ音すらが、はっきり聞こえた。


(――嫌だ。嫌だ、やめてくれ)


 自分で命じたくせに、祈ってしまう。

 それほど彼女の背中は痛々しい。

 なのに、喉に張り付いてしまったように声が出ない。


 ゆっくりとシャツのボタンをはずすサラに、つかつかと足音荒く歩み寄る。止めたくて背後から抱きしめると、彼女はびくりと身体を震わせた。


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