後悔


 自室の窓から、庭師と話すサラの姿が見えた。

 仕事柄話が合うのだろうが、親しげに笑っている姿を見るとあの場に飛んでいきたくなる。あの声を聞きたい、話したい、できることなら笑ってはくれないだろうかという渇望が胸を占め、息苦しさに思わず目を瞑る。


 あれからずっと、声をかけていない。

 どんな顔で、どんなふうに声をかければいいのか、わからなくて。

 きっとどんな顔でどんなふうに声をかけても何事もなかったかのように以前と変わらない態度で接してくれるだろうと思う。

 しかし実際に声をかけようとすると、耳の奥にあの時の彼女の言葉が蘇る。泣き出しそうなほど潤んだ目で必死に笑っている表情を思い出し、胸が抉られるように痛む。その痛みに邪魔されて……結局、話しかけられずにいる。


 それでもふと気づくと、彼女の姿を探しているのだ。

 見つけても、こうして遠巻きに眺めるだけなのに。

 眺めて、そして胸を焦がすだけなのに。


――お戯れにはお付き合いできません。


 いずれ捨てられるとわかっている人と付き合う気はない、妾の肩書きなどいらないという、きっぱりとした拒否。


 そんなつもりではなかった……本当に。


(――愚かだ……)


 頭を抱え込み、小さく呻いた。

 断られるなどとは、微塵も思っていなかったのだ。

 それがまずなによりも愚かしい。

 父は厭うが、貴族が領内の女性に手を出すなんて、社交会で毎回嫌というほど聞く話でその待遇に断る女性などない、と――。


(本当に……愚かだ……)


――お断りすると、処罰を受けますか?


 怯えた顔でそう尋ねられて、最初から彼女らに選択の余地などないのだと、そんなのは貴族側の勝手な解釈に過ぎないのだと、ようやく気づいたのだから。


 我ながらその愚直な言動にはいっそ竜に踏み潰されたほうがマシだと思うほど恥入るばかりだ。あれほど毛嫌いしていた世界にいつの間にか慣れ、サラにあんなふうに声をかけた愚かさが呪わしいかった。

 身分を持たないサラを正妻にすることはできない。ならば行き着くところ、彼女の言うとおり、妾として囲うのか、いずれ捨てるのか、その2択しかないことになる。

 遊びとなにが違うのかと問われれば、返す言葉がなかった。


 返す言葉は、見つからないけれど。


 だけど、ただもっと、話したかったのだ。

 できるならあの髪にもう一度触れたいとか、唇に触れてみたいとも思わないわけではないけれど。

 けれどそんな下心ではなくて、もっと純粋に、ただもっと近くで、笑っていてほしいと――本当に、ただそれだけの思いだった。


 なのに、逆に彼女を怯えさせてしまった。

 少しでも彼女の立場になって考えればわかったはずのことなのに……。


 深い後悔と自責が息苦しいほどじわじわと胸を苛んだ。



 無意識に、助けを求めるように伸ばしていた指が窓硝子をカツンと打った。


 絵画を愛でるように、遠くで輝く蜂蜜色の髪に指を滑らせ――息苦しさに、ただ、溜息が漏れた。



 サラはその愚かさを、優しい人だと笑って赦した。


 それはまるで、雷雲の切れ間から差し込む光のような赦しに思えた。

 畏れ多くても、届かなくても、救いを求めて手を伸ばしたくなる神聖なる慈悲の光――。




     * * *




 サラに交際を拒否されてから一月ほど経ったある日のことだ。

 暇を持て余して城内を散歩していると、どこからか聞き覚えのある高慢な男の声がかすかに耳に届いた。声の主が誰だったかすぐには思い出せなかったが、少なくとも好ましい人間ではなかったと思う。あえて嫌いな人間と顔を合わせるのも気が進まないが、嫌な奴に城内で好き勝手されるのも癪に障る。

 しばし逡巡したが、結局なにか嫌な予感のようなものに導かれて声の聞こえてくる方向に足を向けた。


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