言吐き病と手紙士の話

西暦2045年、世界中に蔓延した奇病はこの国の在り方を変えていく。

 いくつもいくつものこと、医療や、経済や、産業や、文化とか、高校生の私たちにはまだまだ解らない変革がたくさん起きていて、だけどあと5年もすれば私たちも大学を卒業して働かなければならないから、国はたくさんのことを学業に下ろしてくる。2020年に大人たちが頑張った教育改革なんてものは白紙に返り、文科省も右往左往しているそう。そのツケが学校にはたくさん降りてきていて、高校生も大変だ。

 私の体感だけど、そんなわけで高校生から青春なんてものは消えていった。国難に立ち向かう為に私たちは勉強しないといけないから。だから、今、私の目の前に起っていることが何なのか、理解できないでいる。

 昇降口の靴箱を開けたら、私の上履きに包装された小さな袋が乗っていた。ラッピングされた、蒼いリボンの、小さな、なんていうか、プレゼント、に見えてしまう代物。私の思考はもう5分くらい止まっている。驚いた拍子に傾いた眼鏡すら直せないまま。

 これは何だろう。昭和の映像で見たことがある、青春ドラマのワンシーンみたいだ。下駄箱にプレゼント。バレンタインデイや誕生日に好きな人の下駄箱にこっそり入れて、手紙を添えて思いを伝えるやつ。あれにすごく似ている。

 私は首を捻って考えた。仮定――そうだとしたら、これは私に好意を寄せている誰かの仕業と言うことだ。誰かが私にプレゼントを渡してきた……? いやいや、そんな訳がない。このご時世でそんな暇なやつがいるわけがない。そんな、高校生で、青春を楽しもうだなんて、思う男がいるわけがない! 高校二年生の夏、これから受験勉強も始まるのに! 共通テストの試験科目がどれだけ増えて難度が上がったか、解っていない馬鹿はいない。受験勉強のしおりを読んでないの? こんなことをするなんてよほど脳天気? 私には理解ができない。

 ああでもないこうでもないと考えている内に校内時計がポーンと鳴り我に返った。しまった8時だ! 8時半からホームルームだから、それまでに進路希望調査のプリントも準備しないといけない。こうしてはいられず、さっさと下駄箱に手を突っ込み、脱いだ靴と上履きと、仕方が無いから袋を入れ替えようとした。

 袋を掴んだ瞬間、カタカタ……と音がした。その瞬間に、はっとした。袋を掴んだ感触……、軽く揺すってみて響く音、不揃いな固い感触……。

 確信した。この袋の中身は、”言葉だ”。


**


「カヤナ、帰りまでに進路希望調査を再提出しろ。もう少し方向性を絞れよ」

 職員室に呼び出された私に担任が突きつけたのは、大急ぎで仕上げた進路調査のプリントだった。ああ、やっぱり、こうなることは解っていた。連日連日山のように出てくる課題と小テストと読書量の所為で、帰宅してからも首が回らない。そのツケをホームルームの前に払拭しようとしたのが間違っていた。私は屋上に続く階段を上がりながらため息をついた。

 ぎぃと重い扉を開いて屋上に踏み出す。真っ青な空に澄んだ空気が心地よい。昼休みは空の下でパンを囓るしか勝たん。

 屋上の隅っこの一角、私にとっての定位置に腰を下ろし、進路希望のプリントの上に購買で買ったパンとパックの豆乳と、下駄箱で見つけた袋を置いた。ずっと気になっていて、午前中の授業は集中できなかった。

 そっと蒼いリボンを引いて、包装を解く。袋はひらりと広がり、ガラガラと軽快な音を立てて中身をぶちまけた。

「やっぱり……」

 カラカラと音を立てるパズルピースのようなもの。つまみ上げれば「き」の文字。そう、これは”文字”だった。それもすべて違う、ひらがな、漢字、日本語の文字がまるで文字型のおもちゃみたいに一緒くたになっていた。

「信じられない……! 今時、手紙を出すなんて!! なんてめんどくさいの!?」

 声を張り上げた瞬間、私の口から発された言葉が形を帯びて地面を転がった。包装されている文字とは違い、私の口からこぼれた文字はぽんぽんと跳ねてすぐに消えていった。

 西暦2045年、人類を襲った奇病――、口から発せられた言葉が”具現化する”。日本ではそれを『言吐き病』と呼んだ。感情を込めれば込めるほど、吐き出した言葉が様々な個性を持って具現化する、それだけの奇病だけど、言葉が形を成すっていうのは色々と面倒くさい。言葉は武器だとか、言葉は○○だとか、人の思い込みが可視化されるっていうのは都合が悪かったりするらしい。蔓延当初は”声が空気に触れて具現化する”とされていたが、日が経つにつれて「感情」にリンクしている事が解ってきた。手紙を書いても文字が具現化することが解った時、日本から手紙を出すという文化が消えた。

「……『き』、『カ』……」

 私は文字を一つ一つ組み合わせながら、とりあえず熟語を探そうとした。何個か摘まみ合わせてようやく『カヤナさんへ』という文節を作り上げ、それだけで疲れてしまった。

 手紙を出す、という文化は趨勢的になくなっていったらしい。平成で民営化された郵便局はもっぱら宅配業務専門のコンビニという感じだし、年賀状やら喪中はがきだって、山奥の老婆ですら『見守り機能つきロボット』経由でメールを使う方が主流だ。それをわざわざ手紙を書こうだなんて……。

 一度ペンを取って手紙を紙に書いた後、浮き出てきた文字を袋に詰めて、私の下駄箱に入れるという一連の行為。一体何を考えてそこまでの労力を使ったのだろうか。

「…………よっぽど伝えたいことなのかな」

 ぽつりと独り言を漏らした瞬間、身体が熱くなった。頬に触れたらぽかぽかしていて、これはかなり顔が赤くなっている気がする。

 ……いやいや、いまさら。これだけ文句を言っておいて、何恥ずかしがってるの私。

 よく考えてカヤナ。こんなの何かの遊びだ。大人が懐かしんで昔のゲームソフトをやるとか、バリバリの都会に住んでいる金持ちが田舎で古民家を買うとか、そういう対局にある何かに面白みを感じる一定数の気まぐれな人間がたまたま手紙という文化を引っ張り出してやり出したに違いない。きっと、たいしたことじゃないはずだ。

「大体、こんなパズルみたいなことに時間を割いてられないわ。進路調査の紙だって、出さないといけないのに……」

 カラカラと転がる文字の敷紙にされたプリントを引っ張り出すと、豆乳パックの水滴が滲んでいた。風に揺れるプリントにはびっしりと進学希望の大学名を書き、将来希望する職業欄は空白にしてある。担任が考えろと言ってきたのはこの職業欄のことだろうか。

「あ、」

 ふと間の抜けた声がして顔を上げると、すぐそばに男子学生の姿があった。

「……ユン君」

 ひょろりと長い手足に端正な一重がよく似合う彼はクラスメイトだけど、話すのは初めてだ。不意に彼もまたプリントを持っていたことが気になった。

「……進路希望調査のプリント、カヤナさんも担任に突っ返されたんだ?」

 彼も思うところは同じだったらしい。彼もまた職員室に呼ばれたのだろう。

「うん、そう。ユンくんも?」

「そう。大学進学をしません就職しますって書いたら考え直せって」

 ユンはけろりと笑いながら進路希望調査のプリントを見せてきた。彼の言う通り、希望進学先にの大学名は空欄で、希望職業欄には一つだけ職業名が書かれていた。

「……手紙士」

 私は生まれて初めて『言葉を失う』という状態に陥った。

 手紙士とは、言吐き病により生まれた職業で、言葉が具現化してしまう人の代わりに手紙をしたためる人を指す。

「え、どうして手紙士なの? 手紙を書く人なんて今時いないよ? 仕事になるの?」

 無遠慮に聞いてしまったと思った。けれどユン君はとくに気にした様子も無い。

「ニーズは少なくても、必要な職業ってのはあるのさ。手紙士はまさにそうだよ」

 ユン君はプリントを畳んでシャツのポケットにしまい込んでしまった。担任の言う通り放課後に出し直すだろうに、再考の余地無しということだろうか。それにしても手紙士になりたいだなんて……。

「ところでカヤナさん、面白そうなものを持っているね」

 ユン君の視線が床に向かって降りていて、組みかけの手紙と文字のピースを見ていることに気づいた。私はカッと熱くなってそれらに覆い被さった。

「な、何でも無いの!! これは、私から出た”言葉”じゃなくて、もらい物っていうか……!!」

「あ、そうなの? じゃぁ困ってるんでしょ? 解読できなくて」

 へ? と間抜けな声を漏らして彼を見上げた。ずいぶん高い処にあるユンの顔が降りてきて、お互いしゃがみ込んだ格好のまま向き合った。

「その手紙、俺が解読してあげるよ」


**


 放課後、誰もいなくなった教室に二人で残った。ユン君は私がもらった手紙の文字を机に並べ、ふんふんと鼻歌混じりに作業をしていた。端から見るとパズルを楽しそうに解いているようにも見える。……実際、パズルみたいなものかもしれないけれど。とにもかくにも私は暇を持て余すので、担任に出し直さなければいけない進路希望調査のプリントとにらみ合っていた。職業欄が埋まらない。

 職業を決めてそれ以外書かないユン君と、大学進学先しか書かない私。なんだか正反対だ。外から聞こえる部活動の声援を聞きながら、こうやって悩んでいる時間って何なのだろうと考えていた。

「カヤナさんは将来の職業決めてるの?」

 私の後方の席で作業しているユン君から質問が飛んできた。振り返ると相変わらず楽しそうに文字を組み合わせているユン君は顔を上げもしない。作業に集中してても口は勝手に動かせるらしい。

「決めてないよ。だから再提出しろって言われたの」

 大体、進路希望を書かなかったのは書きようがなかったからだ。高校生のうちに将来の職業を決められる人はどれほどいるのだろうか。

「将来のことが決まってないのに、行きたい大学は決められるの?」

 内心びくっとした。大して話したこともないのによく立ち入った事を聞くなと思ったが、私も屋上で無遠慮に聞いてしまったからお互い様だ。

「そうだよ。大学に入っておけば潰しはきくでしょ? 何だかんだ学歴が大事って話も根強くあるじゃん」

 AIが人間を超えると言われた今年、奇病の所為でAIができない職業がたくさん生まれ、そしてAIによって代替わりとなった仕事も増えた。誰もがキャリアに悩み右往左往する時代、大卒は”最低限”の保証にはなってくれる。つまり先のことなんて誰も解らない。なのにどうして学校は、将来の希望なんて聞くのだろう。

「へー。カヤナさんって真面目そうだし、きちんと目標があるんだと思ってたけど、そうでもないんだね」

「え?」

 自分の米神が引きつるのが解った。この人は一体何を言っているのだろう。

「……真面目で、きちんと、してそう? 私」

「だって先生に言われたことはきちんと取り組んでるじゃん。休み時間はいつも単語帳見て、課題の提出率もめちゃくちゃいいし、熱心だなって感心してるよ」

 タブレット学習が前提になり、生徒一人一人の課題の進捗や提出率もすべてアプリで共有されるようになった。そんなのいちいち眺める奴も暇だなと思うけれど。

「熱心じゃないよ、そうしないと成績付かないし、進路に差し障るし……」

 進路、と自分で口にした途端、嫌な気分になった。

「……なんかさ、毎日わーわー課題が降ってきて、必死に取り組んでるはずなのに、将来のこと考える余裕なくなっていくんだよね。変かな? 何にも決められないのに一生懸命取り組むのって」

 2020年、新型ウイルスが蔓延した当初もたくさんの企業がなくなり、生活様式がかなり変わったとき聞いている。そこから25年が経過して再度蔓延した原因不明の言吐き病に対し、社会は再び混迷を極めている。夢見た職業が無くなる事もある。今から未来を考えることは無駄じゃないのか。

「俺はね、手紙士になりたいんだ。手紙士って、どんな仕事か知ってる?」

 私の葛藤を知ってか知らずか、ユン君がぽつりと漏らした。

「そうやって、奇病のせいで具現化してしまった手紙を復元して、送り先に読ませる仕事でしょ?」

 ユン君は文字から目を離さないくせに、私の表情を見ていたように「そうだね」と相づちを返した。

「奇病の所為って訳でもないけど、趨勢的に紙でのやりとりはなくなっていったでしょ? でも俺んちって代々が文具屋でさ、手紙の代筆も家業だったわけ。だから手紙の役割をよく分かってる。手紙はなくならないよ」

 ああ、そうか。先祖代々の家業があるから、初めから将来が決まっていたってこと。なんだか張り詰めていた糸が緩んだ気がした。私は思わず苦笑する。

「でも手紙士が言吐き病に罹患したらどうするの? 手紙の代筆なんてできなくなるかもしれないじゃない? それなのに将来を決められてるのって、かわいそう……」

「ああ、俺は奇病には罹患しないよ」

 あまりにしれりと言い切られて、どう切り返して良いか躊躇ってしまった。すると私が知りたい答えは勝手に返ってきた。

「俺、中国人だからさ。中国語圏で長く生きてる奴は罹患しないでしょ?」

 はっとした。

 脳の言語中枢というものにコンタクトするこの奇病は、発症する国を選んでいる。韻を踏んで覚える平仮名は絶好の餌だったらしく、日本人は奇病に愛されてしまった。生まれ持った言語が違うということは、将来の可能性を大きく左右するのか。

「……ユン君は、自分にしかできない仕事を見つけてるんだね。なんかすごいな」

 家業があって、それが生来の体質にも合っていて、それ以外は無いと決める勇気がある。

「もう手紙士って決めてるから、大学にも行かないんだね」

 ユン君が持っていた進路調査のプリントは手紙士以外の書き込みがなかった。大学も行かず、卒業単位だけを取れば良い彼にとっては学校で学ぶことは最小限で良いのかもしれない。だからこんな風に好き勝手する時間を持っている。

「俺はカヤナさんの方がすごいと思うよ。目的もないのにとりあえず大学に行こうってだけで、勉強頑張れてさ。変な意味じゃなくて、未来の可能性を広げる為に今がんばれるって、すごいよ。俺はやりたいことだけやってたいもん」

 褒めているんだろうか? 褒めているんだろうけれど、一言多くないか? さらに”変な意味じゃなくて”とわざわざ言うところが逆に変な意味を強調していることに、彼は気づいていない。私は適当に取り繕って笑った。

「私ね、未来の可能性を広げる為に忙しいからさ、そんな手紙をもらっても困るんだよね。手紙士って、手紙の返事も書いてくれたりするの?」

 本題に軌道を戻して聞いてみると、遠目から見える机上にはあらかたの文字が整頓されていた。ユン君は肯定とも否定ともとれない曖昧な唸りを漏らした。

「手紙士は仲介役だから、手紙を代筆することもできるけど……、一回くらい読んであげたら?」

 カタン、とひときわ高い音を鳴らして文字が机に押しつけられた。ユン君は大げさに最後の一文字から手を離し手招きする。私はなんとなく腰を上げることができなかった。

「手紙士はね、復元した手紙を読むように強要したりしないんだ。読むかどうかは貰った人間の自由だからさ」

 ユン君は身動きしない私を責めるでもない。ハンカチを取り出して指を拭って、もう店じまいとばかりだ。

「……私、手紙なんか読みたくない」

 どうにも心の中に留めておけない言葉が、形を成して机上で跳ねた。ぽん、と弾んですぐに消える。私の言葉は軽くて弾む。中身がスカスカだからかな。

「ユン君から、手紙の返事をしてくれない? そういうのは駄目なの?」

「手紙士は代わりに手紙をしたためることもできるけど、それをするにはカヤナさんの言葉が必要だよ。代弁者になるってことだからね」

 都合が良い話にはならなそうだ。返事を書いてもらうにしろ、その手紙は読まないといけないような雰囲気が伝わってくる。どうにも気が進まないでいると、かしゃりとシャッター音がした。ユン君がスマホで組み立てた手紙を撮っていた。

「あ、ごめん。記念に撮っておこうと思って」

 記念、と言いながら他人の手紙を撮影するのは常識外れとは言わないのだろうか。ユン君は気にした様子も無くスマホを仕舞い、広げていた手紙を包装紙の中に仕舞い始めた。組み立てた熟語も単語も文節も、文字のピースに戻っていく。やがてユン君は包装紙に蒼いリボンをつけて、初めと同じ形に戻した手紙を持って腰を上げた。

「手紙、読みたくなったら連絡して。写真で送るから」

 そう告げると包装紙に来るんだ手紙と、四つ折りにしたプリントを私の手元に置いた。四つ折りにしたプリントにはラインのIDが書いてあった。

「じゃぁね、今度ジュースでも奢って」

 私がうんともすんとも言う間もなく、ユン君は教室から出て行った。

 手元に残った包装紙を揺らすとカラカラと音がする。固い音、私の言葉と違ってすぐに消えたりしないし、軽くもない。それだけでどんな人の言葉なのか想像できる気がした。


『手紙はなくならないよ』


 言吐き病に感染した人間は、言葉が具現化する。それは本人の感情や価値観に付随して個性が出る。手紙を書きたくないと思った日本人の多くは、物理的に送れなくなった事よりも、自分の本音が具現化することが嫌だったのかもしれない。だって、私だったら耐えられないから。取り繕えない言葉なんて持て余すだけだ。きっとうまくできない。手紙の返事だって、上手にできないに違いない。私の嫌なところばかり書いてしまうかもしれない。

 包装紙を両手で包むと、少しだけ重かった。送り主の言葉の重さを手のひらに感じていると、言葉を貰っているはずなのに言葉じゃない何かが伝わってくる気がして、宝物のようにそっと抱きしめた。

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噺小屋の二階から 領家るる @passionista

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