--*---*寄稿作品---*---**

お姫様の言う通り!


「でもさ? 頭を隠したって、お尻が出てたら意味がないでしょ? 隠れたい気持ちがあるから、頭を隠そうとするんでしょ? なのにお尻が隠れてないことに、どうして気づかないの?」



 教室の真ん中で威風堂々と踏ん反り返りながら、髪を指先に巻き付けてお澄ましをしているお姫様は一筋縄ではいかない。松川は白髪交じりの後頭部をわしりと引っ掻きながら、柳眉を垂らしてひたすら困っていた。

 モモは2組のお姫様だ。小学3年生にしてお澄ましができて、いつもツンと口先を持ち上げている。担任の松川には極めて噛みつきやすく、中でもことわざの授業は格好の餌食だ。黒板に書かれている今日の題材は、『頭隠して尻隠さず』。このことわざが書き終わったと同時に、モモの脳内でゴングが鳴ってしまった。

「ねぇ、どうしてかしら!」

 モモは甲高い声を張り上げて松川を見上げた。松川は「そうだねぇ」と悩みに悩みながら取り次ぐだけの言葉を漏らした後、教壇を降りてモモの傍まで歩み寄った。そして腰を屈めてモモと目線を合わせる。

「モモちゃんは、どうしてお尻が隠れていない事に気づかないんだと思う?」

 壮年相応の草臥れた声で、松川は問いかけた。するとモモは口先をツンと持ち上げた後、

「知らない!」 と、言い切って横を向いてしまった。自分から答えたがらないのはいつもの事だが、松川は決まってモモにそう切り返すようにしていた。今日こそはと思って問いかけたが相変わらずの応対を貰い、また柳眉を下げて困った顔を晒した。

「お尻がおっきいから、隠れないんじゃないの!」

 すると、ここぞとばかりに声を張り上げて横やりを入れたのはヨモギだった。ヨモギはモモが大好きでお姫様に仕える道化のように合いの手を入れたがる。人を笑わせるのが大好きで、モモと松川の掛け合いが始まると毎回取り入ってきては、周囲を笑わせたがった。

 一方のモモはヨモギが嫌いだ。自分が中心でないと気が済まないモモにとって、ヨモギに注目が集まるのは面白くない。ますます機嫌が悪くなるモモを宥めようとしても松川には相変わらず冷たい。となれば、

「そうだねぇ、ヨモギくんの言う通り、お尻が大きいという理由も考えられるなぁ」

 一旦はヨモギの気が澄むまで付き合ってから、本題のモモに戻るという回り道しかないのだ。やれやれとため息を付きたい心持ちを抑えながら、松川は腰を上げ、後ろの席に座って居るヨモギの頭を撫でてやった。大人に褒められると嬉しくて仕方がないヨモギは飛び上がって喜び、「いえーい!」と大きな声を上げ、椅子に乗り上げお尻を突き出し始めた。

「俺も頭隠して尻隠れない!」

 傍にいる松川の腹に頭を押し付けながら尻を突き出し揺すったりするヨモギは、もはや火が付いたオモチャのようで、クラス中が笑いの渦に巻き込まれる。「やりすぎだよ」とヨモギを納めようとするうちに、松川は本来の目的を忘れつつあった。一番の厄介者を放置し続けていたことを思い出したのはヨモギを席に座らせた後で、振り返った松川を思い切り睨みあげるモモの頬は少しだけ赤く、大きな瞼が震えていた。松川はさらに困ったとばかりに柳眉を垂らして情けなく苦笑した後、狷介なモモに言葉を投げようと思ったが、それより先にチャイムが鳴ってしまった。

「あらら、授業が終わってしまったね、ええと、どうしようかな……」

 松川は後頭部を掻いていた手を下ろし、一旦教壇に戻ろうと踵を返した。すると、堰を切ったように椅子を引いて立ち上がったモモが、松川を呼び止めた。

「待ってよ! お父さん!」

「え?」

 モモも、先生も、周りに座って居るお友達も、みんなが皆、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、目をまぁるく見開いた。まさか、まさか、先生のことをお父さんと間違えて呼んでしまうだなんて、それもあのモモが。水を打ったように静まり返った教室の中央で、モモだけが茹蛸のように火照り始めていた。頭から湯気が出るほど沸騰しかけたところで、今度は勢いよく椅子に戻り、真っ赤な顔を教科書に押し付けて机に伏せてしまった。

「ん、う、う、ううううううう~~~~~~~……っ!」

 ぐりぐりぐり、教科書で熱い頬を拭うように頭を揺すりながら、次には横に置いていたノートを手探りで開き、自分の後頭部に被せた。後ろの席に座っていたヨモギが「教科書サンドイッチだ!」と声を張り上げモモを指差すと、クラス中が、どっと声を上げて笑った。松川も笑ってしまったけれど、他の生徒のように声を上げて彼女の言い間違いを笑うのとは意味が異なる。和やかな微笑みを浮かべて、数歩戻りモモに手が届くところまで戻ると

「はい。お父さんだよぉ?」

 松川はモモの頭の上に被せられたノートごと、ポンポンとモモの頭を撫でてやり、再び教壇へと戻っていった。

「ち、がう、のおお!」

 教科書サンドイッチの隙間から、くぐもった声が聞こえる。恥ずかしさのあまり、いつまでも顔を上げられない。

「ぉ父さんじゃぁ、ないの よ!」

 それでも相変わらずのおませな台詞が顕在するモモが可笑しくてたまらず、松川は黒板に向き合ったまま肩を震わせ、こっそりと笑ってしまった。そしてヨモギの追撃が入る前に、黒板に書いたことわざを消してやった。





(全2108文字)

寄稿:「掌を繋いで」おっさん×少女アンソロジーより(2016年3月発行)

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