第3話
その日俺は、学校で妄想することはなかった。
頭の中が「何故?」でいっぱいだったからだ。
何故華奈がPFSになったのだ。クラスの中ではあいつだけとしかほぼ話さない俺と違って、あいつはクラスにたくさん友だちがいた。俺から見たらもちろん、一般的に見てもリア充といって過言ではないだろう。
あいつは現実が好きだった。俺にとってくだらなくて仕方ないことも、あいつにとってはかけがえのないものだった。日常を愛していたに違いない。
現実を楽しんでいたあいつにとって、楽しみたいPFS《ゆめ》なんてなかったはずだ。
だからこそ、俺は戸惑っていた。華奈が、俺より先にPFSになってしまったことに。
もちろん、華奈のような人間だからPFSにならないか、というとそうともいい切れないことは理解している。毎日を楽しんでいたやつが突然PFSに、なんてことはざらにある。
しかし、俺より先にPFSにかかったことが信じられない。
そうか。俺は嫉妬しているのか。俺を差し置いてPFSにかかった華奈に。だから、こんなにあいつのことを考えてしまったのだ。そう気付いてしまうと、実にばからしい。時間の無駄だった。
そう思おうとした。しかしできなかった。何かが違う。靴に入り込んだ小石のような、小さな違和感。違うところがあるとすれば、小石は靴を脱いで捨ててしまえばいい。しかし、心の中にある小石は捨てることができない。俺の心のざらざらは、消えない。
「華奈さんがPFSになってしまったことは非常に残念です。特に、彼女と親しかった山田くんには」
教室を出ようとしたときに佐藤からかけられた言葉が蘇る。
「そんなんじゃないです」
彼女と親しかった、というところからして全くの見当違いだ、といいたいところだったが、口には出さない。
「そうですか。気にしていないというなら、そちらの方がいいかもしれませんね」
「俺って薄情者ですか?」
振り返らずにいった。今の自分の顔を見られるのが、嫌だった。なんとなく。
「そういう人もいるでしょうね」
相変わらず何とも丁寧すぎて、どことなくよそよそしい佐藤の話し方。しかし、距離感を感じるその話し方を、俺は嫌いではなかった。
「でも、きっと山田くんが気にしすぎることは、樹多村さんが望まないと思います。『私のことは気にしなくていいよ』なんていうんじゃないですか。彼女なら」
佐藤の言葉が、華奈の言葉で再現される。確かにあいつならそういうだろう。
「だから、私は薄情者だと思いません。それに、私は山田くんが薄情者ではないことを知っているつもりです」
「先生が何を言いたいのか分かりません」
「すみません。偉そうでしたか」
「はい。同級生なら何様か、といいたいくらいですね」
「それなら、先生さまで、担任さまです、と答えておきましょうか」
「なんですか、それ」
「軽口ですよ」
「笑えません」
「そうですか。渾身のボケのつもりだったんですが……」
声のテンションが下がっている。どうやら本心のようだ。面倒くさい。
「先生にボケられたら、たいていの人は戸惑うと思いますが」
普段ボケないくせに。
「そうですか」
ふふふ、という笑い声。
「引き留めてしまった形になってしまいましたね。それではさようなら。また明日、学校で会いましょう」
「明日はぼくがPFSになっているかも知れませんよ」
「そうですね。ですので、そうならないように私はいつも祈っていますよ。クラスのみんながPFSになりませんように、と」
「そうですか。でも、華奈はPFSになってしまいましたね」
「しょせんお祈りですから」
「そうですか。ならぼくは、今日ぼくがPFSになることを祈ります」
「山田くんならそうでしょうね」
「さようなら。PFSにならなかったら、明日また」
俺はそういって、佐藤の返事を待たずに教室を後にした。
思い出して、きっとこれが俺が落ち着かない原因だったのではないか、と考えた。しかし、すぐに否定する。これは、学校から出るときのことだった。だから、それが今日一日妄想しなかった理由になり得ない。
一体、何なんだ。一体俺をどうしたいんだ、華奈の奴は。
こんな時は、あいつを罵ってやるのが一番スッキリするのかも知れない。しかし、あいつを罵ることは暫くできそうにない。そう考えると、益々心が荒れてくる。
「あら。颯太くん」
そんなとき、後から急に声をかけられた。思わず体がびくっとしてしまう。
「あ、おばさん」
振り返ると、そこには華奈のお母さんが買い物袋を抱えていた。
「買い物帰りですか」
「そうなのよ。ほら、うちの娘、PFSになっちゃったでしょ。だから昨日から入院しているんだけど、それで急に入り用になったから色々買ってきたの。今から家に帰って、それから病院よ」
「あー……」
果たしてなんといっていいものか。「このたびは」なんていった方がいいのかもしれないけども、それも違う気がする。
「華奈さん、PFSなんですね」
「そうなのよ。昨日、夕ご飯食べに来ないから何か、と思ってたら、部屋で倒れてて。慌てて病院に行ったら、PFSだって」
華奈のお母さんから深刻な感じは伝わってこない。確かに華奈の母親だけあって明るい人ではあったけれど、娘が病気にかかってもこんなものなんだろうか。少し不思議な感じがした。
「心配ですね」
「あら、颯太くん心配してくれるの。ありがとう」
「一応、幼馴染みなので」
「そうね。昔はよく華奈と遊んでたものね。懐かしいわ」
どことなく遠くを見るような目をしている。
「まだ十年も経ってないのよね。おばさんになると、時間が経つのが早くなって来ちゃって困るわ」
何とも返事に困る。
「颯太くん、覚えてる?華奈と山に秘密基地を作ってたこと」
「あぁ、あれですね」
そのことは覚えている。
「この町は悪の組織に狙われているから、僕たちが守らないといけない、って颯太くんがいって」
「そんなこといってましたっけ?」
そのことは覚えていなかった。
「そうそう。で、華奈も『私も一緒に戦う!』っていって、二人で山に秘密基地を作ったのよね。悪の組織と戦うための前線基地、とかいって」
「ははは」
どうやら、俺が敵と戦っていたのは昔からのことだったようだ。流石というべきだろうか。
「家から色々持っていこうとして、結局二人とも怒られて、基地も壊されちゃったのよね」
「そんなこともありましたね」
「海からの敵の襲来に備えて、調査する、とかいって海に遊びにいったり、地底からの敵が来る前にこっちからいく、といって砂場に穴を掘ったり」
次々に掘り出される黒歴史。流石俺、とは残念ながら思えない。
「颯太くんがいつも言い出して、華奈がそれに付いていって。あの頃、二人とも楽しそうだったわ」
「……」
「あの子にとって、颯太くんってヒーローだったのよね」
「えっ?」
意外な言葉が耳に飛び込んできた。
「ヒーロー、ですか?」
「そう、ヒーロー。あの頃いつも言ってたわ。『颯太くんは、私の知らないことをたくさん知ってて、いつも私を知らない世界に連れていってくれる』って。あの子にとって、颯太くんと遊んで、冒険に出かけていたんでしょうね。女の子なのに冒険好きって、珍しいわよね。おままごとの代わりに冒険、よ」
何とも愉快そうな華奈のお母さんに、しかし俺は笑うことができなかった。と言うか、どう反応していいかよく分からなかった。
「って、こんなこといわれても、颯太くんは困るわよね。ごめんなさいね、おばさん、話し好きで」
「そんなことないですけど……」
そう呟くのが精一杯だった。
「でも、華奈にとって相当楽しかったんでしょうね。今でも、時々昔の話をしていたのよ」
「えっ?」
「春になったらチューリップがたくさん咲くように秘密基地に球根植えたい、っていったら、颯太に怒られたんだー、とか。山で遊んでいたら、大きなクワガタがいたから、颯太と一緒に捕まえたんだ、とか」
記憶の奥底を辿ってみるが、そんなこともう思い出せない。
「颯太くんも覚えていないでしょう」
見透かしたかのような華奈のお母さんの言葉に、俺は素直に頷く。
「なんでそんなことまで、っていうことも覚えているのよ。おかしいわよね」
華奈のお母さんは笑っているが、俺はどう反応していいのか分からない。俺の心がざわついている。
「きっと、今回PFSになったのも、あの頃に戻りたかったのかも知れないわね」
あの頃。俺と華奈が一緒に遊んでいた、幼い頃。
「でも、すぐ戻ってくるんじゃないかな、と思ってるの。楽しかったあの頃をちょっと追体験して。それに現実にヒーローがいるんだから。だから、あんまり心配してないのよ、私」
「そうなんですか……」
「そうなの。だから、颯太くんもあんまり心配しないで。すぐにまた颯太くん《ヒーロー》のところに戻ってくるわよ」
「ヒーローのところって?」
「それは華奈が帰ってきたら分かるんじゃないかしら?」
華奈のお母さんがウインクする。親子だけあって、その仕草は華奈のそれとそっくりで、一瞬華奈がダブって見えた気がした。
「でも、その前に颯太くんがPFSにかかったら困っちゃうわねぇ。だから、颯太くんはそれまでPFSになっちゃダメよ。何より、戻ってきたときに颯太くんがいなかったら、華奈が悲しんじゃうから」
華奈のお母さんの言葉を聞いていると、先ほどの答えは明白のような気がした。しかし、イマイチ腑に落ちない。
なぜ俺なんだろう。未だに。
「だから、妄想は控えめにね」
「……知ってるんですか?」
「華奈が教えてくれたのよ」
あいつめ。確かに家族仲もいいやつだが、そんなことまで話さなくていいだろうに。
「勇者が颯太で、私はお姫様で。敵にさらわれた私を、颯太が助けに来るお話だったんだけど、いつの間にか私を助けに来ること忘れて、颯太が一人で冒険に出かけちゃった、っていってたわよ」
その言葉は、俺の奥底に眠っていたものをこじ開けた。
「……そうだった」
「やっぱり忘れてたのね。華奈、寂しそうにしてたわよ。あ、責めているわけじゃないからね」
穏やかな声。優しい声。その声に、引っ張られるようにして、忘れていたことを思い出す。
気付いたら、もう家の前だった。
「颯太くん。それじゃあね。今話したことは、華奈には内緒ね。あの子に怒られちゃう」
華奈のお母さんが、テヘッという感じで笑っている。
「お見舞いにも来なくて大丈夫だから。さっきもいったけど、たぶんすぐに帰ってくると思うから。だから、すぐに治ることを楽しみにしていてね」
「そうします」
「お願いね」
「はい」
そういって、俺は家のドアをくぐった。
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