第2話
キーンコーンカーンコーン
チャイムの音で、俺は現実に戻された。
妄想の中では、海に現れるという魔物の情報を得て、出かけようとしていたところだった。これからワクワクする冒険が始まるのか、と期待したところだったのだが。何とも残念というか、面倒なことだ。
視線を上げると、真面目に読書に励むクラスメイトの姿が見えた。周りを見ないでも、真面目ちゃんばかりのこのクラスなら、みんな朝の読書に励んでいることだろう。
確かに小説はいい。小説を読書をすることで、自分ではない人間になりきることができる。そのことで、自分以外の人生を追体験をすることが可能だ。ファンタジー、異能バトル、ハーレムラブコメ、ミステリ、ホラー……。よりどりみどりだ。
俺も一時期、小説、特にライトノベルにはまっていたことがあるくらいだ。今でも、異世界ファンタジーを読むこともある。
しかし、それはあくまでも「俺の」物語ではない。
それに気付いてからは、俺は自分の頭の中で物語を綴ることに熱中した。
その成果が、冒険の世界に旅立つ力なのだ。俺の想像力を持ってすれば、どんなときだって自分が主人公の世界に旅立つことができる。本の力なんて借りる必要はない。
とはいえ、この時間に本も開かずにいると、チェック係やら担任やらから声をかけられて面倒くさいことこの上ない。
だから俺は、机の中から書店のカバーが掛けられた文庫本を取り出す。
適当にページを開くと、そこには真っ白なページが広がっていた。というか、この本はどのページを開いても日付と曜日以外は何も書かれていない。
これは、アワブックとかいう本だ。日付と曜日しか書かれていないこの本は、日記帳やメモ帳などに使える、ということで、それなりに人気があるらしい。色々な出版社から出されている文庫本である。
俺はこの本を、朝の読書の時間対策に使っていた。
カバーをかけているのは、表紙で何の本か分からなくさせるためだ。本が好きなやつなら、表紙を見てこの本が何も書かれていないことに気付くかも知れない。
しかし、カバーを掛けてさえいれば、その心配もない。わざわざ何が書かれているかまではチェックしないので、これで対策は十分だ。
何も書かれていないページを眺めていると、自然と俺の意識はあちら側に旅立っていった。
さて、冒険の続きに出かけよう。
俺が冒険に出かける直前、ふと窓際の空席が目に入った。あそこは、華奈の席だ。
あいつ、今日はまだ来ていないのか。小学校入学かれこれまで、無遅刻無欠勤だったことを自慢にしていたのに。
そんなことを一瞬考えたが、俺はすぐにそのことを頭の端へと追いやった。俺には関係ないことだ。そして、今この時間は俺の冒険の時間だ。何人たりとも、邪魔することはできない。
敵は海。いつもと勝手が違ったが、無事舟を手に入れ、海へと出かけることができた。
海で待っていたのは、シーサーペントだった。全長20メートルに迫ろうかという巨大な体で、いきなり舟に体当たりを仕掛けてきたが、あらかじめ絶対防壁を拡張していたため事なきを得た。
体当たりを防がれたシーサーペントは、今度は舟を一飲みにしようと大口を開き襲いかかってきた。
今までなら、それで何とかなったかも知れない。事実、海の驚異として町を恐怖に陥れている。
俺は舟に積み込んでいた全長2メートルほどの巨大なモリを、奴の口の中に向けて投擲した。
俺の魔力を付与して。
一つ目の魔力は、絶対防壁。
纏った魔力を切り離した場合は、せいぜい数秒しか効果は持続しない。しかし、今回はそれだけ時間があれば十分だ。
俺の手から放たれたモリはシーサーペントの口の中に真っ直ぐ吸い込まれていった。シーサーペントは、そのモリを飲み込むように口を閉じる。しかし次の瞬間、モリはシーサーペントの頭を突き抜けて、はるかかなたへ飛んでいった。
このままモリは真っ直ぐ飛んでいき、大気圏で燃え尽きるはずだ。モリが落ちて二次被害が出ないようにするための配慮だ。我ながら、配慮のできる男だ。
頭を貫かれたシーサーペントはもう絶命している。しかしそれだけでは終わらない。
モリにこめられていたもう一つの魔力が発動する。
魔力のイメージは「崩壊」。
大穴からシーサーペントの全身にヒビが広がっていき、体はバラバラに砕け散っていく。砕けた体は、空中でさらに細かく砕けて、海へと落ちる。その頃には小さな固まりになっている。あの大きさなら、この辺の魚のエサとして処分されるはずだ。
「海に期待したのが間違いだったか。それとも俺の強さが間違いなのか……」
水平線が広がる大海原の上で、俺は独りごちた。俺を満足させてくれる敵は、実はいないのかもしれない、とさえ考えてしまう。
「いや、まだ世界は広い。別の大陸に行けば、もしかしたら魔王とか呼ばれる存在がいるかもしれない」
或いは、異世界からの侵略者でも、地底に追いやられた古代の民でもいい。宇宙からの侵略者、というのも悪くない。「この世界」に絶望するのは、まだ早い。ここは、俺が主人公の世界なのだから。
「…………」
誰もいないはずなのに、声が聞こえた気がする。
「時間か」
このまま無視してしまうのもいい。しかしその場合は、むりやり引き戻されてしまう。それは興ざめだ。だから俺は、自発的にあちらの世界に戻ることにした。
俺の意識が中学生の体へと戻る。
「はぁ……」
俺はいつになったらこの体から解放されるのだろうか。いつになったら、あちらの世界にだけ住むことが許されるのか。
何度考えたか分からない。
「これも最強の俺に与えられた試練、か」
そう考えようとするが、やはりやりきれない。
教壇では、担任の佐藤が何か話をしているが、今の気分ではその言葉が俺の頭に届くことはない。
ふと窓の外を眺めようとして、そこにあるべき姿がないことを思い出す。
「あいつ……」
やはり華奈はまだ学校に来ていないようだ。休みなのだろう。7年を超えた皆勤賞も、ここで終わるのか、と思うと、何とも言えない気分になる。うまく言葉にできないこの感情。
「なんで俺が」
こんな気分にならなくてはいけないのか。華奈は幼馴染みだが、それ以上ではない。俺の昔の姿を知っている、というだけだ。
つまりは他人なのだ。物語の主人公になれないこの世界の、モブにしか過ぎない。俺と一緒の、モブ。
胸がモヤモヤしてくるのを感じる。苦い。苦しい。厭わしい。何故俺がこんな気分にならなくてはいけないのだ。
これもあいつが休んだりするからだ。あいつはいつものように元気に学校に登校してきて、クラスの奴と楽しそうに会話をしていればいいのだ。中身のない、意味のない、環境音楽と変わらないような会話を。
時々なら、俺に話しかけてきてもいい。あまり話しかけられても煩わしいから、一日に一言程度ならば。
「おはよう、颯太」
「あぁ」
この程度なら、許してやらなくもない。幼馴染みのよしみだ。
「今日はどんな妄想しているの?」
これは俺に絡みすぎだ。面倒くさい。「お前には関係ないだろう」という答えが返ってくるのは分かっているくせに、聞いてくるんじゃない。
「そうかもね。じゃあ気分が向いたら教えてね」
なんていいながら笑顔で立ち去っていくだけなんだ。ほんの一瞬、寂しそうな顔を見せてから。
俺の中で、華奈との昨日のやりとりが再生される。いや、一昨日だったか。その前だったか。あまりに自然に再生されたので、戸惑ってしまう。
一体何なんだ。調子がすっかり狂ってしまっている。全ては、あいつが学校に来ていないからだ。
逆恨みだと分かっている。しかし、今は華奈を憎むことにする。
そうだ、あいつは俺の敵に違いない。あちらの世界の、俺の前に立ちふさがる最大の敵。
それが華奈だ。
……。
俺の心のモヤモヤは晴れない。これは、華奈が俺にかけた呪いだ。
そうか、俺はこれから向こうの世界で華奈を倒す度に出かけなくてはいけないのか。
明確な敵の存在が生まれた。
しかし、俺の心は何故か沈んだままだった。
「それと、残念なお知らせがあります」
佐藤の声が、俺の耳に入ってきた。
「樹多村華奈さんのことです。彼女は、昨日PFSの発症が確認されました」
その声は、俺の心に強く、深く打ち込まれた。
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