Paradise Lost

髙雄

第1話

 苛々していた俺は、その怒りを込めるようにして、目の前に転がっていた小石を思いっきり蹴飛ばした。しかし力んでいたためか、微妙にすかしてしまった。結果、石は十メートルくらい転がっていって止まった。

「くそっ」

 そんな些細なことで、俺の苛々は強くなる。

「全ては佐藤のせいだ」

 俺は、この苛々の元となった出来事を思い出す。


 放課後の教室。部活に行くもの。友だちと遊びに出かけるもの。さっさと家に帰るもの。それぞれの目的を果たすためクラスの奴らは帰ってしまい、ここに残っているのは俺と担任の佐藤だけになっていた。俺は自分の席に座り、佐藤は前の奴の席を移動させ、俺とL字になるように座っていた。

 俺は早く終わって欲しくてたまらなかったが、佐藤の方もそうではなかったようだ。クラスから周りに誰もいなくなったのを確認してから、ようやく話を始めた。

「山田くん。これは真面目に書きましたか?」

 そういって佐藤が差し出したのは、一枚のプリントだった。そこには、「職場体験に向けてのアンケート」と最初に書かれている。今日の授業で書いたものだ。

「そうですが、なにかおかしいところはありましたか?」

 正直に書いてください、という佐藤の言葉を受けて、俺の正直な気持ちを書いたはずだった。だから、今この時間俺が一人で残されている理由は全く分からなかった。

「では、山田くんは真面目に書いたんですね」

「そういいました」

「そうですか」

 佐藤は確認するようにプリントに目を落とす。それに釣られて、俺も視線を落とす。そこには、「将来の夢」という項目があった。

「それでは、質問をしますよ」

「はい」

「山田くんの将来の夢は、『PFS』でいいんですね」

「そうです」

「一応、確認させてください。PFSとは、『思春期における病的思考症候群』の通称である『PFS』と考えていいですか」

「それで間違いありません」

 そう、俺の夢は『PFS』の世界で生きていくことだ。それ以外考えられない。

「PFSは病気ですよ」

「世間一般的な認識ではそうみたいですね」

「そのいい方だと、山田くんの認識は違うみたいですね」

 佐藤が大仰に頷く。何となく、わざとらしいような気がした。

「よかったら、山田くんがどう思っているか聴かせてもらっていいですか?」

 俺は一瞬躊躇する。果たして正直に答えて良いものか。下手なことをいうと、担任から要注意人物から危険人物へと認識が格上げされるのではないか。

 そんなことを考えたが、別にそのことが自分にとって不利なことにならないだろうと判断する。より正確を期すとしたら、今の状況と大きく変わらないだろう。

「分かりました」

 判断すると、後は俺の思いを話すだけだ。ただ、興奮しすぎないように。あくまでも、冷静に。

「ただ、一応先生のPFSの認識を確認させてください」

「はは、逆に確認されてしまいますね。いいですよ」

 意表を突かれたのだろう佐藤は、短く笑って頷いた。

「佐藤……先生にとってPFSは、恐ろしい病気、という認識でいいですか」

「はい。そうですね。思春期の子ども、特に中学二年生において圧倒的な発症率を誇る病気。それがPFSに対する私の認識です」

「どうして先生は恐ろしい病気だと思うんですか?」

「PFSにかかると、平均三年。最長の例だと二十年くらい目を覚ますことがありません。そして、その間自分の思い描く夢の世界にこもってしまう。現実逃避の末、貴重な青春の時間を奪ってしまう病気。それが私の認識です。これが恐ろしい病気といわない人はいないと、私は思います」

 佐藤がゆっくりと話す。俺に、自分の認識と同意させようとするかのように。

「しかし、ぼくはそう思いません」

「どうしてです」

「ぼくにとって、今が夢の世界だからです」

「それはどういうことでしょうか?」

 俺のいったことが分からない、と言うように首を傾げる。正しく普通の人間の反応だろう。

 俺が嫌う、普通の人間の反応だ。

「そのままの意味です。ぼくにとって、この世界は現実ではありません。ぼくの現実の世界は、PFSの世界にあります。だから、将来の夢はPFSなんです」

 俺の言葉に佐藤は目を細め「なるほど」と呟いた。

 静寂。

 数秒後、佐藤が口を開いた。

「どうしてこの世界が夢だと思うんですか」

 だんだん面倒くさくなってきた。ここで帰ってもいいかもしれないが、まぁこの後話をすることになるかもしれない。それなら、今話して置いた方がいいだろう。

「俺が、主人公じゃないからです」

「主人公ではないから、ですか」

「そうです。この世界では、俺はそこら辺の人間と変わりません。頭も普通。運動も普通。顔も普通。至って平凡です」

「平凡というのは、悪いことではないと思いますよ」

「先生はそう思うのだったら、それでいいと思います」

 俺は同意できないが。

「でも、ぼくは耐えられない。このままだとぼくは、平凡に大学に行って、平凡に就職して、平凡な社会のネジとなって働き、平凡なまま死ぬと思います」

「それが嫌だということですか」

「そうです。ぼくは、特別でありたい。だから、この世界は違うんです。ぼくの理想とする世界がここにないなら、それはPFSの世界にあるはずです。だから、将来の夢はPFSなんです」

「……山田くんの考えは分かりました」

「分かってくれてありがとうございます」

「正直、理解はできていないと思いますが」

 佐藤の顔からは、思わず苦笑いが出ていた。

「もう帰っていいですか」

 俺はカバンに手をかけ立ち上がった。

「あ、はい。正直、書き直して欲しいとは思いますが、山田くんの考えでは書き直すことはありませんよね」

「はい、あり得ません」

 書き直せ、とむりやり書かせるのが、普通の担任かも知れない。しかし、書き直しを強制しないところは、佐藤のいいところだろう。

「では、一応これで受け取っておきます。もしも考えが変わったら書き直して欲しいですが」

「たぶん、先生の希望には応えられないと思いますよ」

「いいんです。考えが変わったら、で」

 変なことをいう担任だ。考えが変わることなんて、あるわけがない。

「ただ、一つだけ言わせてください」

 立ち去ろうとする俺に、後から佐藤が声をかけてきた。俺が振り向くと、立ち上がった佐藤が、真に迫った顔で立っていた。

「この世界の主役は、自分なんです。ただ、それを認められるかどうかなんです。これを忘れないでください」

「……!」

 俺の中で何かが一瞬で沸騰しようとしたような感覚。何を知った風な口を。俺の考えを聞いて、結局は否定か。分かった風な口を聞いておきながら。

「ごめんなさい。一応、あなたたちより長く生きていて、先生と呼ばれている人間からのお節介、だと思ってください」

「失礼します」

「はい。さようなら。気をつけて帰って下さい」

「……」

 だから俺は、最後は佐藤の言葉をわざと無視して教室を後にした。


 思い出すと、怒りが増してきた。何が年長者だ。何が先生だ。ただの職業の一つではないか。せいぜい佐藤の奴も、これまで真面目に学校生活を送ってきて、教師になったに過ぎないはずだ。そんな奴の言葉なんて、俺にとって価値はない。

 先ほどすかした石を再び蹴る。今度は遠くまで飛んでいった。しかし当然のことながら、俺の心に変化はない。

 盛夏に向かい日々高く登り続ける太陽は、もう夕方というのに強いエネルギーを放ち、学校帰りの俺を攻撃する。

 現実リアルなんて地獄だ。楽しいことなんてない。

 心躍るようなことなんて、ない。俺が望むことは何も起こらない。

 退屈が俺の心を削っていく。周りの人間が、俺の精神を苛んでいく。

 俺の心は、悲鳴を上げる。

 その現実から逃げるために、俺は変化を求める。冒険を求める。それも、とびっきり刺激的な奴を、だ。

 そして俺は、PFSを求める。

 PFSという病気。それは自分の好きな夢の中を生きられるというものだ。そこには、俺が望むことしか起こらない。まさに理想の世界だ。それこそが俺の求める、俺が主人公である世界だ。

 自分の描いた、自分のための世界を、ほしいままに楽しむことができる。これ以上に幸せなことなんてあるというのか。

 PFSを悪夢なんて断ずる奴は、想像力がない。

 俺なら永遠にPFSから目覚めることはない。なぜなら、そこが俺の本当の現実リアルワールドだからだ。

 俺の住むべき世界は、PFSの中にこそあるのだ。

 自分の中で憧れが、焦燥が、たまっていく。俺はPFSに焦がれている。おそらく日本で一番、PFSにかかりたいと願っている中学生だろう。

 違うな。PFSにかかるんじゃない。

 帰るんだ。俺の本当にいるべき世界へ。

 この悪夢から目覚める時を待っているのだ。

 ププッ

 車のクラクション。邪魔するんじゃない。

 目線を上げて車をキッと睨む。いつの間にか俺が道路中央付近を歩いていたようだ。

 世間一般でいうところの田舎である我が家の近くの道路は細く、車道と歩道の区別がない。車の通り自体少ないのだが、時折こんな煩わしいこともある。

 あぁ、早く本当の俺に戻れたら良いのに。本当の俺は車なんかより強い。現実の俺は、ドラゴンすら片手でひねってしまうほどの力を持った勇者だからだ。

 ドラゴンに比べたら、車なんておもちゃだ。

 軽く手を振って、吹き飛ばしてしまおうか。あるいは、魔力で潰してしまうか。

 魔剣アロンダイトで両断してしまうのもいいかもしれない。

 とはいえ、この世界の俺は弱い。車にはねられた場合、命を落としてしまう可能性が高い。

 運良く命を落とさなかったとして、相当の痛みを感じてしまう。

 痛いのは嫌だ。

 俺はさっさと道を譲る。

 だがもしも、俺が真の姿であったとしても、道は譲っていただろう。

 俺は勇者なのだ。勇者は人々を助ける存在なのだ。除く悪人。

 道路の右端によって車が通り過ぎたのを確認すると、俺は再び歩き始めた。

 ああ。俺はいつになったら本当の自分になることができるのだろうか。

 さっきまで蹴っていた石を見失った俺は、目の前にあった適当な石を、思いっきり蹴飛ばした。

 グラウンダーに転がっていった石は、やがて側溝に落ちた。

 もうすぐ家だ。家に帰ったら、じっくり妄想に浸ろう。どんなのがいいか。佐藤似の偽善者の正体を曝く、というのはどうだろうか。

 それがいい。

 口ではきれい事を言いながら、裏では町を脅かす闇の組織を束ねる悪。俺はそいつを颯爽と倒し、町に平和をもたらすのだ。

「颯太、今日も妄想しているの」

 突然、後ろから声がかかった。

 俺はその声を無視する。

 後ろを振り返らないでも声の主が誰だか分かる。

 俺に声をかけてくる物好きなんてそうはいない。そして、それがいわゆるアニメ声というような、甘ったるい声なら該当者は一人だ。

「妄想ばっかりしていると、PFSになっちゃうぞ」

「ぞ」の部分を強調するようないい方に若干イラッとする。本人は可愛いと思っているのだろうか。あざとい。くだらない。

 タッタッタ

 足音が近づいてくる。俺の視界の隅に、よく見慣れた顔が見えた。わざわざ俺に追いついてきたようだ。

 俺はため息をつく。

「ため息をつくと幸せが逃げるんだよ」

「どこのおばさんだ、華奈」

 顔を向けると、やはりそこには俺の腐れ縁の華奈がいた。何がうれしいのか分からないが、満面の笑みを浮かべている。まぁ、こいつはいつも笑っているが。

 幸せなやつだ。

「ひどいなぁ。まだ私はぴちぴちの十四才だよ」

 俺に追いついた華奈は、ペースを落として俺の隣を歩く。時折こんなことがあるが、こいつ一緒に帰る友達がいないのだろうか。学校では、いつもくだらないクラスメイトと一緒にいるというのに。

「ぴちぴちという言葉のチョイスがおばさんなんだ」

「私がおばさんなら、颯太はおじさんだね」

「いや、俺はお前みたいな古い言葉は使わない」

「そうだね。颯太の一番好きな言葉って何だったっけ?」

最終戦争ラグナロクだ」

 俺は自信満々で答える。最終戦争。なんて素晴らしい響きだ。世界が全てを巻き込んで行われる最後の戦い。俺はそこで大活躍をして、世界に名を残す英雄となるのだ。

 その後、俺の偉業をたたえた石像が建てられ、俺は永遠の存在となるのだ。

 しかし、あいにく俺の価値を理解できないらしい。華奈は大きくかぶりを振る。なんともわざとらしい、演技がかっている。

「相変わらず、痛々しいね」

「価値観の相違だな」

「そんなことばっかりいってると、PFSになっちゃうよ」

 一瞬心配そうな顔になったと思ったが、気のせいか。華奈は楽しそうだった。何がそんなに嬉しいのだか分からない。

「むしろPFSになることが俺の望みだ。そのことはお前もよく知っているだろう」

「知ってるよ」

 あっけらかんとした返事。

 似たようなやりとりを一体何度してきただろう。

 もう何度も繰り返してきたことだけに思い出せない。

 どうでもいい問答だ。


 華奈は俺の幼なじみだ。俺にできた初めての友だちがこいつだった。

 家が近所だったし、年も同じという事もあって、無邪気な子どもだったあの頃の俺は、華奈と一緒に山に秘密基地を作ったり、海で魚釣りをしたりと、散々遊び回った。とは言っても、幼い頃の話なので、あまりよく覚えていない。

 今となっては、黒歴史と言わざるを得ない。

 俺が現実に失望し、PFSへの憧れが高まると共に、次第に華奈と遊ぶことはなくなっていった。

「俺はもうお前とは遊ばない」

「……わかった」

 あの日の華奈の表情は、何故かよく覚えている。

 何を言われているか分からない、といったような顔をしたかと思うと、寂しそうに笑いながらそう呟いた。

「でも、颯太に話しかけるのはいいよね。っていうか、嫌だっていっても私から話しかけちゃうけどね」

 しかし、次の瞬間はいつもの笑顔になって。

 有言実行というべきか、華奈はそれ以後もしつこく俺に関わろうとした。

「また妄想しているの?どんな妄想?」

「たまにはみんなで遊ぼうよ」

「PFSになっちゃったらどうするの?」

 俺が無視しても、「俺に構うな」とわざと声を荒げても、華奈は俺に声をかけ続けた。

 華奈は顔立ちは地味だ。しかし明るく優しい。華奈が怒ったところを見たことは、幼馴染みの俺でもないかもしれない。

 ある時、やつの地味な容姿を刺して「名前に華があるのに」といったことがあった。普通の女なら烈火のごとき勢いで怒るだろうが、華奈は「そうだよね。私もそう思う」といって笑っていた。その後、俺の親に散々怒られて、泣きながら華奈に謝罪する羽目になったのでよく覚えている。他にも色々あったが、いつもそんな調子だった。性格美人といっていいかもしれない。

 閑話休題。そんな華奈だったから、友達が俺しかいない、ということは全くなかった。むしろ、クラスの人気者といってよかっただろう。

 それだけに俺に声をかけ続けることは、俺には全く理解のできないことだった。何の利益もない。

「ぼっちのお前に優しくしてやることで、優しい私を演出しているんだよ。勘違いするな」なんてありがちなパターンか、と疑ったこともあった。しかし、あいつはそんな打算を考える頭は持っていない。ある意味、バカなのだ。

 俺に声をかけることは止めることはないだろう。俺は最終的にそう結論づけた。

 それから、俺は基本的に無視か適当に対応してやり過ごすことにした。


「相変わらず楽しそうだな、華奈」

 華奈の笑顔を見た俺の口からそんな言葉が漏れていた。

「楽しいよ。この世界は楽しいことばかり」

 心の底からそう思っているのだろう。彼女の表情がそれを何より物語っていた。俺には理解できないことだ。だからこそ、会話を続けても永遠に交わることはない。

「そうか、よかったな」

 だから俺は話を終わらせる。

「颯太は相変わらず楽しくなさそうだね」

 しかし、華奈は空気を読んでくれない。これがコミュ力の高さだろうか。全くやっかいなことだ。あと、顔を近づけてくるな。

「あぁ、楽しくないな」

 俺の呟きに華奈は何故か困ったような笑顔になる。

 ?なんだその表情は?困ったちゃん扱いか?

「こんなに楽しいことばかりなのに」

「俺には理解できないことだ」

 全く。理解したいとも思わないが。

「それはこっちのセリフだよ」

「見解の相違だな」

 俺はため息をつく。

「颯太がなんで楽しくないのか、私には全く理解できないよ」

「俺が物語の主人公じゃないこの世界なんて、楽しいわけないだろう」

 しまった、と思ったときはもう遅い。さっきの佐藤とのことがあったからか、つい本音が口から漏れていた。別にばれても構わない気がするが、あまりいいふらすことでもない。

 華奈は一体どんな反応を示すか。

「別にそんなことないと思うよ」

 しかし、華奈はいつも通りの調子で言葉を返してきた。こいつらしいといえばそれまでだが、少し拍子抜けする。

 普通なら、キモオタ扱いとかだろうに。

「それに、颯太は私にとって……」

 そんなことを考えていたからか、華奈の声が尻すぼみだったからか。俺は華奈の言葉を聞き逃してしまった。

「何かいったか?」

「な、何でもない。聞こえなかったなら、別に何も私は言ってない」

 珍しく華奈が取り乱している。顔も少し赤くなっているようだ。俺の言葉には平然としていたのに。

「そ、そんなことより!」

「な、なんだ」

 必死の華奈の勢いに気圧されてしまう。

「颯太が主人公じゃないっていう、この世界だって捨てたもんじゃないよ」

 華奈は、笑顔でそういった。

「颯太がくだらないっていうお友だちとのお喋りも、毎日の登下校も。世界はこんなに輝いているんだよ」

 そういうかなの表情は、本当に楽しくて仕方ないという感じだ。そんな華奈を、俺はどうしてだかまぶしいと思ってしまった。

 俺は慌ててかぶりを振る。一体なんなんだ。たまたまの気まぐれを起こした結果がこれだ。

「そんなことだけじゃなくて。たとえば、今日は佐藤先生のヅラが酷くズレているなぁとか。ネコ可愛い!とか」

 佐藤のズラがズレているのはいつものことだろう。というか、一体突然何を言い出すんだ。こいつのことを一瞬でもまぶしいとか感じてしまったことを心の底から後悔する。

 これ以上こいつと付き合っていたら、俺のペースが乱されてしまう。

 そう考えた俺は、自分の意識から彼女を消し去ることにした。いつもやっていることなのでたやすい。

 目に入る情報を頭の端に追いやる。頭の中には、PFSの世界で生まれ変わった俺の姿を妄想する。


 昨日は、ドラゴンの被害に怯える町に辿り着いたところだったな。ドラゴンの被害を聞いた俺は、朝一番でドラゴンが寝床にしているという山頂を目指して旅立っているところだった。

 頭の中に俺の妄想が広がり始める。

 ドラゴンの住む山は、樹木が枯れ果ててしまい、土がむき出しとなっていた。石もごろごろ転がっていて、まるで文明が滅んでしまった世界、といった様相だった。また、町の住人によると、凶暴な鳥や四足動物が住み着き、山を登ろうとする人間の行く手を阻んでいるらしい。

 だから、山頂までの道のりは普通の人間どころか、並の冒険者では太刀打ちできない天然の要塞となっていた。

 しかし、それはあくまでも「並の」冒険者にとっての話だ。俺にとっては朝飯前のウォーキングのようなものだ。

 実際、俺の格好を見たら多くの人間は驚くだろう。

 胴体を守るのは、黒いブレストプレートのみ。あとは、やはり黒の小手とすね当てのみ。武器は、腰に下げた剣一本。どう見ても、今からドラゴンと戦いに行く装備には見えない。

 しかし、これが俺の通常装備。冒険者が恐れる強敵を、この装備で倒してきたのだ。

 ヒュッ

 手首のスナップを利かせて、手に握っている小石を投げる。魔力を若干加えた上で。それは、俺に飛びかかろうとしていた鳥の体の正鵠を撃ち抜いた。

 さて、これで一体何匹目だろうか。もう少しいっぺんに襲いかかって来てくれると、少し楽しくなりそうなのだが。ドラゴンの手下とは言え知性はないので、いっぺんに襲いかかってこよう、と言う知恵はないのだろう。

 ドラゴンも、もう少し知恵を与えてくれるといいんだが。いや、普通の人間に対してはこの程度で十分、という自惚れなのだろう。

 しかし、今日は俺が来てしまった。自惚れていられる時間は、もうすぐ終わりを迎える。

 それに気付いた頃には手遅れなのだが。やつも運が悪い。俺という敵を向かえてしまうドラゴンに哀れみを感じてしまう。

 そんなことを考えながら、襲いかかってくる生きものを撃ち抜いていく。


 山を登り始めて一時間が経っただろうか。登り道はもうすぐ終点のようだ。まもなく山頂だ。さて、ドラゴンは俺を楽しませてくれるのか。知らず顔に愉悦の笑みがこぼれる。強い敵との戦いは、この俺にとって何よりの娯楽なのだ。

(また妄想している?私の話、聞いてる?)

 俺の隣から何者かの声がするような気がする。しかし俺の隣に立つものなどいない。当たり前だ。ここまで一人で山を登ってきた俺には、同行者などいない。

 俺は孤高の勇者なのだ。

「やれやれ」

 俺は鞘に収めた剣に手をかける。魔剣・アロンダイトから冷たい熱が伝わる。雑魚との戦いには気が向かなかった愛剣も、ドラゴンとの戦いにやる気が出てきたようだ。

 やれやれ、とんだ気分屋である。一体誰に似たのやら。

 失笑が漏れたが、次の瞬間口を結ぶ。首、右肩の順に回すと戦闘準備は完了。さぁ、一方的な殺戮の時間だ。

「行くぞ」

 俺は小さく呟き走り出す。

 山頂に躍り出る。開けた場所だ。ごつごつとした大岩がいくつか見える。体を隠すのに申し分はない。ドラゴンのブレスを回避する時にはこれが有効なオブジェクトとなるだろう。

 しかし、それはあくまでも一般的な冒険者にとって、だ。俺にはそんなものは必要がない。

 山の中央部。そこに丸まってくつろぐドラゴンの姿を確認する。

 俺はドラゴンに向けて最短距離を走る。

 グルルルルルル

 寝ていたドラゴンがゆっくりと首を持ち上げる。さすがドラゴン、といったところか。素早い反応だ。そうでなくては面白くない。

 鞘から剣を抜く。ドラゴンまでの距離は残り100メートルといったところか。ドラゴンの命も、残り8秒。

 ドラゴンがあくびをするように顔を上に向ける。もちろんあくびなどではない。

 ドラゴンは大きく息を吸い込んでいる。大きく息を吸い込んだドラゴンの体が大きくなる。残り5秒。

「ブレスか」

 しかし俺は構わず直進する。残り3秒。

 次の瞬間、ドラゴンの口から激しい炎が吹き出る。俺はその炎を真っ正面から浴びる。

 ドラゴンからはき出された高音のブレスは周りの岩や地面をあっという間に焦がしていく。前言撤回。このブレスの前では、岩の陰に隠れることなんて、何の意味もないようだ。

 表情なんてないだろうが、何となくドラゴンがにやりと笑った気がした。獲物を仕留めたと思ったのだろう。確かに、このブレスの前では生きていられる人間なんていないだろう。

 俺以外には。

 残り1秒。

 ザンッ

 The END

 小気味のいい斬撃音。

「---------」

 ズズッ

 ドラゴンの首は中央当たりで切断され、胴体と永遠の別れを告げていた。やつには何が起こったか、全く理解できなかっただろう。

「ブレスの威力はなかなかだった。だが、それだけだ」

 剣を一振りすると、ドラゴンの血が地面に飛び赤い斑点を作る。

「ドラゴンという名前に期待しすぎたな。つまらない相手だった」

 剣を鞘に収めると、俺は踵を返した。

 それが合図だったように、ドラゴンの首から噴水のように血が噴き出し、辺りを染めていく。

 しかし、魔力に包まれた俺にはそれは届かない。俺に降ってくる血液は、俺の体に触れる前に蒸発していく。

 絶対防壁アイギス

 それが俺が炎を浴びても、何ともなかった理由だ。

 俺から溢れる魔力に防御の特性を与えることで、体を守る防具とする魔法だ。魔力の量を増やすことで、防御力を引き上がることができる。防御力の限界は分からない。これまで絶対防壁が破られたことがないためだ。

 これがあるから、俺は必要以上に防具を身につける必要はない。冒険者が驚く軽装の理由がこれだ。

「さて、次はどっちに行ってみようか」

 振り向き、ドラゴンの亡骸を確認する。

「西か」

 吹き飛んだドラゴンの首が西を向いているのを確認して、俺はそちらに歩き出した。そこに道はない。しかし、道のないところを進むというのも面白い。

「行ってみるか」

 ワクワクさせてくれる敵がいることを祈りながら、俺は急斜面を滑り降りていった


 ぽこん

 頭への衝撃で、俺は現実へと引き戻された。

「華奈。いい加減にしろ」

 誰が叩いたかなんて、いうまでもない。横を振り向くと、頬を膨らませた華奈。

「お帰りなさい。今日も長い旅でしたね」

「あんなもの、旅とはいわない。朝飯前のラジオ体操みたいなものだ」

「颯太、ラジオ体操なんて全然やってないじゃない。夏休みに来たことあったっけ?」

「もののたとえだ。頭が悪いな」

「あーあ。颯太も小学校の時はかっこよかったのになぁ。それがいつの間にかこじらせちゃって」

「……そろそろあっちの世界に戻っていいか?」

「ダメ!」

 俺の提案は一言で切って捨てられた。

「やれやれ……」

 俺の妄想たびの続きは、家に帰ってからにしよう。そうすれば、幼馴染みから邪魔されることもない。

「ため息をつくと幸せが逃げるんだよ」

 その言葉はさっき聞いたばかりだ。本当にババアくさい事をいう幼馴染みだ。

「今、ババアくさいとか考えたでしょ」

 ちょっと驚く。俺の幼馴染みは心を読めるようだ。

「別に心を読んだわけじゃないからね。颯太の単純な思考なんて、簡単に予想できるってだけだよ」

「それは心外だな」

 俺の思考が単純なんて、暴論というものだ。

「颯太との……が……からだよ」

 ボソボソと華奈が呟く。あまり小さかったため、なんと言っているかちゃんと聞き取ることができなかった。しかし、言葉の内容をわざわざ突き止める気にはならない。

 俺は足の運びを速めた。

「あぁ、颯太。そんなに速く歩かないでよ」

 華奈は慌てて俺を追いかけてきた。

「別にお前の歩くスピードに合わせる必要はないだろう」

 別に追いかけなくてもよかろうに。さてはこいつ、今日はとことん嫌がらせをするつもりだな。

「そんなこと言わないでさ。どうせ家はお隣さんなんだから、一緒に帰ろうよ」

「断る」

 小走りの華奈の提案をきっぱりと断る。決まった。決まりすぎた。まさに一刀両断。ちょっとした快感だ。

 勢いに乗った俺は、さらなるスピードアップをした。ここまで来ると、軽い駆け足である。

 この後、後ろから何度も「待って」とか「ごめん」とかいう言葉が聞こえてきたが、俺はことごとくそれを無視して、帰宅した。

 家のドアを閉めると、弾んだ息を整えるため深呼吸をした。ドアの外では、華奈が何かいっているのが聞こえるが、ドア越しのため何を言っているか分からない。

 何はともあれ、これで俺を邪魔するものはいなくなった。

 心置きなく、冒険に出られる。

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