第2話

「ほら、キっちゃん。これは丁度良いところに凡人が来たよ」

 ――凡人とは僕のことだ。

 ――|堀田順ほったじゅん。紅子さんからは略して凡人と呼ばれることが多い。幼いころから僕に特に取り得の無いことを指している意味もある。

 じ、と、ん、はあるが、ぼんはどこから来てるんだ。

 ちなみに、キっちゃんとは、橘音のことだ。

「順ちゃん、ちょっとこれ持って」

 橘音に赤と青の二色のピンポン球と小さな巾着袋を渡された。

 居間には三人。紅子さんと橘音。始めて見る風見かざみさんという男性の方がいらしていた。

 ――二階の居間に来るなりこの扱いである。

べにさん、パソコンが――」

「先にちょっとこっちを手伝って」

「はぁ」

 よく見れば、橘音も風見さんも、赤と青のピンポン球と袋を持っている。

「じゃあ、風見さんも立って」

 ――ああ、なんだろう。メンドくさそうだ。

 紅子さんは監察医としては休みなのだろうか。嬉々とした表情で動いている。

 ――善くないと思う。この長女や次女が嬉々としているときは大抵ロクなことじゃない。

 立ち上がると紅さんは身長があるだけ、モデルのようでもある。ただ、髪は短く切り揃え、化粧もほとんどしないので女性らしらがあまりない。身長は一メートル七十後半ぐらいはあるのではないだろうか。立つと、僕と大差が無い。それでも、この人の素性を知らずに遠めから見れば、それなりの美人かもしれない。

 橘音もまた、何やら楽しそうだ。

 橘音の髪はかなり伸びたままになっている。数ヶ月サチエに切ってもらってないのだろう。無頓着な性格なのだ。伸びたら伸びたまんま。今日も灰色のスウェットの上下を着ている。家でいるならなんでもいいのだろう。

 橘音は興味のあることにしか動かない。また、生まれ持った特質のせいで人付き合いも上手くは無い。上手くは無いが、弁は立つ。その弁のおかげで色々と――役に立つのだと思う。

 ――風見さんという方は、始めて見た方だった。

 スポーツ刈りに近い髪でスーツを着ている。

 真面目そうな印象を受けた。二十代後半。紅子さんと同じ歳ぐらいであるが、色黒でスポーツを好んでいそうな人だ。

「そのピンポン球を二つ巾着袋に入れて」

 橘音にいわれるがまましまう。

「んで、良い? 私か風見さんかお姉ちゃん誰かと向かい合って、いっせーのせ、で袋から赤か青の球、どっちかを出して」

「せ、で出す? 見て選んで良いの?」

 僕は尋ねた。

「そう。せ、で出す。見て選んで良いけど、出すまでは相手にバレないように」

「はぁ」

「それで、どっちが何を出したかで点数が入るっつールールっす。互いに手にしていたのが青の球なら、互いに3点ずつプラス。互いに手にしていたのが赤の球なら、マイナス7点ずつ。んで、赤青、青赤の組み合わせの場合は、赤側がマイナス5点。青側がプラス5点。どう、分かった?」

 橘音は一気に説明をした。

「点数っていうのは?」

「とりあえず、高くすることだけを考えて」

 ――なんとなくは、理解が出来た。

 多分、図にするとこんな感じだ。


   * * * * * *

相手 自分

青  青  互いにプラス3

青  赤  自分にプラス5 相手にマイナス5

赤  青  自分にマイナス5 相手にプラス5

赤  赤  互いにマイナス7

   * * * * * *


 なんとなく理解出来た。

 なんかのゲームなのであろう。

「じゃあ、誰か選んで」

 紅子さんがうながす。

 橘音か紅子さんか風見さん。なんとなく同じ男性同士ということもあり、風見さんの前に行った。

「良いですか?」と聞く。

「良いですよ」

 風見さんはニヤニヤしている。

 ――何を出そう。赤を出した時、風見さんが青だと僕はプラスの5点だが、風見さんはマイナス5点になってしまう。

 ――いきなり相手にマイナススタートというのも何だか。

 というわけで、僕は袋の中で青の球を握った。

「いっせーの、せ」

 二人の緩い掛け声で出す。

 ――風見さんは青の球だった。

 互いにプラス5点。

「5点入ったけど、次は?」

 段取りを確認したく橘音に聞いた。

「そのまま、順ちゃんだけ、このゲームを継続して」

 橘音とやることにした。

「じゃあ、今度こっちで」

 橘音の元に立った。

 ――何を出そうか考えた。赤にしてみようと思う。橘音が青の場合、僕がプラスで、橘音はマイナス。――赤でいこう。

「順ちゃん、何出すの? 赤?」

 橘音が聞いてきた。

 ――ハっとした。

「お前! 汚いぞ」

 半分笑いながら、僕は言った。

 ――橘音にこの質問をされて、ハイか、イイエで答えた場合、完全にゲームが破綻する。橘音はその回答の真偽・・・・・が分かるのだ。

 橘音にはある特殊な力がある。

 ようするに、ハイという回答が本当なのかウソなのか、イイエが本当なのかウソなのかが分かってしまう。

 ――共感覚という性質の一種らしい。共感覚とは音を聞くと色が見えたり、料理を食べるとその味に応じた形を感じたりするという症状を持つ人たちだ。

 視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚などの感覚が、混ざってしまう感覚を持ってしまうらしい。目で見た図形から音が聞こえたり、匂いから形を感じたり、様々だ。

 およそ二万五千人に一人の割合で存在しているという。

 こうした力は、オカルトや心霊の力でなく、脳と心のつながりや人間が赤子の時には混ざり合っている五感が、成長につれてもキチンと分かれきれずに混ざった状態が残るのではないか、など研究が続けられている人間の性質だ。

 橘音の場合は、共感覚の分類に入るのだと思われるが、声や会話を聞くと色が見えるのが主というタイプだ。

 しかし、その色の見え方に特徴がある。

 その色の見え方で、ウソをついているとか、悩んでいるとか、ありのまま本当のことを言っているなど、それが色になって見えるそうだ。

 つまり、音階、ドの音が赤に見えるなどの一般的な共感覚ではなく、人が声を発した時の声の波長、イントネーション、タイミングなどが色に変換されるのだ。人間ウソ発見器。

「キっちゃん、それはダメ」

 さすがの紅子さんも笑いながら、レフェリーストップを入れる。

「じゃあ、さっきの質問は回答無しで」

 ――当たり前だ。

 悩んだ末、赤の球を選ぶことにした。この流れで橘音が青を出してきたならば、僕だけがプラスになるので。

「いっせのー、せ」

 橘音は赤の球を持っていた。

「赤ぁ!?」

 橘音が素っ頓狂な声を出す。

「僕と橘音がマイナス7だね」

 ――このゲームは――なんなのだろう。

「じゃあ、最後は私」

 紅子さんが橘音の横まで歩いてきた。

 ――どっちを出そう。

 紅子さんは――赤を出しそうな気がする。ただ、だとすると、僕は赤を出せば互いにマイナスだし、青を出せば僕だけがマイナスだ。

 ――青を出すことにした。

 もしも、紅子さんが青を出した場合、プラスになる。なんだかんだで無難な気がする。

「いっせのー、せ」

 ――紅子さんは、赤を持っていた。

 僕がマイナスで紅子さんはプラス。

「裏の裏とか、読んだんですか?」

 僕は聞いた。

「いや、紅子だから、赤でいいや、って」

 なんじゃ、そりゃ。

 結局、プラス3、マイナス7、マイナス5。トータルマイナス9。

「トータル…マイナス9でした。このゲーム。――プラスってなるんですかね」

「順…さん、始めまして風見といいます。上のお名前をお聞かせいただいてもよろしいですか」

「堀田といいます」

「どうしたら、点が高くなるでしょうか」

 風見さんは少しニヤニヤしている。

「…なんていうか、最後…紅子さんとの時、紅子さんが赤を出すならば、どうにもならない感じがして」

「じゃあ、凡人も赤出せば良かったじゃない」

 ドS。

「いや! それだと…。それだと、結局、互いにマイナスにしかならないじゃないですか」

「…だから、なんていうんだろう、必ずプラスを出しそうな相手を選ぶということが大事なのかなぁ…。最初は赤と青を出すタイミングを計り合うゲームような気もしたけど、結果マイナスでしたし」

 僕は風見さんに向かった答えた。

「選ぶ、ね。そうかもしれない」

 風見さんは言った。

「じゃあ、もしも、下からサチエつれて来て、順ちゃんとやらせたら、順ちゃん青を出す?」

 橘音が聞く。

「うーん。多分、青を出すよ。…だってさ、青出し合わないと、これどうにもならないような気がする」

「やっぱり良いサンプルだったかもねぇ」

 紅子さんはそう言うとソファに座った。

「どういうことですか?」

「私や、橘音は分からないのよ。その感覚が。マイナスでも良いじゃない。まぁ、私は赤が好きだからという理由でしかないし、キっちゃんは、見えるからいくつか質問して対応するんだろうし」

 ――ああ、なるほど。

「これはね、赤黒ゲームというものなんですよ」

 風見さんが言う。

 気が付けば、みなもう座っている。

 自分もその場に座り、近くにあった座布団を引きずり尻の下に引いた。

「何かのゲームなんですか? これ」

「そうです。赤黒ゲームと言います。――元は、心理学か何かで作られたゲームなのかなぁ。いや、ね、最近、この近辺で新興宗教の話が持ち上がっていて、主に自己啓発セミナーを母体としているらしいのですが、そのセミナーでよく行われるのがこのゲームなんですよ」

 ――仕事の関係上、新興宗教の話でどうとか、聞いたことがある。この市にそういうのがあるらしいと。

「このゲームが自己啓発になるんですか?」

 なるんだろうか。気になった。

「なるんです。これを二、三十人でやるとですね。最初はやはり駆け引きのゲームに感じる方が多い訳です」

 あぁ、そうだと思う。

「ところが、駆け引き感覚で上手く裏を読もうとするようなこと、――つまり、相手をあざむこうをするとマイナスだけが積み重なる。この間に、変な空気になって来るわけです。対峙した人と向き合い、まるで信頼をしきって青を出さないといけない気分になる。信頼して青を出す。相手――初対面の人でも青を出す。このゲームのあがり・・・は全員がただ青を出す」

「ただ、青を――」

「そう、ただ、青だけを出し合うのです。無心の信頼。初めて会う人に駆け引き無しに、青を出し合う」

「あぁ」

「受け入れあうという特殊な状況に、泣き出す人もあらわれます。そこでゲームは終了。他人を受け入れる、自分をそのまま出す。この手法はセミナーで効くんです」

 分かるような気もした。

「…なんか、不思議な感じ気がしました。初めて会う人会う人が僕が青を――裏切らないだろうという意思で接してくるというのは――そして、僕もそれに応え合うというのは確かに、こう、人を受け入れることの喜びみたいなのがあるかもしれないですね」

 ――あるような気がする。自分で話ながら実感した。

「昼過ぎに風見さんが来て、話があって、そこで丁度この赤黒ゲームの話しになっていて、実感無かった訳よ。あたしとお姉ちゃんには」

「でも、赤黒なんですよね、なんで、赤と青でやっているんですか」

 僕は風見さんを見た。

「どうも、そのセミナーでは、赤と青の球で行っているらしいのです。何か意味があるようです」 

 んで、まぁ、丁度良い所にあんたがが来たってわけと紅子さんが言う。

「ああそうだ、申し遅れました、私は神奈川県警刑事部捜査第一課の風見と申します。確か、堀田さんは市役所でお勤めの方だと紅子さんから伺っております」

「け、警察ですか? なぜに。え?」

「私のとこの知り合い」

 紅子さんが挟まってきた。

 監察医と捜査一課、あぁ、そうか。でもなんで。

「捜査一課って、殺人とかのですよね」

「そうです、それと、強盗、誘拐、放火とか。実はここ最近この市内で数件の捜索願が出ていまして」

「はぁ」

「――本当は、捜索願は生活安全部でうちじゃないんですけど、だけど、一件誘拐扱いというか、まぁちょっと特殊な扱いになったものが出てきたんで、捜査一課で扱っているわけです。で、調べてみるとその振興宗教がどうにも絡んでいそうだ、と」

「あぁ、なるほど」

「それで捜索願の層が若い人達で。こう不景気だったり、安定しない就業形態で、精神が持たないんでしょうね。――一部の方にここでのサポート経験がある人も居て」

 サポート。

 橘音のだ。

 どうも、うちと近い要素もあるのよ。メーワクと橘音が言う。

「そうなんです。こう、どこでもやっているような自己啓発セミナープログラム以外に、そこの代表者との人生相談というか、悩みを言い当てるとか、見抜くみたいな時間も希望者にはあるようです」

 ここの一階の店舗では、付随して平たく言えば人生相談やセラピーみたいなのを橘音が受けている。

 人の会話の真偽が分かる力を利用したアルバイトみたいなものだ。

 少し力発揮すれば、かなりのものになるんだろう。

 同年代の男女が口コミで人の心を見抜く人ということで相談にくるようだ。

 確かに今の時勢、メンタルが弱っている若い人は多いような気がする。藁にもすがるではないけど、話を聞いて貰えるだけでも助かるのだ。

 風見さんは玄米茶を一口飲むと、続けた。

「その捜索願を出されている人も含めて、何か情報をと思い、橘音さんに会いに」

 先ほどからクロスワードパズルをしていた橘音が顔を上げた。

「確かに風見さんが持ってきた人の話――確かに会ったことはあるけど、私はそのセミナーだかは関与していないし、分からないって訳よ。ただ、そのセミナーの内容でちょっと盛り上がっていて」

 そういう――話なんだ。

「確かにキッちゃんとこに来るような子なんかは、ある意味、人によっては精神的には弱っているわけだし、そういう子が信頼され合うというのはグっと来ちゃうのかもね、裏切られない関係? ――みたいな。私には分からないけど。ほら私が診るのは死体相手だから」

 ――それで、実際にそのゲームを試してみよう、ということなんだ。

「何だかなぁ。とりあえず、そのゲームとか宗教はいいでしょう。とりあえず、用件済ませて帰りますよ。僕は」

「あぁ、そうだ、忘れていた」

 紅子さんも忘れていたようだ。

「キっちゃん、昨日の、なんかメッセがつながんないとかの話、見てもらって」

「はいはい、じゃあ、順ちゃん」

 ――これが終われば帰れる。

 メッセというのはメッセンジャーというパソコンのツールだ。一対一や一対多で、文字でやり取りをする。チャットというものを、特定の人たちとやるような感じだ。ここの三姉妹は家ではメッセンジャーで会話をすることが多いらしい。

 何も人付き合いが嫌だとか、そういう性質ではない。――そもそもそんな性格の娘がこの家には居ない。メッセを使う理由は橘音の力に関係する。

 いくら家族とはいえ、話の真偽が筒抜けにようなことが気持ち良くないという部分と、橘音自身、必要最低限度の会話以上はしたくないのだ。

 人の会話の真偽が一日中見えるというのは、想像を絶するに疲れるらしい。

 そのため、自宅では、主にメッセンジャーや、携帯でのメールなどでやり取りをしていると、聞いた。

 橘音の部屋に案内され、パソコンを見せてもらった。

 対した状況ではなかった。

 ウィンドウズのセキュリティアップデートで、不要なパケット通信が遮断されていただけであった。

 ウィンドウズというOSには、内部のプログラムの構造に度々欠点が見つかり、その欠点を利用する形で悪意のあるユーザに狙われ利用される。

 その欠点修復用のプログラムが配信された際に、ネットワークを通じて出される情報の一部が制限されていたという状況だった。

 結果、メッセンジャーでの通信が出来ない状態だったみたいだ。

 すぐに直すことが出来た。

 FoxStandard。橘音のメッセで利用している名前だ。初めて知った。どうでもいい。

 橘音は部屋のソファで読みかけのマンガに目を通していた。

 ただ直すだけじゃ面白くないので、パソコンの壁紙を『日本伝統の味! 岩ノリの村松』という岩ノリが海をバックに輝いている岩ノリ製造の会社がホームページで提供している壁紙に差し替えてやった。

 パソコンは直った。

「直ったよ」

 電源を落として、橘音に声をかけた。

 読んでいたマンガを閉じて、パソコンのところまで来た。

「ありがとー。何か変なことやってない?」

「やってないよ」

「…やったんだね」

 ――見えた・・・か。

「ついさっき、ゲームで人を信用しないと、なんて思っておきながら、何にも分かって無いね!」

 お前に言われたくない――。

「直してから、戻って」

 そういうと、橘音は居間に戻っていった。

 どS姉妹。

 直さずに後から戻ると、風見さんが電話でなにやらすごい剣幕で会話していた。――仕事の電話?

 僕はとっとと帰ろう。

「橘音ー、帰るよ」

「ありがと、お疲れ」

 紅子さんにも会釈する。

「暇なんだから、丁度良かったでしょ」

 どんな感覚だ。

 風見さんの声が響く。

死んでいる?・・・・・

 は?

 その後は声が小さくなり聞き取れなかった。

 風見さんが電話を切るまで、なぜか三人とも動けなかった。

「堀田君。難波さんという女性を知っている?」


 ――難波さん。

 

 ――今週は忙しかった。

 

 ――なんだか、誰かが火曜から役所に来ていないとかで、無断欠勤だかでそのしわ寄せをくっていた。


 ――同じ課の、――難波なんばさんという女性が来て居ないという話だった。


 ――知っている。

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