第18話 心はつながっている ver.1.0(前編)

心はつながっている ver.1.0


 遠く離れていても心が繋がっていれば寂しくない。なんて言う人がいるが、僕はそうは思わない。むしろ、心が繋がっているほどに別れは、どうしようもなく苦しいものとなっていく。そして、ついにそれが永遠の別れとなったときに、心は壊れてしまうのだ。


 僕と彼女の心は繋がっている。




 柔らかな緑をまとう木漏れ日が、僕と彼女を温める。今日は久しぶりの散歩の日だ。彼女の車椅子をひきながら僕は彼女に話しかける。


「今年は春が来るのが早いなぁ。すぐに暖かくなった。」

「過ごしやすくていいね。」

「ああ、空気が澄んでいて最高の散歩日和だ。」


 僕と彼女が通った中高一貫校は、県内でも一番の進学校だった。その学校は伝統として「主張」と「行動」を重視した教育を行っていた。朝礼になれば、毎日交代で行う生徒の3分間のスピーチ、国語は教師の用意した小説や、論説文で行う。その代わり、国が用意した教科書の内容は一月で終わらせてしまうのだ。

 一冊の精読が終わった後、生徒は「ランダムに賛成派と反対派に分かれて」議論することが求められ、ディベート大会が行われる。そこでディベートに勝ったものは(その意見が道徳的に間違っていたとしても)成績に「優」を付けられた。

 ある日、授業で「電車内で携帯電話を使って良いか。」という議題でディベートを行ったとき、賛成派、つまりは「電車内で携帯電話を使って良い」とするグループが勝ってしまったことがある。「1億の商談がかかっている場合」「妻の出産の知らせを受け取るとき」など、特殊な状況を巧みに使い、反対派を丸め込んだのだ。というか、僕がそうした。僕の気持ちは反対派だったが、賛成派に振り分けられてしまっていた。

 そのとき、先生はこう言った。


「賛成派が勝ってしまったことに君らは違和感を感じていると思う。世間では電車内で携帯電話を使うことは悪い事とされているからだ。しかし君たちは、『議論』と『ディベート』の違いを考えたことがあるか?先生はこう考える。議論とは、意見の出し合いによって両者の妥協点を探ることであり、ディベートはとにかく相手に勝つことを目的とする。今回はディベートの授業なので、勝ったものの成績を『優』とする。そして忘れてはならないのが、賛成派の連中もランダムにそちらへ振り分けられただけなので本当に『電車内で携帯電話を使って良い』と思っているかは別の問題だ。決して相手をマナーの悪いやつだと、卑下することのないように。」


 学校の方針は明確だった。まずはディベートで自分の主張をして、自分の利益を最大化する方法を学び、そのあと議論で相手のことを考えて思いやり、妥協点を探る、またはWin-Winの結論にする。そのやり方を生徒に身につけさせようというものだ。

 したがって、まずは妥協点を探るよりも、自分の主張を重点に置くことになる。こういうわけで、この学校では自分の意見をはっきりと主張し、押し通すことに全力をかける生徒がたくさんいた。

 文化祭の出し物を決める会議の場も、体育祭の騎馬戦の戦略を決めるという議題も、将来就くべき職業の選択も、すべて真剣に話し合うような文化がこの学校にはあった。自分の意見を持っていて、話し合えるなら、良いことじゃないかと言う人もいるだろう。しかし、それらはすべて自分の意見を通す真剣勝負であり、学校外の人から見れば怒鳴りあって喧嘩をしているように見えることだろう。当の本人たちに「口喧嘩はやめろ」と言ってもこう返ってくるだけだ。


「喧嘩じゃなくて議論だよ。」


 実際、そいつらの仲が悪いわけではないのだ。


 そんな我の強い文化の中で、僕は先のディベートで勝ってしまったときのような違和感をずっと抱えて過ごすことになった。

 そんなある日、夏、課外授業の、課外授業とは名ばかりの遠足だが、ともかくそれの行き先を決める話し合いで、議論が白熱し放課後前までに結論が出ないという状況になってしまった。残っている意見は2つ、「遊園地」と「キャンプ場」だ。僕はなんでも良かったのだけれど、親友に遊園地に行きたいからこっち側についてくれと頭を下げて頼まれ、そちらに加わることにした。


「よし、お前がいてくれたら安心だ。魔法の城行きは決まったようなものだな。」


 僕のディベートの能力に関して、同級生たちは一目置いてくれていた。それは今まで僕が賛成にまわったチームの勝率が高かったからに他ならない。ただし、それは『彼女』がいなかった時の話だ。


 片瀬結衣。最近まで入院していた彼女は学校に戻ってくるなり、その才能で僕らの度肝を抜いた。その時、先生の気まぐれで用意されたディベートの議題は「ネッシーは存在すると10年以内に証明されるかどうか」だ。これはディベートの議題としては遊びみたいなもので、存在否定派が勝つことは決まっていて、賛成派が詭弁を振るってどれだけ議論をカオスにするかを楽しむものだった。ネッシーなどいるわけがないのだから。

 そのディベートの行方は…


「古代の恐竜の生き残りが…」


「恐竜は隕石で絶滅した。生き残ったのはゴキブリくらいだ。」


「写真が多数撮影されており…」


「あの写真は鳥の頭と酷似しています。鳥と間違えたのでしょう。」


「そもそもネッシーとは何か。鳥をネッシーと間違えたのならその鳥をネッシーと定義すればネッシーが存在することになる。」


 クラスから笑いと「そうだそうだ!」と野次が飛ぶ。


「今の発言こそネッシーがいないと認めたことになるのでは?」


 先ほどの賛成派は照れ笑いをして、いそいそと自分の席に戻る。飛び交う詭弁と笑い、賛成派の趣向を凝らしたアイデアも尽き、お硬い授業の後の頭の体操にはなったかなと、みんなが思い始めたその時、彼女が、片瀬結衣がすくっと立って、その澄んだ声で話し始めた。


「ネッシーは存在すると近日中に証明されるでしょう。その根拠は――」




 あの日、未確認生物が存在するとクラスの全員を『論理的に』納得させた彼女が、今回の僕の相手だった。あれはまるで夢のような時間で、その間、彼女の話術にハマった僕らはネッシーの存在を信じて疑わなかった。しかし、1日経つと全員が夢から覚めたように、「バカなことを信じていた」と、その恥ずかしさをネタに笑い話をしていた。

 

「この前のあれはまぐれだろう。頼んだぞ、藤沢。」


 腐れ縁の悪友が、期待の眼差しで僕を見る。しかし議題は『課外授業』で遊園地とキャンプどちらにするか、だ。学校行事としてなら、僕らの遊園地案は、いささか不利に見える。遊びと自然活動、どちらが学校行事にふさわしいかは一目瞭然だ。「ネッシーの存在」をクラス全員に納得させてみせた彼女に、この状況で勝てるのだろうか。

 『キャンプ』派の彼女が話を切り出した。


「キャンプでは様々なことを学べます。火の起こし方や川魚の調理、テントの張り方、これらは私たちが不測の事態に陥った時の助けになります。3年前の関東大震災を私たちは早くも忘れてしまいそうになっていますが、かの緊急事態に一番役に立つのは何でしょうか?これらのサバイバル技術を一度は経験しておくに越したことはありません。以上が私がキャンプを推す理由です。」


 僕はすかさず反論をする。


「確かにサバイバル技術の習得は重要なことだけど、緊急なことではない。それは、災害などいつ起こるかわからないからだ。もう一つ。火の起こし方、テントの張り方、とても役に立ちそうだ。しかし、実際はどうだろうか。手元にライターがあればそれを使うし、そもそもテントがなかったら既製品のテント張りの手順を覚えても無駄だね。それとも草からテントを作る気かい?

 それよりも直近の緊急で重要な問題がある。文化祭をどうするかだ。そこで、僕は人の楽しませ方を学ぶことができる『遊園地』に行くことに賛成する。」


 ため息が出そうになるのをぐっとこらえる。どうしてこんなくだらないことを真剣に喋っているのだろう。それはきっと…親友と先生の期待のためだろう。親友には僕が案を通すことを期待されている。そして先生には議論を盛り上げることを期待されているのだ。


「火の起こし方やテントについて、反論をして頂いたけれど、あくまでそれらは一例に過ぎません。電気がないという状況を経験しておくこと自体、良い経験になると私は思います。もっともライターが便利ならば、災害用に用意しておこうという結論になりますし、テントにしてもそうですね。そして、災害対策は緊急でないという意見ももらいました。しかし、『時間管理のマトリックス』という話がありまして、この論説では、緊急度より重要度を優先せよ、と論じています。その理由は――」


 なんで彼女はこんなに真剣に反論をしてくるのだろう。入院で成績が足りないから、その穴埋めをしようとしているのだろうか。彼女に僕の意見を否定されるたびに、僕はいらつきを覚えてきた。そっちがその気なら、こっちもとことんやってやろう。


 結局、僕は彼女に勝つために頭をフル回転して、声を張り上げて、いかに遊園地が素晴らしいところかを熱弁することになった。実にくだらない。正論を言い、詭弁を織り交ぜ、効果的に感情を使った。時にはクラスに少なからずいる、ただ単に遊園地で遊びたい奴らも利用した。クラスは『遊園地派』と『キャンプ派』二分され、意味のあるような、ないような議論が繰り返された。最終的に時間内に話はまとまらず、先生が両陣営を制止し、こう言った。


「熱い議論が交わされているところ悪いが、時間が来てしまった。みんなも頭を使いすぎて疲れてきただろう。一旦、頭を冷やしてみてはどうだろうか。それから、一つ提案がある。一番発言が多かったのは、片瀬と、藤沢だったのはクラス全員の認めるところだろう。そこで放課後、是非2人だけで話し合ってほしい。2人にはディベートではなく、議論をして欲しい。つまり、『遊園地派』と『キャンプ派』の妥協点を探るということだ。その結果を楽しみにしている。」


 つい熱くなってしまったせいで、面倒なことになった。先生の言葉に賛同するようにパラパラと拍手が鳴り始めた。疲れ切ったクラスメイトたちが教師の言葉を聞くなり、この面倒を押し付けるチャンスだと思ったのだと、そう考えてしまうのは僕の心が汚れているからだろうか。他人の心を推測してしまうのは僕の悪い癖だ。その間にも拍手は大きくなり、引くに引けない空気になってしまった。隣の親友は諦めたような顔で僕の肩に手を乗せ、


「ドンマイ、お前の分まで歌ってきてやるよ。」


 と言った。

 こいつのことを親友から友人に格下げすることに決めた瞬間、無情にも学校のチャイムが鳴った。そのシンプルなメロディは、僕に放課後のカラオケの予定をキャンセルせざるをえないことを告げたのである。


 放課後、太陽が幾分か降りたにもかかわらず依然として熱いままの教室だ。昼間に鮮烈な日差しを浴びたコンクリートがその熱を放射し、気温を引き上げているのだろう。国が建てたこの教室の一昔前のクーラーはかろうじて動いている状態で、ギリギリ我慢出来るくらいの暑さの、絶妙な室温を保っていた。そんな中途半端に居心地の悪い教室に残る生徒は誰もいない。いち早く抜け出し、キンキンにクーラーの効いたファミレスや学習塾、居心地のいい我が家に行くか、もっと熱い青春の1ページを刻もうと部活動に精を出すかのどちらかである。しかし、僕ら2人はそのどちらにも入りそびれてしまった。

 早いところ話をまとめて帰りたい。しかし先ほど熱弁を振るった手前、何もせずに彼女の言うとおりにするのは、会議で支援してくれたクラスメイトたちに申し訳ない。何かいい落とし所はないかなと考えていたところ、彼女の方から僕の席に近づいてきた。先に話すことで会話の主導権を握ろうと、僕は話を切り出した。


「やっぱり、遊園地じゃないかなあ。多数決を取れば、遊園地に賛成のクラスメイトの方が多いだろうし…」

「君、自分に嘘をついているでしょ?」

「は?」

「君は自分に嘘をついている。」


 心臓の鼓動が跳ね上がった。僕が実は課外授業の行き先などどうでもいいと思っていることが見透かされたのだろうか。もしそれを認めてしまえば、今までの僕のすべての主張に意味がなくなってしまう。そしてこれからの僕の立論も、怠け者の言うことだと、うっとうしいハエの音のように叩き潰されてしまうだろう。見事に狼少年の称号を得た僕の意見は今回の件だけでなく、ずっとクラスメイトに無視されてしまう危険すらある。僕は動揺が悟られないように顔の表情を取り繕って、なんて馬鹿なことを言っているんだというように笑った。


「冗談はよせよ。僕が一体何の嘘をついていると言うんだい?」

「全部。議論中の発言も、その表情も。」

「ああ、もし僕が嘘をついているんだったら、これまでの議論もこれからの議論も無駄で、課外授業はキャンプで決まりだな。だが、違う。僕たちはこれから話し合うんだ。喧嘩になるようなことはやめてくれ。」

「あなたが嘘つきっていう証拠はないけど、根拠ならある。」

「ほう、なんだい?」

「そうね、『私も同じだから』」


 どういうことだ。僕たちに何か共通点があったっけ?クラスメイトに面倒を押し付けられたこの状況くらいだ。


「私はあなたと同じ、クラスメイトの女の子に頼まれてやってるだけ。」


 あ、そういうことか。


「つまり、君も課外授業の行き先に興味がないってことか。」

「あなた、さっそくボロを出したわね。『君も』ってことはあなたも…ね。」


 しまった。気を抜いてしまった。目の前にいる彼女が僕と同じ境遇だと知って、共感して、少し安心を感じてしまったからだろう。けれども、彼女も同じ立場なら言ってしまっても構わないだろう。これからは争う必要はない。話し合って妥協点を探せばいいだけなのだから。


「…わかった。お手上げだ。君の言う通り僕もどうでもいいんだ。適当に両方の意見を取り入れて、新しい案を作って早く帰え…」


 とそこで、彼女が僕の言葉をさえぎった。


「――っていうのは嘘。私は自分の意見を言ってるだけ。これで行き先はキャンプに決まりね。」


 しまった。カマをかけられた!これで僕は嘘つきの狼少年に決定だ。小学生のときに、『帰りの会』で女子に「先生、今日藤沢くんが〇〇ちゃんを泣かせました!」と告げ口されたことを思い出し、「ああ、あの時のように僕の悪評は広まり、狼少年になった僕は卒業まで村八分にされて過ごすのか」と、このあと待っている暗い青春に思いを馳せた。ちなみにその小学生女子が泣いたのは、僕が着替えを見てしまったからだ。「僕が着替えを見てしまった」とだけ言ってしまえば、僕が悪いように聞こえるが、そこは保健室で、僕は絆創膏をもらいに中に入っただけだった。そうだ。僕は悪くない。水溜りで転んでしまって濡れた服から体操着に着替えている女子が保健室内にいると誰がわかるだろうか。僕が覗き魔だという噂が消えるまで、相当な時間がかかった。


『藤沢は変態じゃないぞ!みんな仲良くしなさい!』


 と言ってくれた当時の先生、僕を庇ってくれてありがとうございました。その優しさが痛かったです…

 古い思い出が走馬灯のように流れたあと、僕は観念して、諦めた。


「嘘をついて申し訳ございませんでした。もう煮るなり焼くなり好きにしてください…。」


 僕の綺麗なお辞儀と謝罪で誠意が伝わったのか、彼女は口を押さえて、クスクスと笑い始めた。ん?伝わったのか?まぁ笑ってくれたなら大丈夫。大丈夫だろう。笑った顔、結構可愛いなあ。

 僕が現実逃避をしていると、彼女は笑いながら再び僕を驚かしてきた。


「ごめんなさい。今のは嘘。今のっていうのは『私が行き先に興味がないのは嘘』っていうのね。つまり、安心して。私もこんな話し合い、面倒だってことだから。」


 彼女のトラップに全てハマった僕は、その経歴に恥じぬ恥ずかしいアホ面をして、そのまま頭を整理するためフリーズした。

 そしてやっと理解できたので、とりあえず怒った。


「卑怯だぞ!こっちは真剣なのに言葉遊びで人を弄んで!笑うのをやめろ!」

「ごめんごめん。あなたがあまりに綺麗なお辞儀をするから…あんなお辞儀、ニュースの謝罪会見でだって見たことない。」


 彼女がずっと笑い続けたので、結局僕は怒る気も失せた。仕方ないので頭を切り替えて、彼女に質問をすることにした。僕の今回の反省点についてだ。


「なんで僕が嘘をついていたとわかったんだ。」

「さっきも言ったじゃない。私も同じだから、なんとなくわかったの。」

「でも僕は君の嘘に気づかなかった。君は本当にキャンプに行きたいんだと思った。」

「ああ、あの時はね、私もキャンプに行きたいと思っていたんだ。」

「いやいや、さっきはどうでもいいって言っていたじゃないか。」

「だからね、私はあの時『自分を騙していた』。あなたは結局、自分を騙しきれていない。ずっと嘘をついていると自覚しているから、心と話していることがどんどんズレていって、それが違和感になる。私はその違和感を知っている、あなたと同じだったから。」


 彼女は僕がこの学校でずっと感じてきた違和感を知っている。そして、その解決法も。

 僕はこの時すでに、彼女に対して怒っていたことも、嘘を見抜かれた恥ずかしさも、ここにいた理由さえも忘れて、彼女の話にのめり込んでいた。

 それは彼女の話術のせいか、もしくは彼女の自信に満ちた雰囲気からか。そして僕は…


「頼む。その自分を騙す方法ってやつ、教えてくれないか。」


 すると、彼女はニヤリと笑って、こう答えた。


「いいよ。」


 それは、自分と同じ悩みを持っていた者に対する憐れみか、もしくは…

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