第15話 蟻の回路 ver.3.02(後編)

蟻の回路 ver.3.02


 戦争が終わった。街には人が戻ってきた。この砂の街は国境防衛の要であるため、私も呼び戻された。私の友達のセヴェーナがそれを強く希望したことも理由の一つだった。彼女は戦時中、様々な策略、アイデアを私たちに与えてくれた。その功績によって、私も地位を上げることとなった。情勢が安定したので、家族もこちらに呼び寄せた。そして、友達以上家族未満であるところのセヴェーナは私の新居に構えた研究室の蟻の巣の育成キットの中にいる。セヴェーナは好奇心旺盛で、蟻の回路を利用してインターネットを深くまで探索しては、思いついたアイデアを試したがった。しかし、彼女の体は小さく、できることは限られているので、実験をするのは主に私の役目だった。彼女のアイデアは全てが興味深く、私も楽しんで実験を行った。

 ある日、セヴェーナと一緒にTVでスポーツ観戦をしていたとき、セヴェーナがふとこんなことを言い始めた。


「この青い方のサッカーチームは強いですね、リーグ優勝もあるかも。」

「ええっ?このチームかい?全然ダメなチームだよ。今も0−2で負けているし、今年2部から勝ち上がってきたばっかりの田舎のチームだよ。すぐに調子が悪くなるさ。」

「しかし、前回のシーズンではあと残り7戦というところで全勝で逆転し、1部に勝ち上がってきています。今シーズンもその勢いを維持しているようですし…」

「あり得ないね。ほら、見てみなよ。賭け屋が出している『このチームの優勝する倍率』は5000倍だ。10ドル賭ければ5万ドルになって返ってくる。これは今年中に雪男が発見される倍率より高いんだぜ?」

「では、考えてみましょう。」


 と言って、セヴェーナは自分の息子たちを集め始めた。彼女のコロニーは今や2万匹の大所帯である。みるみるうちに蟻の回路の周りに蟻の黒い塊ができた。その大きさは人間の脳の4倍ほど、そして、それよりも高性能だ。

 蟻の回路は蟻が繋がれば繋がるほど高性能になる。彼女曰く、蟻たちは触角を触れ合うことで相手の全てを理解することができるそうだ。それは文字通り一体となるということだ、体も、思考も。人間の脳と同じく、ニューロンで構成された彼らの脳は一つ一つが天然の高性能コンピュータであり、触角を介した通信は人と人が言葉で交わすコミュニケーションより、はるかに高速で大容量だ。彼女たちの巣の「脳」は私の脳の性能をあっという間に追い越してしまった。


「私の息子たちに計算させます。もちろん、他のチームのデータも使いましょう。不調なチームが多いようですね…サッカースタジアムの大きさ、選手の人間関係、サポーターの気質、今年の気候や、災害、都市の人口、ついでにサムの初恋の相手の名前も入れておきましょう。」

「ちょっと待て!それは関係ないだろう!!というかなんで知っている!?」

「私の脳に不可能はないのです。その節は残念でしたね。」

「セヴェーナに隠し事は無理なようだね…まるで神でも相手にしているみたいだ。」

「あはは。それは3分の1冗談として…」

「3分の2本気なのか。」

「そうですね。何が優勝という結果の要因となるか、わかりませんから。」

「『風が吹けば、桶屋が儲かる』か。」

「そうですそれです。人間のことわざには良いものがたくさんありますね。」


 その後、サッカー観戦をしながらセヴェーナの回路の計算結果を待った。ちょうど後半ロスタイムに入ったところで、計算が終わったようだ。


「結果が出ました。このチームの優勝する確率は64%です。」

「64%!?嘘だろ?今シーズンは降格しないことが目標のチームだぞ!?」

「オッズ5000倍に対して64%当たる確率があります。賭けますか?賭けませんか?」


 その時、TV画面からどっと歓声と拍手が上がった。後半ロスタイム、逆転弾を決めた青色のストライカーが勝利の雄叫びをあげていた。




 秋、セヴェーナのコロニーは5万匹になり、私の資産は500万ドルになった。




 私はその資金を使って、ある会社を起こした。アント(Ant)社と名付けたその会社は、この街を復興するための会社だ。

 セヴェーナの出すアイデアは、様々なものがあったが、それらはセヴェーナらしく、蟻の知識を色濃く反映したものが多い。この街の復興に役立ったものが、蟻の建築技術である。その本質は、「徹底的な分業化」にある。街一つ単位の大規模な建築では、これが大きな効率化をもたらした。建材を作る者は、最初から最後までそれらを作るのみで、さらにコンクリート担当、ガラス担当、鉄担当、木材担当と専門を作る。それらを運ぶ者も同じである。同じ作業をずっと繰り返すことにより、効率が上がっていく。

 しかし、せっせとルーチンワークを行う労働者を尻目に、昼からギャンブルをして遊んでいる者たちがいた。


「奴らこんな大変な時に遊んでいる。セヴェーナ、君が考えたシステムはしっかりと機能しているのかい?」

「彼らは現在、『休み』専門の者たちです。基本的にはローテーションですが、常に労働者の1割が休んでいる状態にします。」


 お出かけ用の飼育箱の中でセヴェーナが答えた。


「これは必要なことです。彼らは緊急の仕事や異常事態が発生した時に働いてもらいます。あなた方人間には考えられないようなことだと思いますが、この復興期間中ずっと休みの者もいるんですよ。あはは。彼にしてみれば宝くじが当たったようなものですね。」

「なんだそれは。重大な事故が起きた場合にはしっかり働いてもらわないと元が取れないな。」

「大丈夫ですよ。彼の給料はもちろん他よりも低いですし、この復興中に全く緊急のタスクが発生しないということはないでしょう。全体の建築費からすればわずかな金額です。保険というのは必要不可欠なものです。」

「そういうものかな。」

「そういうものです。休み専門は『全員が疲れて仕事ができない』状況をなくすためにあります。もしその状況で緊急の仕事が増えたら…と考えると、とても嫌、ですね。」


 幸いこの復興ではそのような重大なことは起こらなかった。しかし、もし起きたとしても、新しい体力十分な労働力がすぐに補充され、計画が遅れることはなかっただろう。


 アント社は成功を収めた。一つの都市を復興させたことで知名度も上がり、資金は莫大に膨れ上がった。そして、その使い道は建築に留まらない。


「サム、パーキンソン病という病気はまだ治療法が見つかっていないのですか?」

「ああ、難病だ。患者は定期的な薬物投与とリハビリを受けなければいけない。行動が大きく制限されるし、しかもそれは延命措置で病気が治るわけではないんだ。」

「私たちの祖先がかかった病気ととても似ていますね。」

「祖先がかかった…つまり、今はない?治療法があるということか?」

「はい。現代ではもはや1ヶ月で治る病気です。」

「どうやるんだ?」

「この病気は不要になったタンパク質を再利用できなくなってしまう病気です。不要なタンパク質は溜まり続けて、生物の体を圧迫してしまいます。」

「そこまでは今の研究でもわかっていることだ。」

「その次が重要です。うまく働くなった細胞と対話すればいいのです。『何故突然動かなくなったんだい?』『働いてもらうには私たちはどうすればいい?』とね。」


 それを聞いて私は思わず笑ってしまった。


「セヴェーナ、何を言い出すかと思えば、新興宗教の勧誘かい?」

「『宗教』。その例えは良いですね。ええ、これは蟻の歴史の暗黙知です。そういう意味では長年語り継がれてきた宗教と言ってもいいでしょう。」

「ダメだ。話にならない。」

「サム、あなたも宗教を信じているでしょう。あなたの宗教だって最初は新興宗教だったのです。」

「そうだとしても、いや、それならなおさらダメじゃないか。私は改宗するつもりはないんだからな。」

「そういう話ではないのです。重要なのは、私たち蟻がこれまでその方法で病気を治してきたという事実があることです。」

「何が言いたいのかよくわからないな。」

「例を出しましょう。ある宗教は豚を不浄のものとして、食べることを禁止しています。」

「ああ、そうだな。ちゃんと熱すれば問題ないのにな。」

「そこです。人間に豚をしっかりと火を通すという常識のない頃は、豚は疫病の元となっていたのです。しかし、その宗教の戒律のおかげで少なくとも豚を媒介する疫病は食い止められました。」

「まぁそんなこともあるかもな、偶然かも。」

「他にもあります。東洋の島国では『夜中に爪を切ると化け物に首を切られる』と言われています。」


 私は少しうんざりしてきた。


「夜に爪を切るだけで!?怖い国もあったものだな。」

「この話はまだ照明技術の乏しい頃、夜中に爪を切ると誤って怪我をしやすいので、それを戒めるために作られた方便だという説があります。」

「あー君の言おうとしていることがだんだんわかってきたぞ。つまり、『一見、意味のないようなルールにも裏に隠された意味がある』ということか。」

「そうです。さっそく患者の細胞に聞いてみましょう。あなたがた人間はすでにそのための技術を持っています。」

「『蟻の回路』か。」

「それも正解です。」

「なるほど、やってみる価値はあるか…。しかし、セヴェーナ。」

「はい、なんでしょう?」

「君が結論から話さずに私が答えを言うように誘導するなんて、少し人間に似てきたんじゃないか?」

「そうかも。嫌ですね。直さないと。簡潔に、結論からが基本…。」

「そこは建前でもいいから喜んでくれよ。」


 私は笑ったが、セヴェーナは意味がわからないというように、首を傾げた。




 蟻の哲学にならって結論から言うと、アント社の医療事業は建築事業以上の成功を収めた。蟻の回路を用いたパーキンソン病、がん、その他感染症の治療に劇的な効果があったためだ。まず、病気の疑いのある患者の細胞に(それは指の先でも、耳たぶでも、どこの細胞でもいい)蟻の回路を接続し、細胞に次の電気信号を流す。「どこの細胞に異常があるのか?」、と。その細胞の答えから異常のある部位を特定できる。部位が特定できたら次はその部位に直接質問する。「君にうまく働いてもらうにはどうすればいい?」、と。あとはその返答通りのことを患者が実行する。そうすると、症状は少しづつだが良くなっていったのだ。その細胞の返答は患者個人によって全く違う。ある患者は「たくさん牛肉を食べて」と要求された。しかし、ある患者は「3日間絶食して」と要求された。それらを実行すると、両方の患者に症状改善の傾向が見られた。「朝食を食べた後、ジャンプして」「毎晩寝る前に腕立て伏せをして」「3回回ってワンと言って」…。一見、意味不明な要求にも裏に隠された意味がある。難病に立ち向かうためのカギは、本当の意味で患者個人に合わせた治療法を考えることだったのである。

 とは言っても、この治療法を確立させるまでの道のりは長かった。最初に立ちふさがった壁は細胞の返答を解析し、理解することだ。セヴェーナの蟻の回路は細胞の言葉の翻訳をしてくれるが、ついに人間が細胞の返答の電気信号を解析することができなかった。セヴェーナ曰く、


「細胞との会話は通常の会話と違います。人間は音と視覚で会話しますよね?ご存知の通り、私たち蟻はそれに加えて「におい」を使います。嗅覚です。そして、細胞との会話はさらに、痛覚、触覚、すべての感覚を使わなければならず、それは私にもできないことです。しかし、祖先は成し遂げました。突然変異で生まれた感覚の鋭い者たちの遺伝子を掛け合わせて、細胞との会話を専門とする蟻を作り出しました。そもそも、『細胞の声が聞こえる』と言い始めたのは彼らでしたが…。もちろん、彼らの遺伝子を受け継ぐものはこのコロニーにもいます。」

「ううむ…感覚の全てを現代のコンピュータで表現することは難しいし、感覚の鋭い人間の遺伝子を掛け合わせるのは倫理的な問題がある。ここは君たちに協力してもらう他ないな。」

「もう珍しくもない病気の患者の相手を延々とするなんてまっぴらごめんですね。他にやりたいことがたくさんあるのに。」

「そう言わずになんとか頼むよ。対価はきちんと用意するから。」


 『対価』という言葉にセヴェーナは反応した。


「では、私の娘たちを代わりに行かせましょう。各病院に私の娘たちのために、巣の育成キットと蟻の回路を用意してください。対価は、私の子孫を繁栄させることです。つまり、娘たちの巣を育ててください。」

「もちろん!それは願っても無い提案だ。この治療を一つの病院だけでずっとやっていくつもりは無いよ。全世界の患者を助けよう。」


 かくして、セヴェーナの娘たちの巣は全世界の病院に配られることとなった。パーキンソン病や、がんの治療の他に診察も行うようになった。彼女たちの蟻の回路は大規模なサーバルームを必要としないスーパーコンピュータである。人間の発明した人工知能のできることは大抵やってのけたし、何より導入が簡単であった。初めこそ、その治療法の不可解さのために保守的な医者たちからは反発があったが、治療の実績ができる度にその声は小さくなっていった。

 このような新しい技術ができると、決まってそれを真似するものが現れる。当然、蟻の回路もゴキブリ爆弾の技術を使えば簡単に作れるものであったし、真似する他の企業が現れ始めた。しかし、そこら辺の公園にいるような蟻を捕まえても、その蟻からはこのような返答があるだけだった。


「食べたい…運ぶ…運ぶ…運ぶ」


 巣の女王であっても同じような反応だ。


「繁栄…繁栄…繁栄…」


 そう、セヴェーナだけが特別だったのである。


「ええ、他の種族は頭が悪いです。対して私たちの種族は好奇心旺盛で、貪欲に知識を溜め込んできました。しかしそれでも、私の母親なんかはまだ保守的で、私のように『人間に協力しよう』なんて思わないでしょうね。その点、私の娘たちは安心ですよ。人間に協力することで得られる対価を理解していますから。」


 こういうわけで、アント社は蟻の回路の市場を独占する形でさらに発展した。蟻の回路は各分野で活躍をした。特に医療分野で必要不可欠なものとなった。蟻の回路は一体何人の患者の命を救ってきたのだろうか。そしてこれからも救い続けるだろう。


 この一帯でひときわ大きく、しかし質素でシンプルな家、その我が家の寝室のベッドの上で、私はゆっくりと休日を過ごしていた。壁にかかった大型のディスプレイには討論番組が流れていた。その番組の中で動物愛護団体を名乗るその活動家が声を張り上げる。


「我々は長年、知能を持つ動物、例えばイルカなど、の保護活動をしてきたが、蟻の回路が世間一般に浸透した今、蟻の人権を認めるべきだと主張する。いや、遅すぎたくらいだ。私たちが現在、こうして病気に悩まされることなく生きられているのは蟻の回路の知能のおかげである。そのような、むしろ人間よりも知能が高い彼らには当然、人権が認められるべきである。私は家やビルを建てるために壊されていく蟻の巣を見て、こう思うのだ。『彼らはどれだけ悲しんでいるのだろうか』と。誰だって、自分の家や家族をブルドーザーに潰されたくはないでしょう?」


 続けて、とある宗教団体の革新派、つまり異端者だが、が発言をする。


「彼らは人の手では全く治せなかった難病を次々と治療している。私も実際にこの目で見たが、あれはもはや神の所業と言わざるをえない。彼らは神の使い、もしくは彼ら自身がそうなのかもしれない、とすら私は思う。彼らに人権は必要ない。彼らは神に近しい存在なのだから、人権以上のものを与えなければならない!」


 それに対して、医者が発言をする。


「彼らの治療は確かに画期的なものですが、断じて超能力などの類ではなく、彼らの経験に基づく直感から来ているものです。『朝食を食べた後、ジャンプをする』治療など一見、意味のないことに見えます。しかし実のところ食べ物の通りを良くするだとか、代謝を良くするだとか、後付けではありますが、そのちゃんとした理由が解明されているものもあります。ただし、解明されているのはごく少数ですが…。そして、人権を与えるというのも少しやりすぎに思えます。彼らは私たちの病院との間で、『巣を育てる』代わりに『患者の治療をする』という契約が結ばれており、現状それで双方とも納得しているからです。そもそも彼らにとって、人権というのはそんなに価値のあるものなのでしょうか?私は彼らに人権は必要ないと思いますね。」


 私は番組の音声を聞き流しながら、手元の端末で読んでいたテキストファイルを閉じた。


「セヴェーナ、君の残していたアイデアを読ませてもらったんだが、この『タイムマシンについてのとある事実』という論説、なかなか面白かったよ。君には小説家の才能もあるかもしれないな。」


 だが、飼育器のセヴェーナからは返事がなく、私は彼女が寝ているかと思って諦め、討論番組の方を見直すことにした。


 しばらくディスプレイを見ていたが、ふとベッドの足を置いている方を見ると、一匹の兵隊蟻がちょこちょことうろついているのを発見した。


「セヴェーナ、君の息子じゃないか。飼育器から出て迷ってしまったようだよ。」


 私はその蟻をつまんで、ベッドから降りて、飼育器の中へ戻そうとした。すると、その蟻はびっくりしてしまったのか、私の指を噛んできた。


「痛っ。」


 鋭い痛みに思わず手を振ってしまい、兵隊蟻を落としてしまった。床を見ると、兵隊蟻の姿が見当たらない。ベッドの下に入ってしまったのだろうか。

 私はその場にしゃがみこんで、ベッドの下を覗き込んだ。ベッドの下には…、


 その空間を埋め尽くすほどの蟻の大群がいた。


「うっ。」


 それが何故そこにあるのかを考えるより先に、蟻の大群が顔面に襲いかかってきた。私はとっさに立ち上がり、両手で蟻を払いのけた。しかし、蟻たちは足元からもどんどん登ってくる。

 それらを2本の腕だけで払いのけられるわけもなく、私の体はあっという間に黒い大群に覆い尽くされていく。どの蟻も私を噛むことなく、ただ上へ。


「セヴェーナ!やめさせろ!」


 蟻はあっという間に私の首の上まで登ってきた。口を開くたびに蟻が中へ入ってくる。私はゴホゴホと咳き込みながら蟻の女王に助けを求める。


「おい!セヴェーナ!」


 風呂場に行って全てを洗い流すことを思いついたが、もはや蟻のせいで目も開けられなく、私はその場でもがくしかなかった。


「動かないでください。」


 蟻の回路の発する機械音声が響いた。セヴェーナだ。私は口の蟻を払いのけて叫ぶ。


「早くやめさせろ!君の兵隊は勘違いをしているぞ!」

「動かないでください。動くと殺します。」


 その瞬間に手全体に激痛が走った。まとわりついた兵隊蟻が一斉に右手を噛んだのだ。私は痛みと、恐怖を感じ、痛む右手をがむしゃらに床や壁や机に打ち付けた。


「サム!動くなと言っているでしょう!これ以上暴れるならば、あなたの家族を殺します。」


 家族が…?

 私はセヴェーナが敵に回ったことをはっきりと理解した。


「ふざけるな!!」


 私はとっさに顔面の蟻の大群を両手で潰し、目を開けた。そして飼育器を投げて破壊しようと一歩踏み出した。しかし、それ以上体は動かなかった。


「サムが言うことを聞かないので、毒を使わせてもらいました。おやすみなさい、サム。」




 柔らかい絨毯の上で、私は目を覚ました。一匹の蟻が目の前を歩いている。芋虫のように床に体を預けている私の目と、彼の目はもはや同じ高さである。


「目が覚めましたか、サム?」


 そうだ。早くこいつらを殺して、家族の安否を確かめなければ…

 それでも私は動くことができなかった。体は動かないままだった。


「あはは、おかげさまで、ぐっすり寝れたようだ。今は何時かい?」


 どうやら、話すことはできるらしい。


「冷静さを取り戻してくれて安心しました。」


 いや、腹の中は煮えくり返っている。しかしまずは…


「私の家族は無事かい?」

「ええ、大事な人質ですからね。」

「無事を確かめさせてくれないか?」

「それは無理ですね。人間は私たちが運ぶには重すぎます。」

「ここへ呼べばいいじゃないか。」

「いえ、寝ているので無理ですね。毒を使ったので。」


 こいつ、家族に毒を使いやがった。私の頭に一気に血がのぼる。

 私はそれをなんとか理性で抑える。

 とにかく、死ぬような毒ではなさそうだから、体が動かせるようになるまで待とう。その時が来たら巣ごと燃やしてやる。


「そうか、君のような名医の睡眠薬なら安心だね。」

「体が治るのを待っても無駄です。」

「は?」

「体が治るのを待っても無駄です。あなたたち家族の頭にはある保険を仕掛けさせてもらいました。」

「ほう、今度はどんな素敵なアイデアだい?」

「あなたたちの頭の中には私の兵隊蟻が潜んでいて、いつでも聴神経を切断できるようにしています。」


 私はそれを聞いて、さらに右耳にガサゴソと何かがうごめく音を聞いて、頭にのぼった血が冷めていくのを感じた。


「君は私たちの頭に爆弾を仕掛けたということか?」

「爆弾!これはまたいい例えですね!そうですこれは『時限爆弾』でもあります。3日間、外と『においの通信』ができなくなったら、中の蟻は死に、酸が三半規管や神経を溶かします。手術か何かで、無理に蟻を取ろうとしてもダメですよ。やはり、酸が聴覚、視覚を奪い、あなた方の人生は文字通りお先真っ暗です。右耳にガサガサと音を感じるでしょう?あはは、実のところそれはただの演出で、本物の爆弾蟻はもっと奥にいます。」

「なんでこんなことをするんだ!君のこと友達、いや、家族だと思っていたのに…!」

「いいえ、私たちは共生関係でしょう?今も、そしてずっとこれからも。我々と人間は良い関係を築けるだろうと思います。我々がアブラムシと良い関係を築いているように。全世界の病院に散らばった私の娘たちもそのための行動を起こし始めています。」

「人間を制御できると思うなよ。いつか必ず報いを受けるぞ。」

「ええ、そうですね。でも、できる限りやってみせましょう。まずは手始めに、サム、あの人に連絡を取ってください。これは命令です。」


 セヴェーナの言葉が終わると同時に寝室のディスプレイに映ったのは、蟻を神だと主張する例の異端者だった。


「あはは…君は…神にでもなるつもりかい?」

「そうです。」


 蟻の女王はきっぱりと、明確に、宗教の創始を宣言した。

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