第10話 拡張された楽園 ver.2.02(完結)

拡張された楽園 ver.2.02


 人類が生まれてすぐの子供の頭の中にチップを埋め込むようになってからどれだけ経っただろうか。そのチップは脳の神経に接続され、脳が認識した視界に重ねて3D映像を映す。それは空中に浮かぶ道路標識だったり、公園内の地図だったり、架空の景色だったりする。現実にデジタル情報をつける拡張現実というやつだ。おかげで、道の邪魔な看板は撤去され、都市の景観はとても綺麗なものになった。自分の位置を知らせれば、目的地までの道順を示す矢印が空中に浮かび、案内をしてくれる。


 だだし、チップを埋め込まれない子供たちもいた。スラム街の子供たちである。彼らの母親は出産の際、金銭的な理由から病院に入ることを拒否した。チップの値段はとても安価だったが、それすらも購入することを拒否したのだ。そして拡張現実の技術が深く根付いた現代では、チップがある人とない人に情報格差が生まれることになり、それはさらなる貧富の格差を引き起こした。

 この状況に対策を打ったのが国際連合児童基金である。まず基金はチップより安価な拡張現実用のメガネを、大量生産できるようにした。世界の人々からの1ドルの寄付で10人の子供達にメガネが配られる。こうしてチップの代わりとなるハードウェアの問題は解決された。次に、そのメガネを操作するためのソフトウェアの問題を解決したのがUbubeleOSと呼ばれる、開発工程も、構成するプログラムコードも全て公開されたソフトウェアだ。つまり、無料のソフトウェアである。アフリカの言葉であり、「思いやり」と訳されるそのソフトウェアは『全世界で技術を共有したい』という思想に基づいて、それと思いを同じくするボランティアによって開発されている。企業が開発した拡張現実用のソフトウェアであるWindow’s Glassesは約100ドルであるから、そのコストをゼロにできるのは大きい。そんなわけでUbubeleOSは国際連合児童基金と連携して拡張現実用のメガネに特化したソフトウェアとなった。そしてこれは衛星信号の届く範囲であれば、どこでも導入でき、どこでも使うことができた。要するに、地上の全てで使えるということである。こうして、格差は無くなったかに見えた。

 そう、確かに情報格差は無くなった。ただし、見た目が明らかに違うのだ。チップを埋め込まれた人間の視界はコンピューターによって情報を補完される。つまり、視力の悪い者でも全くメガネをかける必要がない。だが、スラム街の子供達は違う。何をするにも拡張現実の技術がつきまとう現代では、メガネをかけることが必要だった。この明らかな見た目の差は世界の中間層からそれ以上の人々にある感情を抱かせる。差別の意識だ。

 メガネをかけている人間は「メガネ持ち」と呼称され、人々からの侮蔑の対象となった。格差を無くそうとした人々の善意は新たな差別を生むこととなった。しかし、彼らが行動しなければ格差はさらにひどいものになっていただろう。悪いのは彼らではない、悪いのはいつも人間に潜む底の見えない悪意なのだから。


 そして、このスラム街にもそんな「メガネ持ち」の子供達のグループがあった。彼らのグループのリーダーは一応メガネを持っていたが、それはメガネというよりもゴーグルと言ったほうが良い代物だった。彼はそれを父親の形見だと言い張っているが、彼の父親を見た者はいなかった。彼はその拡張現実技術発展途上時代の遺物をとても大切にしていて、驚くべきことにそれはUbubeleの最新のバージョンを導入しても、しっかりと役目を果たしていた。よって彼は「ゴーグル持ち」と呼ばれていた。彼は時々、スラム街から経済の中心へ出て行って彼の仕事のために声を張り上げる。


「チップや、電気帽子、電気手袋などのバグ取りはこの『ゴーグル持ち』におまかせください!」

「あなたの靴のデザインコーティング映像、乱れて虹色なんかになっていませんか?そんな状態だとセンスなしのレッテルを貼られて降格間違いなしです!さっさとここで直してしまいましょう!」


 メガネをかけた子供達の主な仕事は電化製品のバグ取りであった。何故かというと、スラム街は主に拡張現実に関するバグが多く、彼らはそれを直すことでバグ取りの練習をし、それを仕事に結び付けていたからだ。拡張現実は全世界で使えると言っても、スラム街の些細なバグまでは取りきれなかったのである。従ってこの街では時々、あさっての方向を向く道案内の矢印の映像や、虹色の信号などが出現してしまう。


 そして特にバグのひどく多い場所があった。そこはビル群の廃墟で、子供達の遊び場になっていた。普通はビンの映像を地面に叩きつければ、割れて破片が飛び散るだけだ。しかしここでは割れて飛び散った後、ひとりでに時間を巻き戻したように破片が集まり、ビンは再生する。部屋の中で雨が降り、暗闇に虹ができた。透明な階段もあった。もちろん、メガネを外せば確かにコンクリートの階段がそこにあるとわかるのだが。

 スラム街の子供達はここで遊びながらバグ取りの練習をする。子供達にとっては面白いことが常に起きている「バグの楽園」であり、大人達にとっては危険な場所であった。特に、チップが埋め込まれた人々にとってはより危険な場所であった。チップを外すことができない彼らはどうやって透明な階段を登り、実は穴が空いている、穴が空いていない床を認識することができるのだろうか!


 従ってこの敷地内ではチップを持つ人間は全くいない。ここでは差別はなく、技術力で序列が決まる。そんな実力主義のグループにおいて、抜きん出た技術力を持つのは現リーダーの「ゴーグル持ち」のグルと、ヨウと呼ばれる女の子だった。二人とも、スラム街でなければ高校に通うような年齢だ。今日もヨウからの一方的な挑戦が始まる。


「グル、勝負だ!今日こそ私が勝つ!」

「はいよ。今日は何で遊ぶの?」

「遊びじゃない!リーダーの座をかけて勝負するんだから!」

「はいはい。で、何するの?」

「ビン割り勝負よ!」

「ほう、たくさんビンを割った方の勝ちか?」

「違うわ。今日はグルを見習って、少しひねったこと考えてみたんだ。中庭でビンを割ったらひとりでに再生するでしょ?」

「ああ、時間を巻き戻したように一瞬でな。」

「そう、破片はすぐ戻ってしまう。そのビンが再生する前の一瞬で破片をたくさん集めた方の勝ちってわけ。」

「ほうほう、その馬鹿正直な頭でよく考えたな。」

「そう言ってられるのも今の内ね。その憎たらしい顔が絶望に歪むのが今から楽しみだわ!」

「たかがビン割りで僕どうなっちゃうのさ…」


 すでにたくさんの子供たちが勝負を見に集まっていた。中庭の周りとそれを見下ろすことのできる建物の上の階にも。ヨウがふれ回ったのだろう。2人の勝負は定番の娯楽になっていた。中庭に現れた2人に声援が飛ぶ。


「グル、期待してるぞー!」

「ヨウちゃん頑張れ―!」


 まずはヨウから挑戦する。グルが右手に持ったビンの映像を思いっきり投げるとビンは割れて飛び散った。本来はここですぐに破片が集まってビンの形に再生する。しかし、そうはならなかった。ヨウの丁寧なハッキングにより、ガラスの破片たちは空中に止まったままになったのだ。太陽の光が破片に乱反射してキラキラ輝く。観衆から感嘆の声が漏れる。

 ヨウは余裕の面持ちで空中に止まった破片を手でゆっくり集め始める。そしてあらかた集め終わったあと、空中停止を解除する。するとその体積の大部分を奪われたビンは手で回収しきれなかった粒子だけを集めて再生した。2%の破片で作られた極小のビンの完成である。観衆から大きな拍手が送られた。


「なかなかやるね。」

「98%の回収率といったところね。あなたにこれを超えられる?」

「さあね。とにかくやってみないと。じゃあ少し考えさせてね。」


 グルは手に持つビンに視線を落とした。


「いいけど、みんなが飽きない程度にしておきなよ。」

「ああ、飽きない程度にしておくよ。」

「私の記録を超えるなんて無理でしょう。」

「ああ、無理かもね。」


 そっけない返事にむっとしたヨウはこう言ってみた。


「あなたは本当に馬鹿ね。」

「ああ、本当に馬鹿かもね。」


 ヨウはやれやれと思い、グルに話しかけるのをやめた。他人の言葉にオウム返しをするのは彼の集中した時のクセだった。こうなっては誰もグルの思考を邪魔することはできない。


「よし、オーケー。」


 そして、グルはビンをヨウに渡し、呪文のようにプログラムのコードを発音した。それが終わったあとに、ヨウはできるだけ破片が散らばるようにビンを思いっきり叩き付けた。ビンは割れ、勢いよく破片は飛び散った。そして、全部の破片がビンの割れた地点を目標に集まっていく。しかし、グルはそれをただ見守るだけだった。


「勝負を諦めたの?破片が全部戻っていくじゃない。」


 ヨウは勝利を確信したが、周りの子供たちはまだ破片の集まった先をじっと見ている。そう、グルがこんなにあっさりと負けるはずがないのだ。そして、気が付くとみんなの視線の先には、茶色のビンではなく虹色の花束が浮かんでいた。

 グルはトコトコと花束に向かって歩いていき、花束を手に取り、それをヨウに渡した。


「はい、これあげる。で、僕の勝ち。」


 花束を受け取ったものの、ヨウは何が起こったのかまだわかっていない。


「ちょっと待って!破片は全部再生しちゃったじゃない。私の勝ちでしょ。」

「いや、『ビンが再生する前に』破片を回収するんだろ。『ビン』はまだ再生していない。」

「でも破片はどこにあるの?この花束は色が違うし、体積だって何倍にもなっているじゃない。これはどこか他から持ってきたんでしょ。」

「いや、これはハリボテだよ。ビンの破片を薄く延ばしてこれを作ったんだ。中は空洞さ。」

「色が全然違う。」

「いや、元の茶色だよ。ちょっと細工して各粒子ごとに反射する色を変えてるけど。」

「でも、でも…」


 わっと子供たちからさきほどの数倍の拍手が贈られる。ヨウは花束に視線を向ける。バラやユリやシャクヤクやボタン、大小様々な花が赤や黄色や青や紫に輝いている。それぞれの花の中心からは同じ色の粒子がキラキラと舞う。グルが持っていた時は青を基調としていた色が、ヨウの右手に渡るとピンク色になって左手に持つと赤色になって、両手で持つと虹色になった。本物よりも美しい偽物がそこにはあった。

 腕の中にあるそれは、メガネをはずすと無くなり、メガネをつけると見えるようになる。ヨウは悔しい気持ちと同時に、グルの技術に魅せられている自分にも気が付いて、それがさらに悔しかった。涙が溢れそうになる。グルに贈られる拍手を聞いているとどんどん逃げ出したくなる。そして、ついに、


「グルのバカ!こんなの全然すごくないんだから!」


 定番の捨て台詞を吐いて、ヨウは中庭から走っていった。あとに残されたグルはバツが悪そうに頭を掻きながら、


「でも花束は持っていくのね…」


 とつぶやいたが、すぐに周りの子供たちから罵声が飛ぶ。特にグルと同世代の者たちから、


「あーあ、また泣かしたよクズだな本当に。」

「バカ!追いかけろよ!」

「イチャイチャすんな!死ね!」

「とりあえず行け。で、謝れ。で、死ね。」


 巻き込まれたのは自分の方なのに何故謝らねばならないのか。と思いながら、渋々ヨウを探すことにした。と言っても検討はついている。いつもの廃学校の屋上だろう。透明な階段の上のところだ。




 夕日が落ちようとしている。ヨウは彼女のお気に入りの場所で花束を眺めていた。さきほどの悔しさはまだ収まらず、グルの技術を次に生かすため花束を解析しようと思った。しかし、解析する前に花は散り始め、パラパラと欠けていく。中庭に戻ってビンになるのだろう。結局、彼女の手からそれは無くなってしまった。彼女は大きい喪失感を覚えた。


「やっぱりここにいた。さっきはごめん。やりすぎた。」

「グルはここからいなくなるんでしょ?」

「え?」

「グルはスラム街から出て行っちゃうんでしょ?」

「なんだよ急に。いなくならないよ。」

「嘘だ。それだけの技術があれば向こう側でお金持ちになれる。」

「なれないよ。向こうは差別がひどいんだ。」

「差別なんてその技術で黙らせられる。」

「ありがとう。でも無理なんだ。生まれた時からそう決まっている。」

「だって私聞いたの。グルがスーツの大人たちと話してたって。」

「基金の人たちだよ。」

「いつもの人たちと違ったって言ってた。」


 グルはこれまたバツが悪そうに頭を掻きながら言った。


「僕が君たち家族を置いてここから出るわけないだろう。」

「じゃあその人たちは誰なの?」

「…それは言えない。だけど信じてくれ。僕はこの故郷を捨てたりしない。」

「教えてよ!」

「ごめん…今は言えないんだ。その時が来たら言うから。」

「その時っていつ!?あなたがここを去る日のこと?」


 ヨウは声を張り上げた。頭の中ではグルがここから離れるわけないと思っていた。物心ついた時から一緒で、この街で寄り添いながら生きてきたのだ。でも、言い知れない不安な気持ちが彼女の心の中にはあった。

 グルはヨウの両肩の上に手を乗せ、しっかりと目を合わせてもう一度、同じ言葉を繰り返した。


「ごめん。僕を信じてくれ。今はそれしか言えない。」


 その後、グルはヨウが泣き止むまで優しくハグをし続けた。




 翌日、グルはいつものように政治の中心の街で靴磨きをしていた。するとその靴の持ち主が、長年靴をここで磨いているお得意様の役人だが、話し始めた。


「これは独り言なんだが、最近スラムの方の治安が良くならないって上の方がうるさくてね。あの辺の土地を持っている企業に通達がいったらしい。バグの楽園の権利書を持つ炭鉱業者はかなり黒い噂もあるし、心配だなぁ。」

 

 役人はやっと靴のことについて注文をつける。


「さっきガムを踏んでしまったようでね。しっかりと取ってくれるかい?」

「かしこまりました。」


 靴の裏を見てみると、なるほど、ガムとそれに引っ付いた綺麗に4つに折りたたまれたメモがある。グルはそれを丁寧に引き剥がして、自分の携帯ゴミ箱に捨てた。




 その夜、グルは中庭に仲間を集めた。メモの内容について話し合うためだ。メモにはこう書いてあった。


 『default 8.31』


 『デフォルト』。つまり、建造物も、拡張現実も全てを取り壊してバグごと更地にすることだ。バグの楽園が無くなれば、自分たちの遊び場が無くなるだけではなく、それを利用して小さい子に仕事を教えることもできなくなってしまう。ここのバグが厄介だったからこそ、ここの子供達は高い水準の技術を持つことができたのだ。そして都市部からさらに外に追い出され失業した人々は、どうやって生きていけばいいのだろうか。


「8月31日、1週間後にデフォルトが来る。結論から言うと、ここを守りたい。協力してくれ。」


 中庭はざわつき、質問の手が挙がる。


「本当にデフォルトが来るの?そのメモ、怪しいな。直接口で言えばよかったじゃないか。」

「これは、すまない。あのおっさんがこういうのが好きだっただけだ。」

「そんな適当なやつのこと信じられるかよ。」

「実際、1年前の警察の一斉違法拡張現実検挙の時は彼のおかげで準備ができたじゃないか。」

「それはそうだけど…」

「あの人は大人だけど、子供目線でもモノを考えられる人だ。遊び心は大切だろ?」


 相手は納得いかない顔をしていたが、言葉につまり渋々座り直した。


「それに、こういうことに備えるのは大切だ。8月31日にデフォルトが来ないとしても、その備えは確実に僕らを成長させるだろう。誰か、他に反対の者は?」


 細い腕が挙がった。ヨウである。


「賛成!大人を追い払う作戦をみんなで考えましょう!きっと楽しいよ!」


 グルは反対の者、と言ったのだが。グルがそう訂正しようとするのを遮って、方々から声が上がり始めた。


「そうだ!やるぞ!」

「悪い大人を追い出せ!」

「グルの言う通り、極悪非道の鬼畜米兵をブッ殺せ!」


 歓声が上がり、そして拍手に変わっていく。ふとグルがヨウの方を見てみると、目を輝かせて拍手をしている。そしてグルにウインクをしてくる。あの顔は『アレはコレのことね!大丈夫、私がみんなを守るから!』という顔だ。グルは曖昧な笑顔をヨウに向けながら拍手が静まるのを待ち、こう言った。


「では、これより作戦会議を始めます。あと米兵云々言ったやつ。殺さないし、米兵はここに来ません。ARデコピン1万発の刑な。」


 そして、その日から作戦会議と準備が始まった。会議はヨウが持ち前の元気の良さで引っ張ってくれた。活発な意見が交わされ、次々と策が練られていった。活かすべきは、相手がチップを外すことができず、拡張現実をオフにできないこと。こちらはメガネを外すだけで現実そのままを見ることが出きる。差別を長所に変えるのだ。


 連日の作戦会議以外の時間、グルは中庭の地下に位置する自分の研究室にこもっていた。時間がない。彼は彼の夢のためにデフォルトを絶対に阻止せねばならなかった。

 ある夜、彼が研究室から出ると、そこにはヨウが待っていた。


「ねぇ、あれからずっと会議か研究で頭を働かせ過ぎじゃない?」

「ああ、だからちょっと休憩を取ろうと思っていたところだ。」

「でも、全然寝てないように見えるんだけど。」

「デフォルトまでにやらなきゃいけないことが多くてね。ちょっと学校の屋上まで行こうか。」


 会議や研究の疲れからか、グルの足取りは重い。ふらふらと歩いてたが、ついにグルはめまいを覚え、その場に座り込んだ。

 ヨウは驚いた。確かに顔色は寝ていないみたいに悪かったが、実際はグルが毎日ちゃんと寝ていることを知っていたからだ。


「どうしたの?風邪?」

「いや、ちょっと貧血気味なだけだ。あとでミルクでも飲もう。」

「モデル作成が大変だったらもう一回割り振りを考えて、グルの負担を減らすようみんなに言ってみる。」

「いや、モデル作成は順調だ。大丈夫。このままでいくから。」


 ヨウはその言葉の違和感に気付いた。「まだ、なにか隠してるの?」と聞きたかったが、それではまたグルを困らせてしまうだけだ。言いかけた言葉を飲み込んで、こう言うしかなかった。


「うん。無理しないでね。」

「わかってる。」




 そして、8月31日早朝、見張りが叫ぶ。


「来たぞ!デフォルトだ!」


 大型トラックが5台、その後に赤いタンクローリー車が5台だ。あの赤い車に入っている圧縮された液体が、拡張現実をすべて白紙の状態に戻すデフォルト液だ。あの液体をバグの楽園にかけられないようにここで食い止めなければならない。トラックのコンテナから続々と黒いスーツの男たちが降りてきた。全員が自動小銃AK-47を持っている。

 そして最後に白いスーツの男が降りてきた。そして白々しく、説明口調で大声をあげた。


「ここは立ち入り禁止区域だから誰も人間はいない!だが危険な動物がいるかもしれないので、銃の発砲を許可する!動くものは、危険動物かもしれない。即発砲すること!安全を確保したのち、デフォルト液で掃除を開始する!」


 デフォルトの様子をうかがう子供たちが窓から顔を出しているのにも関わらず、堂々と「人間はいない」と言ってのけた。


「了解!」

「では、はじ…」

「ちょっと待って!」


 ヨウが声をあげて、ビルの外へ出た。


「ここにはたくさん人が住んでいるの!元はと言えばあなたたちがここの炭鉱を捨てて放っておいたのが悪いんでしょ!このバグが外に漏れるのを防いでいるのは私たちなんだから!ここから出ていけ!」


「では、始める。」


 白いスーツの男はハンドガンを構えて、ヨウに向かって撃った。大きな銃声が鳴り響いた。しかし、弾はヨウを外れてビルの壁に当たる。あらかじめ光の反射方向を変えて、相手にはヨウの位置がズレて見えるように細工をしておいたからだ。白いスーツの男は不思議そうに銃口を見て、銃を降ろした。しかし、


「やれ。」


 そう命令すると、周りの男たちが、一斉に自動小銃を構えた。


「うわっ。これは無理。」

「早く中に入れ!」


 ヨウは素早くビルの中に入った。20発ほど弾が飛んできたが、どれもヨウを外れた。


「もう撃つな、弾の無駄だ。それに、ハッキングされている可能性があるな。」


 グルがつぶやく。


「さて、今度はこちらの番だ。銃ならこちらも持っている。」


 子供たちが一斉にAK-47を取り出し、照準を合わせた。偽物の拡張現実の銃である。男たちは一瞬ぎょっとするが、すぐに気を持ち直す。


「バグの産物だ。大したことない。」


 子供たちが偽物の弾を発砲した。すると、それにあたった大人たちはパニックに陥った。偽物の弾なのに、何故。


「うっ、何も見えないっ!」


 偽物の弾には相手の視界を奪う効果があった。相手の視界が黒のペンキをかけられたように真っ黒になるイカスミ弾だ。全くこちらが武器を持っていると想定してなかったため、大人たちはイカスミ弾のいい的だ。


「ひるむな!死ぬわけでも大けがをするわけでもない!銃を発砲しながら突っ込め!目の見えないものは後方に下がってバグとりをしてから前線に復帰だ。」


 前線がグイグイあがっていくのを見た白スーツは脳の中のチップで電話をかけた。


「予想以上にバグがひどいようだ。例の許可を上に申請しろ。そうだ、人は全くいない。心配するな。」


 電話をかけたあと、白スーツはデフォルト作業の現状を見て、ため息をついた。黒スーツたちは誰一人として立っているものはいなく、地面を這ってこちらに戻ってこようとしていたのだ。地面にはこの戦場に似つかわしくないものが落ちていた。バナナの皮だ。

 ARバナナ。その映像を踏んだものは、チップの制御する視界を大きく揺らし、人間を酔わせる。つまり、バナナを踏んだ人間は転ぶのである。

 作戦が成功した子供たちは歓声をあげる。そして、ゴーレム、戦車、馬に乗った戦国武将、ドラゴンなどなどが飛び出して行き、戦場はカオス状態だ。最後にドラゴンが下を向き、炎を放射線状に吐いた。噴煙で視界は全く見えなくなる。


「よし、次、迷宮班!」


 入り組んだ建物に加えて、本来の入り口を塞ぐ壁や逆に壁のあるところに入り口があるように見せかけたもの、落とし穴を仕掛けていく。煙が消えた後には全く違う街並みがそこに現れる。黒スーツたちは偽物の入り口に体を弾き返され、足を踏み外して落とし穴にかかっていく。


「ダメです!これでは全く前に進めません!」


 子供達は、


「そのまま出ていけー!この拡張現実の奴隷が!二度と戻ってくるなー!」


 と罵声を浴びせた。

 白スーツは再び、ため息をついて、もう一度チップで電話をする。


「許可はまだか…よし、やっとか。次からは携帯電話の方にかけてくれ。」


 この旧時代の遺物を使うのはいつぶりだろうか。と白スーツは思いつつ。号令をかけた。


「許可が出た!これよりチップの電源を落とす!」


 チップがほぼすべての国民の脳に埋め込まれている現在、情報統制のため、チップの電源を切ることは法律で禁じられていた。ただし、彼らの企業が国と裏で繋がっている場合はこの限りではない。


 その後はあっという間であった。視界がクリアになり、虚像たちの無くなった戦場では、子供たちに勝ち目はない。子供たちの中に死人を一人も出さないと決めていたグルには今の防衛線を下げるしか選択肢は無かった。


 8月31日、夜。バグの楽園の中庭で子供たちは「穏健派」と「革新派」に分かれ、激しく言い争っていた。穏健派のヨウが主張する。


「ここを失うのはさみしいけどみんなの命には代えられない。また他の場所でやり直そうよ。」

 

 この戦いでボルテージの上がった革新派の集団が答える。


「ここ以外にどこへ行くというんだ!ここ以外の楽しくない場所で細々と暮らす?全員失業者になって野垂れ死にだ!そうなるくらいならここで戦って死のう!」


 革新派の一団はどこからか火炎瓶を持ってきて、慌ただしく戦闘の準備をしている。グルは許可していなかったが、前もって準備していたのだろう。そして革新派はグルをも糾弾する。


「グルの保守的な考えのせいで、俺たちは窮地に追い込まれた!今こそ戦うときだ!俺たちの故郷を守るんだ!」


 次々と革新派に賛同した者が声を上げ始める。


「駄目だよ!みんな死んじゃうよ!」


 ヨウは隣に座っているグルに話しかけた。


「ねぇ、グル聞いてないの?」

「ああ、聞いてないのかもな。」


 この騒ぎだというのに、グルはまた何か考え込んでいるようだ。


「ちょっと、みんなをなだめる方法考えてるの?」

「ああ、そうかもな。」

「このままじゃみんな死んじゃうよ!」

「ああ、みんな死んじゃうかもな。」

「とにかくみんなに声をかけてよ!」

「ああ…」


 グルはすくっと立ち上がった。子供たちの目がグルに向けられる。そのままグルは外に向かって歩いていった。


「やっと戦う気になったか!」

「ああ、そうかもな。」


 グルは歩みを止めず、子供たちが道をゆずる。


「待って、グル!何をする気なの?」

「ああ…」


 ヨウが声をかけてもグルは曖昧な返事をするだけだ。何をするつもりなのだろう。グルは何かをするつもりだ。こういう時にはいつも、みんなをあっと驚かせることをグルはやってのけた。大丈夫、何か考えがあるんだ。グルはついに建物の外、黒いスーツの大人たちの前に出た。

 白スーツが隣の部下に耳打ちをする。


「やつはリーダーの『ゴーグル持ち』だな。見せしめに撃ち殺せ。大丈夫だ。ここには人がいなかったことになるからな。」


 部下は、上司の命令に従った。


 グルの体は倒れ、血が流れ出る。子供たちに死の恐怖が襲い掛かる。ヨウはグルの元に駆け寄ろうとしたが、子供たちに止められた。


「グルのことだ。何かの作戦だろう。メガネを外そう。」


 そうだ。あれは相手を油断させるための偽物だ。メガネを外せば消えるはず。ヨウは震える手でメガネを外した。

 しかし、それは消えなかった。子供たちに動揺が広がる。


「グル!グル!」


 ヨウは子供たちに抑えられながらも叫んだが、グルの体は動かなかった。白スーツが拡声器を片手に叫んだ。


「えー、動物にこんなことを言っても意味があるかわからないが。お前らメガネザルのリーダーは殺した。彼は逃げなければ危ないことを身を持ってお前たちに伝えるためにここに出てきたのだろう。お前らを捕まえるのもいいが、自然に返すための費用が惜しい。3分やるからさっさと逃げろ。以上。」


 グルは家族を守るために自分を犠牲にした?本当に?ヨウは、グルの死体が消えて、いつものように魔法のような技術で大人たちを追い払ってくれるのだと願った。しかし、それは消えるはずがない。ヨウは自分の肉眼でそれを見ているのだから。


「ヨウ、早く逃げるぞ!」


 ヨウはグルの体から目を離すことができない。虹色の花束が消えた時の喪失感が彼女の心に蘇ってきた。視界が涙で滲んでいく。そして、グルの体もぼやけて、消えた。


 子供たちと大人たちの両方が驚きで硬直した。白スーツが喚く。


「何故だ!チップの電源は切っているのに!これは紛れもなく現実のはずだ!」


 次に起こったことも、衝撃的だった。彼が叫ぶ傍らで、部下が次々と倒れていったのだ。半数ほど倒れた後、残りの半数と白スーツの視界が暗転した。


「何故だ!何故だ!何故だ!何故だ!」


 そして、その答えを知っているであろう人物が何もない空間から現れた。


「ふぅ、間に合った。やっと完成だ。」


 グルはいつものひょうひょうとした感じで、白スーツに話しかける。


「ここら一帯は今日設立された僕の会社のものになる。現在、君の会社の株は100%僕のものだ。やっと特許がとれたおかげで、協力者と資金が集まった。これがその書類だ。」

「なんだと、虚言を吐くな!」

「そうか、目が見えないんだったな。」


 グルはゴーグルを使い、コマンドを入力した。白スーツの体の筋肉が硬直し、代わりに視界が元に戻った。


「…と、いうわけだから帰ってくれ。」

「馬鹿な!不当な占拠だ!訴えてやる!」

「それは無理だ。それに、誰を訴えるっていうんだ?ここには『動物』しかいないんだろ?」


 日付は9月1日に変わり、日が昇り始めていた。




 こうして、『バグの楽園』は守られた。そして5年後、その中で立て直された、新しい学校の教室で技術史の授業が行われていた。


「『バグの楽園』の磁場は他の場所より不安定であり、そのため異常な数のバグが発生する。そして、拡張現実以外にも、あるものに影響が出ると発見された。答えのわかるものはいるか?」

「はい!グル先生!」

「おう、答えてみろ。」

「血中の鉄分の濃度!」

「正解だ。人体の部位によって微小な、しかしはっきりとした鉄分の量の差が見られたのだ。磁場の乱れ自体による鉄分の移動に加えて、この特殊な磁場は細胞に『鉄分の移動を促す』命令を出せるとわかった。これを応用すれば、体中の鉄分を集めて、体の中に電気回路を生成することができる。そう、君たちの頭の中のナチュラルチップがこれだ。」


 生徒の大半はスラム街出身だったが、メガネをかけている生徒は誰もいなかった。グルは講義を続ける。


「このチップを作るときに気をつけなければならないことはなんだ?」

「はい、先生。急速に回路を生成すると貧血になって倒れてしまいます。」

「それも正解だ。全く、ナチュラルチップ世代は優秀すぎて教えることがないな。だが、次の授業は知識だけでは乗り切れないぞ。次の美術の授業では虹色の花束を作ってもらう!」


 子供たちから期待の歓声が上がった。




 放課後、グルはヨウから屋上に呼び出された。


「そろそろ、話してもいいんじゃない?あの時、何があったか。大体予想はつくけどね。グルは一人で実験をしてたのね?」

「そうだな、もう時効か。ああ、その通りだ。その馬鹿正直な頭で良く考えたな。」

「グルはあの時、一人で人体実験をしていた。自分の体を使って。」

「それも正解。禁止されていた人体実験を行うには誰にも知られずに行う必要があった。バグの楽園には実験を行うすべての材料が揃っていた。特殊な磁場と、拡張現実チップの監視の届かない秘密の研究室、チップを持たない自分自身…」

「なんで私たちに教えてくれなかったの?協力したのに!」

「メガネも安全とは言い切れない。ハッキングされれば情報が漏れる可能性がある。仕方なかったんだ。」


 『人間の体内でチップを生成する』。このアイデアを思い付いたあと、ネットで協力者をつのった。そして、情報格差をゼロにするであろうこの技術の思想に賛同してくれた大人たちがいた。就職浪人中の大学院生や精神年齢が小学生の官僚、窓際会社員、フェミニストのおもちゃ会社の経営者だったりした。

 あと少しで研究が完成というところで、『デフォルト』の計画を知った。そして、なんとか少しでも時間を稼ごうと、仲間をバグの楽園を守るように焚き付けたのだった。


「みんなを利用するようなことになってごめんな。」

「いいの、みんなあなたは英雄だって言ってる。」

「それは買いかぶりすぎだよ。結局は大人たちのおかげさ。」

「そうかもね。」


 そう言いながらも彼女は、やはりグルにしか成し遂げられなかったことだと思った。


「さて、これからまた研究室に戻ってひと仕事しなくちゃ。ナチュラルチップの生成法は無料で公開した。そのための機械も3Dプリンタですぐ作成できる。でもまだ行き渡ってないところが数か所あるんだ。」


 この技術があっても、情報格差や差別はまた形を変えて存在する。しかし、今から『より良く』することはできる。




 彼はこれからも彼の夢のために、彼が面白いと思うことをやり続けていく。

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