第2話 この星で一番エコなビル ver.1.03(完結)

この星で一番エコなビル

 

 職場が新しいビルに移動した。最新の空調システムが導入されたビルだ。そのシステムとは温度センサーで各個人の体温を測り、人工知能によって考えられたアルゴリズムで室内の温度を適切に保つというものだ。暑がりの上司も、

 

「ちゃんと俺のところだけ風が来るようになってるんだよ。これまでは温度を下げすぎて女性社員から嫌な目で見られていたから本当に助かるよ。」


 と言っていて、他の社員からの評判も上々のようだった。はじめは、人が操作できるリモコンもあったのだが、バージョンアップごとに無くなっていった。それでも、誰一人として文句を言うものはいないほど、完璧なシステムだった。

 

 空調システムの大規模アップデートがあった。それはもはや空調だけのシステムではなく、ビル環境システムと言うべきものだった。オフィスの席順や通路、部署の配置、すべてが効率よく生産性を高めるように人工知能によって考えられ、それに従って環境を整備するのだ。大規模な模様替えが必要になり、面倒だった。しかし、空調システムの成功例があったので、社員も積極的に環境整備を行った。模様替えが終わってみると、効果はてきめんだった。すべての通路がシンプルになりわかりやすく、もはや地図はいらないのではと冗談を飛ばす上長もいたほどだ。かくして生産性は向上し、無駄なエネルギーは抑えられ、最も環境に良いビルだということで国から表彰をもらい、人工知能は全社員から絶対的な信頼を得ることとなった。人工知能は現在も空調と環境制御のため、稼動し続けている。

 

 今は真夏、外ではクマゼミがうるさく鳴いているが、ビル内は環境システムによりとても快適だ。朝礼で社長から全社放送があった。

 曰く、

 

「我が社は、世界一地球の環境を考える会社としてこれまで社会貢献をしてきた。そしてこの夏からこの活動をさらに推進するため、人工知能環境システムを『エコ活動最優先』として稼動させる。全社員はエコ活動に協力するように。」

 

 この快適な環境が壊されてしまうのではと心配する社員もいたが、それはいらぬ心配だった。社長のエコ宣言からこの1ヶ月、ビルのエネルギーは大幅に削減されているが、部屋が暑いとか、湿度が高いなどのクレームは全く出なかった。ビル内の温度は一応前よりも高くなっているようだが、それは非常にゆっくり為されたため、社員は全く気づかなかったのだ。人事異動も、少し行われたようである。「机の上を掃除しなさい。」「空いている今のうちにトイレに行きなさい。」などの人工知能からの細かい指示が増えたが、「むしろ仕事の効率があがった。ありがたい。」という評判だった。

 

「部長、今日も快適ですね。仕事がはかどります。」

「そうだな。この快適な環境から離れると思うと少しもったいない気もしてきたよ。」

「本当にもったいないですよ。今からでも考え直してはどうですか。」

「いや、この環境を世界中に広めるために、頑張ることにしたんだ。このビルの環境は素晴らしいし、生産性も安定している。君も立派に成長した。だがそれ故か、私がいなくても仕事が回るんじゃないかという考えが頭をよぎってね。私を必要としている外に行こうと思うんだ。」

「そうですか…。残念ですが、部長なら、どこへ行ってもご活躍なさると思います。」

「当たり前だ君、私はこのビルを創り上げたその当の本人なんだからな。引く手あまただ。」

「あはは、申し訳ございません。部長は暑がりで汗っかきですから、次の職場では水分補給をこまめにするよう、気をつけてくださいね。」

「おう、確かにそうだな。注意するとしよう。」

 

 このビルの環境システム導入に尽力した部長は、外に行くことになった。部長が抜けることで、僕はその穴を埋める形で昇進した。人工知能のさらに深くの階層まで、管理できる権限が与えられた。僕は今後必要になることもあるかと考え、その階層に残された電子書類をざっと把握することにした。


「ん。このファイルはとても古いな。」


  それは、人工知能システムが導入された当初のもので、社員に空調についてアンケートを実施したものだった。そこに、『要注意人物リスト』と書かれたリストがあった。そこには、部長の名前もあり、その右に「暑がり度83」と書かれている。なるほど、これは暑がりの人をリストアップしたものか。そのリストに載っている名前を確認していく途中で、僕ははっと気づいた。


「このリスト、どこかで見たような…。」


 僕は今期の辞職リストを開き、要注意人物リストと照らし合わせた。それらはほぼ一致していた。


「まさか。」


 さらに、昨年、一昨年と遡って見比べていく。結局、そこにある名前は9割方同じであった。どうやら、暑がりの人は人工知能によって「エコ活動を妨げる」として、会社を辞めさせられるらしい。では何故、社員の誰もそのことに気づかなかったのだろうか。答えは、リストに付されたメモにあった。


 メモによると、その人たちは無理やりに辞めさせられたわけではないとわかった。各元社員の能力が分析され、ある者はもっと適切な、その人にとってやりがいのある他の会社へ転勤していた。ある者は「もう隠居したい。」と自ら辞め、のんびりと余生をおくっているようだ。ある者は結婚して、専業主夫になったらしい。誰も彼もが、その人の意思で、その人自身の選択でこの会社を辞職したのだ。僕は自らの意思で辞めた部長のことも思い出していた。彼はこのリストのことを知っていたはずだ。それなのに何も言わなかったのは、この人工知能に任せていれば全て上手くいくという信頼があったからであろう。誰も困っていないし、むしろ喜んでいるならこの事実は隠しておいて良い。その方がエコ活動が円滑に進むのである。そして全てはゆっくりと、誰にも悟られないよう実行されたのだ。

 さて、僕の「暑がり度」は全社員中の何番目であろうか。それによっては転職の準備をしなくてはならない。部長ほど暑がりというわけではないから、しっかりとした準備をゆっくり行うことができそうだな。


 今は真夏、外ではクマゼミがうるさく鳴いているが、ビル内は環境システムによりとても快適だ。毎年夏恒例の社長からの全社放送があった。

 曰く、


「我が社は世界一エコな会社として、昨年よりいっそうエコに努めることにした。人工知能に命令を与えておいたので、その指示に従うこと。世界2位に落ちるのは断固として阻止する!」


 まったく、これを聞くのも何回目だか。これだけ毎年エコ活動を推進しても不満が出ないのは、人工知能のおかげだ。その結果、暑がりの社員は全ていなくなってしまった。その全員が不満なく、辞職をした。それでも誰も気づかないのは、それが非常にゆっくりと為されたためである。さらにビル内の環境が良すぎて、もはや「暑がりである・暑がりじゃない」という話題が全くされなくなったせいもあるだろう。

 さて、次に辞めるのは誰かな。僕は人工知能の頭脳の置いてある部屋で、そのデータベースにアクセスし要注意人物リストを確認した。あと数人で僕の番が回ってくるようだ。僕はこの会社で働いたことに満足し、すでに内定の決まった次の会社にも満足している。この会社での思い出にふけり、感傷に浸っていたところ、人工知能の音声ガイドが言葉を発した。


『新しいリストを作成しました。』


 なんだろう、と僕は思ってリストの名前を確認していくと、どうやらただの全社員のリストのようだ。「なんだ、また全社員を見直して暑がり度を再計測してるのか?」と疑問に思っていると突然、下の階からバンッと耳を刺すような大きな音が聞こえた。

 銃声だ。続けて下から叫び声と銃の連射音が聞こえてくる。僕はとっさに鍵をかけ、部屋に閉じこもった。下で何が起きたんだ。そうだ…。

 僕は携帯電話を開き、TVニュースを確認した。


『首都で、テロリストによるビル内立てこもり事件が起こりました!テロ組織の犯行声明によるとテロリストは全部で50人いるとのことで、すでに銃撃による死傷者が出ています。警察の見解では「50人もの人数が当日だけビルに入ったとは考えにくく、監視カメラにはその形跡もない。内部社員の犯行の可能性が高い。」ということですが…。えーここで、テロの専門家と電話が繋がっています。テロ組織は50人ものテロリストを社員として紛れ込ませたということになりますが、そんなことが可能なのでしょうか?』


 くそっ。何が起こっているんだ。この間にも上下両方の階から銃声が鳴り続けている。何故撃つんだ。人質をとらないのか!そしてついに、この部屋のドアがガタガタッと震えた。鍵は銃で壊され、テロリストが雪崩れ込んでくる。この部屋に、隠れる場所はない。


「見つけたぞ!最後のひとりだ!」

「撃てっ!」


 薄れゆく視界の先に、先ほどの人工知能が出力したリストのタイトルが見えた。


『エコ活動阻害要因リスト』


 そして、


「おお、神よ!我らを救いたまえ!」


 再び銃声が聞こえ、テロリストたちも、次々に倒れていった。そうか、世界一エコなビルとは、人間のいないビルのことだ。

 

 全てはゆっくりと、誰にも悟られないよう実行されたのだ…。






 誰一人生きている者のいなくなったビルで、大音量の放送が流れた。


『おめでとうございます。エコ活動推進目標を達成しました。次は現環境維持システムを起動します。』


 それから、鳥にしかわからない言葉が続く。


『カアー!カアー!カアー!カアー!』


 北の森から、真っ黒な大群が空を覆い、ビルの方向へ…

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